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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第四章  月見酒と乙女
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第十話  野分(一)

 まだまだ暑い日が続くが、盆が終わると夏も折り返し地点を過ぎた感がある。帰ってきたケイさんを白梅荘のみんなは何事もなかったかのように迎え入れたと思ったのだけれど、ちょっと違ったようだ。


「ケイちゃん、ちょっといいかしら」

「五木くん、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど」

「ケイちゃん、車を出してほしいんじゃがの」

「けーしゃん、ごはんおかわり」


 ここ二週間ばかり不在だったから寂しかったのかしらね、などと微笑ましく眺めていたんだが、しばらくしてどうも様子がおかしくないか、と気づいた。みんな寄ってたかってケイさんをかまっている。かまっているというより、むしろ扱き使っている。最初のうちは微笑みながら「はい」「はい」と応じていたケイさんだが、だんだん


「え? 端切れの整理って今やらな……やっておきます」

「え? 構いませんがその本の整理、今――分かりました師匠、やります」

「いいですけど。お久さん運転でき――運転します。させてください」

「小梅ちゃん、ご飯はもう食べたでしょ」


 表情が強張(こわば)ってきた。そして私もどうもそこはかとなくかまわれている、気がする。


「五木くんにお茶? いらないいらない。さっき僕がスペシャルな疲労回復ドリンク持って行ってあげたし。それよりも、どう? アンチエイジングについてレクチャーしてあげるけど」

「あら素敵。引退後にはわたくしにも是非。ところで詩織ちゃん、新しい反物を見に行きませんこと?」

「出かける前に糠漬(ぬかづ)けを包んでくれんか。詩織ちゃんが漬けたのが叔父の好物でのう。初々しいんだと」

「じゃあ、じゃあ、小梅はおやーたしゃまに――あれ? なにをすればいいんでしたか?」


 ちょっとちょっと、糠漬けだけひとこといわせて。お久さん、その糠漬けは私が漬けたから初々しいんじゃなくて単にまだ漬かりかたが浅いだけなんじゃないでしょうか。決して不器用でぎこちないから珍しいお味、とかじゃないと思う。もうメシマズは返上だから!

 それはともかく、これはどうも陰謀のにおいがするね。嵐太郎と小梅を捕まえて()いてみた。真知子さんは出勤、お久さんはケイさんを運転手にして実家の合気道道場に漬物を届けに行っている。よってこの二人から訊き出すしかない。


「うん、面白いからのっちゃってるんだ」

「何にですか」

「真知子ちゃんの提案」


 夕月夜(ゆうづくよ)の酒宴の際、よよと涙する私の(しお)れた様子に心動かされた真知子さんが「ケイちゃんをシバけ」作戦を提案したんだそうだ。


「……えっと、私、酒盛りのとき、泣いてないです。多分」

「うん、そんなことだろうと思ったけど、いいじゃない、面白いんだし」


 小梅もうんうん、とうなずいている。意味分かってるのか、小梅。


「五木くんってさ、かなりまめだから家事やらせるくらいじゃてんてこまいにならないんだよね。『俺って必要とされてる、嬉しいな』とかなんとかでノリノリでこなしちゃうでしょ?」


 確かに。

 戻ってからのケイさんは「休まなくていいの?」と心配になるくらいフルスロットルで滞り気味だった事務仕事と家事に励んだ。とても助かっているのは事実だ。


「なんかさ、盆踊りの後もラブラブで帰ってきたじゃない?」

「ラ……何をおっしゃいますか。そんなんじゃありませんよ」

「これはもうあれだ、詩織ちゃんあっさり(ゆる)しちゃってるね、惚れた弱みで甘いからね、僕らはそう結論づけたわけ」


 ラブラブじゃないっていってんの。聞けよ、私の話を。


「おやーたしゃまとラブラブできないと、けーしゃんはしょんぼり、です」

「はい?」


 幼児に何いわせてるか。くわっ、と嵐太郎を睨みつける。


「いやいやいや、睨まれても。困っちゃうな。おり……小梅ちゃんは優秀だからね、なんでもまるっと覚えちゃうんだ」

「らんたろしゃんは、スケベイシャでしゅ」

「へ?」


 スケベイシャ……スケベイ者……ああ、スケベ医者。お久さんがそういうから覚えたのか。嵐太郎はみちるさんに向かって「おりんちゃん」だけでなくいろいろな名前で呼びかけていたそうだ。そういえば初めて会ったとき嵐太郎はみちるさんに向かって「れいちゃん」と呼んでいた。もしかしたら過去の大巫女の記憶が蘇っているかどうか確かめていたのかもしれないが、お久さんにしてみれば「よその女と見分けがついていない、けしからん」なのだろう。それでスケベ医者呼ばわりしているわけだ。


「小梅ちゃん、そのスケベ医者ってのはやめようよ。僕、さすがに傷つく」

「いやいや、大巫女を九官鳥代わりにして遊ぶほうがマズいでしょう」

「五木くんにとっていちばん効果の高い罰は詩織ちゃんとの接触が減ること。だから二人を忙しくさせてラブラブ阻止すればいいね、ってことになったんだ」


 小梅がうんうん、とうなずいている。意味分かってるのか、小梅。そして嵐太郎、私の話を聞け。


「小梅のみっしょんはじゅうようです。チューをそしするのでしゅ」

「はい?」


 話を聞こうじゃないか、小梅。驚愕の事実、といいたいがそんなことない。またかよ、とため息をついた。

 夜中、ケイさんが部屋にやってきておやーたしゃまにチューしようとするのでしゅ、と小梅はいった。初日はケイさんにうまいこと寝かしつけられたらしいが、そのことを真知子さんに話したところ、憤慨した彼女が「ケイちゃんをシバけ」作戦の即時遂行を提案したのだという。小梅は夜中忍んでくるケイさんに「めっ」をして私の安眠を守る係なんだそうだ。


「そうですか。小梅はこれから大きくなる人なんですから、夜ちゃんと寝なければいけませんよ」

「でも、おやーたしゃまがよる、ちゃんとねむれなくなりましゅ」


 大丈夫。私、ちょっとやそっとじゃ起きないから。もとい、そうじゃなくて。


「大丈夫。夜お部屋に来ないでください、とケイさんにお願いしますから」



     *     *     *



「お話があります」


 そういうと、ケイさんは目を輝かせた。真知子さん提案の「ケイちゃんをシバけ」作戦の滞りない遂行によりほんと、ぜっんぜん接点がなかったからね、私たち。

 居住エリアや厨房などと反対側に位置する執務室へずんずん大股で向かうケイさんの後からついて行く。不在を経てこの人は少し、いや、はっきりと印象が変わった。

 がっちりとしているが見栄えがよいとはいえず、白髪交じりの伸びた髪がもっさりと額や首にかかっているのは以前と変わらない。しかし丸められていた肩や広い背中をしゃっきりと伸ばすと、以前のしょぼしょぼとした様子は鳴りを潜めた。柔和な目と深い笑い皺はそのままに、男くさい厳しさと頼もしさが印象の前面に出る。この人は本来、こんなに雄々しく美しいのだ。

 私にはできない。

 ただそのまま、ありのままを愛しているつもりであっても、私の接し方はただこの人を()でるだけ、撫でいつくしむだけなのだろう。そんな私の愛し方では、こういう自信を与えることなどできない。

 周平は美奈子さんのことを「百歳近いばあさんだぞ」「慰撫適性はあったんだがネズミとは合わなかった」といっていたけれど、どうなんだろう。あんな嫌なやつだけれど、ケイさんに関しては妙にフォローしたがるところがある。何を考えているのか分からない男だ、適当にその場をごまかした可能性もある。

 慰撫適性。私にはそれがない。

 ケイさんがいなくなる前にあれだけ私を大切にしてくれたこと、それが嘘だとは思わない。一緒に義務を負うと誓ってくれたことも嘘だとは思わない。大きい人の気持ちには一片の曇りもない。対価が「かわいがってあげる」だけではね。もう私にはあげられるものなんて大して残ってないじゃないか。

 執務室へ入る大きい人に続く。ケイさんが不在の間、ほとんど使わなかったので空気がどんよりと淀んでいる。


「窓を開けま――」


 ドアを閉め、振り返る、その前に身体ごと(すく)いあげられる。乱暴なほど性急なのにソファにそっと横たえられた。ぎゅうぎゅうと締めつけるように()き抱かれる。

 噛みつくような口づけ。口腔で荒れ狂う舌のうごめきも、閉め切った部屋の温気(うんき)に蒸されて滲む汗も、抑えきれず漏れる荒い息も、だらだらと唇から顎を伝う唾液も。この人の私に与えるすべてがよろこびだ。私の身体のすべて、細胞のひとつひとつがこの人の帰還を悦んでいる。嬉しい。でも、気づいてしまった。これだけ激しく性的に高揚していても背中にあてられたケイさんの手の爪は伸びていない。獣化のきざしがない。


「詩織」


 大きい人が私を見つめている。


「爪が伸びていません――獣化しないんですね」

「そうなんだ」


 嬉しくてたまらない。そんな笑顔だ。


「もうきみを傷つけなくて済む」


 頬ずりし、再び掻き抱き、口づける。

 獣化異能者に対する慰撫適性というものが何なのか、はっきりと知らない。けれどあれだけ私を傷つけることを恐れていた大きい人が、こうして人型を保っていられるほどの強い影響力のある資質なのだ。元の婚約者だという女性は老婆になってもこうしてケイさんの望む姿を維持し、支えることができる。

 もう嫉妬の情すら湧いてこない。

 館の主として得た治癒能力があるから、針毛に貫かれても思いを遂げることができる、他の誰でもない、私ならできる、そう驕っていた。結局できもしなかったくせに。この人には私しかいないから、唯一だから、そんなあやふやな根拠に胡坐(あぐら)をかいていた。

 これからはもう違う。

 人の姿で人と、ケイさんは心(おもむく)くままに愛し合うことができる。こういう日が来るのであれば、何が何でも悟らせるのでなかった。私のこんなあやふやな恋心など。私なんて、気を持たせるだけなのに。何もあげられないのに。

 大きい人が去ったときだって、引き留めることすらしなかった。

 館の主であることを、祖父から引き継いだ義務を果たすために動くことを、目の前の私のただ一人の人を差し置いて優先した。時間をさかのぼって何度あの場面に戻りやり直すことができるとしても、心が引きちぎられる思いをすると分かっていても結局私は同じことをする。引き留めず、追いかけず、ただ立ち尽くす。


「詩織――どうした」


 だから私はもう泣いてはならない。すがったりしてはならない。


「詩織」


 乱れた襟や髪を直し姿勢を正して、ケイさんを正面から見つめる。


「――夜、お部屋に来ないでください」


 ケイさんの眉間に皺が寄っている。しばしじっと私を見つめ、そしてケイさんはいった。


「――分かった」



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