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第6章
第6章≪酷愛の天使≫・1


「ご気分は如何です? 眩暈などはありませんか?」

 ―――≪可哀想に・・・。ショックだろうな≫

「昨夜はキチンと眠れましたか? お食事は?」

 ―――≪瞼が重そうだ。眠いのかな? 他人の事でこんなにも心を痛める事が出来るなんて。何て繊細な人なんだろう≫

 とても好意的な思考だった。
 流れ込んでくるのは、紗月姫を想う、心配と気遣いの心。
「でも、僕が心配しなくても大丈夫ですね? きっと彼が、紗月姫さんの体調管理はしてくれているのでしょうから」
 そう言って、ソファに座る紗月姫を覗き込むように話しかけていた青年、久我山充彦くがやまみつひこは背筋を伸ばし、客間の窓辺に立つ神藤を見た。

「お食事は普通にとられています。少々お疲れのように見えますのは、やはり、よくお眠りになられてはいないせいかと・・・。そこまでは、私も未確認でございます」
 話を振られ、軽く頭を下げつつ気の利いた言葉を発する神藤を、久我山は楽しそうに見た。
「ははは、そうだよね。確かに、いくらお世話役の君でも、眠った後の事までは解からないよね」
「はい。存じません」
 しかしその会話を聞いていた紗月姫は、ちょっと拗ねた目でチラリと神藤を見る。

 眠った後の事など解からない。などと言うからだ。
 この二週間、夜は同じベッドの中で、彼の胸の中以外でなど眠った事は無いのだから。


 終始穏やかな思考で、神藤にも気軽に話しかける彼。
 久我山充彦は三十歳。紗月姫の婚約者候補の一人だ。
 精神病医療の権威である教授を父に、母、兄姉、全てが医者という家系。もちろん本人も、心療内科医として広く活躍している。
 二年間アメリカで、FBIプロファイリングチームのサポートを務めた経験を持つ、精神医療の若きスペシャリストだ。
 辻川財閥も総合病院を一つ管理運営しているが、そこの心療内科に出張医として度々訪れる事もあった。
 いくら有能な医師でも、紗月姫の婚約者候補としては、いささか畑違いのような感もある。
 しかし、もし彼が紗月姫に選ばれたとして、結婚後将来的に紗月姫の能力を知ったとしても、彼のような人柄と仕事内容ならば、精神面から紗月姫を支える事が出来るのでは無いか。総司はそう考えたのかもしれない。


 久我山は、優しい声と表情で、紗月姫の肩をポンッと叩いた。
「でも、そんなに気に病まないで下さい。袴田氏は、不幸な事故だったのですから」

 婚約者候補の一人だった袴田進一郎が、歩道橋から落下して命を落としたのは一昨日の夜。
 ふらふらとした足取りで繁華街をうろつき、歩道橋の上から身を投げたのだ。
 自分から落ちた、という目撃者も居ることから、〝自殺〟もしくは〝酔っていて自分を見失った上での事故〟という事で片付けられ、大きな騒ぎにはならなかった。しかし、彼が辻川財閥後継者の婚約者候補になっていた事を妬む輩からは、「お姫様に選ばれる夢でも見て天にも昇る気分だったろう。本当に昇ったみたいだが」 と陰口が走った。

 今日は袴田の通夜だったのだ。
 通夜の席で久我山に会い、挨拶をして別れた。
 しかし屋敷へ戻り一時間ほどして、久我山が紗月姫を訪ねてきたのだ。
「お通夜の席で見た紗月姫さんが、随分と辛いご様子でしたので心配で・・・」
 紗月姫を気遣い、様子を見に来たらしい。

 確かに紗月姫の気持ちは少し沈んでいた。
 当然だろう。
 自分の婚約者候補が、続けざまに二人も事故で亡くなったのだから。
 そんな傷心の様子を見せる紗月姫に、久我山は優しい言葉をかけ続けた。
 彼の仕事柄なのか、彼の存在は相手を落ち着かせ安心させるオーラを放っているようにも感じる。
 流れ込んでくる思考も、常に紗月姫を気遣う物ばかりだ。
 そう考えると、同じ婚約者候補でも、裏のあった前の二人とは大違いだろうか。

「神藤さん。僕が言うのもなんですが、紗月姫さんをよろしくお願いしますよ。しっかり監視して、食事と睡眠はちゃんととらせてあげて下さい。気に病んで倒れでもしたら大変だ」
 久我山は神藤にもとても気さくに声をかけてくる。
 お世話役やお付きといえば、元を正せば所詮は使用人だ。普通ならば大きな態度に出ても不思議は無い。しかし久我山の思考の中には、神藤を格下にして卑下するものは感じられなかった。

 ―――≪彼に任せておけば大丈夫だろう。いつも紗月姫さんのお世話をしてくれている人だ。その分、安心だからね≫

「承知いたしました。お食事をとられないようでしたら、お尻を叩いてでもとって頂きます」
「しっ、神藤っっ・・・」
 神藤がサラリと出す冗談に、紗月姫が頬を染めて反抗すると、久我山はハハハと声を上げて笑った。

 ―――≪可愛いなぁ、紗月姫さん。本当に仲が良いんだ? 兄妹みたいだ≫

 そこに嫌味な含みはなく、それはそのまま流れ込む久我山の思考。
 紗月姫も、そんな久我山の思考が入り込んでくる事に何の不快もない。
 だが一人、その久我山の態度に不満を持っている人物がいる。

「『お尻を叩く』 って事は、ちょっとまずいんじゃないのかい?」
 今までずっと傍観者を決め込んでいた〝不満を持っている人物〟が、座っていた椅子の背もたれから身を起こし神藤を見た。
「それはつまり、〝女性の気安く触ってはいけない部分〟に触る。って事だろう? 紗月姫さんは君の主人だ。それは駄目だろう? ねぇ? そう思いませんか? 久我山さん」
 含み笑いをしつつ、久我山に話を振る。

 まるで久我山を探るように口を開いたのは、尊実だった。




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