いやだってお菓子あげたらついてくるっていうからさぁ!!
混沌たる群集の中から天の御遣いは現れる
聖なる神器と救いの炎をたずさえて
運命に目覚めし者たちを友として
悪しき根源たる魔の王を封じ
闇夜を照らす希望の光をもたらした
――彼の者こそ「勇者」
神に選ばれし救世の英雄なり
世の中には好奇心だけで踏み出してはいけない一歩がある。
たとえば「危険だ」と警告されている森に木の実欲しさで侵入する。これは最悪。おかげで泣きながら狼に追いかけられることになった。両親は私の行動がいかに愚かであるかを拳で優しく語ってくれた。目の奥にいくつもの星が瞬いた。
あと「さわるな」と立て看板のある白壁を興味本位でつつく。これもひどい。半泣きで指を洗い続けることになった。新築マイホームの持ち主である鍛冶師のおじさん(スキンヘッド・筋肉)は私の頭を拳で優しく撫でてくれた。亡くなったお祖母ちゃんと久しぶりに会ってしばらくお話しした。
そんな少しお転婆な少女時代を過去に持つ私、マリーも今年で二十八歳。
……ええ。世間一般に嫁き遅れと陰口叩かれる立派な淑女になりましたとも。ええ、ええ。
でも、これは仕方ない。
ベーカリーを営んでいた両親を流行病で亡くしたのが十五歳のとき。両親が大切にしていたお店を失くすもんかと一念発起して、借金して商売を継いで、必死に勉強して、お金を稼いで、なんとか借金も返してお店が軌道に乗ってきたと思ったらこの歳になっていたのだ。
うん、だから仕方ない。友人たちはもう子供を三、四人抱える立派なお母さんになってるけど、こればっかりは仕方ない。そう自分に言い聞かせる。だって忙しかったんだもの。人の生活を羨んだりなんてしない。しないったらしない。
朝早くから食材の仕入れと仕込み、日中はパンやお菓子の販売、夜になったら翌日分の下拵えをして、お風呂に入ってあとは泥のように眠るだけ。という色気の欠片も存在しない日々を送っていた私がその奇妙な催しを発見したのは、お店の定休日にぶらぶらと王都を散歩していたときのことだった。
街の一角にえらい人だかりができていたので「なんぞ?」と覗きこんでみたら、大柄な傭兵っぽい男の人が顔を真っ赤にして岩に刺さった金ピカの短い剣を引っ張っていた。
それから色んな人が挑戦したものの剣は抜けず、なにこれ力自慢? とその様子を見守っていたらなぜか私の番が回ってきた。
まあせっかくだしと記念に引っ張ってみるといままでの光景が嘘のように岩から金ピカ剣が離れ、なにこれすごく簡単に抜けたんだけど……と驚愕しながらもひょっとして賞金かなにか貰えるんじゃないかと内心ドキドキしながら隣に立っていたやたらと立派な身なりのなんだかお城の大臣っぽいおじさんに視線を向けた。
いやー運がよかっただけですよ。え? コツですか? そうですね引っ張るときに手首じゃなく肩ごと力を入れて軽くひねることですかね。酒瓶の硬い栓とかそれで抜けるんでーとこれから巻き起こるであろう質問攻めの答えを脳内で準備していたものの、一向におじさんは口を開かない。いや、口は開いてるけど誰も一言も声を発さなかった。
いったい何事かと周りを注視して見つけた立て看板。
そこに書かれた冗談みたいな煽り文句。
そのときようやく気がついた。
『聖剣を解き放つ者に「勇者」の称号を与える』
――ああ。私は子供の時からなにひとつ進歩してないんだな、って。
☆彡
結果、お金と防具をもらって街から追い出されました。
いや追いだされたというと語弊があるかもしれない。
懇願されたのだ。
復活した魔王を倒してきてほしいと。
わが国の王様から。
正気を疑った。いやいやよく考えてほしい、私はしがないベーカリーを営む料理人だ。クッキーやビスケットといったお菓子類をなぜか女性だけでなく戦闘職っぽい男たちが嬉々として購入していくという不思議な客層を誇るお店だけれど、うちはいたって普通のベーカリー。殴り合いのケンカなんて、物心ついてからは一度もしたことがない。
そんなか弱き淑女たる私に魔王退治してこいとか頭大丈夫ですか? といった内容を百倍ほど希釈してレモンアイシングでコーティングしたがごとき優しく甘酸っぱい言葉で恐れ多くもご説明してさしあげたのだけど、無理だった。
なんでも魔王が復活したばかりで力を取り戻していないいまでなければ、完全に倒しきるのは難しいと。宮廷魔術師が運良く微弱な魔王の魔力を感知できた現在が人類に残されたチャンスなのだと。……あと『他国も勇者を見つけて送り出しているのに、ウチだけなにもしないのはマズイ』的なことをいっていたけど、たぶんそれが一番の理由だと思う。
しかも他の三人の勇者が一人で旅だったからって護衛すらつけてくれなかった。
もうどうしろと。国の威信とか知らんがなとやんわり拒否しまくったものの、国を挙げて「これで魔王に勝てる」的な空気を出されてはどうしようもない。
一週間かけて入念に旅の支度をした私は、渋々住み慣れた王都を旅立った。
さて、最初に辿り着いたのは辺境の寒村である。
この近くの山で魔王復活に先駆けて「竜王」と呼ばれる最強の竜が目覚めて生贄を要求しているのだとか。
竜王は魔王配下でも最強と名高い魔物だと伝えられている。二百年前に魔王四天王の一角として暴虐の限りを尽くし、時の勇者様に倒されるまで「破壊の象徴」として人々に恐れられ続けた。見上げるほどの巨体に剣のごとき爪、血に塗れた黒色の鱗はいかなる攻撃も弾き飛ばし、鋭い牙と強靭な顎は岩をも噛み砕く。それが伝承に残る凶悪な竜王の姿だ……と、村長のおじいさんに教えられた。私はまず竜王という名前からはじめて聞いた。
いや違う。危機感がないとかじゃなくて、ほんとにそういう伝承とかお伽噺とか読む暇も聞く暇もなかったんだ。小さい頃からお店を手伝ってたし、両親もあまりそういう話に興味ない人だったし。
だから村人の皆さんは「こいつ大丈夫か」みたいな顔をしないでほしい。勉強不足とかじゃないんだから。私にとって『勉強』とは美味しいパンやお菓子をつくるためのレシピの追求のことなんだ。畑違いにも程がある。
ごめんなさいね、こんなのが勇者で。人類終わったかもね。
いまだに聖剣ちゃん人違い疑惑を晴らせない私ではあるけれど、それでも生き残るために魔王の情報を集めた。こんな事故みたいな人選で死ぬのだけはごめんだ。
実際に魔王が暴れていたのはいまから二百年前。その脅威から人類を守るため、現在と同じく『神聖の器』に選ばれた四人の勇者が協力し、なんとか大地の果てに封印したのだそうだ。
ちゃんと倒しといてよ勇者様。と不満が胸を満たしたものの、それほどに魔王は強力だったらしい。そんな危険極まりない存在を私に倒せとか、あの王様たちはやっぱり頭がわいている。
もし死んだら夜ごと枕元に立って「一つ、二つ……やっぱり足りない」と恨めしげに呟きながら口にパッサパサのスコーンを押しこむ報復を決行すると心に決めた。
とにもかくにもいまは目の前の竜王様である。
漂う開幕すぐのクライマックス感。聖剣とやらに選ばれただけの嫁き遅れにどうしろと。せめてもう少し段階を踏んで欲しかった。いや段階を踏んだところでどうにかなるとは思えないけれど。
しかし、ここで非常に有益な情報を耳にした。
なんとこの村には『弓の勇者』様がいるという。
「楯」「弓」「鎧」「剣」の四つの神器に選ばれた勇者の一人。おそらく竜王の噂を聞いて他国からここへやって来たのだろう。
早速会ってみようと弓の勇者様の元を訪ねた。
案内された一際大きな木造の建物の中に、たしかに彼はいた。
さらりと流れる金の髪。湖底のような深い青の瞳。精悍な顔立ちに相応しい引き締まった見事な身体を、彼は堂々とベッドに横たえていた。
――全身包帯だらけで。
ああ神様。どうか『やられとるがな……』とガッカリしてしまった罪深い子羊をお許しください。ちょっと期待してたんです。だって案内してくれた村人さんが「逞しくて勇ましい方ですよ」とか夢を見せてくるから。
竜王は私に任せろ、と単身で魔物を打ち倒し、ついででいいから私のことを連れてってくれないかな、とか。必要ならいっそ聖剣も渡しちゃおうとか思ってたのに。
……いや、甘い恋愛とかは期待してないですよ? いくらなんでも女らしさ皆無の嫁き遅れが図々しいにも程があるし、さすがに私もそこは身の程をわきまえていますとも。
でも、
「……おい、そいつはなんだ」
「はい。ルミス王国の剣の勇者様です」
「はぁ? 勇者ぁ? その年増が?」
……なんだこいつ。
いきなり嘲笑しながらこっちを見下してきた。いきなり年増とか。たしかに女の結婚適齢期が十代後半の世間的に二十八の私は上の方かもしれないけど、それにしたって初対面の人間に対して失礼すぎるだろう。
見たところ十七、八くらいか。見た目はいいのに中身が残念すぎる。しかも聞いてもいないのに得意げに自分の武勇伝を語り出した。曰く、五歳で弓の天才と呼ばれ、十歳から何匹も強力な魔獣を退治し続けてきただの。勇者に選ばれてから真っ先にこの村に赴き、危険な竜王に単身で挑んだものの汚い姦計に嵌められて怪我を負っただの。本当ならあと一歩で竜王を倒せるはずだった、だの。
現状を見るにただの負け惜しみを疑ったけど、せめて有益な情報だけでも得ようと我慢して装飾過多な長話を聞いていた。
……しかし、心が広いことで知られる私にも、ついに理性の限界が訪れた。
「ということで……おい年増。お前の聖剣を俺に寄越せ」
「へ?」
「女に神器など宝の持ち腐れだ。その剣があれば俺は竜王に勝てる」
とか、ふざけたことを上から仰ってくださったので。
「……弓の勇者様、私はあなたに聖剣をお渡しするわけにはまいりません」
「は? お前はなにをいってるんだ? まさか女の分際で勇者たる俺の命令に逆うつもりか?」
「当たり前でしょう。だって私も『勇者』なんですから。……それに」
立ちあがって、私はそっと手を差し出した。
――ちょっぴり血が滲んだ包帯の真上に。
「お、おいっ、なっぎゃぁぁああああああ!?」
「弓の勇者様はこんなに酷い怪我をされてるんですから、安静にしていた方がよろしいのでは? ……それでは、もう用事も済みましたので失礼しますね。ごきげんよう」
ちょっと傷口をグリグリしてあげたら大袈裟に悲鳴をあげた弓のユウシャサマをおいて、私は部屋を後にした。
……でも、そんなに大したことない怪我っぽいんだけどなぁ。
あれならうちのお店にくる冒険者や兵士の人たちの方がよっぽど重傷だ。みんないつも「名誉の勲章が増えた」ってゲラゲラ笑ってるけど。
まあいいや。もう他人をアテにするのはやめよう。
あんなのに頼るくらいなら自分でなんとかした方がましだ。
決意を固めた私は、山に向かう準備を開始した。
☆彡
竜の山を登るにあたり、懸念されるのは魔獣の妨害だ。
魔王が復活した世界。野には当然のように危険な魔物がいる。
山道を進む私の前にも、やっぱり角を生やした巨大な狼の魔獣が二匹。
……でも慌てない。
対処法は考えてきたし、すでに何度も実験して成功させている。
私は落ち着いて密封した腰の袋を開け、中身を取り出した。
それは魔獣が好んで食べる果実をたっぷり練りこんだ球体のパン。
しかも、その果実を煮つめて凝縮したソース入り。
その強烈な芳香に、魔獣たちの意識が一瞬で釘付けになる。
十分に引きつけてから、
「そーれ、とってこーい」
全力でブン投げた。
同時に駆けだす角狼の魔獣たち。おっと他の魔獣たちも姿を現した。けれどもみんな必死になって転がるパンを追い駆けている。
――ふ、魔獣とて所詮は獣よ。
目の前の人間より美味しそうなエサがあれば、すぐそれに夢中になる。
だてに冒険者のお客さん相手にベーカリーなんてやってない。魔獣の生態もずっと研究を続けてきた。なんならそこらの魔導具より探索に役立つと評判なのだ。
この周辺の厄介な魔獣の情報もきっちり仕入れ、タイプごとに好みのエサを作ってきた私に敵はない。
腰の袋を再び密封して、危険の去った山道を悠々と歩きだす。
え? 聖剣? ……食材を切るときに使ってるよ?
緑色のガチガチの皮を持つパンプルもウォールナッツの岩みたいな殻もズバズバ切れる。「さすが聖剣!」と感動することしきりだ。移動中は金ピカが目立って恥ずかしいので大きな背負い鞄に仕舞ってある。ちょっと刃の部分がくもってきたから、そろそろ腕のいい鍛冶師さんに研いでもらわなきゃダメかな? それにしてもいいものをもらったものだ。
魔獣除けに遠くへといくつかパンを放り投げながら、私は山頂を目指した。
重くなる足をえっちらおっちら動かして、ようやく竜王の棲む山頂に辿り着いた。
さすがに慣れない山登りは疲れる。普段から休日は運動代わりにたくさん歩いてるんだけど、やっぱり王都近郊の森と山道は全然違う。緩急のキツい傾斜のおかげで足がガクガクだ。
いま竜王に遭遇したら色々とマズイ。そう思って周りを見渡すけど、どうやら竜王はお留守のようだ。
近くの丸太みたいな岩に腰かけて疲れた足を伸ばす。顔を上げると突き抜けるように青い空が見えた。山頂の澄んだ風が頬をくすぐって、豊かな緑がふわりと薫る。
大きく伸びをしながら深呼吸。んー、いい空気。とてもじゃないけど凶悪な竜がいるとは思えないね。
私は背負い鞄から水筒を取り出して、甘酸っぱいレモーヌ水をぐびりと飲んだ。
『……貴様、竜の尾で堂々とくつろぐとかどんな神経をしているんだ?』
「へ?」
なにやら轟くような低い声が聞こえた。
え、どこから? と見回してもそれらしい人影はない。
いやいや待って。そういえば竜のしっぽがどうとかこうとか……。
あれ、ひょっとして…………う、上?
『何だ、そのいかにも阿呆そうな顔は』
その声は紛れもなく頭上の大きな口から降ってきた。
巨大な牙の並ぶ顎を開いて。
長い首を巡らせて。
――灰色の竜が、私を見下ろしていた。
「うひゃぁぁあああああ――――っ!? しっ、失礼しましたぁ!? ま、ままままさかしっぽだとは思わずっていうか黒くないじゃん! 騙したな村長ぉぉおおおおおおっ!?」
『……とりあえず落ち着け。やかましい』
呆れたような命令が落ちてきて、私は口をピタッと閉じて硬直する。
ど、どどどどうしよう?! このままだと、た、たっ、たべ……って、あれ?
……うご、かない?
「あのー……」
『何だ』
「え、えっと……そうだったらいいな〜っていうか、ひょっとしたら竜王様は、私のこと食べる気ないんじゃないかな〜とか思ったり、その、したんですけどもね? そこらへん、どうなのかな〜って」
『妙にへりくだるな気持ち悪い。お前さっきまで竜の棲みかでぐびぐび水飲んでおっさんみたいな声出してただろうが』
ぐ……。う、うるさいやい。女だって独り身が長いとおっさんみたいな声が出ることもあるんだい。
ていうか見られてたのか。恥ずかしい……。
『……私は人間など喰わん』
「え?」
熱くなった顔をあおいでいると、小さな呟きが聞こえた。
思わず竜王を見上げる。
『なんだその意外そうな顔は』
「あ、いや、なんか聞いてた話と違うなって……竜王、様は、二百年前に人間を襲って勇者に倒されたんじゃないの?」
『それは先代の話だ。私が竜王になったのは百年前。それからも人間を襲ったことは一度たりともない。人間など襲えば徒党を組んで報復にくる生き物だろう? 喰いでのある獣が多く棲む山にあって、わざわざ人間を喰う必要などどこにある』
「そ、そうなんだ……いや、待って。この山の麓の村に生贄を要求してるって聞いたんだけど」
『奴らが勝手にやっていることだ。怯える娘を説得するのも違う村に送ってやるのも骨が折れるから、もう余計なことをするなと命じておけ』
「いらないなら元の村に戻してあげれば誤解も……いや、そっか。帰れないのか」
『思ったより聡いな。役目を果たしそこねた娘など、偏屈な村でまともな余生を送れまい』
なんだ、じゃあ全部村人の勘違い? 竜王さん完全に濡れ衣じゃないか。生贄にされた娘さんも住むところ失くして……うわ、最悪。
でも竜王さんが思ったより優しい人(?)でよかった。さっきさりげなく小馬鹿にしてきたのが気になるけど、これならもう心配いらないかな。
『……おい』
「はい?」
『山を降りるなら私に止めを刺していけ。その背にあるのは「神聖の器」たる聖剣だろう? それなら私の鱗も貫ける』
――――は?
「なっ、なにバカなこといってんの!? そんなのできるわけないでしょ!」
『私は、もう疲れた。人も竜も、誰も私の声を聞こうとせぬ。謂われなく恐れられるのも襲われるのにも嫌気がさした。こうして誰かと意味のある会話をしたのも随分と久しぶりだ。……どうせ終わるのなら、あの弓の勇者とかいう下衆よりもお前の手にかかる方が良い』
その声がなんだか寂しそうだと感じたのは、きっと私の気のせいじゃないはずだ。
言葉尻に引っかかるものを感じてその場から少し離れる。
そうしてようやく気がついた。
竜王さんが動かなかった理由。……「動けなかった」原因に。
――竜王さんの脚には、金色に輝く矢が何本も刺さっていた。
「そ、それ……まさか、弓の勇者に……?」
『ああ。……奴め、どこから攫ってきたのか竜の子を楯にして襲ってきてな。なんとか雛を逃がして退けたが、私自身はこのザマだ。滅竜の呪でも仕込んだか、私はこの矢に触れられぬ。もはやこの身体から生命が抜けきるのは時間の問題だろう。そうなる前に、早く……』
「――だめ!」
思わず叫んでいた。
だって、こんなのおかしい。竜王さんはなにもしてないのに。全部、人間側の勘違いだったのに。
それで竜王さんが殺されるなんて間違ってる。
――私は、そんなの絶対に認めない。
「先に矢を抜くから! あと治癒効果のあるクッキー持ってるからそれ食べて! ちょっとはマシになると思う!」
『お、おい、なにを……ぐっ!?』
深く刺さった矢を引き抜きにかかる。できるだけ痛くないようにしてあげたいけど、矢の先端が食い込みすぎて難しい。
歯をくいしばって力を込める。ようやく、一本目の矢が抜けた。深い傷から血があふれだす。
弓の勇者なんかよりよっぽど重傷だ。でも竜王さんは呻くだけで悲鳴もあげない。
背負い鞄からきれいな布を取り出して止血する。手持ちのもので足りるだろうか。急いで他の矢も抜かないと。
血が流れるたびに頭上から痛みに耐える声が降ってくる。
……ああ、竜王さんはずっとこうして耐えてきたんだ。
痛くても、つらくても、ずっと悲鳴すらあげず。
望んでもいない生贄を寄越されるたび、傷つけるつもりのない女の子から怯えられるたび、話を聞かない人間から襲われるたび――その心は、ずっと軋んでいたはずなのに。
矢を抜いて。苦しそうな声がもれて。少なくない量の血が流れていく。
その色は間違いなく私の身体に流れているものと同じで。
――気がつけば、こらえきれなかった涙が勝手に滑り落ちていた。
「……ごめん」
『…………なぜ、あやまる』
「これは、人間の間違いだから。私たちは、竜王さんの話を、聞くべきだったから……だから、ごめん…………ごめんね……」
声は情けなく震えていた。
私たちは生きるために他の生物を殺す。そうじゃなきゃごはんを食べられない。寒さの厳しい冬を越えられない。自分たちの暮らしを守れない。だから、それを間違いだとは思わない。
命の連鎖を捻じ曲げて優越感に浸るのは、優しさじゃなくてただの傲慢だ。
でも、竜の肉は硬すぎてどう処理しても人間じゃ食べられない。神器以外で傷つけられない鱗や爪だって加工できないから捨てるしかない。
暴れたならまだしも、竜王さんは人里に下りてすらいなかった。生贄の女の子の今後を考えてあげるくらい優しい竜の王様だった。
全部、人間の勝手な思い込みだった。
私には謝るくらいしかできなくて、それで竜王さんの深い傷が癒えるはずもなくて。
そのことが情けなくて、私は泣きながら黄金の矢を抜き続けた。
矢をすべて抜き終わる頃になると、竜王さんはぐったりしていて、私の身体はどこも血塗れで、すっかり日は暮れかかっていた。
腕が痺れる。脚に力がはいらない。全身がだるくて倒れそうだけど、私にはまだやることがあった。
真っ赤な両手を申しわけ程度に拭いて、背負い鞄から袋入りのクッキーを取り出す。
「竜王さん……これ、切り傷に効果のあるハーブ入りのクッキー。ちょっとは痛いのも止められると思うから……お願い、食べて……」
手持ちの物をすべて差し出した。
もうそんな力も残ってないんじゃないかと思ったけど、竜王さんは大きな口を少しだけ開けてくれた。
舌の上にクッキーを乗せて、水筒のレモーヌ水を口に含ませる。
もそもそと力なく動く顎から傷口に視線を移す。
兵隊さんや冒険者さんは「このクッキーのおかげで生き残れた」と絶賛してくれたけど、ちゃんと効果はあるんだろうか?
……なにしろこのハーブ、私が裏庭で育てたやつだからなぁ。
まあ本職の人たちがいうんだからお世辞にしても少しくらいは効果が…………うぇえええええええええっ!? き、傷がみるみる塞がっていくんですけどなにこれぇぇええええ!?
え、ハーブ!? あのハーブどれだけ強い効能持ってんの!?
『……おい』
「ふぇ……? あ、はい」
『お前、これに何を入れた?』
「なにって……裏庭で育てたハーブだけど」
『嘘つけ! そんな趣味の園芸程度の気軽さで霊薬クラスの薬草が育ってたまるか!!』
嘘とかいわれても本当だから仕方ない。というより私もちょっと状況がよく分からない。
そりゃみんなクッキー買いにくるわ。割と可愛らしいデザインのお店なのに。
茫然とする私たちは、お互いに顔を見合わせたまま固まっていた。
そのぽかんとする竜王さんの絵面がちょっと可笑しくて、思わず噴き出してしまう。
『……納得いかん』
「くふふ……まあまあ、治ったんだからいいんじゃない? それより、どこか水浴びできるトコってないかな。このままじゃ人里に下りれそうになくてさ」
『む……その、すまんな。私のせいで』
「気にしないで。……その代わり、私たちのことをちょっとだけでも許してくれると嬉しいな」
図々しくいってみるけど、内心はバクバクだ。思わず探るような目つきになってしまう。
だけど、竜王さんはそんな私の胸の内を見透かしたように小さく笑うと、
『――ならば、余分を返さねばな。竜王しか知らぬ薬泉に案内しよう』
そういって、動けない私を太い腕で優しく抱えあげてくれた。
「竜王さんしか知らない泉ってどんなトコ?」
『温かい湯の湧く泉だ。疲労回復や外皮を綺麗に保つ効果がある』
「なにそれスゴい……竜王さんも一緒に入る?」
『……お前はもう少し女として自覚を持て』
「なーにいってんのよ。男っていっても竜じゃない!」
『……』
☆彡
――竜王さん、人型になれたんですけど。
え、なに? 竜ってそんなことできるもんなの? さらっさらの銀髪を背中に流した超美形で肌までつるつるとかなにそれ女の私にケンカ売ってんの? し、しかも、化けたとき、ぜ、ぜぜぜぜ全ら……っていうか見られたぁぁああああああっ!! 疲れて動けないのをいいことに身体も隅々まで洗われたぁぁああああああ!?
ううぅぅ……もうお嫁にいけない……。
…………まあ嫁ぐ予定なんてないけどさ。
「マリーはさっきから何を一人でぐねぐねしておるのだ」
「お願いだからいまはそっとしておいて……」
「それは構わんが……まるで新種の人喰い植物のようだぞ」
誰が魔物か。
デリカシーを卵の中に置き忘れてきたらしい竜王をブン殴りつつ、私は次なる四天王が待つ土地を目指して歩いていた。
今回のことがあって、他の四天王と呼ばれる人々の様子も見ておくことにしたのだ。
ひょっとしたら伝承に誤りがあるかもしれないし、人間の思い違いという可能性も捨てきれない。もちろん危険なことはわかってる。でも、悲しいすれ違いがあるなら正したいとも思う。
私は料理人だ。
料理人とは料理を作る人。
ではなんのために作るのかと問われれば、それは料理を食べた人が幸せな気持ちになれるようにと即答できる。
――職人の魂、全世界に見せてやろうじゃないか。
そんなこんなで旅を続けることになったんだけど、なぜか竜王――ゼロスフィードがついてくることになった。さすがに竜の姿はまずいので人型で目立たないようにローブをかぶってもらってるけど。
ちなみに棲みかを捨てていいのかと尋ねたら、
「……そろそろ番を持つのも悪くないと思ってな」
へー。ちょっとなにいってるのかわかりません。
そんな気軽に相手が見つかるとかこれだから美形は。はいはい、人型であれなら竜のときもさぞかしおモテになるんでしょうねー。……羨ましくなんてないんだからな。
「おい! 年――」
「『轟炎吐息』!!」
「ぎぃやぁぁぁあああ――――っ!?」
思い出して一人で拗ねていると、背後で凄まじい爆発音と誰かの絶叫が響いた。
慌てて振り返る。そこには焼け焦げた野道と、人型のまま魔法を放ったらしいゼロさんの姿があった。なんか他にも誰かの声が聞こえた気がしたんだけど……。
「な、なにごと?」
「いや……あれだ、魔物が出た。『オイトシー、オイトシー』と鳴きながら他種族の雛や女を狙う下衆な怪鳥だ」
「なにそれキモい」
「襲いかかってきたので『吐息』で吹き飛ばしておいた」
「なにそれスゴい……っていうか吹き飛ばしたっていうより焼失させてない?」
「大丈夫だ」
「そ、そう……?」
なんだかよくわからないけど、竜王さんが危ない魔獣を退治してくれたらしい。
こういうときはホント頼りになる。ついてきてもらったのは正解だったかも。
ちなみにゼロさんは多種多様な『吐息』を操れるらしいので、もし番が見つからなかったときはベーカリーを手伝ってもらおうかと交渉している。
本人は「構わん」と即答してくれているので、お嫁さん探しはのんびりやるつもりなのだろう。
これでしばらくは氷も着火剤も買わなくて済む。家計的にも大助かりである。
「……そんなことよりもマリー。この先の魔族は女を攫うと聞いている。私がいる限り問題ないと思うが、充分に気をつけろよ」
「うん、ありがと。注意しておくよ」
本気で心配してくれている声に礼を返す。
うん。気を引き締めよう。油断せず全力で事にあたろうじゃないか。
私は、ついさっき森で採取した木の実の詰まった瓶を強く握った。
「ぐ、ぅ……おのれ、勇者め……っ!」
呻きながらこちらを睨みつける金髪の美少年。
その口元には鋭い犬歯が覗き、唇から真っ赤な液体が滴っている。
瞳は宝石のような深紅。仕立てのいい燕尾服を纏う貴族みたいな容姿の彼は、近くの村から生娘を拐していると噂の、先代四天王の孫にあたる『吸血鬼』だった。
「キサマ、この様な……この様な姦計でボクを陥れるつもりか! この卑怯者め!!」
罵倒する声は少し震えていた。
苦しそうに上下する肩。荒々しい吐息。
忌々しげに汚れた口元を拭う手には銅製のスプーン。
長年の宿敵のように私を睥睨する少年のもう片方の手には――紅い光沢を放つ、艶やかなゼリーを乗せた器が、しっかりと握られていた。
「……ゼロさん、この反応どう思う? なんかすっごい睨まれてるんだけど」
「その割にはさっきからガツガツ喰ってるようだがな。もう少しで堕ちるんじゃないか?」
「うーん。もう少し甘さ控えめの方がよかったかな」
「いや、私はこのくらいが丁度良い」
そういってゼロさんも手元の紅いゼリーを一口。満足そうに味わっていらっしゃる。
近隣の村から攫われた若い娘を取り返して欲しいと頼まれてその正体を調べたところ、吸血鬼であることが判明したのでそれ用のお菓子を準備してみた。
すぐ傍の森で大量に採れた『ルビーベリー』。
春先に生る硬くて甘酸っぱい果実で、その実には鉄分が多く含まれ増血作用もある。貧血の人などにオススメの果物だ。
ただそのままでは酸っぱすぎて食べられないので、豊富な旅の資金(交渉してぶんどった)で購入した砂糖をたっぷり使ってコンポートにし、出てきた果汁に蜂蜜と寒天草という植物を加えて果肉入りのゼリーにした。噛みしめれば紅い実から幸せな甘味が溢れる、至福のゼリー。
いつもは涼しい地下食糧庫でしばらく放置なんだけど、今回はゼロさんのおかげですぐに仕上がった。竜の『吐息』すごい。……ゼロさんは微妙な顔してたけど。
血=鉄分という安直にも程がある発想で挑んだものの、吸血鬼の彼はどうやら気に入ってくれたようだ。一口ごとに「おのれ……」とか呟いてるけど、おかわりしてくれているのできっと大丈夫。
……ちなみに攫われたという村娘さんたちは、どうやら自分から彼の城にやって来たらしい。
なるほど、いわれてみれば辺境にいなさそうな儚げな美少年である。
ゼロさんもキレイだけど母性本能をくすぐるという面では吸血鬼の彼に軍配があがる。
見た目は十四、五歳くらい。自ら吸血鬼化されに来たおしかけ女房な村娘さんたちはみんな歳上っぽい容姿だ。彼女たちは美少年の生意気な反応を「うふふ……」と楽しんでいる節がある。
しかし、こういう場合どうしたものか。
戻してあげようにも吸血鬼になっちゃってるし、本人たちも帰る気なさそうだしなぁ……。
そんな風に頭を悩ませていると、いきなりゼロさんに手を握られた。
「な、なに? どうしたの?」
「いや、さして特別なことをしたわけでもないのにここまで美味い菓子が作れるのは、マリーの手から何か出ているのではと思ってな」
「私は牛骨か? そんなわけないでしょ!」
せめて技術と経験値を考慮していただけないだろうか!
「しかし、マリーの手は温かいな」
「あー、うん。昔からね。私、体温ちょっと高いんだ。パンとか捏ねるときはいいんだけど、パイ生地つくるときに困るんだよね……すぐべちゃっとしちゃうから」
「ふむ……ひょっとすると、そのおかげで薬草などの効果があがっているのかもな。何らかの加護があるのやもしれん」
そんな馬鹿な。もしそうだとしても効果が極端すぎるだろう。いや、料理人としては喜ぶべきなのかもしれないけどさぁ。
……それよりゼロさん、そろそろ手を放してはくれないだろうか? なんでそんなふにふにするの?
ちょっ、泉でのこと思い出すからホントにやめろこのエロ竜! ゆっ、指を絡めるなぁぁああああ!?
「くっ、おのれ……おのれぇ……っ!…………おかわりぃ!!」
☆彡
その後もなんとか順調に旅は続き、私たちはついに魔族が暮らす闇大陸の手前までやってきた。
長い旅だった。だいたい三ヶ月くらいだろうか? 旅行したことがないので感覚がイマイチわからない。移動時間はゼロさんや空を飛べる人たちが頑張ってくれたので、随分と短縮できたんじゃないかと思う。
「マリーよ」
「なに、ゼロさん?」
「……お前は魔国を乗っ取るつもりなのか?」
呆れたように尋ねてくるゼロさん。
もちろん私にそんなつもりはない。
ないんだけど、
「まあ、たしかにちょっと増えすぎだよね……仲間」
現在、お供としてついてきた仲間たちは竜王であるゼロさんを含めて五十二名。
その誰もが強力な魔族や精霊、獣人に神獣に英雄と、正直いって私はこの強大すぎる戦力を完全に持て余していた。
だって戦わない。
ここに来るまでほとんど戦闘らしい戦闘をしなかった。
たまに「オイトシー、オイトシー」と鳴く怪鳥をゼロさんたちが吹き飛ばすくらいで、もはや魔獣が近寄ってくることもない。どちらかといえばこの人数の食糧や寝床の確保が問題だ。大きな街に着くたびにみんなで頑張って働いた。冒険ってなんだっけ。
「でも、ここから先は魔物の力もすごく強くなるんですよね? ……わたし、ちょっと怖いです」
そういって怯える小動物みたいな女の子は、なんと『鎧』の勇者様。名前はルーシェちゃん。
見た目の通り守ってあげたくなる感じの子なんだけど、気弱すぎるせいで魔獣を倒せずに空腹で倒れていたところを保護した。神器は本気で人選ちゃんとしろと思う。
「…………みんな、は……おれ、守る……」
そしてこちらの声が小さすぎて聞こえにくい青年は、『楯』の勇者のガルムくんだ。
見た目は大柄でいかにも強そうなムキムキの重戦士なんだけど、対人恐怖症という厄介な荷物を抱えている。
地方都市の市場で、人の視線から逃れるように神器で自分をガードしながら歩くという不審者っぷりのおかげで衛兵に捕まりかけているところをこれまた保護した。
この子に楯はいらないんじゃなかろうか? むしろもう少し防御力を下げないと敵どころか味方さえ懐に飛び込めない。
ちなみに、彼女たちも私と同じく国の威信のために一人で旅立たされたクチだ。
諸悪の根源はすべて弓の勇者である。
もう魔王よりあいつを倒した方がいいんじゃないか。
次に会ったら絶対に一発ブン殴ってやる。と心に決めながら、とりあえず目前の薄暗い大陸に意識を向ける。
そこは人外魔境と呼ばれる最果ての地。
一度足を踏み入れれば生きて帰れる保証はない。
「わ、わたし、がんばりまひゅ!?」
「…………負け、ない」
「大丈夫だと思うんだがなぁ」
気合いを入れ直す二人の勇者に、私も力強く頷いてみせた。あとゼロさんはもう少し緊張感を持つように。
「――いよいよ私も本気を出すときがきたようね」
わずかに強張る身体。持て余し気味の超戦力たちを背後に、弛みかけた気持ちを締め直す。
どんなことが起きるかわからないんだから、死力を尽くすつもりで頑張ろう。
本気を出すと誓った私は、貴重なチョコレート(すごく高い)を慎重に握り締めた――。
「ワタシも、ここまでのようですね……」
口元に本気のガナッシュをこびりつかせた魔国の宰相が、ズシャアッと静かに崩れ落ちた……。
「ずーるーいーっ! ずーるーいーのーじゃああああー!?」
さて、魔王城の最上階に誰一人欠けることなく辿り着いた私たちの前には、半泣きで足をバタバタさせる小さな女の子がいた。
クセのない真っ黒な長い髪に黄金の瞳。透き通るように白い肌と薔薇のような唇を持つこの幼い美少女が、どうやら復活した『魔王』のようだ。
大声で喚きながら駄々をこねるその姿も、七、八歳くらいのお人形さんみたいなこの子がすると非常に可愛らしい。抱きしめて撫で撫でしてあげたい。
「うーん、ずるいっていわれても……」
「戦わないとか! そんなの聞いてた話と違うのじゃ! なんで魔族がわらわの味方じゃないのーっ!?」
「いや、だってお菓子あげたらついてくるっていうからさぁ」
さてどうしたものか。私にできることなんて限られている。
なんとか魔王ちゃんに泣き止んでもらおうと、残しておいた最終兵器を取り出した。
「魔王ちゃん、これ……」
「い、いらないのじゃ! こんなもの!」
バシッと手からお菓子が叩き落とされた。フォンダンショコラが赤い絨毯の上に転がる。
……あ、これはダメだ。
こんなとき、お母さんならどうしただろう?
その答えは考えるまでもない。ちゃんとこの身体が覚えている。
――私は、握りしめた拳骨を魔王ちゃんの頭に落とした。
「いだっ!?」
「……魔王ちゃん、よく聞いて」
膝をついて小さな女の子と視線を合わせる。
いけないことをして叱られるとき、周りの人たちはみんなこうして目の高さを合わせてくれた。上からじゃなく、きちんと幼い私に伝わる言葉で教えてくれた。
痛かったけど、それだけじゃない。
私を想う言葉はちゃんと心に届いた。それはいまも私を支えてくれている。
親でもない私に上手くやれるだろうか。
自信はない。
――でも、この子の未来を想うならやらなきゃいけない。
「なっ!? なにっ……」
「あのね、食べ物っていうのは命で作られているの。このお菓子だけじゃない、他のどんな料理でもそう。魔王ちゃんが食べてきた物も、これから食べる物も、みんななにかの命をいただいて、誰かが一生懸命に作るの。だから粗末にしちゃだめ。いまみたいに叩き落とすなんて絶対にだめよ。……いい? 私とちゃんと約束してちょうだい」
「う……うぅ……」
「魔王ちゃん、甘いのは嫌い?」
「…………き、きらい、じゃ、ない……」
「そう――じゃあこれ、私が作ったの。自慢だけど美味しいわよ?」
そういって、腰のポーチから新しいフォンダンショコラを取り出して渡す。
あ、今度はちゃんと受け取ってくれた。少しホッとする。
私はさっき床に転がった分を拾って、まだ迷っている様子の魔王ちゃんの前で大きく齧りついた。
うん。甘くていい香り。
われながら、とっても美味しい。
「そっ、それ……床に落ちたやつ……」
「あら。ポテールやラディシュナだって土の中からとれるのよ? 料理人ともあろう者が、地面に落ちたお菓子くらいでビビるわけないじゃない」
さすがにお客さんには出さないけどね。
周りのみんなも、私の突拍子もない行動にはもう慣れたのか平然としている。
……まあ、こういうことばっかりしてるから男が寄りつかないんだろうけども。
「……おい、しい……」
ついに私の渾身の作を口にした魔王ちゃんが、思わずといった様子で声をもらす。
……ああ。いいね、その表情。
そういう顔が見たくて見たくて、私はずっと料理人を続けてるんだ。
小さな手の中から、どんどん甘いお菓子は姿を消していく。
夢中でお菓子を頬張って、一生懸命に口をもぐもぐ動かして。
そうするうちに、魔王ちゃんの目にはみるみる涙の粒が溜まっていった。
「ぅぐ……こ、こんな、おいしいの……は、はじめ……っ……お父さま、も、お母さまもっ……ヒグッ……みんな、ずっと昔、死んじゃってっ……目がさめ、たら……ひとり、ぼっちで……ずっと、ごはんもひとり、で…………あっ、あじが、しなくて……っ!」
「ちょ、ちょっと待って。あなた、二百年前の魔王じゃないの?」
「ちが……それは、お父、さま……」
「え……じゃあ封印されたのって魔王……じゃないのね? だったら、なんでまた魔王になんて……」
「さ、さいしょうが、フクシュウしたほうがいいって、いった、から……」
その言葉を聞いて、すぐに後ろを振り返る。
あ、もうすでにゼロさんが腹黒そうな眼鏡の宰相を拘束してた。呼吸するような自然かつ滑らかな動作だ。宰相は抵抗する暇さえなく鎖で天井から吊るされた。……それにしてもあの鎖はどこから持ってきたんだろう? 出発前は荷物になかったはず……。
「お、お待ちください! 臣下として主君の仇討ちは誰でも考えるはず! ワタシは新たな主たる姫様にも再び栄光をいたっ!? ちょっ!? 槍でつつくのはやめ……っ!?」
ええ声で鳴きよるわ。
さて、問題の大元はしばらく吊るすとして、このあとの行動を決めよう。
「魔王ちゃ……じゃないわね。あなた、名前は?」
「ぐすっ……み、ミルエージュ」
「そう。じゃあミーちゃんね」
「以前から思っていたが、マリーはもう少し名付けの感性をどうにかした方が良い」
「ゼロさんは静かにするように」
可愛いじゃないか、ミーちゃん。猫みたいで。
「ミーちゃん、ここにお風呂ってあるのかしら?」
「あ、あるのじゃ」
「じゃあ入ってらっしゃい。ルーちゃんも一緒に入ってあげてくれる? あ。あと、厨房と食材庫の場所を教えて。みんなも汗を流したら準備手伝ってね」
指示を出すとみんなテキパキ動きだす。
ああ、この三ヶ月で鍛え抜かれた集団行動の成果がここで発揮されている。
素早く動かないとお楽しみが遅くなっちゃうもんね。そこまで期待されると料理人冥利に尽きるというものだ。
いまだによくわからないといった様子のミーちゃんの頭を撫でて、私はいつかのお父さんみたいに明るく笑う。
「お風呂からあがったら――みんなで夕飯にしましょう。美味しすぎて頬っぺた落ちちゃうかもよ?」
一人で食べるごはんの味気なさを知ってるから。
みんなで食べるごはんの美味しさがよくわかる。
料理人として腕が鳴るね。
……さあ、もうひと頑張りいってみよう。
☆彡
拝啓、天国のお父様、お母様。
そちらではいかがお過ごしですか?
私は色々ありながらもなんとか元気にやっています。
あなたたちがときに厳しく、ときに激しく、たまに優しく育ててくださった娘は、もうすぐニ十九歳になります。ここまで料理人を続けられたのはきっと二人のおかげですね。
相変わらず色気なんて欠片も見当たりませんが……これなんか変な呪いとかかけたんじゃないだろうな? 毎日ベッドでお父さんが「娘に伴侶なんて一生できませんように」って神様にお祈りしてたのは把握してるんだぞ。そっちにいったら覚えてろよ。あとその神は邪神だ。
こほん。
さて、話は変わりますが、あなたたちが娘と同じくらい愛していた大切なベーカリーは、人間たちの国と魔国の境に移転することになり――――このたび、立派なお城になりました。
「マリーさん! もうチーズスフレがなくなります!」
「いま新しいのが仕上がるわ。今日の分はそれでおしまい。看板出しておいて」
「マリー様、先ほど届いた新種の小麦粉はどうされますか?」
「あー、とりあえず食材庫に運んでおいてもらえる? お店終わったら見るわ」
「まりーさま、怪鳥オイトシーをやっつけてきました!」
「あら、また出たの? ありがとう、シユちゃん。それにしてもこの辺り多いわねー。巣でもあるのかしら……やっつけてくれるのは嬉しいけど、ケガはしないでね?」
「あい!」
嬉しそうに笑った白虎族の女の子を見送って、目の前のミックスベリータルトを仕上げる。
これで私の仕事はおしまい。じきに商品も売り切れて、早々に営業も終了だろう。まだ夕方前なのに仕事が終わるという感覚は、いまでもなかなか慣れない。
世界を救う冒険を終えてから、半年以上の月日が流れた。
色々と面倒くさいこともあったけど、なんやかんやと騒いだ末に、私たちは人間の国と魔国の境に新しい国をつくることにした。
なにしろこの超戦力。仲間の一人でも一個師団に匹敵するという強大にも程がある力は、どこに身を置いたところで大きくバランスを崩すことになる。各国を訪れたときの要人たちの青褪めた顔はなかなかに見ものだった。なにしろ最強軍団大行進って感じだったし。
いまだに人間と魔族の間には溝がある。
仲間になってくれた子たちもまだ人間そのものに気を許したわけじゃないって子はたくさんいる。
かといっていまさら仲間を手放すつもりもなかったし、それならってことでゼロさんや魔国の腹黒宰相たちと相談した結果が新たな国の建設だ。
そこは色んな種族が一緒に暮らす国。
まだまだ問題は山積みだけど、なんとかなるんじゃないかなとは思ってる。
まあどんなことでもやってみなきゃわかんないし、それはこれからの頑張り次第だ。
幸いにも説得した魔国の魔族のみんなは協力的だし、移住してくる人間も少しずつ増えている。国とはいかないまでも領地くらいにはなったんじゃないかな。ちょっと商業都市みたいになってきた。
そのぶん腹黒宰相さんは大変そうだけどね。手伝える人も総動員で毎日大忙しだ。
うん、みんなで頑張ろう。
……で、私は政治のことなんてなにもできないので、とりあえずベーカリーを再開することにした。
いやだってみんなと仲良くなったきっかけってお菓子やパンだったしね。それに旅の最中に色んな場所で料理を振る舞ったのがよかったのか、よその国からもお客さんが来てくれる。なんと王都から昔馴染みの常連さんが訪ねてくれることもあった。いまの仕事が終わったら家族で引っ越してくるかもしれないといってくれた。
みんな私のお店が立派になったことを祝ってくれた。
まあ、うん。
――お城の一階部分が新しいベーカリーだからね。
たった三ヶ月でお城を建てた森の精霊やドワーフたちがすごいのか、お城の一部を店舗として扱うことを許した宰相が大物なのか、もう誰を褒めればいいのかわからない。
みんな理解ありすぎて逆に怖いよ。……私ホントにこれでいいんだよね?
とりあえず頑張って働いてもらえるように美味しいものをつくろう。お菓子がなきゃ働けないってみんないってるし。
そんな仕事もせず料理ばっかりしてる王様な私にも、可愛い娘ができました。
「の、のう、マリー」
「ん、なに? ミーちゃん」
「マリーは、その、わ、わらわのこと……好き?」
「もちろん。大好きよ」
おそるおそるといった様子で尋ねる姿が可愛すぎたので即答すると、蕾が綻ぶように笑顔が咲く。うん、可愛い。撫でくりまわしたい。私の手、クリームまみれだけど。
――しかし、甘やかすばかりが教育ではないことを、私は知っている。
「じゃあ……」
「だめよ。おやつはさっき食べたでしょ? また夕飯が食べれなくなるから、もうだめ」
「あ……あぅぅ……」
しょぼーんと元魔王の娘であるミーちゃんがうなだれる。
うー……そういう顔するのはずるいなぁ……。心なしか周りの視線も痛い気がする。
でも躾はちゃんとしないと。
お菓子は美味しいけど、食べ過ぎていいものではない。
甘味は物足りないくらいが最高の余韻を残すのだ。これは食べる側の心得。職人がつくるフルコースのデザートが少量しかないのはこのためである。
ということで、私は飴味の鞭を振るうことにした。
「あー、今日の夕飯はミーちゃんの好きなクリームコロッケにしようと思ってたんだけどなー」
「……く、クリーム、コロッケ……!?」
「ポテールのポタージュスープもつける予定だったんだけど……食べれないならやめようかなー?」
「おっ、おやつ、ガマンする!」
「お仕事も頑張ってくれると嬉しいなー」
「やる! やるのじゃ! それ、わらわが持っていくのじゃ!!」
「ありがとー。落とさないようにね」
「は、はいっ、なのじゃ!」
ミックスベリータルトの並ぶプレートをそーっと、そーっと運ぶ小さな背中の可愛いこと。
くく、魔王の娘とて所詮は子供よ。大人の私にかかればチョロいものだ。
約束通り今日の夕飯はミーちゃんスペシャルを作ってあげよう。
「……見事に踊らされているな」
「ふふ、可愛いもんでしょ」
「お前がな」
「は?」
『吐息』で氷を作ってくれていたゼロさんがよくわからないことをいう。
……前から思ってたけど王族然とした美貌を持つゼロさんと厨房は驚くほど似合わないな。
いや、そういえば竜の王様だっけ。近頃は気軽に氷作ったり薪燃やしたりしてくれるからすっかり忘れてた。
「しかし魔族の王が随分と懐いたもんだな」
「まあ甘えられる存在が欲しかったんだろうね。私もお母さんみたいな気分で接してたし」
「……マリーは自分の子が欲しいとは思わんのか?」
「そりゃあ欲しいよ。けど、もうそんな歳でもないしねぇ」
「それなら問題ないぞ。毎日マリーには寝ている間に竜の血を飲ませているからな」
「……は?」
「竜の血には不老延命の効果がある。竜王たる私の血はさらに効能が強い。向こう四十年は難なく子供を産めるし、竜の子を孕んでも問題ないほど頑丈な身体になるぞ」
「ちょっとぉぉぉぉおおおおお!? 承諾もなく人の身体に何してくれてんの!? ここのところ朝起きたとき妙に口の中が鉄くさいと思ったらお前の仕業かぁぁぁあああああああ!!」
歯ぐきから出血してるんじゃないかってひそかに悩んでたんだぞ! ていうか部屋にどうやって入った!? 鍵は!?
胸ぐらを掴んでガクガク揺さぶるけどゼロさんは悪びれもしない。
それどころか容易く手をはずされて両腕を拘束されてしまう。
くっ、こんなところで竜の力を使うとか卑怯な……って近! ゼロさん近い!?
「ちょ……っ!?」
「あまり無防備に刺激してくれるなよ? ……こちらも色々と我慢してるんだ」
ひぃっ!? が、ががが我慢ってなに!? なんでちょっと怒ってるの!?
「鈍いのは分かっていたことだがな、それでも限度というものがある。私に人と生きる道を教えたのはお前だ。その責任はとってもらうから覚悟しろ」
ええええ!? いやだってお菓子あげたらついてくるっていったのそっち――いえ、なんでもないです。ごめんなさい。よくわかんないけど責任とるし謝るからそのキラキラした顔をとりあえずどけて――――――っ!?
天国のお父様お母様。
あなたたちが教えてくれたお菓子のおかげで、私の人生はひょっとしたらえらいことになっているのかもしれません。
ほんとに覚えててくださいね。