「覚えておいて下さい。神藤さん」
能力の暴走によって大切な人達を傷つけていたのかもしれない。という事実に愕然とした表情を見せる紗月姫の横顔を、胸が詰まる思いで見詰めていた神藤に、学は声を掛けた。
「君はもう、紗月姫ちゃんのお世話役ではない。彼女の命令で彼女の行動の手伝いをすれば良いだけの、単なる〝お付き〟の一人だ」
神藤は学へ向き直り背筋を伸ばす。そして、静かな声で返事をした。
「……承知致しております」
「今までとは違う。二十四時間彼女の傍に居て良い人間ではなくなる。その事を、胸に留めておいてくれ」
「……はい」
静かに頭を下げ、一歩後ろへ下がる。紗月姫の背後で踵を返し、彼は最初に立っていたドア側へ戻り始めた。
総司の宣告。学の忠告。しかしそれ以上に、神藤は今、心が潰れてしまいそうなほどの現実に直面している。
――尊実は、私の暴走を止める事が出来るの……。
そう言った紗月姫を思い出し。それを目の当たりにしたのだ。
神藤とて、赤ん坊の頃から紗月姫を守り、その能力を抑えさせてきた。
何の特殊能力も持たない普通の人間でありながらも、紗月姫のその特殊能力とうまく付き合ってきたのだ。
それでも……。
能力の暴走で傷ついた彼女を慰め、守る事は出来ても、能力自体を止めてやる事は不可能。
幼い頃から比べても、紗月姫の能力は彼女と共に成長を続けている。
幾度不安になっただろう。
このままでは、紗月姫は自分の能力の大きさの前に倒れてしまうのではないかと……。
そして現れたのは、紗月姫よりも強靭な能力を持つ少年。
彼はその能力で、紗月姫の暴走を止める事が出来るのだ。
もしかしたら、大きくなり続ける彼女の能力を抑え込む事さえ可能なのかもしれない。
尊実が紗月姫の目の前に現れたのは運命なのかもしれない。
紗月姫を救う為に、彼は彼女の前に現れたのかもしれない。
尊実は紗月姫を守れる。
守る為に、彼女の前に現れたのなら……。
これは、運命だ――。
神藤の胸の中に、敗北感にも似た思いが去来する。
能力が大きくなりすぎた彼女を、これ以上、彼が守っていく事は出来ない。運命がそう判断を下したとして。
それと入れ替えるように、運命が「彼女を守れる者」 として尊実を投入した。
ならば、これは必然。
尊実が紗月姫の前に現れたのも。
神藤がお世話役を降ろされた事も。
全ては、辻川紗月姫、という少女の為に廻された、運命なのだ。
ならば、紗月姫が尊実を選ぼうとしている事は、運命に従った最高の選択ではないか。
それによって、紗月姫が守られるのなら。
紗月姫が、能力の暴走で苦しむ事が無くなるのなら。
神藤は元の立ち位置に戻ると、顔を上げ、今正に紗月姫の運命を決定付ける話し合いが行われようとしている場所へ目を向けた。
十八年間、お世話役を務めた神藤を解任するという、少々気持ちに重い物が残る仕事を先にしてしまったせいか、その場は静かで誰も口を開いてはいなかった。
萌が飲み物を配り終え、一礼してその場を下がり始める。その間も、神藤の目は紗月姫を見詰めたままだった。
誰とも目を合わせる事無く、顔を伏せ気味にして、ただ目の前に置かれたティーカップだけを眺めているようにも見える。
これから運命の決断をするのだ。緊張しているのだろう。膝で手を握り合わせ、悲しげな目元が、時折迷うように視線を移動させていた。
神藤は紗月姫を見ているだけで、胸が締め付けられるように痛くなる。
こんなにも愛しくて堪らないのに。
けれど彼にはもう、傍に居る事を許されてはいないのだ。
「紗月姫」
沈黙の中で口を開いたのは、やはり総司だった。彼は紗月姫の様子を伺うように声を掛けると、顔を上げた娘をジッと見詰め、決断を迫る。
「……お前の考えを、聞かせてくれるか?」
紗月姫は一呼吸置き、そしてこくりと頷いた。
「はい。お父様」
総司から目を逸らし、正面の尊実を、そして斜め横の学を、交互に見る。そして最後に尊実へ目を留めた。
「私は、海堂尊実様を、婚約者に選びます」
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