「お待ち申し上げておりました。お久しぶりでございます。学様」
代々、辻川家の執事を務める水野が、出迎えに出たドアの所で、それはそれは丁寧なお辞儀をする。
「ごきげんよう。水野さん」
世の中の女性全てを虜にしてしまいそうな笑みを湛え、気さくに挨拶を返す青年。葉山学。二十四歳。
彼は、紗月姫のただ一人の従兄だ。
「出迎えなんてしなくても良かったのよっ。水野っっ」
学を通り越して、さっさと中へ入ってしまった紗月姫は、クルリと振り返り腰に両手を当てて、頬を染めたまま学を睨み付ける。
「いきなりあんな乱暴な登場の仕方をしてっっ。暴漢かと思って驚いたのよっ」
「おや? 襲われる、とでも思った?」
「おっ・・・、思います! 当たり前でしょう?」
怒りながらも頬を染め、抗議に出てくる紗月姫の真正面に顔を突きつけると、学は紗月姫の額を人差し指でクイッと押した。
「こーんな事くらいで赤くなっているような『お子ちゃま』 なんて、襲いませーん」
それを言われて更にムッとする紗月姫だが、それ以上にムカムカしているのは神藤だ。
何といっても、大切な「主人」をからかうフトドキ極まりない輩を、彼が許しておくはずがないのだ。
しかしそこのところは、流石に二十四年間もこの二人に係わっていると、学だって分かってくる。
紗月姫の斜め後ろに立つ神藤が飛び掛ってこないうちに、学は身を起こしひとつコホンと咳払いをして、紗月姫の頭をぽんぽんっと撫でた。
「冗談だよ」
そして神藤に視線を移し、ニヤリと笑う。
「こんなに綺麗になった従妹。神藤さんさえ居なかったら、手出しのひとつもしたいけどね」
神藤の眉が更に不快そうにピクッと動くが、学はそのあと「絶対に紗月姫ちゃんには手出しはしません」と言っているような決定打を出した。
「それと、俺に婚約者がいなければ・・・。だけどな」
葉山学は、葉山製薬を筆頭企業に持つ「葉山グループ」の御曹司。いわば跡取りだ。
大学を卒業後、彼は葉山製薬の専務の椅子に納まり、社長である父の右腕となって働いている。
父親が紗月姫の母と兄妹であり、更に紗月姫の父には兄弟がいない。
学も一人っ子であるため、学は紗月姫にとって唯一の従兄なのだ。
「どうして今日は、お一人なの?」
今更学を「客間に・・・」というのもあまりにもよそよそしい。
彼をリビングに通し、ソファに向かい合わせになって座った紗月姫は、不思議そうな顔で学に訊いた。
「美春さんは? とうとう愛想を尽かされたのかしら?」
学はちょっと苦笑して、自分の前にコーヒーを置いてくれている神藤を見上げた。
「聞いたかい? 神藤さん。君がお育てしたお嬢様は、そういう嫌味を言うんだよ」
神藤は何も言わず、ただクスッと笑う。
学は「やれやれ」とばかりに息を吐くと、話を戻した。
「何だか、総司叔父さんが俺に用があるらしくてね。紗月姫ちゃんの可愛い顔を見たら、その後に総司叔父さんの話に付き合わなきゃならない。だから一人で来たんだよ。・・・まぁ、もちろん、帰ったら美春とは心身ともに一日中くっついているつもりだから、午前中くらい離れていても何て事はないさ」
「それは仲がよろしくて良いですこと」
学が婚約者である美春ととても仲が良いのは昔から知っている。どんなにノロケを聞いても「今更」という気もする。
しかし、そんな話を聞いていると、つい羨ましくなってしまう事も
あるのだ。
自分たちの心のままに、ただ純粋に愛し合っていられる。という、事が・・・・・。
「でも、美春さんにもお会いしたかったわ。この次は是非、ご一緒してね」
「ああ。美春も紗月姫ちゃんに会いたがっていたよ。近く一緒に来るよ」
「楽しみにしているわ」
紗月姫は本心から嬉しくて、自然と口元から笑みがこぼれた。
学の婚約者である光野美春と紗月姫は仲が良い。
美春は二十三歳。学とは幼馴染で、早生まれの為、学年なども同じだった。美しく頭の良い女性で、知り合ったばかりの頃から紗月姫は美春を姉のように慕っていた。
今は会社で学の秘書を務めている。
「でも、お父様が学さんにお話だなんて・・・。何かしら?」
神藤が紗月姫の前に紅茶のティーカップを置く。紗月姫はその綺麗な透赤色をジッと見詰めた。
「なんだか、相談がある、って言われたよ。・・・紗月姫ちゃんの誕生日パーティーの件だ、って」
「誕生日パーティー?・・・ああ・・・」
どこと無く気の無い返事を返してしまってから、ティーカップを手に取る。
来月、五月二日は、紗月姫の十八歳の誕生日なのだ。
誕生日パーティーは紗月姫の友人知人を呼ぶというより、辻川の仕事関係の人間を招待するほうが多い。
辻川家の大広間で行われるそれは、毎年の恒例行事だ。
仕事絡みで出席をする者、紗月姫を見たくてやって来る者。様々だ。
その中で、紗月姫や若い面々が退屈をしないように、と余興なども取り入れられる。
お父様は、どちらかといえば何でも独断でお決めになってしまう事のほうが多いわ。
余興の事だとしても、前もって学さんに相談だなんて・・・。
お珍しいこと・・・。
何か大きな事でもやるのかしら?
紗月姫はちょっと気にかけながら、紅茶に口をつける。
芳醇な香りと、口の中にふんわりと残る甘さ。
その紅茶葉が持つ特性の全てを引き出し、そこに加えられる、紅茶としての風味を決して損なわせない甘み。
完璧なまでに紗月姫好みに淹れられるそれは、もちろん神藤が淹れたものだ。
訪問先である以外、家や学校でよほどの事がない限り、紗月姫は神藤以外が淹れた紅茶は飲まない。
紗月姫は、ソファの横に置かれたワゴンの前で、ティーサーバーなどを片付けている神藤に目を向ける。
すると彼も、紗月姫の視線を感じたらしく、顔を上げた。
二人の目が合うと、紗月姫はにこりと微笑んだ。
「美味しいわ。やっぱり、神藤が淹れた物が一番ね」
「有難うございます。お嬢様のお褒めのお言葉が、私には一番嬉しいです」
神藤も嬉しそうに、優しい微笑を紗月姫に向ける。
紗月姫はしばらく、神藤のその表情を薄っすらと頬を染めながら眺めると、嬉しそうに目の前の紅茶へと視線を戻した。
そんな可愛らしい反応をする紗月姫を、愛しげに見届けて、神藤も目を逸らす。
一見、幸せそうな光景。
しかし、そうであってはいけない、光景。
二人の間に、あってはいけない感情を漂わせるその光景を、学は黙って見詰めていた。
何かを、口に出しそうになりながら・・・。
辻川財閥、当主。辻川総司。
先代の急な事故死の為、二十歳の時にこの辻川財閥の跡を継いだ。
一人息子だった為に、幼い頃より父について仕事を見てきた彼は、十代の頃より内部にも精通し、父と共に辻川を動かしてきた。
目で人を殺しながら仕事をする。
その鋭い眼光が故に、そう言われるほど周囲から恐れられていた彼は、二十二歳の時、妻の椿に出会う。椿は学の父親の妹。まだ、十七歳だった。
一目ぼれをしたのは彼。プロポーズをするが、美しいが気の強さでも有名な「葉山の椿姫」はそれを拒み続ける。
一悶着の末にようやく結婚をするが、しばらくの間子供には恵まれず・・・。数年後、ようやく紗月姫が産まれた。
椿の体内に胎児として宿っている頃から、紗月姫は両親の頭の中へ話しかけていた。
普通なら、とてもではないが気持ちが悪くて堪らないだろう。
やっと宿った命。やっと授かった子供。
二人とも、そんな赤ん坊を忌み嫌うことは決してしなかった・・・。
紗月姫は辻川財閥の一人娘として、「辻川の宝刀」と呼ばれるに値するほどの逸脱した才能を発揮した。
今や信頼もあれば人脈もある。
父と対等に、ビジネスの話が出来るくらい。
しかし、それでも時折、総司は甥である学を呼んで話し相手にするのだ。
「葉山の神童」と呼ばれた学は、幼い頃から頭が良く、総司のお気に入りだ。
学が自分で婚約者を選ぶ。という事さえしなければ、絶対に紗月姫と結婚をさせて、辻川の跡取りに・・・。そうとまで考えていた事があるくらいなのだから。
そして今日も、「ある相談」で、彼を呼びつけたのだが・・・。
「本気でそんな事を考えているのですか?」
一時間ほど紗月姫の話し相手を務めた学は、総司に呼ばれ、客間へと移動した。
そしてそこで聞かされた話に、思わず眉をひそめずにはいられなくなったのだ。
「ああ。本気だよ。元々は、もっと早くに決めるつもりでいたからね」
総司は重苦しく息を吐き、テーブルの上のケースに並んだ細めの葉巻に手を伸ばす。自分で一本取った後、学にも勧めるが、学は笑って手のひらを小さく振り、遠慮のポーズをとった。
「相変わらず、変なところで生真面目だな」
総司はクスクスと楽しげに笑いながら、葉巻のケースを置く。学は冗談めかして遠慮の理由を述べた。
「葉巻の臭いなんてさせて帰ったら、ウチの怖い婚約者殿に『女のニオイを隠すために葉巻を吸った』と思われてしまいますからね」
「ほぅ、それは! 仲の良いことだ!」
総司は声を立てて笑う。
いくら紗月姫が頭の良い娘でも、こんな男同士の会話は絶対に出来ない。総司は学と話をする時間が、本当に好きだった。
実際のところ、学の婚約者は冗談でそんな事を口にするかもしれないが、決して本気で言うような女性ではない。
そんな楽しげな総司を見ながら、学は腕を組み、右手を顎の辺りに当てると、考え込みながらソファの背に深くもたれた。
「叔父さん・・・」
そして、眉をひそめ、視線だけで総司を見る。
「今の話。本当に本気なら、考えなければいけない事がひとつあります」
「何だい?」
学は体をソファから起こし、重い声で言った。
「お世話役の神藤さんを、紗月姫ちゃんから離さなければならないという事ですよ」
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