私、間違っていますか?
すまない、と彼は言った。
他に愛する人ができた、と。
その傍ら、彼に寄り添っていた少女のことはあまりよく知らない。知らないが、彼を思いやる様子、そして申し訳なさそうな表情に、その心根は決して悪いものではないと感じた。
だから言ったのだ。
「どうぞおしあわせに」
掛け値なしの本心である。
ただ、なれるものならば、と心中で付け加えたのは、少なからず人生設計を狂わされた怒りがあったからだろう。
――どうしてくれる、私の十年。
私が生まれ育った国の王太子の婚約者に選ばれてからの十年、私はいずれ王妃となるべくありとあらゆる教育を受けさせられた。いたいけな幼少時代には辛く過酷にも思えたものだが、彼が王位を継ぎ、この頭に王妃の冠を与えられた時のために、そしてその後に続く平和な治世のために、私はできる限りの努力をした。王を支え、ひいては国を支え、民の笑顔を守るために私の十年はあったのだ。それをこうもあっけなく無駄にしてくれた彼らに思うところがないとは言わない。
言わないが。
「これは復讐か! そんなに俺たちのことが憎かったのか!」
そんな言葉を浴びせられる謂われも、ましてや親の仇とばかりに睨まれる筋合いもないはずである。
ああ、少女は相も変わらず彼に寄り添って、というか体を預けて震えていらっしゃる。その愛らしい顔からは血の気が引いている。
「別にあなた方に特別な感情は抱いておりませんが」
「ならばなぜこんな真似をする! 祖国を敵に売り渡すような非道な真似を」
おや、かつての婚約者――いずれ王ともなるはずだった彼はここまで馬鹿――失礼、為政者としていささか不適格であっただろうか。
あまりにおかしなことを言うから、私の隣に立っていた私の夫もくすくすと笑ってしまっているではないか。
「何がおかしい!?」
「いや失礼、しかしあなたの言葉はあまりにも的外れ。彼女を責めるのは筋違いというものですよ」
「筋違いなものか。和平の証として輿入れしながらあっさりと我が国を陥れ、今にも攻め滅ぼそうとしているではないか」
「ものは言い様ですね。単なる人質、いえ献上品でしょうか。こちらが望みもしないのにあなた方が保身のために差し出した、ね。それにしてもありがたい贈り物でした。おかげで私の権勢は揺るがぬものとなった」
夫は大国の王だ。その若さゆえにかつては臣下に侮られることもあったようだが、今では皆心から忠誠を誓ってその膝を折っている。
戦争好きというわけではないが、先王が版図拡大の途中で没したこともあり、すでに出兵しているところについてはとりあえず呑み込む方針を掲げていた。中途半端な侵略ほど迷惑なものはない。ただ奪うだけでなく、きっちり併呑して支配下に置いてしまえば支援することもできる。
そんな彼への献上品に私が選ばれたのは、要するに私が生国において用無しだったからに他ならない。いずれ王妃になると目された娘が、一転ただの穀潰しに成り下がったのである。新たに縁を結ぼうにも、婚約破棄された時私はすでに十七で、好条件の相手はとっくに売約済みであった。まかり間違っても婚約破棄された私が他の誰かにそれを強いることはできなかった。元々高望みしたつもりはなかったが、少々条件を落として再度探してもやはり相手が見つからない。一度は王家、それも次期王位継承者と婚約した娘である。おいそれと引き取れるものではなかったのだろう。
結局私はすっかり持て余されてしまった。さすがに家族から穀潰し扱いされるのは辛かったし申し訳なくもあった。婚約破棄について私に非があったわけではないがしかし、王太子の心変わりを許したという点では私の努力も足りなかったのかもしれない。誠心誠意務めを果たしていたつもりだが、完璧だったと言えるほど厚顔無恥ではない。実際王太子が選んだ少女は、少なくとも私の目から見て私とは全く違うと言ってよかった。
ともかく、そんなわけで私は敵国への貢物となり生国を後にした。国土を実際に呑み込まれる前に、というそのいささか先走った判断は敵国においても困惑を生じさせた。確かに「くれ」と言っていないのに押し付けられても困るだろう。しかもただの品ならともかく人間を、である。
生家でそうであったように、再びただの穀潰しと化そうとした私にそうはさせるかと目を付けたのが他ならぬ夫であった。彼は使えるものは何でも使う合理主義者である。十年にも及ぶ王妃教育の賜物か、私は早々に彼の中で「使えるもの」とみなされた。生国の王から、彼の機嫌を損ねないように、できれば懐柔して生国を守るように、と言い含められていた私は、彼が望むことはなんでもした。彼の傍で、彼の国をより良くするために、より広くするために知恵を振り絞り、彼を支えた。
おかしなものだ。私に施された王妃教育が、まさか敵国で重用される未来を引き寄せるとは。私の人生設計をめちゃくちゃにしてくれた生国の王と王子のおかげで愛国心は塵と消えた。積極的に攻め滅ぼしたいなどとは思わないが、上があれでは民がかわいそうだ、ぐらいには思うし、なんなら私の夫の支配下にある方がよっぽどしあわせに違いないと思う。
それゆえ、夫から生国をどうすべきか尋ねられた時、私は最善と思われる答えを告げた。総合的に考えた結果、国という体裁を捨ててでも夫の、敵対する国の傘下に入るのが望ましいと。夫は少し顔を綻ばせて「そうか」と言い、「だがすべてを奪ってはお前に申し訳ないから」と、生国を新たな領土とした後は国名を地名として残してくれると言った。まったくもって寛大な措置である。
今の私はかつての敵国を我が国だと思っているし、その頂点に我が夫が立っている。つまり私はかつての敵国の王妃である。
だから私は言う。
「王妃とは国益のために王を支えるものだと教わりました。私、間違っていますか?」