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風雲の果て
作:今井 祐一



第1話−5:風の片鱗


 「なるほど、俺の弟子をずいぶんかわいがってくれたようだな」
 ――いけねぇ。
 レルガは焦った。風彪ふうひゅうを怒らせるのはまずい。カルマが雇っている傭兵のうちで首席に座っている自分を、一合もせずに屈伏させてしまうほどの使い手である。呂盛も郭方も傭兵の中では平均以上だが、風彪にとってはそよ風程度にすぎまい。
 「なんだい。お前が寝てるからちょっと見ててもらっただけじゃねぇか」
 レルガの焦りをよそに郭方はいつも通り人を食ったような態度をとる。
 ――喧嘩は相手を見てやれ。
 自然とため息がでる。
 呂盛はさすがに多少神妙にしている。少しうつむいた顔についた目の焦点は、浮いてその場をさまよっている。
 風彪はなにも言わずに二人を見下ろしている。
 ――見下ろして?
 二人と風彪との背丈はさほど変わらない。高い部類には入るが、それ以上ではない。うなだれている呂盛が小さく見えるのは分かるが、郭方まで小さく見えるのはどうしたことだろうか。
 「なぁ風彪、こいつらこういうときは退屈してるから、やることが荒っぽくなっちまうんだ。これくらい大目に見てやってくれよな」
 一瞬、風彪の目が光った。背筋に寒気がはしる。
 しかしそれもつかの間、次に風彪が発した言葉は思いのほか穏やかだった。
 「まぁ、いい。それより林昭、まだ起きてからなにも食ってないだろう。親父に頼んでなにか出してもらうといい」
 林昭も雷が落ちると思っていたらしい。答えまでわずかに間があったが、師匠の言葉に素直に従って勝手口をくぐった。
 「さて」
 林昭の背中を見送った風彪が二人のほうに向きなおった。
 ――今度こそやべぇな。
 「俺もちょうど退屈していたところだ。郭方も呂盛も飯のあとでかまわんから相手してくれ」
 ――助かった。
 レルガはほっと胸をなでおろした。そのくらいで済むなら安いものだ。下手をすれば真剣で立ちあうことになるのではないかとひやひやしていた。たかがあれしきのことであっても、風彪の誇りは彼の大きさゆえ常人とは比べものにならぬほど高い。何もかもが普通のものさしには収まりきらない男だった。
 しかし、そこで風彪は思い出したようにつけ加えた。
 「もちろんレルガもな」
 今度こそレルガは凍りついた。レルガは一度風彪と対峙たいじしている。一歩も踏み出せず、打ちかかることすらできず、ただ相手の大きさを知らしめられるのみであった。
 風彪の目の底には冷たい炎がちらついている。今度はあのときのように無傷で負かしてくれるということにはならないだろう。あばらの一本や二本は覚悟せねばならぬかもしれない。
 「おう、ちょうどいいや。俺も頼もうと思ってたところだ。なんなら今からでもいいぜ」
 郭方が軽口をたたく。レルガは心中で大きなため息をついた。人を見る目がなっていない。
 「よろしくお願いします」
 呂盛は少し頭を下げた。さすがに挑発するようなことはしない。山賊に遭ってからここにつくまで林昭につき添うことが多かったから、少しは話を聞いたのかもしれない。話半分に聞いてはいるだろうが、半分にしても相当なものである。
 風彪が道をあけた。二人も食堂に入る。
 「どうした、顔色が悪いぞ」
 顔を覗きこんでくる。何も含むところのない真っ直ぐな目だ。
 ――なるようにしかならねぇか。
 腹をくくった。
 「なんでもねぇよ」
 「心配するな、少々痛い目にはあってもらうが、動かなくしたりはせん」
 「それは誰の話だ?」
 「お前ら三人の話だ」
 今度は本当にため息が出る。
 「あいつら二人はいいが、なんで俺まで…」
 そこではじめて風彪は笑みを浮かべた。
 「三人でなければ俺の稽古にならん」
 「おい、お前いっぺんに俺たち三人とやる気か?」
 もどりかけていた風彪が振り返る。
 「あたりまえだ。あまりに手ごたえがないと稽古になるまい」
 そういい残してほの暗い宿の奥へと消えていった。
 よほど自分の腕に自信があるのか。レルガは一対一では手も出せなかったものの自分がそれほど弱いとは思っていない。事実、風彪がくるまでレルガに買ったことがあるものはほんの二、三人だったのだ。それに郭方と呂盛が加わるなら勝ち目もあるかもしれない。
 人が複数集まって戦うとき、その戦力は単純な合計になるのではない。戦い方によってそれ以上にも以下にもなる。二人とは幾度か戦場をともにしているからお互いに戦い方を知っている。合計以上の力を出せるはずだ。
 ――それに、負けっぱなしじゃ面子もたたねぇしな。
 武器を積んだ馬車から棒をとる。通常、傭兵は自分の得物を持っているが、戦闘の際には刃が欠けたり折れたりして使いものにならなくなるということもある。
 レルガ自身は刃はもちろん柄まで鋼造りの大刀を使うので滅多に折れることはない。刃が欠けることはしばしばだが、大刀はその重量を活かして叩き斬る武器であるからさほど刃が欠けても困らない。
 しかしこの、小さな兵器庫にはもう一つ重要な役割がある。
 傭兵に限らず武芸者には総じて気の荒いものが多い。戦のない日が続くと退屈して、さきの郭方と呂盛のように傭兵どうし戦うことはなんら珍しいことではない。
 それを真剣で行うとなれば双方にその気がなくとも不慮の事態が起こりうる。そうなれば雇い主のカルマにとっても、己の体一つを財産として世を渡る傭兵にしても大きな損害である。
 棒であればその気のない限り相手を殺すことはまずない。下手をしても骨折で済む。治ってからも体の一部に不自由が残ることもよっぽどでなければ起こらない。そういうことをするのは素人で、雇うに値する力を持ったものならどこを打てば致命傷になり、どこを打てば打ち身で済むかくらい分かっているものだ。
 そういうわけだからこの馬車には棒が多く積まれている。大部分は木製だが中には実戦用の鉄棒もある。もちろんこちらは今、必要ではない。
 棒を軽く振ってみる。いつもかなり重量のある大刀を扱っているレルガにとって、軽い木製の棒は非常に頼りなく感じられた。どうしても力が余る。しかし一撃の速さは増す。それが不慣れな武器を使うという不利を埋める。結果として実力がそのまま現れる。レルガはそう思っている。
 もう太陽は昇りきっている。午餐(ごさん・昼食)の炊煙がいたるところで上がっている。雲の少ない空に白い煙が立ちのぼる様は白樺の林にも見えた。
 風彪らが戻ってきた。
 「では、はじめようか」
 風彪は、体と同じ長さの棒を自分のとなりに立てているだけである。棒立ちのままこちらを向いている。
 「俺が一人であることを気にする必要はない。全力でかかってこい」
 郭方も呂盛も唖然あぜんとした。
 「おいおい、いっぺんに三人相手するつもりか?」
 「いくらあなたでもそれは…」
 「怪我しても知らねぇぞ」
 これがほかの人間ならレルガも同じことをいうだろう。しかし、この男は尋常の器ではない。常識などあてはまるはずもない。
 「本人がいい出したことだ。お前らは気にせず全力を見せてやればいい」
 そういって構える。二人も心得て構えをとる。風彪はまだ棒立ちのままだ。
 郭方が間を詰めにかかる。途端に、相手から発せられる気が変わった。郭方がたじろいぐ。足が止まった。
 こちらはレルガを頂点に三角形をつくっている。レルガの左にいた郭方が少し飛び出したため、いびつな形をしている。右の呂盛がじりじり前進して均衡をとろうとする。
 そのままで互いに睨みあう。ただ立っているだけの風彪に、まったく手を出すことができない。
 不意に風彪の気が弱まった。一気に踏みこむ。
 わずかに遅れて左右から二人が続いてくるのを感じる。
 相手が何であるかなど、その瞬間には頭にない。ただ、持てる力のすべてを向けて立ちはだかるものを倒そうとする。 突然、前にあった人影が消えた。それがわかったのと、衝撃とともに自分の手から棒が離れるのとは同時であった。
 あっという間に勝負はついた。郭方も呂盛も、一合たりとも打ち合うことなく弾かれた。何が起こったかもわからぬまま、地面に叩きつけられている。
 「まったく、情けねぇったらありゃしねぇな」
 三人でかかってこの様である。郭方は痛みに顔をしかめながら、今しがた自分の身に起こったことを否定しようとするかのように首を振っている。呂盛はうずくまって唇を噛んでいる。
 郭方が風彪を見上げた。
 「お前、いったい何者だ?」
 それとわからぬくらいの間をおいて、答えがかえる。
 「風彪だ。今は、ただの武芸者だ」
 ――今は、な。
 やはり血は争えぬものなのか。胸の内で、「風」を見ながら、これまで侮蔑にしか使わなかった言葉を、賞賛とともにつぶやいた。

 その日の午後遅くになってカルマが王宮から戻った。二ヶ月のうちに失った商品を納めれば賠償金は免除されるという話になったようだ。カルマ本人は、
「まぁ、仕方ないでしょう。これくらいで済んでよかった」
 とさばさばしたものだ。商人のくせに失ったものにあまり執着しない。
「時間があまりありませんから、父にも応援を頼みます。帝都へ行きましょう」
 次の行き先は帝都と決まった。


ここまでの登場人物

風彪ふうひゅう:旅の武芸者。カルマが雇った傭兵の一人。

林昭りんしょう:風彪の弟子。

レルガ:カルマの元で護衛を統率している。得物は大刀。

郭方かくほう:カルマの護衛の一人。もと商人。赤い衣を身にまとい、方天戟をふるう。

呂盛りょせい:カルマの護衛の一人。薬師。白衣を身にまとい、方天戟をふるう。

カルマ=カフカス:大商人。風彪、レルガらの雇い主。








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