「あなたが好き……」
その言葉は、ある意味二人の始まりだった。
今まで禁じられていた禁句。超えてはいけない禁戒。
それを超えて、愛し合おうとする二人。
「私も、お嬢様が好きです……」
そして彼は、それを受け止める。
従順な従者としてではなく、一人の男として。
藤がどれだけ騒ぎ、二人の言葉を消そうとしても。
どれだけ花びらを舞い踊らせ、互いの姿を消しさろうとしても。
もう二人には、愛する人の姿しか見えなかったのだから……。
嬉しそうに、哀しそうに。その身を揺らし震わせ、花びらを散らす藤達。
その藤の中で抱き合い、唇を重ねるのは、十八年間の禁戒を冒そうとしている、紗月姫と神藤。
「神藤……」
「お嬢様」
甘い囁きは、互いの耳の中でだけ木霊し、その身を溶かした。
そして自然に……。ごく自然に……。二人は藤の花びらが降り積もる花海の中へ身を投じ、その中で重なり合う。
お互いを感じ合いながら、少しずつ晒されてゆく紗月姫の肌。
二人は、この十八年間の想いを全て込めて、この藤棚の下で愛し合う準備を始めたのだ。
主人と従者としてではなく、ただの愛し合う男女として、この愛が結ばれようとしている……。
――の……、はずだった……。
「やっぱり駄目よ!」
そう叫んで、いきなり紗月姫が神藤の身体を思い切り押した。
「やっぱり駄目! いけないわ、こんなのっっ!!」
慌てふためく紗月姫の態度に、神藤は訳が解らず目をぱちくりとさせる。
今の今まで、あんなに良いムードで、二人抱き合っていたではないか。
熱い唇付けを交わし、この藤棚の下で愛を確かめ合おうとしていたではないか。
ここはベッドでは無い。そんな事は解っている。しかし屋根は付いているのだから、立派な“屋内”だ。だが、もしかしたら、「場所が恥ずかしい」 と紗月姫が思ったのだろうか。
「こっ、こんな事をしては駄目! 結婚もしていない女性がする事では無いわ! はしたない!」
神藤は言葉が出ない。
確かにそうだ。二人は結婚をしている訳ではない。ただ、互いの関係性を考えれば、この先結婚が出来るという可能性は皆無だ。
だからこそ今、その十八年間の想いを、添い遂げようとしていたのではないのか?
紗月姫は脱げかかっていたワンピースの胸元を押さえ、真っ赤になって首を左右に振った。
「嫌だわ、私ったら。こんなっ、神藤といえど、男性に肌を見せるなんて……。神藤だって、こんな慎みの無い私では嫌でしょう?」
花恥ずかしげに、か弱く儚い瞳を潤ませ、紗月姫は神藤を見詰める。
確かに、“女性としての慎み”を重んじるよう、お世話役としては努めて来た。
しかし、今はそんな教えを守っている場合ではないだろう。
「ごめんなさいね。私ったら、何という事をしようとしていたのかしら。いけないわよね、こんなの。気軽に男性に身体を預けようとしてしまうなんて……。恥ずかしいわ!」
羞恥に染まった顔を両手で覆い、肩を竦めて首を左右に振る紗月姫を、神藤はいささか呆然と見つめる。
口出しも出来ずにいる彼の両腕を掴み、紗月姫は当てにならない未来を口にした。
「神藤、私、お父様にお話しするわ! 私が好きなのは神藤ですって! 真剣にお願いをするなら、お父様だって解って下さると思うの!」
「……あの、お嬢様……」
神藤は言いたい。
(それは甘い考えです)
しかし、目の前の紗月姫は、見えない未来に希望を託し、キラキラとした目を彼に向けてくる。
「待っていて、私、勇気を出してお父様に言うから! そして二人で手を取り合えるまで頑張りましょうね!」
紗月姫は神藤から手を離すと、スクッと立ち上がった。
「そうよ、堂々と二人で愛し合える日を獲得するまで、戦いましょうね!」
「……はぁ……」
更に呆然とする神藤と、貞操観念と正義感をフル発動させた紗月姫。
かくして…………。
二人が結ばれるべき記念日は……。
お流れに終わってしまったのだ。
*****
「煌……。煌っ、どうしたのっ?」
不安げな声に導かれ、煌が浅い眠りから目を覚ました時、そこには心配げに眉を下げた紗月姫がいた。
「どうしたの? 何か嫌な夢でも見たの? ちょっとうなされていたわ……」
煌の胸に寄りかかって、抱かれた後の気だるい身体を休めていた紗月姫は、ふと目を覚ました時、煌が苦しそうな表情をしているのを見て心配になり、声をかけたのだ。
「ちょっとね……。おかしな夢を見てしまって……」
彼を覗き込む紗月姫の頭を撫で、煌は現実を確認する。ここが紗月姫の部屋であり、ベッドで愛し合った後に身を寄せ合い、眠っていた事。
そして、二人の結婚式まで、あと二週間である事……。
「紗月姫に拒まれる夢を見てしまったよ」
「私が? 拒む?」
「ああ。『結婚もしていないのに、こんな事をしてはいけないわ』 って……」
「……お母様がお若い頃ならそう言ったでしょうね……。ある意味、正論だわ」
一瞬納得しかかる紗月姫だが、すぐに小さく噴き出し、煌の胸に抱き付いた。
「でも、私達はもうすぐ結婚するのよ? だから、いいのっ。煌ったら、おかしな夢を見るのね」
まったくだと心の中で呟きながら紗月姫の素肌に腕を回し、煌は自嘲した。
「もしかして、煌は緊張してそんな夢を見たのではないの? 結婚式まであと二週間ね。楽しみだわ」
「そうだね」
(緊張しているのか? 私がか?)
神藤は自分の精神状態に不安を覚えるが、一生一度の結婚式が目の前なのだ、男性だって緊張したっておかしくは無い。
しかし何故、事もあろうに初めて二人が結ばれた藤棚を夢に見てしまったのだろう。
あの思い出は、紗月姫にとっても神藤にとっても、とても大切なものではないか。
まさか、同じくらい大切な日に、愛し合う事を拒否される予知夢では……。
「ねぇ、紗月姫? まさかと思うけど、君、『初夜はお預け』 とか言わないよね?」
その言葉を聞いた途端、紗月姫は勢い良く身を起こし、煌の胸をバシンッと叩いた。
「馬鹿言わないで! 楽しみにしてるのにっ!」
結局は、煌が緊張の為にそんな夢を見てしまったのだという事に、話は片付く。
すでに肌を重ねている関係であっても、“初夜”は楽しみらしい。
結婚式まで、あと二週間……。
『初めて結ばれた日の悪夢』
―― E N D ――
こんにちは。玉紀 直です。
番外編≪初めて結ばれた日の悪夢≫ お読み頂き有難うございます。
なんじゃこりゃ。(笑) ですよね。(^_^;)
実は今、紗月姫ちゃんのお母様サイドである作品、『椿姫純恋華』 で“初夜”を題材に番外編を掲載中なのです。
で、紗月姫ちゃんと違って(?)椿さんは古式床しい女性としての貞操と慎みを重んじて来た方でして……。それで、少々苦労のある初夜になっている訳ですが……。
“もしも、紗月姫ちゃんにその性格がまるまる遺伝していたら”……どうなっていただろう……。
と、ツイッターで話題になりまして……。(笑)
SSでいいから『迷宮~』 の番外編モノが読みたいとリクエストも頂いていましたので、これをネタに一本書かせて頂きました。
いや、こちらは初夜の話じゃなくてスミマセン。(笑)
紗月姫ちゃんも煌さんも楽しみにしているようなので、ちゃんと考えますね。
(と言いつつ、また違う番外編だったりして……)
突発的な番外編でしたが、お読み頂き、有難うございました!!
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