「もう、知らない! あんたなんか、別れてやる!」
ついに耐え切れずに叫んだあたしに、あいつは目を剥いて、ものすごくびっくりした顔してた。
「お、おい……倉橋……」
呼び止めようとしたあいつの声は、あたしの怒りに余計な火をつけた。
「そんなんだからいやなの! もう耐えらんない! だいっきらい……バカ!」
体中の力を込めて、言い放ったあたしの声は、日曜日の遊園地に響き渡ったのだった。
*
あいつに初めて会ったのは、引っ越してきて、登校第一日目の教室。
「倉橋 美緒さんや。東京から引っ越してきたばっかりで、大阪のこと何もわからんらしいから、皆仲良うしたってや」
絵に描いたような大阪弁で、先生がそう紹介してくれて、頭を下げたあたしは、皆の笑顔の中、一人だけ無愛想な顔を見つけた。
興味もなさそうなくせに、ただじっと見つめてくる視線に、なんだかすごく居心地が悪くなった。
出会いとしては、最悪の出会い。
「ああ、鬼堂。お前の隣空いてるな。ほんなら、倉橋、とりあえずそこ座って」
有無を言わせず座らされた席の隣――ノートの表紙に書かれた名前、鬼堂 京介。
顔だけじゃなく、名前まで怖い、そんなやつの隣になんて、なんでなってしまったのか。
転校初日から、前途多難――そうため息をついたのは、二学期の頭。
関わり合いになんてなりたくなかったのに。
気づけば出席番号で、やれ日直だとか、隣の席で、同じ班だとか、顔を合わせるしかなくて。
なんとか最初の印象を克服して、会話と呼べるようなものができるようになっても、あたしとあいつの間には大きな隔たりがあった。
あいつはいつも不機嫌そうで、無愛想で、口数も少なくて、あたしのほうをまっすぐ見もしなかったから。
あいつの印象はますます最悪で、あたしからも必要な時以外に接触することは一切なかった。
けれどなんだか気分が悪くて、どうにも納得がいかないのは、その態度があたしに対してだけだと、気づいてしまったことだった。
女の友人はあまりいないようだけど、男の子たちとは普通に話していて。
明るくお喋りというほどまではいかなくても、わりと休み時間も和気あいあいと過ごしてて。
話しかけてくる女の子には、一応普通に受け答えしていて。
それなのに、なんであたしだけ?
いつの間にか、あたしの中で、鬼堂 京介への気持ちは苦手、から、嫌い、へとほぼ変化していた。
それなのに、よくよく見てると、どうやらあいつは、女子にも結構モテてるらしくて。
休み時間に他のクラスの子が見に来ていたり、部活では黄色い声援を上げられていたりして。
そりゃあ、背は高いし、黙ってたら顔は悪くないかもしれないけれど。
あんな無愛想な、むすっとしたやつのどこがいいっていうの?
口にも出せないあたしの疑問は、もやもやと胸の中で膨らむばかりだった。
「ねえ、サヤちゃん。あたしって、なんか人に嫌われるようなことしてる?」
ある日、思い余って訊ねたあたしに、大阪でできた最初のお友達、楠原サヤは、大きな目をもっと大きくして、聞いてきた。
「ううん。なんで? どうしたん、いきなり?」
「……いや、なんでってこともないけど……」
心配そうに覗き込んできたサヤから目を逸らして、いつの間にか目線に映していたのは、教室の端に佇むあたしの敵。
それを見たサヤは、ああ、と理解したかのように微笑んだ。
「あいつなぁ〜めっちゃ、わかりやすいやろ?」
意味ありげにあたしの肩を叩くサヤ。
「……何が? あ、あたしって、やっぱ嫌われてる? あの……鬼堂くんに」
やっぱりというか、どうしてというか、怯えながら訊ねると、サヤはびっくりした顔をして、それから可笑しそうに笑ったのだ。
「な〜んや、てっきり気づいてて相手にしてへんのかと思ってたら……美緒も結構鈍いんや!」
「なっ、何それ! なんで鈍いの? 何が?」
それからは、いくら聞いても、サヤはにやにやして、全く答えてくれなかった。
その疑問への答えは、ある日突然やってきた。
調理実習で、ドジをやって、火傷してしまったあたしの手を、いきなり大きな手が掴んだのだ。
びっくりして見上げたあたしに、ただ一言。
「行くで」
「えっ、行くって、どこに? あのっ、ちょっと!」
水で冷やそうとしていたあたしは、あわてふためいて、抵抗して。
それなのに、強い手の力は全然ゆるまなくて。
救いを求めたあたしの目線は、にやにやと笑うサヤたちに流されて。
結局あたしは付いていく羽目になった――あの、鬼堂 京介に。
*
「付き合って、って言ってくれたのに……」
あたしは、走って走ってやってきた、ベンチで、いつしか呟いていた。
子供連れや、カップルでにぎわうアトラクションから、少し離れた丘の上。
人気のない場所を探してやってきたここで、あたしはもう何度目かのため息をついていた。
思い出すのは、あの間抜けな、驚きの目。
あれが、出会ったばかりには怖くて仕方なかったなんて、今から考えたら可笑しいもいいところだ。
あの、鬼堂 京介があたしを好きだったなんて。
あの、無愛想極まりない態度が、全部照れから来るものだったなんて。
あの時のあたしには、想像すらできなかったんだから。
『俺と、付き合ってくれへんか』
無理やり保健室まで連れて行かれて、一通り手当てを終えた後の沈黙を、急に破ったあの言葉。
まったく予想もしてなかった展開に、しばらくあたしは固まって。
そんなあたしを、今までにないほどあいつがじっと見つめてて。
少し開いた窓から、秋の風が吹き付けてきて。
あたしは思わず頷いていた。
途端に嬉しそうに笑ったあいつの顔、あれがあたしに初めて見せた、笑顔だった。
「大体、付き合って、とは言われたけど、好きって言われたことないし」
それは、この三ヶ月、何度も考えたこと。
「付き合ってる、って言ったって、満足にデートもしたことないし」
今日のデートが、まだ片手に足りるほどだなんて。
「電話だって、メールだって、ほとんどしてこないし」
そりゃあ学校で毎日顔あわせるけど。
「休み時間だって、お弁当だって別々だし」
急にラブラブ一緒に過ごせやしないけど。
「……手だって、あれ以来、まだつないだこともないし」
さすがにこれは友達にも言えやしない。
「これで付き合ってるって言えるの……?」
あたしはいつの間にか、恨みがましく一人呟いていた。
今日はまだ天気がいいとはいっても、さすがにもう十二月の屋外は寒い。
コートのポケットに手をつっこんで、あたしは首を縮める。
そんなあたしを、時々通り過ぎる家族連れやカップル、遊園地のスタッフがちらりと見ていく。
……あたしは一体何をやってるの?
突然とっても空しくなった。
そう、あたしは一体何をやってるんだろう。
一人でわめきちらして。
こんなとこでぼんやりして。
一体何を待ってるんだろう。
あんな鈍感、天然記念物男。
追ってきたりするはずないってのに。
付き合いだしてから、少しずつわかってきたのは、鬼堂 京介という男は見た目以上に照れ屋で、神経質で、臆病だということ。
まともに二人で会話ができるようになったのも、つい最近だ。
それまでにしたデートも、数えるほどで、友達にお膳立てしてもらって、ようやく実現したものだった。
ほとんど会話もできずに終わって、今回みたいに二人きりで出かけたのは、今日が初めてだった。
そんな人が、よく告白なんてできたものだなとは思うけれど。
あいつなりに、かなり頑張ったんだろうけど。
告白したからには、その後が大事じゃないの?
告白だけして、燃え尽きたみたいに、何の変化もないどころか、以前よりもぎこちなくなったあたしたちの関係。
そんな三ヶ月に、あたしだけがイライラして。
あたしだけが不満で。
あいつ一人、何を考えてるんだかわからない、相変わらずの無愛想顔。
それなのに、なんであたしは付き合ってるんだろう?
そんなあいつに、愛想をつかしてしまわないんだろう?
そんなことを最近ずっと考えて、あたしは余計にイライラしてた。
積もり積もった鬱憤が、飛び出したのは先ほどのこと。
「……どうして、あたしと付き合ってるの?」
歩みを止めたあいつが、怪訝そうにあたしを見て。
耐え切れなくなったあたしが、ついに爆発した。
「あたしといて、楽しい? 嬉しい? あたしのこと……どう思ってるの?」
畳み掛けるように聞いたあたしに、あいつは言われたことが飲み込めないような顔をした。
「な、何言ってんねん、急に」
やっとのことで出てきたのは、そんな言葉で。
あたしはなんだかすっごく腹が立って。
「だって、鬼堂くん、何考えてんだか全然わかんないし……ねえ、彼氏と彼女ってこんなもん? なんとか言ってよ!」
初めて聞いたであろうあたしの怒った声に、あいつは戸惑った顔をしてた。
「あたしのこと……本当に好きなの?」
無意識みたいに滑り出た自分の言葉に、あたしもびっくりしたけど。
あいつは、まさに鳩が豆鉄砲くらったみたいな、間抜け面で。
いつものクールさが嘘みたいなまん丸な目であたしを見てて。
自分でも恥ずかしくなりながらも、あたしはずっと答えを待った。
そこがジェットコースター前の、混雑もいいところの広場であることも、周りのカップルが好奇な目で見ていることも、全部忘れて。
「……は、はは……な、何やねん。なんか、おかしいで、今日の倉橋」
やっとのことで言葉を発したと思ったら、あいつはまるで腹話術の人形みたいな顔で、そんなずれたことを言った。
「こ、こんなとこで、いきなり変なこと……アホちゃうか」
その乾いた笑いと共に出てきた単語に、あたしはキレた。
「ア、アホって……アホってどういうことよ! 人が真剣に聞いてるのに、こともあろうに、アホって! バカにするのもいいかげんにしてよ!」
あたしの大声に、あいつは途端にあせりだした。
「そ、そんな大げさな意味ちゃうって! ちょっと、言葉のはずみで……」
「言葉のはずみで人をバカにするの? それってあたしにケンカ売ってるの?」
「そんなことないって! 何やねん、一体……」
何が言いたいのかわからない。そんな顔だった。
だからあたしは言ってやったのだ。そのふざけた顔色を変えてやるような言葉を。
*
冬の日は短い。
いつの間にかすっかり暮れようとしている太陽に、あたしは大きなため息を投げた。
座ってからどれぐらい時間が経ったのだろうか。
愚痴っていた心は熱かったけれど、すっかり手足は冷え切っている。
奪われる体温と共に、さっきまでの不思議なほどの腹立ちも、徐々に冷えてきて。
あたしは途端におそってきた恥ずかしさと戦っていた。
何やってんのよ、美緒!
あれは、正気じゃなかった。うん、確かに正気じゃなかったよ。
そりゃあ、腹が立ってたのは事実だし、はっきりしないあいつの態度に苛立ってたのは仕方がないけど、だからってあれは言いすぎだった。
なんであんなこと言っちゃったの?
思い出せば恥ずかしすぎて、あたしは両頬に血が上るのを感じていた。
あれじゃあ、まるであたしがあいつに好きって言ってほしかったみたいじゃない!
まるで、ずっとそう言ってほしかったみたいじゃない……。
そう思ってから、あわてて首をぶんぶん振った、その時だった。
「なぁ、何してんの?」
声のした方向に振り向いたら、耳にピアスの、軽そうなお兄さんが、あたしに笑いかけていた。
「さっきから見てたら、一人で寒そうやけど……彼氏とケンカでもしたん?」
「なっ、違います!」
無視しようと思ったのに、思わず返してしまった言葉。
それを聞いて、お兄さんはちょっと嬉しそうに笑う。
「へぇ〜ほんなら、何してんの? 一人?」
遊園地に一人で来るやつがどこにいんのよ、とでも言い返したくなるのをおさえて、あたしは首を横に振る。
「とっ、友達と……ちょっと、はぐれちゃって、仕方ないから、待ってるだけ」
会話を始めてしまったことに、しまった、と思いながらなんとか答えると、お兄さんは、何かに気づいたようにあたしを覗き込んだ。
「なぁ、もしかして、大阪の子とちゃうん? 何、どっから来たん?」
いつの間にやら距離をつめられ、隣に座られて、あたしはちょっとためらった。
「と、東京ですけど……」
これ以上近寄られたくなくて、正直に答えてしまうあたし。
それなのに、お兄さんは余計に近づいてきた。
「へえ〜東京から来たんや〜。高校生? 可愛いなぁ〜俺、ロングヘアの子好みやねん」
そう言って、嬉しそうにあたしのおろしたままの髪に触れようとする。
「やっ、やめてください!」
「お、そんな怒らんでもええやん。別に何もせえへんて」
そう言って、ふざけたように両手を上にあげてみせるお兄さん。
大阪弁が、これだけ嫌らしく聞こえたことはなかった。
いつも耳に響く賑やかなクラスメイトの大阪弁。可愛らしい女の子の大阪弁。そして……無愛想な、あいつの大阪弁。
でも不器用だけど、どこか優しい響きだった。
「なぁ、よかったら、俺が大阪案内したるで?」
脳裏に浮かんだ面影に、一瞬だけぼんやりした隙に、ものすごい近くでにやっとした顔が言った。
「いやっ……」
あたしがはらいのける前に、お兄さんは突然すごい勢いで飛んでいった。
まるで、風に吹き飛ばされたように見えて、あたしは何が起こったのか把握できなかった。
「人の彼女に、手ぇ出さんといてくれますか」
恐ろしいほどに低い声で、お兄さんを睨んだのは、いつもの無愛想な顔に百倍くらい凄みがかかった、あいつだったのだ。
「いっ……痛いやんけ! 突然何すんねん、このガキが!」
ベンチの後ろで尻餅をついた状態で、あわてて叫んだお兄さんの顔には、見事に殴られたあとがついていて、ようやくあたしも事態を把握した。
あいつが、人を殴るなんて。驚きに言葉も出ないあたしをちらりと見たあいつは、すぐにお兄さんへと視線を戻した。
その高校生とは思えない睨みに、お兄さんは悔しそうな顔をする。どう見ても、迫力負けしているのは、あたしにもわかった
それでもきっと、後に引けなかったんだろう。立ち上がると、あいつの襟元を両手で掴んだのだ。
「どうしてくれんねん、この顔! 慰謝料払ってもらおうやないか!」
その言葉に、あいつはにやりと不敵な笑みまで浮かべる。掴まれた手を、簡単に払いのけて、あいつは口を開いた。
「にやけた顔が、ちょっとはましになったと思いますけど? なんなら……もっと、かっこようしたっても、ええねんで」
そう挑戦的に言って、笑うあいつの瞳は、本当に、刃のように冷たく光ってて、お兄さんは見てわかるぐらいに、顔色を変えた。
それでも何か言い募ろうとした、お兄さんの前に、現れたのは、巡回中の警備員。
「おい、そこ! 何やってるんや! ケンカは困るで、ケンカは――」
近寄ってくる警備員に、くそ、と捨て台詞を吐いて、絵に描いたように情けなく退散していったお兄さん。
今までの凄みが嘘のように、いつもの無愛想な顔で、適当な言い訳をしたあいつは、警備員を見送ると、あたしを見た。
「あ、あの……」
「どこ行ったんか思て、捜し回ったら……どうでもええけど、ベタすぎやろ。こんなとこで、変な奴に言い寄られとるなんて」
あくまでぶっきらぼうにそう言うあいつは、すっかりいつもの顔をしていた。
「えーと……ゴメンナサイ」
とりあえず、あたしに隙があったのは確かだし、間抜けだったとは思うから、素直に謝った。
そんなあたしを意外そうに見て、あいつは目をそらした。
「まあ、無事やったから……ええけど」
そう呟いたあいつの頬は、よく見たらちょっと赤くなっていて。この寒空で捜し回ってくれたのかと、あたしも、ちょっと反省した。
そして、どちらからともなく、歩き出したあたしたちは、どこへ向かうともなく、ゆっくり歩いた。
またさっきのジェットコースター前広場に辿り着いて、あたしはちょっと迷ってから、口を開いた。
「さっき――」
あたしの小さな呟きに、聞き取れなかったような顔で、あいつは顔を上げる。
その目をまっすぐに見ないまま、あたしは歩みを止めた。
「さっきさ……ちょっと、かっこよかったよ」
ちょっと、ではなくて、結構かっこよかったけれど、そんな言い方が、あたしには精一杯だった。それでもあいつは、見る見るうちに頬を染める。
その意外な反応が嬉しくて、あたしは調子に乗って続けた。
「人の彼女に、手ぇ出さんといてくれますか〜だって」
大阪弁のアクセントと、低い声を真似て、ふざけたあたしに、あいつはますます赤くなって、目をそらした。
「うるさいなぁ、真似すんな!」
もちろん照れ隠しだって、わかっていたけど、あたしはまた唇をとがらせる。
「あ、ひどっ、うるさい、とかそこまで言わなくたって、いいじゃん」
「いや、だから、これはそんな深い意味ちゃうって」
あわてて弁解するあいつに、あたしは拗ねたような顔をしてみせた。
「大体、誰のせいであたしがあんな目に合ったと思ってんの?」
責めるようなあたしの声で、言葉をつまらせるあいつを、あたしはひそかに楽しんだ。思わずにやついたあたしに気づいたようで、あいつは赤い顔で、睨みつけてきた。
「最初に変なこと言い出したんは誰やねん。あたしのこと、本当に好きなの? やったっけ?」
仕返しのように、変な高い声で、あたしの言い方を真似たあいつは、勝ち誇ったように笑っている。あんまりむかつく笑い方に、あたしはあいつの腕をこぶしで叩いた。
「真似しないでよ! バカ!」
「バカはどっちやねん」
腹立ち紛れに叫んだあたしを見て、あいつは静かにそう言った。
「どっ、どういう意味よ!」
睨んだあたしの頭に手を置いて、あいつは意外なほど、優しい瞳で見下ろしたのだ。
「好きやなかったら、付き合ってくれなんて、言わんっちゅうねん」
「……え?」
あんまりさらっと言われて、あたしは思わず問い返していた。
「だから――いちいち言わんでも、わかるやろってこと。ホンマ、アホやなぁ……美緒は」
無愛想に言って、背を向けたあいつの耳が赤いことに、あたしは気づく。そして、初めて名前を呼ばれたことにも。
こんなのが、あいつの精一杯なんだって、あたしにもやっとわかった。
しばらく立ち尽くしていたあたしは、思わず笑いそうになるのをこらえながら、あいつの前に回った。
「アホって言わないでって、何度も言ってるでしょ」
せめてもの反抗に返した言葉に、あいつも笑う。
「アホやねんから、しゃあないやろ」
なんだか変にあったかい、あいつの『アホ』って言葉。前ほど、その単語が、嫌ではなくなっていたけれど、あたしはふくれた顔をする。
「……で?」
突然聞かれて、瞳を瞬かせたあたしを、あいつは少し赤い顔で見つめた。
「何が?」
すっかりいつもの雰囲気に落ち着いたかと思っていたあたしは、そのまま問い返す。そんなあたしを苛立ったように見て、あいつは言ったのだ。
「まだ、別れたい?」
それが、既に頭の中から綺麗さっぱり抜け落ちていた、あたしの叫びに対する質問なのだと、あたしが理解した頃には、あいつは真剣な顔をしていた。
まさか、こいつ、本気で心配してたの――?
思わず吹きだしたあたしに、あいつは眉を吊り上げた。
「おっ、おい! ちゃんと質問に……」
あわてて言い募るあいつの前で、あたしは思わず全開の笑顔を浮かべていた。
「京介のバーカ!」
そう言って走り出したあたしを、あいつが何とか言いながら追いかけてくる。
走るあたしたちを照らすのは夕焼けで、初めての、二人きりでのデートは、色気も何にもない、追いかけっこで終わることになりそうだった。
それでもあたしたちは、まだ始まったばかりなんだ。
バカなあいつと、アホなあたしの、不器用な物語は――。
追いついたら、この手を捕まえてくれたらいいのに。なんて思いながら、あたしは笑った。
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