「今年の藤は、本当に美しいわ・・・」
紗月姫はそう言って、自分の頭上に垂れ下がる藤を、ぐるりと見回した。
大きな藤棚一杯に咲く。
薄紫の藤の花。
それはとても美しいものである筈なのに、何故か紗月姫はフッと悲しそうな表情を作った。
「どうかしたのですか?」
紗月姫の表情の変化に、神藤はとても敏感だ。今も例外ではない。
しな垂れかかっていた自分の胸から顔を上げ、藤を見上げる紗月姫を心配そうに見る。
「あの時と・・・同じくらい。綺麗・・・」
「あの時?」
紗月姫は切なそうな瞳で、神藤を見上げた。
「神藤が・・・初めて私の前に現れた時と・・・」
神藤の心の中に、藤の花びらが舞う。
「あの時」の記憶が、自分に触れている紗月姫から流れ込んでくる。
その記憶は、まるで映画を見ているかのように鮮明に、彼の脳裏に浮かび上がった。
藤の花びらの下。
揺り篭の中の赤ん坊。
忍び込んだ、辻川邸の温室。
少年はまだ十二歳だった。
───≪私を、殺しに来たの?≫
急に頭に響いた声。
───≪お前、私を殺すの?≫
しかし、頭に響くその声は、目の前の赤ん坊の声だと少年はハッキリと解かった。
澱み無い透き通った瞳。
あまりにも聡明すぎる瞳の赤ん坊。
「辻川財閥に産まれた赤ん坊を殺して来い」
それが、人殺し達の中で育ち、父も母も分からず、名前も与えられずに育った少年に与えられた、「生きていく為」の仕事だった。
少年は十歳の時、初めて人を殺した。
「生きていく為」それまでどれだけの人を殺めたか・・・。
守るものも、庇うものも、ましてや「生きがい」などというものは持ってはいなかった。
ただ、「息をしているだけ」の毎日
そんな少年が出会った赤ん坊。
それが紗月姫。
その聡明な瞳は、少年の心の中に不思議な感情を落とした。
───≪あなたは・・・私を殺せない≫
紗月姫の声を頭で聞き、駆けつけた辻川の当主は、少年に告げる。
「紗月姫を守るために生きてみろ」と。
生きることの意味。
守る者がある事の幸せ。
それを紗月姫から教えてもらえ。と。
本来ならば、娘を殺しに来た人間だ。この場で取り押さえる事も出来たのに紗月姫の父親はそれをしなかった。
その理由は、ただひとつ。
紗月姫が少年を気に入ったからだ。
紗月姫は少年に、「藤」の名前をつけた。
───≪神様が咲かせる藤。・・・そこからあなたは現れたの。・・・だから・・・≫
「神の藤」
少年は「神藤」と呼ばれるようになった。
名前を与えられ、命を救われた少年。
彼は、紗月姫のお世話役として生きていく事になる。
満開の藤。
恐ろしいまでに美しい藤。
その下で、二人は出会った。
ちょうど今年のような、素晴らしい藤の下で。
「怖いわ・・・」
紗月姫は再び、神藤の胸の中へしな垂れかかった。
「藤が・・・美しすぎて・・・」
目で「藤」を見上げる。藤の花、では無く「神藤」を。
サワッッ・・・!
藤の花が揺らいだ。
「傍にいてね。神藤。ずっと私の傍に・・・」
元々は、自分を殺しに来た少年。
しかし紗月姫は、彼の本質を見抜いたかのように、出会ったその瞬間、彼に絶対的な信用を置いた。
「はい。お嬢様」
紗月姫の為に生きている。
紗月姫の為ならば、命など彼は惜しくは無い。
彼女の傍で過ごしたこの年月の中、神藤の中で、紗月姫は何よりも大きな存在となった。
「生きる事の意味」を。
「守る者がある事の幸せ」を。
彼に与えた少女。
「約束よ・・・」
紗月姫の声が、切なく甘く、彼の耳に響く。
その声に愛しさを感じながら、彼は返事を返す。
「はい。お嬢様」
神藤の声が、苦しいくらいの切なさで、紗月姫の体に響く。
紗月姫は神藤のスーツを、グッと握った。
「怖いわ・・・」
神藤の胸の中に居るというのに、紗月姫の胸には何故か不安が立ち込める。
ザワッ・・・!
サワサワサワ・・・。
藤の花が揺れ、何かを教えたがる。
紗月姫に。そして、神藤に。
藤は、知っているのかも知れない。
二人の未来を。
これから始まる。
物語を・・・・・。
こんにちは。玉紀 直です。
遅くに更新。すいません。(笑)
神藤さんの少年期。
悲惨な生い立ちを救ったのは彼女。
いつ死んでもおかしくは無い人間だった彼は、彼女に命を救われました。
さぁ、プロローグが終わりました。
この二人の運命を、藤の花と一緒に見守って下さい。
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