事後処理を考えながら進む人
「報告を」
「はっ! 盗賊の一団は平原に陣を構え、こちらを迎え撃つ模様です!」
知恵と言う物を持っていないのかしら? と荀彧が玄胞たちの後方で呟く。
出陣の準備を整え、盗賊の討伐に出陣した袁紹軍が見たものは平原で陣を敷く賊の一団。
袁紹軍二万の前曲にはたなびく文の旗、文醜が率いる金色の鎧を纏い隊列を整えた五千の歩兵隊。
その趙の旗の後方には趙と書かれた旗、趙雲が率いる同じく金色の鎧を纏った騎兵で構成される五千の騎兵隊。
金糸で縫われた文の旗のすぐ隣には郭の旗、歩兵隊のすぐ背後、騎兵隊の前方に付いて進む二千五百の弓兵隊。
袁紹軍中軍後方には総大将となる一際大きな袁の旗、残り五千の歩兵と二千五百の弓兵で構成された袁紹隊。
袁の旗の傍には玄、荀、程の旗がたなびく、今回顔良は留守番を任せたので顔の旗は無い。
「ここは定石通りで終わりますねー、奇抜な策は必要ないのです」
馬上から、正確に言うと玄胞の前に座っている程昱が敵陣を見ながらそう言う。
「ただの烏合の衆とだけ、陣形も敷いていないようですので風が言う通り弓による斉射の後、歩兵隊をぶつければそれだけで終わるかと」
そう言う荀彧に玄胞も同意見、そもそも戦いにすらならないと敵陣を見る。
明らかに袁紹軍の規模に慄き、逃げ出している盗賊が多く見える。
「本初様、これは既に掃討戦に移行しております。 趙雲殿の騎兵隊に逃げる賊どもを討たせては?」
盗賊の陣はもう崩壊寸前であり、騎馬隊を迫るように軽く走らせるだけで瓦解する。
威圧を含み袁紹軍の被害を極力減らす為に大規模な軍勢にて進んだのだ、命は金や兵糧より重い。
時と場合によって逆転する事もあるが、今の袁紹軍からすれば兵糧よりも兵の育成の方が金が掛かると言う訳である。
さらに死亡した時は残された遺族に対して報奨金や弔慰金を出す事になっている、単純な金勘定で考えれば死なないでくれた方が色んな面で良い。
「情けないったらありませんこと! 安景さん、下賎な者たちらしく地面に這い蹲ばらせてなさい!」
「御意」
馬上で趙雲への伝令を遣わせる、馬に乗った伝令役は馬を走らせて前曲へと向かった。
「全くもって、このわたくしの手を煩わせるなんて」
そう言って玄胞を横目で見る袁紹。
「安景さん、防げなかったのかしら?」
「申し訳ありません、恐らくは西か南か、どちらかから国境を越えてきたのでしょう。 北は公孫賛殿が居ますので、私としてはそのどちらかと思っておりますが」
「はっきりと言いなさいな!」
「西の張燕か南の韓馥か、どちらかの領地から来たのでしょう。 最近は世が乱れ、真実かどうか分からない『天の御遣い』などの噂も流れておりますし」
伝令が命を伝えて動き出す前曲の趙雲の騎兵隊、砂塵を上げて袁紹軍から進み出るその姿に盗賊軍は蜘蛛の子の様に散り始めた。
「……本初様、もうすぐ天が乱れるでしょう。 進むべきはお決まりでしょうか?」
「何をおっしゃるかと思えば、そんな事疾うの昔に決まっておりますわよ」
今日這うの真剣な声に、袁紹は高笑いを上げ。
「あのチンチクリンの小娘をけちょんけちょんにしてあげますわ! おーっほっほっほっほ!」
玄胞の意図を全く理解していない袁紹に、玄胞も笑い声を口元で抑える。
「御意、曹 孟徳様を見事打ち倒しましょうぞ」
もしも帝が崩御し、後継争いの激化に伴う天下の乱れが起これば燻る群雄が立ち上がる。
そしてその中で頭角を現して天下に覇を唱える曹 孟徳を打ち倒すという事は、また違う形で天下に覇を唱えると言う事。
また漢王朝の臣下して天の乱れを正す立場を取るという事も出来るが、恐らくは天下に覇を唱える方と多くの者に見られるだろう。
桁違いの難事、状況によっては討つ所か討たれてもおかしくは無いだろうと玄胞は考える。
「曹 孟徳って、あの曹 孟徳!?」
そんな話に出た名前に荀彧が反応する。
「孟徳様が二人居るのかは知りませんが、恐らくは知られている方の孟徳様の事でしょうね。 本初様と孟徳様は私塾で共に学んだ仲でして」
何事もそつ無くこなす曹操に、いつも圧倒的に後れを取っていた袁紹。
キャラが被るだとかでも気に食わず、曹操は曹操で適当にあしらっていた。
玄胞もその私塾に袁紹の付き添いで入っており、その光景を何度も見てきた。
その際曹操と、曹 孟徳の両腕たる夏侯姉妹とも知り合っている。
曹操、夏侯姉妹と共にどうでも良い相手として見られていた。
当時の玄胞も相応に武を除く物事をこなせていたが、主である袁紹を立てる事にしていた為手を抜いていた。
その所為で主共々程度の低い相手と認識されたのだろうと玄胞は分析する。
それから数年後には侮った相手が名を広めているのだから、見誤ったと考えたかもしれない。
「さて、本初様。 散り散りに逃げ延びた盗賊が領内でまた悪さをしないとも限りません、殲滅しましょう」
「それもそうでしたわね。 それでは皆さん! 下賎な輩が二度と悪さを出来ないよう懲らしめておやりなさい!」
鬨の声を上げて士気を高める、玄胞は順次命令を出していく。
その中で、程昱が声を掛けた。
「……本当にお兄さんはやる気なのですか?」
「程昱殿は孟徳様が勝つとお思いで?」
「質問に質問で返すのは無粋ですよー」
「それは失礼しました。 では、やるとなれば勝ちます、それが本初様の願いなのですから」
「才能だけで比べたら絶対に勝てないわよ?」
その荀彧の問いに玄胞は笑みを浮かべて頷く。
「確かに、孟徳様は才気に溢れるお方です、その気性は誇りを重んじ正々堂々と相手に当たる事を望む。 その眩い気概と才気に惹かれ、心酔する者も今後多く現れるでしょう」
もしかしたら程昱殿が求める主は孟徳様かもしれませんね、と玄胞は付け加える。
「整った状態でまともにやり合えば負けても何もおかしくは無いですが、私は本初様の軍師です。 不利を覆すのが軍師の役目ですので私が献上することが出来るのはただ一つ、勝利と言う二文字だけですよ」
今回の賊討伐のような、必勝としか思えない状況で一転するというのも無いとは限らない。
玄胞にとっても役目とはその一転を起こす事、それが出来ないのであれば軍師としての意味は何も無いと言いきる。
「まあ最後の最後、本当にどうにもならなくなったら本初様だけでも逃がしますが」
勝つと言いつつも生かす事を考える、絶対など有り得ない故の言葉。
曹操の才覚を直に見たからこその言葉でも有ったのだが。
「さて、止めを刺して行きましょう」
前方で逃げ回る賊を見ながら高笑いする袁紹、玄胞はそれを見つつ命令を出す。
「戦闘終了後に軍を二つに分ける、一つは本初様と河北に戻れ。 残るもう一つは賊どもの死体の処理を行う、街から穴を掘る道具を借りてくるようさらに兵を分けろ」
「わざわざ賊を弔うの?」
悪事を働き命を落とすような輩を何故? と荀彧。
「彼らは盗賊に身を窶さなければいけない状況だった、なんて考える事も出来ますが、そんな同情してやっての事じゃないんですよ」
少しだけ馬をけしかけて速度を上げる、玄胞は未だ高笑いを上げる袁紹の隣に進んで進言する。
「本初様、私は荒らされているであろう街の復興の指揮をせねばなりませんので残りますが、本初様は河北にお帰りになられますか?」
「我が愛しの領民たちを悲しませるような事があってはなりませんわ! 安景さん!」
「はっ」
「あの街をもっともっと豊かにすること! 良いですわね!」
「お任せを」
「でしたら、これが終わり次第わたくしは河北の街に戻りますわ。 安景さんも終わったらすぐにでも戻ってくる事、分かりましたわね? それでは名門袁家の精強なる兵の皆さん! 一人たりとも賊を逃がしてはなりませんことよ!」
そう声を上げながら親衛隊と共に馬を走らせていく袁紹。
「麗羽さんは自由ですねー」
感心か呆れか、程昱はその袁紹の後姿を見てそう評価する。
「今の世の中であのような純真さを持つ者は早々居ないでしょうね」
「純真さと言うより、何も考えていないと言った方が正しいでしょ」
追いかけてきていた荀彧が真実を言い当てる。
「それでもですよ。 先ほどの賊の話ですが、弔うのではなく燃やすのですよ」
それは何故か? と聞かれれば疫病を防ぐ為、と返す。
「善人に悪人、元はどちらも限らず生きとし生ける者。 死してこのまま野晒しに亡骸を放置すれば何れ腐りましょう、ではその腐った亡骸から現れるのは?」
そう聞かれた荀彧と程昱は返答に困る。
精神的なものか、あるいは宗教的なもの? 亡骸が腐ったとしても大地に還るだけではないのかと優れた頭脳で考えるも答えが出ない。
「答えは蛆です、腐肉を苗床として蛆が生まれ、成長し蝿になれば腐肉で発生した病を街に運んでくるのです」
答えが返ってこないと判断した玄胞は思いも寄らない答えを口にする。
それを聞いて二人はまさかと驚く、この頃の病は病原菌などと言う概念は無く、呪いだとか怨霊だとかと心霊的なものとして伝わりやすい。
人が大量に亡くなれば無念と感じた怨霊が、何て事が囁かれて祈祷すると言う事も良く起こっていた。
「街に近しいこの場所で亡骸を放置することは疫病を生みかねません、ですので穴を掘ってそこで焼却するのですよ」
「何故そんな事……」
勿論二人にはそれが事実かは分からない、調べようにも時間が掛かる上に気分が悪くなるような事もしなくてはいけない。
「何故でしょうね。 そういえばお二方はいかがなされます? 河北に戻りますか?」
あまりにもわざとらしく別の話題を切り出す玄胞。
「いえー、風はお兄さんと居ますよ。 為になるか分かりませんけど、面白い話をまだまだ聞けそうですし」
「……私は河北に戻るわ」
それに程昱は軽く、荀彧は少し重くなった声で返す。
「分かりました、趙雲殿にも聞かねばなりませんね」
そう言いながら玄胞は懐に程昱を抱えたまま伝令を走らせ、街へと向かって進み始める。
奇人変人を越えて、荀彧は疑うような眼で玄胞の後ろを姿を見つめていた。
玄 郷刷は怪しい人にランクアップしました