「お誕生日パーティー?」
成澤咲月は、綺麗な白い封筒を手に、今それを渡してきた紗月姫を見た。
「ええ。十八歳にもなるのに『お誕生日パーティー』というのもどうかと思うのだけれども・・・。毎年恒例になっているから、お父様はやるつもりらしいのよ」
昨夜、父の総司に、今年も紗月姫の誕生日パーティーをすると聞かされ、学校の友人知人など招待したい人に配りなさい、と招待状を数枚渡された。
世話になっている教師などに手渡しをした後、生徒会のメンバーや知人に渡して回っていたのだ。
そんな事は神藤や他のお付きにやらせても良さそうな事だが、お付きの人間に渡されるのと本人に渡されるのとでは、やはり招待されるほうも気分が違う。
どうせお祝いの席に出席してもらうなら、少しでも気持ちよく出席して欲しい。
紗月姫の、そんな小さな心遣いだった。
もちろん、渡して歩く間はずっと神藤が一緒に付いている。
「楽しみだわ。昨年もご招待頂いたけれど、とても素敵なパーティーでしたものね?」
咲月は受け取った招待状を胸に抱いて、横に立っているお付きの栗原を見上げた。
「凄いのよ。政財界から企業関係者まで勢揃い。流石に辻川財閥主催のパーティーだけあるわ。一緒に行ったウチのパパなんて、名刺を配って歩くのに大忙しだったんですもの。でも、そんなメンツの中でも、辻川様の存在感たるや素晴らしいものよ。主役である事を忘れさせない美しさよ」
「でしょうね。想像ができます。辻川様は普段でもお美しくていらっしゃいますから、パーティーなどで着飾られたお姿は本当に如何ほどまでに美しいかと・・・」
栗原が微笑みながら紗月姫を褒め称える。
主人が褒められているのだ。
お世話役として本当なら悪い気はしないはずなのに、あまり顔には出さないものの、神藤は内心少々ムッとした。
するとそんな神藤の内心を知ってか知らずか、紗月姫がまた無防備な台詞を吐く。
「よろしければ、栗原さんも是非、成澤様のエスコートでご一緒くださいな」
「え? 宜しいのですか?」
「ええ。もちろんですわ。栗原さんには先日、本の事で気遣って頂きましたし、私のお付きを怠った神藤に、注意をして頂きましたもの」
紗月姫はちょっと悪戯っぽく、横に立つ神藤を上目遣いに見上げる。
神藤は特に言い訳もせずにニコリと笑って、そのままの笑顔を咲月へ向けた。
「当日、成澤様のお美しい姿を拝見出来ます事、楽しみにしております」
「まぁ! 神藤さん、お上手ね!」
気の利いた台詞を口にしながら浅く頭を下げる神藤に、咲月は満足そうな笑い声を上げる。
しかし、あまり満足げではないのが、紗月姫だった・・・。
「神藤は、意外に手が早いわよね」
五階に直通する学園内エレベーターのドアが開く。
神藤が軽くドアを押さえながら先に乗り込み、紗月姫の手を取りながら中へ促す。
それからドアが閉まった。
「また、そのような事を・・・」
直通五階のボタンを押すと、静かな機械音と共にエレベーター独特の上昇感が体を襲う。
神藤はちょっと困った顔をして、紗月姫を見る。紗月姫は腕を組んで壁に寄りかかり、神藤から目を逸らして当ても無くエレベーターの継ぎ目に視線を這わせていた。
「成澤様、喜んでらしたわよ、神藤に褒めてもらえて。あの方、ちょっと神藤の事を気に入っているみたいだもの・・・。ご贔屓が増えて良かったわね・・・」
「お嬢様・・・」
「屋敷のメイドにも、会社の方にも、神藤を気に入っている女性は多いものね」
嫌味っぽい口調に、神藤はちょっと苦笑いを漏らす。
おそらく、紗月姫の前で咲月を褒めた事が気に入らないのだろう。
それは解かっていたが、神藤は一つだけ紗月姫に意地悪をした。
「お嬢様も、栗原君に褒められて嬉しかったのではありませんか?」
エレベーターが五階へ着く。しかし、ドアが開かない。
神藤が不思議そうに「開」ボタンを押すが、ピクリともしないのだ。
「お嬢様?」
まさかと思い紗月姫を見ると・・・・・。
紗月姫が、左手の平を下に向け、ジッとエレベーターのドアを見ている。
ドアを開かなくしているのは、紗月姫だった。
「どうして開けて下さらないのです?」
「嬉しくなんかないわ・・・」
「お嬢様?」
「・・・他の男性に褒められたって、嬉しくなんてない・・・」
小声でそう言いながら、紗月姫は神藤を見上げた。
「神藤・・・。お前は、・・・私を抱きたいと思った事はある?」
「───!」
嫌な事を思い出すかのように、紗月姫の瞳が潤み始めた。
その瞳で、紗月姫は神藤を見詰める。
「人間が異性を求めるのは、人として普通の感情だわ。・・・けれど、私は幼い頃から、そういった感情を沢山『見て』きた。たとえ、その人の心を覗いてはいなくても、誰かに称賛を貰うたびに、この人も心の中では面白がって私を犯しているのだろうか。・・・そんな事を、考えてしまう・・・」
一年一年。清らかに美しく成長する彼女。
知らなくても良い、人間の内面を読み取り。
感じなくても良い、男の下劣な欲望を感じ取り。
それでも、笑って全てを受け入れなくてはならない。
それがどんなに辛いか・・・・・。
こんな能力無くなってしまえと、何度自分の能力を忌み嫌い、そんな物を持った自分を蔑んだか。
「誰かに褒められたって、信じる事なんて出来ない。・・・その言葉の裏には、きっと何か澱んだものが隠れているもの」
話しているうちに、紗月姫の目には涙が浮かんでくる。
どうして神藤に、こんな胸のうちを話してしまったのか・・・。
ただ、悲しかったのだ。
誰かに褒められた事を、自分が喜んでいる。そう神藤に思われるのが寂しかったのだ。
私が本当に嬉しいのは・・・。
神藤に褒められた時だけなのに・・・。
「・・・お嬢様」
神藤は紗月姫の前に片膝をつくと、左手をそっと両手で包み込み自分の胸に当てた。
「私の心を、読んでください・・・」
「・・・神藤?」
「そして、私の心の中に、少しでも貴女に対する澱んだ気持ちがあったなら・・・」
「・・・あったら?」
「私を、貴女の傍から、消して下さい」
「・・・・・」
紗月姫は言葉を失う。
そんな事は、何があっても紗月姫には考えられない事だ。
「私は、お嬢様のお世話役です。幼い頃から貴女を見ている私は、決して貴女にそういう感情を抱いてはいけない人間です。決して・・・───貴女を、汚してはいけない人間です・・・」
神藤の言葉が紗月姫の心に重く圧し掛かる。
解かりきった事なのに、それを彼の口から聞くと、とても悲しくなってくる。
「私が貴女を称える気持ちに、一切の嘘偽りはありません。けれど、私の言葉にも不安を感じるのならば、いつでも私の心の内を覗いて下さい。・・・そして、その中に、貴女を傷付ける要素を見つけたのなら・・・」
「もうやめて・・・」
紗月姫は神藤の言葉を遮る。
そして自分も両膝立ちになると、神藤の胸の中へ入り込んだ。
「・・・神藤の心の中は、いつも温かいよ・・・。いつでも私を、包み込んでくれるもの・・・」
「お嬢様・・・」
「変な事を言ってしまって、悪かったわ・・・。ごめんなさい。・・・神藤が、そんな事、私に思うはずなんて無いのに・・・。私、神藤以外の男の人に褒められたって嬉しくなんてないのよ・・・。なのに、嬉しいだろうって言われて、哀しくてムキになった・・・」
神藤は黙って紗月姫の髪を撫でた。
紗月姫がこんなにも素直になる事は滅多にない。それだけ自分の何気ない一言は紗月姫を傷付けてしまったのかと思うと、神藤は胸が痛かった。
「神藤は、誰よりも私の事を一番解ってくれているもの。・・・最高のお世話役よ」
「有難うございます。お嬢様」
やっと少し笑った紗月姫を感じて、神藤はホッとする。
───澱んだ気持ちを一切持ってはいない・・・。
そう口にした自分を、最大級の嘘つきだと、心の中で蔑みながら。
「神藤さん!」
放課後、生徒会室へ行っているはずの紗月姫を迎えに行こうと、辻川のプライベートルームを出て階段に向かって歩いていた神藤を、まるで部屋から出てくるのを待っていたかのような咲月が、成澤のプライベートルームから飛び出してきて呼び止めた。
栗原の姿は無い。どうやら咲月一人のようだ。
「成澤様。何か?」
咲月は媚びる様な顔で神藤に近付くと、彼のスーツの襟にそっと触れ、少し甘ったるい声を出した。
「・・・実は・・・、辻川様にはナイショにして欲しいのだけれど、私、今朝頂いたお誕生日パーティーの招待状を失くしてしまったらしいの」
「招待状を、ですか?」
「ええ。どうしたら良いかしら・・・。相談に乗って頂けます?」
「それでしたら、控えの分をお渡しいたします。車の方に置いてありますので、取ってまいりましょう」
「嬉しいわ! 有難う! どうしようかと思っていたのよ!!」
咲月はパッと笑顔になると、艶っぽい目で下から神藤を覗き込んだ。
「じゃぁ、私、自分のプライベートルームでお待ちしておりますわ。必ずいらしてね。でも、辻川様にはナイショよ。待っていますから」
「すぐに、お届けします」
そして、神藤が向かうはずだった生徒会室へは、「違う人間」が向かう。
その事を、彼は知らない・・・・・。
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