「紗月姫様、神藤さんはお迎えにいらっしゃるの?」
生徒会室で、校内華道展の作品チェックをしていた紗月姫に、同級生で同じ生徒会の役員を務める、岬守ありすが声を掛けた。
ついさっきまでこの生徒会室の中にも、役員や担当教諭などが沢山いて賑わっていたのだが、徐々に居なくなり、今居るのは最終チェックに残っている会長の紗月姫と、活動補佐のありすだけだ。
「ええ。もうそろそろ来ると思うわよ」
バインダーを手に作品チェックをしていた紗月姫は、ペンを口元にあて視線を上に上げてちょっと考えてから、クルリとスカートがはしたなく翻ってしまいそうな勢いでありすを見た。
「あらぁ? もしかしてありす様は、神藤が目当てで残っていらっしゃるの?」
ちょっとからかう口調の紗月姫に、ありすは悪びれるどころか誤魔化す事もなく、素直に答える。
「ええ。そうよ。神藤さんがいらっしゃるかと思って、しつこく残っているの」
おどけた口調でニコッと笑う。
彼女は気さくで嫌味のない性格だ。
学園一の権力を持ち、崇高なイメージで近寄りがたいとされる紗月姫にでも、気軽に接する事が出来る性格で人懐っこい。
ありすは同じ三年生。家は全国展開をするファミリーレストランのオーナーだ。
よく「控え室」で神藤と話をしている松永は、ありすの運転手なのだ。
「まぁ、ありす様のような可愛らしい方に待って頂けるなんて、神藤も幸せ者だこと」
紗月姫が楽しそうに口元に手を当てて笑うと、ありすが両手を顔の前で大袈裟に振る。
「とんでもない! 私なんてっ! 神藤さんはいつも紗月姫様と一緒にいらっしゃる方ですもの。女性を見る目は肥えているでしょうし。・・・私も紗月姫様くらい綺麗なら、神藤さんに告白する勇気も出ましたのに」
紗月姫は笑顔のまま、再び壁側に並べられた花達に目を向ける。
花の魅力を最大に引き出し飾られたそれらは、校内華道展に出展される。明日、会場となる教室に運ばれる予定だ。
生徒の作品といえど、華道の心得が有る良家の子女が多い。実に見事な作品ばかりだ。
会長として、紗月姫も一点用意しているが、それは会場内ではなく、会場の出入り口に展示される予定だ。
「神藤さんに憧れている女の子は沢山居ますものね。無理はないわ。本当に素敵な方ですもの。紗月姫様とお似合いで。羨ましいわ」
「褒めて頂けた事、本人に伝えておくわ。でも、自分のお世話役が褒められるのは私も嬉しい」
「紗月姫様をエスコートする姿なんて、まるで王子様のよう・・・。いいえ、紗月姫様を守っていらっしゃるんだもの、騎士のようです」
ありすは普段見かける紗月姫に従う神藤の姿を思い出し、うっとりと息を吐く。
年上の男性に憧れる少女の気持ちが・・・。
憧れが「恋」に変わっていきそうな、危うい紙一重の心が・・・。
───紗月姫の心の中へ・・・流れ込んでくる・・・。
「・・・!」
ズキンっと胸が痛み、「何か」の思いで心が満たされた瞬間!
「きゃっ!!」
ありすが小さな悲鳴を上げて、後ろへ飛び退いた!
ありすの傍にあった飾り台に乗せられていた花瓶がいきなり落下して、彼女の足元で大きな音を立てて割れたのだ!
「・・・驚いた・・・何かしら?」
「大丈夫? ありす様」
飛び退かず立っていたら、足元がガラスの破片だらけになって、飛び散った破片で怪我をしていたかもしれない。
生徒会室の床は絨毯が敷かれている。
そこへ花瓶が落下してもこんなに粉々になるはずもないのだが、花瓶が落ちて来た事に驚いて、ありすはそこまで考えられなかった。
「大変。清掃部に連絡をするわね」
怪我をするような危険な物に触れる事は禁じられている。
ありすが内線電話で清掃部を呼び出そうとした時、紗月姫が声を掛けた。
「いいのよ。ありす様は、そろそろお迎えの車のお時間でしょう? あとは私がやっておくから」
「でも・・・」
「いいのよ。電話をするだけだもの。それより早く帰りのご用意をされたほうがいいわ。運転手の方を待たせてしまうわよ」
他家の運転手の心配までしてくれるなんて。本当に優しいな。そんな事を思いながら、ありすは鞄を取り、紗月姫の方を向いてニコッと笑った。
「では、お先に失礼しますわ紗月姫様。神藤さんに、よろしくお伝え下さいね」
「ええ、解かったわ」
紗月姫もニコリと微笑み返す。
しかし心は・・・悲鳴を上げそうになっていた。
・・・嫌よ・・・。
神藤に・・・他の女の子の気持を伝えるなんて・・・。
一人きりになった生徒会室の中。立ち竦む紗月姫は、割れて粉々になった花瓶に目をやった。
ありすの淡い恋心のような物が流れ込んできた途端、紗月姫の心の中に、激しい大波が立った!
やめて・・・。
神藤を、そんな目で見ないで・・・。
苦しくて切ない・・・そして、憎しみにも似た想い。
───嫉妬の感情。
「・・・・・」
胸が痛い。
苦しくて、切なくて、堪らない。
紗月姫はバインダーを会長専用の自分のデスクに置くと、肩を竦め両手で胸を押さえた。
「・・・神藤・・・」
名前を呟く。
心臓の鼓動が、一オクターブ上がるのが解かる。
いつからだろう・・・。
こんな感情が自分の中で渦巻くようになってしまったのは。
嫉妬という。
苦しくて、せつなくて。・・・恥ずかしいような感情。
神藤は自分のものだと言う自信があるのに。他の誰かが彼を見ているのを感じると、自分でも押さえきれないくらいの醜い感情が顔を出す。
それが、「嫉妬」。
子供の頃は、そんな感情、無かったのに。
ただひたすら、一緒に居る事だけを幸せだと思っていたあの頃。
今はどうだろう?
一緒に居る事だけ・・・?
いや。紗月姫はいつの間にか、それ以上を求めるようになっていた。
彼に、「触れて」欲しい・・・と。
肩に。手に。髪に。
彼を感じたいと思うようになってしまった。
彼に触れられれば触れられたで、胸が苦しくなり、体中が高揚する、おかしな感情に見舞われるというのに。
「私・・・我侭だ・・・」
紗月姫は、そう呟き・・・。
自嘲する。
「神藤・・・」
私は・・・。
あなたを、ずっと・・・・・。
紗月姫が思いに耽っていると、ドアにノックの音がした。
時間的に神藤が来たのだろう。そう思った紗月姫は、ドアが開くのを待ちわびながら「どうぞ」と声を掛けた。
ドアが開いた奥には、待ちわびた人が居る。
そう思っていた紗月姫の思惑は、数秒後に打ち破られる。
「失礼します」
そう言って入ってきたのは・・・。
「栗原さん?」
成澤咲月のお付き。栗原だったのだ。
栗原は一礼すると、後ろ手にドアを閉めた。
「良かった、辻川様。まだいらっしゃいましたか」
屈託の無い笑顔でそう言いながら、彼は紗月姫に分からないように後ろ手でドアの鍵を閉める。
「実は、お礼が言いたくて」
「お礼? 私に?」
「はい。私などに、パーティーの招待のお声を掛けて頂けて、とても嬉しかったので・・・。本当に、有難うございます」
栗原は、その場で頭を下げる。
紗月姫はそんな謙虚な態度の彼を見て、フッと優しい笑顔を浮かべた。
「いいえ。いいのよ。だって、私を気に掛けて下さったのは確かですもの。嬉しかったわ」
栗原は頭を上げると、紗月姫の傍へ歩み寄った。
「有難うございます、紗月姫様。本当に嬉しいです。・・・私は、貴女を初めてお見かけした時から、恋焦がれておりましたから」
「え・・・?」
突然の恋の告白のような言葉に、紗月姫が小首を傾げていると、栗原は紗月姫の両手を取り、自分の胸でキュッと握った。
「愛しい貴女に、是非お礼がしたい。・・・私の気持ちを、解かって頂きたいのです・・・」
「栗原さん?」
何となく雰囲気がおかしい。
紗月姫が手を振りほどこうとした瞬間、栗原は紗月姫を抱き締めた!
「・・・くっ・・栗原、さ・・・」
「紗月姫様・・・」
栗原は驚いて立ち竦む紗月姫を抱き締め、その耳元に熱い息を吐きながら囁いた。
「お礼をさせて下さい・・・」
「・・・お・・れい・・・?」
驚きで上手く声が出ない紗月姫を胸に、栗原はにやりと笑う。
「貴女を・・・悦ばせてあげますよ・・・・・」
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