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第3章
第3章≪運命の天使≫・17


「私は・・・、それが怖いのです」
 神藤の言葉に、紗月姫の身体は固まった。
 その驚きに、駄々っ子のように彼の胸を叩いていた手も止まってしまったほど・・・。

 紗月姫の心の動揺を表すかのように、二人の周りを不安定な空気が漂い抜けた。
 動揺した理由は、初めて神藤の口から聞かされる、〝男〟としての神藤の言葉。

 ―――この手で、あなたを、汚してしまいます・・・。

 そのくらいの言葉の意味、紗月姫には当たり前のように解かる。
 しかもそれを、神藤に言われたのだ。
 紗月姫の胸の鼓動は恐ろしいくらいに高鳴り、身体中の熱が一気に上がって行くのを感じた。

 神藤の言葉の意味は、紗月姫を〝女〟として見てしまう、という意味だ。
 〝主人〟として、ではなく。

「私に、それは許される事ではないのです。たとえ、想う事でさえも許される事ではない。本当ならば、こうして口に出す事さえも・・・」
 神藤は紗月姫の身体をゆっくりと離した。彼女の両腕を掴み、今、腕の中で思い切り抱き締めた少女を見詰める。
「口に出す事も・・・許される事ではありません・・・」

 神藤は紗月姫から手を離し、一歩分後ろへ引くと、片膝を立て右手を胸に当てて首をうな垂れた。
「お世話役の戯言をお許し下さい。お嬢様の寛大なお気持ちでお聞き流し頂ければと・・・」
 少しでも自分の気持ちを口にしてしまったという事実を、神藤は〝主人〟に詫びる。
 自分が決して口に出してはいけない言葉を口にしてしまった罪を。


「こっちへ来て・・・」
 紗月姫は自分を離した神藤に、真っ直ぐ腕を伸ばし、両手を差し出す。
 神藤はちょっと戸惑った。これは、紗月姫が抱き上げて欲しい時に取るポーズだ。
 いつもは平気で出来る事だが、今この状況での彼には、少々辛い行為ではないだろうか。

 神藤はさっき引いた一歩分紗月姫に近づくと、差し出された両手を取った。
 両手を取り、その手を優しく握り締めながら彼女を見詰める。いつも通り、〝主人〟である紗月姫にだけ向ける、〝お世話役〟としての優しい笑顔で・・・。

 〝いつも通り〟を演出する神藤を、紗月姫はとても悲しく感じた。
 ついさっき、自分を〝女〟として見てしまうという彼の言葉を聞いたばかりなのに。
 その事に喜ぶ時間も与えず、彼は全てを元に戻そうとする。

「もう、これも、叶わない事なの・・・?」
 神藤に優しく握り締められた手を、紗月姫は力を入れて握り返す。
 いつも、当たり前のように自分の目の前に差し出されている手。
 当たり前のように、手を伸ばせばそこにある手。
 でももうすぐ、その手は目の前に差し出されなくなるのだ・・・。

「こうして・・・、神藤に手を取ってもらう事も・・・」
 紗月姫の目が細まり、切なげな瞳が神藤を見詰める。
 力を入れて握り返した手は、襲い来る悲しみに小さく震え出した。
「いつも傍に、居てもらう事さえ・・・」

 神藤が傍に居ない・・・。
 この微笑が、この手のぬくもりが、当たり前のようにあった存在が、自分の傍から消えてしまう。
 本人を目の前にして心に湧き上がったその思いは、紗月姫に抑えようもない衝撃をもたらした。
 その衝撃は身体の奥から一気に溢れ、涙となって流れ出す。
「あ・・・」
 紗月姫自身が動揺してしまうほど、その涙は、抑える術も無く頬を伝い続ける。


 紗月姫の涙は、いつもの自分を取り戻し、平常に戻ろうとする神藤にも衝撃を与える。
 目の前の彼女が止める術も知らず流し続ける涙は、間違いなく、神藤が傍に居なくなるという事実に対して流している涙だ。

 神藤の為に、流している涙だ。

 例えようのない愛しさが、神藤の胸に溢れる。
 抑え様のない想いは、その心から零れ落ちた。

「お嬢様・・・」
 握っていた手を滑らせ、神藤はそのまま紗月姫を抱き締めた。

「・・しん、ど・・・」
 紗月姫を胸の中に入れ、強く強く、その腕で捉まえる。
 それは明らかに、紗月姫を胸の中に抱き入れる、〝お世話役〟としてのいつもの行為とは違っていた。

 抱き締められた腕から、熱い想いが伝わってくる。
 その想いを体で感じる紗月姫は、とろっとした温かな気持ちになっていく自分に気付いた。


 どちらかが、先にそうした訳ではない。

 だが、二人は一度、深く見つめあい。

 そして。

 唇を重ねた・・・。




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