「いやぁ、流石ですね、紗月姫さん」
優しげな目が眼鏡の奥で笑う。
客間の椅子に腰掛け、手をゆっくりと叩きながら、落ち着いた態度で称賛を贈る青年。
「素晴らしいです。ヴァイオリンだけではなくピアノの才能もおありとは」
穏やかな口調だが、その称賛にはどこか〝裏〟を感じてしまう。
九条貴明。九条貿易の次男で、今三十三歳。
紗月姫の婚約者候補であり、その中の最年長だ。
外国企業との取引が多い仕事柄、話術には長けている。お世辞の一つや二つは簡単に口から出せる男だ。
だからと言って、紗月姫のピアノの腕を褒めたのはお世辞ではない。
紗月姫は本当に、ヴァイオリンもピアノも上手くこなす。
だが・・・。
―――≪ピアノなんて、お嬢様の必須アイテムだからな。小さな頃からそればっかりやっていれば、上達するのは当たり前だ≫
優しげな目とは対照的に、心の目はいささかすさんでいる
紗月姫の誕生日パーティから一週間が経った。
話などをするのは日を改めて・・・。と総司に言われていたせいか、翌日から四人の候補者達は入れ替わり立ち代り辻川家を訪れる。
毎日のように違う候補者達が会いに来る。その相手をしているので正直大変だ。
この九条貴明が来るのは二度目だ。
前回来た時、クラシックを聴くのが趣味だという話から、次に訪れた際にピアノを弾いて欲しいという話になったのだ
そこで今日、九条が来る十九時前に客間にグランドピアノが運ばれたのだ。
候補者達はやはり気を使い、来邸する際には事前に連絡をよこす。
自分達は選ばれる側だ。突然押しかけて紗月姫が疲れていたりしては機嫌を損ねてしまう。
そう思っているのだろう。
しかし一人、連絡も何も寄こさずいきなりやって来るフトドキ者がいる。
それも必ず他の候補者が来る時間に合わせて、まるでその時間が解かっているかのように、毎日。
いや、実際「解かって」 いるのだろう・・・。
「お嬢様なら、小さな頃からピアノなんて必須アイテムのようにやらされるものですよ。上手いのは当たり前だ」
その言葉に九条はドキッとする。
同じ事を、さっき自分も思ってしまっているのだから。
そして、そんな少々失礼な言葉を紗月姫へなれなれしい口調で投げつけた男は、笑顔で彼女の傍へ寄ってきた。
「ねぇ? 〝紗月姫さん〟」
尊実はそう笑いかけながら、紗月姫の背中を軽くポンッと叩く。
あまりにもわざとらしい態度に、紗月姫は尊実を睨み付けたくなったが、九条の手前それは控えた。
―――≪何だろうね。この海堂の生意気なガキは。アメリカ帰りだか何だか知らないが、自分も他と同等だとでも思っているのか? 社会に出た事の無い、世間知らずのヒヨッ子だろう≫
九条の不快を感じる思考は、紗月姫はもちろん尊実の中にも流れ込んでいた。
尊実より他の候補者達は、すでに家業や会社の一員として自立している。紗月姫よりも十歳以上歳の離れた青年達だ。
それを考えると、尊実はまだ十八歳。
ビジネス界でも「海堂の四男坊は頭がキレる」 と話題では有るが、こんな歳の少年と自分が一緒にされているという事が九条は面白くない。
恐らくそれは他の候補者達も同じだろう。
「紗月姫さん、僕と〝連弾〟をしましょう」
いきなり尊実が言った言葉に、紗月姫は驚いた。
連弾、などと言うが、尊実はピアノが弾けるのだろうか。
紗月姫の不安と、いきなりの申し出に呆然としている九条をよそに、尊実は紗月姫が座る椅子をそのまま少し右側へ寄せ、自分は左側へ立った。
紗月姫が右。という事は、第一奏者。尊実が左。第二奏者、という役割だ。
尊実は左手を顔の傍へ上げ、紗月姫に合図をする。
「長音ペダルは僕が」
足元の長音ペダルはピアノの中心よりは右にある。しかし左側の第二奏者が担当するのが通例。
そこまで知っているという事は、知識だけは有るようだ。
〝連弾〟は、一台のピアノを二人で演奏する事。
紗月姫も数えるほどしかやった事は無い。
幼い頃にピアノレッスンを受けたピアニストと、学習上の連弾はした事があるが、それも昔の事だ。
―――≪大きく出たな。紗月姫さんと連弾など出来るものか。赤っ恥をかくだけだ≫
九条のそんな思惑を無視して、尊実は顔を上げてちょっと考える。
「曲目は、何がいいかな・・・。連弾用の曲。モーッツァルトか・・・、いや・・」
尊実は何かを思い付いた様に、チラッと客間の窓辺に立つ神藤を一瞥した。
「ブラームスにしよう」
紗月姫は無意識に手がピクッと震えた。
ブラームスは神藤が好きな作曲家だ。
明らかに神藤が好きな分野だと解かっていて選択したのだろう。しかしそこに好意的な物は感じない。
「ブラームスの〝ハンガリー舞曲〟第5番ト短調で」
尊実の言葉が言い終わると同時に鍵盤に指が下りる。
彼を見ながら構えていた紗月姫も、同時に鍵盤へ指を下ろした。
―――≪何だ・・・? 本当に弾けるのか? ヒヨッ子≫
九条の思惑と同じく紗月姫も驚いた。
尊実は実に見事に鍵盤を叩いていく。
五分程度の連弾ではあったが、二人の息はピッタリで、見事に一曲弾きこなしたのだ。
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