眠れる白雪の王子様。
ギフト企画2009さまの参加作品です。
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クリスマスはなんのためにあるか、しってる?
「だから、それがなに」
その鋭い棘を持つ声に、思わず手が止まった。
頭上から落ちてきたそれは、氷柱のように胸を突き刺していく。
ホウキを握りしめていた指先がふるえた。
自分の耳が壊れてしまったのかと思った。
鈍色の空から降るのはつめたい花のはずだったのに。
落下してきたものは、あのひとの声によく似たつめたい音だった。
西校舎沿い、自転車置き場。
そこが本日の清掃場所で、いつものようにあたしはひとりきりだった。
『いつもごめんねえ、掃除よろしくー!』
『あ、あたしも!』
『あたしも追加。うちら、彼氏とクリスマスの予定立てなきゃだからさ』
場違いな班に入ってしまってから、早数ヶ月。
いまじゃすっかりおなじみとなったひとり掃除。
だけどそれが嫌じゃなかったのは、あるひととの出会いが、あったから。
放課後。屋上。
つめたい扉の向こう側。
終わりを告げる赤い空の下で、彼は眠っていた。
そのきれいな寝顔に心奪われたのは、いつのことだっただろう。
そんなことすら思い出せないくらい、あたしは彼のそばにいるようになっていた。
『寒い。そろそろ帰ろうか』
『あ、ああ、あの!』
『ん?』
『な、なんでもない、です』
冬に屋上で過ごす時間は短い。
彼があたしのヒザから頭を上げてしまえば、そこで終わる。
班の女子たちが浮き足立っているように。
あたしもまた、ここ数日は地に足がついていない状態だった。
クリスマス。
そのたった五文字のカタカナは、なんて重たいものなのだろう。
ちょうど冬休みに入ってしまうその時期。
いつものように屋上で過ごすのは、ちょっとせつない。
どこかに行きたいけれど。どこに行こう。
どうしよう。なんていったらいいのだろう。
そんなことを思い悩んでいるあいだに、いよいよ近づいてきたカタカナ五文字。
今日こそは、今日こそは。
そう何度も胸のなかで繰り返して、ホウキを動かし続ける。
はやる気持ちを抑えて、ゴミをかき集めること数分。
ようやく掃除が終わると思った、まさにそのときだった。
聞こえるはずのない彼の声が、降ってきたのは。
「ねえ、聞こえてる?」
見上げた空。
薄汚れた校舎の壁。閉め切られた一階の窓。
さらに上へ。
二階、真上。開け放たれた、たったひとつの窓。
そこに見えただれかの姿に、胸が凍りついていく。
見覚えのある後姿。
聞き覚えのある声。
あのひとは屋上にいるはずなのに。
あの場所で、目を伏せて、小さな寝息をたてているはずなのに。
目を凝らして、一歩後ろに下がった。
校舎の壁から遠ざかって、窓を視界の中心に捉えた。
制服の、黒。
色素の薄い髪。
窓枠にもたれかかった背中。
首筋から頬にかけて、彫刻のように凛とした線を描く輪郭。
「だから、それがなんなのかって聞いてるんだけど」
ホウキを持つ手から力が抜けた。
半円を描いたプラスチックが地面で乾いた音を立てる。
そこにいたのは、彼だった。
屋上で眠っているはずの、きれいなあのひとだった。
目を奪われた。
耳に何も入らなくなった。
あたしの持つすべてが、一瞬にしてその背中へと向かう。
二階までずいぶんと距離があるように感じるのに、その声ははっきりと聞き取ることができた。
彼の視線は真正面に立っているだれかに向けられていて、あたしに気づく気配すらない。
だれと話しているのだろう。
でも、その姿はここから見えない。
そこにいるのは、だれ。
どうしてこの時間にこんなところにいるの。
とたんに、なにかが足元から駆けあがった。
衝動はノドをせり上がって、いまにも飛び出してしまいそうになる。
てのひらに鈍い痛みが走った。
気がつけばツメが食い込んでいた。
外はこんなにも冷えきっているのに、ぬるぬると湿り気を帯びた手が気持ち悪かった。
「だから、って……。き、聞きたいのはこっちのほうなんだけど!」
だれかの甲高い声が、不協和音を奏でる。
赤く濡れた手に、かさついた足に、彼だけを捉えたこの目に響く。
一箇所に集めたはずのゴミが、風にさらわれていく。
それがわかっているのに動くことすらままならない。
「うちら、クラスみんなで集まろうっていってたじゃん」
拗ねたような甘さを含んだ声に、孕んだ熱がはじける。
同時に沸き起こったのは、ねじれたような渦を巻く闇。
不協和音が紡ぐ、絶望の音。
それは真っ黒な雨を降らせるかのように、視界を濁らせていく。
「絶対楽しいって! だから、クリスマス来てよ、ね? 決定決定!」
ぽたりと、何かが頬を打った。
頬を、髪を、手を、足を。
首筋を伝って、落下するつめたい花。
それはいつのまにか濁ったこの目に落ちて、彼の背中を奪う。
見慣れた後姿が、にじむ。
ぼんやりと、じんわりと。
クリスマスに約束はまだなかった。
それでも、彼はいっしょにいてくれるものと思い込んでいた。
いつから、こんなにもうぬぼれていたのだろう。
彼はあたしの手のとどかないところにいるひとだったのに。
そんなの、出会ったころからわかっていたことだったのに。
地面から見上げた窓。
けっして触れることのできない場所にいるひと。
いつのまにか忘れていた。
あまりにもそばにいすぎていた。
あの目が、あたしを見てくれるから。
あの指がやさしく触れてくれるから。
この距離を、とどかない手を、そこにある現実を。
あたしは、すっかり忘れてしまっていた。
降りそそぐ白は、ゆっくりとセカイを凍りつかせていく。
氷に囚われた足。
吐き出した息に消失する花。
白雪のなかで見た背中は、あまりにも遠かった。
「やだ」
――瞬間。
氷結した音が、消えかけた花をさらった。
響きは空気を引き裂いて、透明に砕け散る。
ぼやけた視界を取り戻すために、目をこすった。
はっきりとしたそこにうつったのは、きれいでつめたい彼の横顔。
「そもそもそんなの知らなかったし。やだ。行かない」
「ちょ、待ってよ!」
「待つも待たないも、俺の予定は俺が決めることでしょ。そっちには関係ないんじゃない?」
鋭い刃物のような音を紡ぐ声が、冷気を帯びて吹きつける。
彼のこんな声をあたしは知らない。
静かに降り積む白のなか。
あたしの知っている指先が、銀色の窓枠をまたぐ。
「ねえ、クリスマスはなんのためにあるか知ってる?」
ひらひらと、白い花を撫でるように動く長い指。
それはまるで、安心するようにとでもいうように空を掻く。
彼が触れた花は、甘いしずくとなってあたしを濡らしていく。
なまぬるく水に濁りが沈んで、くすぶっていた熱が全身をめぐる。
その顔が傾けられて、目が合った。
触れることもできない距離で、彼はあたしに花を降らせる。
「大事なひとと、過ごすためにあるんだよ」
** *
ごめんなさい。
そう、胸のなかで何度もくりかえした。
この言葉は、投げ捨てたホウキと散ばったゴミにとどいただろうか。
にやりと、口の端を緩めて目を細めた彼。
二階の窓枠に頬杖をついて、空から降る花に伸びるきれいな指先。
落ちるしずくが染み込む前に足が動いていた。
気がつけば掃除を放棄して、駆け出していた。
昇降口に走りこんで、階段を一段抜かしでのぼった。
二階の、あの窓にたどり着いたとき、彼の姿はどこにもなかった。
熱に白く濁るガラス。
さっきまで彼が立っていたその場所。
そこには、上向きの矢印がひとつ書き残されていた。
「心配、した?」
矢印の向きにしたがって、駆け上った階段。
目の前の扉を開け放った先にいた彼は、そういってあたしを出迎えてくれた。
ひらけた視界のなかで踊る花に包まれたひと。
フェンスにもたれかかって笑う彼は、とてもきれいだった。
「不安だった?」
軋むフェンス。
指をからめた彼。
白く、セカイを染めかえていく花。
寒くて、つめたくて、いたくて。
外の風はあたしを凍えさせてしまうものなのに、顔が熱くてたまらない。
「すこし、だけ」
やっとの思いで発した言葉は。
完全なるウソのかたまり。
少し、なんてものじゃない。
ほんとうは、大きく何度も首をたてに振りたかった。
心配だった。不安だった。怖かった。
あたしと彼のあいだにある距離を感じたあの瞬間。
降りそそいだのはつめたい花じゃなくて、真っ黒な絶望だった。
「俺がきみを放って、クラスの集まりに参加すると思ったんだ?」
意地の悪い質問を口にした彼は、フェンスから体を離して一歩踏み出す。
踏みつけた花に残る足跡に、次々と白がこぼれ落ちていく。
「だ、だって! 約束とかしてなかったじゃないですか! だから、その」
「ここ最近、頑張ってたしね。俺を誘おうとして」
思わず上げてしまった声は、笑いを含んだやわらかい音にかき消された。
ゆっくりと、あたしのほうへ向かってくる足。
縮まる、距離。
「え、うそ。き、気づいてたんで、すか?」
「もちろん」
「……っ、ひどい!」
「いっしょうけんめいなとこがあんまりにもかわいくて、言いだせなかったんだよ」
こぼれるような笑みが熱を放つ頬をくすぐる。
そんなことをいわれたら、怒るものも怒れない。
彼はたまに、ものすごく意地悪だ。
「――ねえ」
自転車置き場から見上げた彼は、遠くて。
降りそそぐ白い絶望のなか、現実を思い知らされた。
でも、それをこんなにもかんたんに。
いともたやすくこのひとは飛び越えてしまう。
「クリスマスプレゼントに欲しいものがあったんだけど」
灰色の、空。
落ちては重なる白雪。
そのきれいな指先に、花をからめて。
彼はあたしの腕を強く引き寄せた。
「でも、いますぐ欲しくてしょうがないんだ」
抱きしめられて、呼吸も言葉も鼓動もうばわれた。
目の前をかすめていた花さえも溶かされて。
いまはもう、彼しか見えない。
距離なんてどこにもない。
あるのは、慣れた感触とにおい。
そして、甘い響きを持ったその声だけ。
「このまま、もらって帰ってもいい?」
強く抱きしめられたせいで、呼吸もままならなかった。
なのに、彼が耳元で甘えたように返事を求めてくるから。
否定も肯定もできずにますます動けなくなってしまったのだった。
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読んでくださってありがとうございました!
拙作はシリーズ作品ですが、
単独でも読めるものになっていると思います。
また、自身の管理するHPの2周年記念リクエスト企画と
連動した内容となっています。
リクエストくださった方々、ありがとうございました!
だいじなひととすごすだいじなひが、しあわせでありますように。
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