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第7章
第7章≪失望の天使≫・17


「あの子は化け物などではありません!」
 椿がこんな声を出すのは珍しい事だ。
 普段でも理知的で凛とした印象の彼女は、感情的になって怒鳴るなどの行為はあまりしない。
 しかし大切な一人娘を「化け物」 呼ばわりされたのだ。その事に我慢など出来るはずもなく、椿は能瀬を睨み付け声を荒げた。
 だがそんな椿を見ても、能瀬が謝罪や申し訳無さそうな顔をする訳ではない。
 椿の肩を抱く反対側の手に持った数枚の紙を、彼女の目の前で振って見せたのだ。
「お嬢様の、大体のテスト検査結果です。深く調べていけば、もっと色々な事が解かるとは思いますが。……これだけでも凄い事ですよ? 普通の子供に、人が考えている事が解かりますか? 植物や〝風〟の声が聞けますか? 手を振れずに物質を動かせますか? 自分の未来を見る事が出来ますか?」
「……未来?」
 能瀬の言葉の中で、椿はその部分にだけ反応を見せた。
 他の事は知っていても、紗月姫が未来を見られるというのは聞いた事がない。
「あの子は、未来が見られるの?」
 娘の事なのに知らなかったのか、とでも言いたげに嘲笑し、能瀬は椿が座る椅子の肘置きに腰を下ろした。
「自分の事のみ。それも断片的に、ですがね。見えているそうですよ? もしかしたらこの先、もっと見えるようになるかもしれない」

 特殊能力を持って生まれてしまった娘。
 紗月姫は、いったい自分のどんな未来を見てしまっているのだろう?
 それを思うと、椿は胸が痛む。
 紗月姫が見ているのは、普通の幸せな未来なのだろうか? ……それとも……。

「そんな人間の何処が『化け物』 ではない、と言うので?」
 不安に痛む椿の心は、その一言で現実に戻された。
「博士は、〝辻川財閥〟を脅すおつもりなのですか?」
 椿は改めて能瀬を睨み付ける。すると能瀬は、口元をニヤリと歪ませた。
「……とんでもない。〝辻川〟は日本でも大きな権力を持った財閥だ。ヘタに脅したりすれば、研究員ごとこの研究所は闇に葬られてしまう」
 椿の肩を抱いた腕を引き寄せ、能瀬は椿の身体を自分に押し付けた。
「離しなさい。博士のように権威のある方がされるべき振る舞いでは無いでしょう」
 椿は特に取り乱す事も無く、辻川財閥総帥の妻たる威厳を持って口に出すが、抵抗のない態度を逆手に取るかのごとく、能瀬のもう片方の腕が彼女の身体に回った。
「お離しなさい!」
「貴女の噂は昔から存じていますよ? それこそ私がまだ日本で異端の目を向けられながら超能力の研究をしていた頃から。世間に名高い〝葉山の椿姫〟……その美しさに憧れを持たない男は居ませんでしたからね」
「……博士……っ?!」
 総司がまだ到着していないのに研究室へと呼ばれた理由。そして自分にだけ取引のような話を持ちかけてきた理由。椿はここに来てやっとそれを悟った。

 能瀬を突き放そうと腕に力を入れる椿を自分の腕の中で押さえ込みながら、彼は更なる条件を付きつける。
「お嬢様が、この化け物じみた特殊能力で苦しまない未来をお約束しましょう。貴女から総帥に頼めば、お嬢様を一生この研究所へ繋ぎ止めておく事は可能だ。辻川財閥のバックアップがあれば、私の研究も一生安泰ですしね。お嬢様を本当の化け物にしない為でもあるのですよ? ……貴女とも、是非個人的なお付き合いをしていきたいものだ……」
 椿の身体に回った手の平が、衣服の上から彼女の身体を掴む。椿は全身が総毛立つ様に冷たくなり、能瀬を引き離そうとする腕に力をこめた。
「……離し、てっ……」
 能瀬は取引相手に〝辻川財閥〟ではなく、椿を選んだ。
 娘を思う母親の気持ちを利用したのだ。




「……お母様……」
 ベンチ椅子に尊実と並んで座り、楽しく話をしていた紗月姫がフッと真顔になって宙を見上げた。
「どうしたの?」
 尊実が不思議そうに紗月姫を見る。彼女は宙に上げた目で周囲をぐるりと見回し、眉を寄せた。
「……お母様が、苦しんでいらっしゃる……」
 呟きながら立ち上がり、ドアへ向かって駆け出した紗月姫に、尊実は背後から声をかけた。
「駄目だよ、紗月姫! そのドアに触ったら、電気ショックを受ける!」
「え?」
 尊実を振り返りながら紗月姫は立ち止まり、その視界に入った窓の鉄格子と、この重そうな防火扉のようなドアを交互に見た。

 この部屋は〝檻〟
 〝研究材料〟を逃がさない為の。
 だから尊実はここに居た。
 
 紗月姫はその頭脳で、瞬時に事の状況を悟る。
 今、自分がどうされようとしているのか。そして、母親に迫っている危険の意味も。

「そんな訳には……いかないわよ……」
 紗月姫はドアへと向き直り、キュッと眉を上げた。
「ここから出なくちゃ。お母様の所へ行けない」
 椿の危険を意識の感覚で察知した紗月姫。母の所へ駆けつける為にここから出たい。
 しかしそれと同時に、紗月姫にはここから出なければならない理由がある。

 ここを出なくちゃ、神藤に会えない!
 今夜はご本を読んでもらう約束なんだから!

 バチンッ! という何かが弾ける様な音がした。
 尊実が目を見張る! 紗月姫の周囲に、火花が散りだしたのだ!

 ふわっ……。 
 紗月姫の髪が、馬の手綱のように一度大きく波打った。
 その瞬間!

 電気が走る大きな音!
 火の粉が扉から噴出し、ドアは二つに裂けた!

 裂けたドアの間から、紗月姫は廊下へ飛び出す。椿の元へ行く為に。
「紗月姫?!」
 紗月姫の後ろ姿に向かって尊実は叫んだ。
 目の前で、信じられないような能力を見せた少女へ。




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