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第1章
第1章≪学園の天使≫・3
「お嬢様、お休みの時間は過ぎていますよ」

「いやっ」

 予想通りの返事に、神藤は諦め気味に息を吐く。
 実際、こういった状況下で紗月姫が素直に「はい、休みます」と言った事など、この約十八年間、一度も無い。
 おのずと、次に出てくる言葉も想像が出来る。
「だって。眠れないのだもの」

 予想通りだ。
 幼い頃から、何度この台詞を聞き、何度それを聞き入れてきたのだろう?
 そう思うと神藤は、紗月姫をここまで我侭に育ててしまったのは自分なのだろうか? とも思うが、紗月姫が満足で、不満などなく幸せならば、他はおろか自分の事さえも後回しにしてしまう彼だ。罪悪感のような物は一切ない。

 そのお陰で、今のように少々困ってしまうような事はあるのだが・・・。

「なぁに? 私の相手をする事以上に大切な事がある、って言うの?」
 ちょっと拗ねた顔で神藤を睨み付ける紗月姫は、ハッキリ言えばパジャマ姿。
 くるぶしまで静かに流れるAラインのシルク一枚が、無防備に紗月姫の肌を覆っているのみだ。

 おまけに、今ソファに座りソファの上にあったクッションを胸に抱える紗月姫が居る所は、自分の部屋ではなく神藤の部屋。
 男の部屋に足を運んだ上、素肌の上にまとわれた薄いパジャマの上には、ガウンどころかショールさえも掛けられてはいない。
 先程の言葉にしてみても、小さな少女が言えば「遊んで欲しいのかな?」と可愛らしいが、十八歳の一歩手前に居る年頃の少女がこんな姿で言うと、どうも違う意味に感じてしまう。
 言った相手が神藤でなければ、間違いが起きるところだ・・・。


「旦那様からお預かりした仕事が残っております。お嬢様をお休みさせたら手をつけようと思っていたのですが・・・」
 そういう神藤は、つい十五分前に紗月姫を彼女の部屋の寝室に入れ、電気を落としたばかり。
 部屋へ戻り、会社の方から任されている仕事に手をつけようかと、ジャケットやネクタイをソファの背に掛け、シャツのボタンを二つ緩めて袖を捲り上げた・・・、ところで、「警告ランプ」が点灯したのだ。

 神藤は紗月姫のお世話役であると同時に、ボディガードでもある。
 その為、いつでも紗月姫の傍にいられるようにと、紗月姫の部屋の隣に自分の部屋を持たされている。
 彼が紗月姫のお世話役として付いた十二年前から。ずっと。
 神藤が紗月姫から離れ自分の部屋などに居る時、就寝時などの紗月姫に異常があったらすぐに分かるよう、神藤のデスクの上には紗月姫の部屋のドアが開閉した時にそれを知らせる「警告ランプ」が取り付けられている。
 しかし、この約十八年間、不審者によってドアが開かれランプが点灯した事は一度もない。
 神藤が紗月姫の就寝時間と決めている夜の十時を過ぎてから、一度ベッドに入ったはずの紗月姫が抜け出し、隣の神藤の部屋まで来てしまう。・・・そんな時のみだ。


「ふぅん・・・」
 紗月姫はちょっと不満そうにその可愛らしい顔を歪めて、ソファの前にある神藤のデスクの上を見た。
 起動されたノートパソコンが二台。そして、山積みになったファイル類。
 それを見た途端、「ちょっと不満」そうだった紗月姫の顔が「大いに不満」に変わる。

 眉を寄せて、抱いていたクッションをグッと握った瞬間・・・・・!

「お嬢様?!」

 その「気配」をいち早く感じ取った神藤は、紗月姫の傍へ寄ろうとしたが、時すでに遅く、「ソレ」は起こってしまった。


 バタンッッ!!!バサバサバサッッ!!!

 いきなり閉じたパソコン! そして雪崩の様に崩れ落ちるファイルの山! 散乱する書類! 
 ───それらは、人の手が触れる事無く、「紗月姫の意思」で起こった。

「お嬢様!」
 明らかに紗月姫の仕業。
 それが分かる神藤は、紗月姫を叱るような声を出しながら彼女の傍へ寄った。しかし反対に、そのスッとした眉を吊り上げた紗月姫に、振り向きざま睨まれる。
「お父様に文句を言ってくるわ!」

 神藤の横をすり抜け、今雪崩のように下へ落ちたファイルへ手のひらを向け引っ張るように指を動かすと、厚いファイルは磁石に引き付けられる鉄くずのように紗月姫の手の中へ飛び込んだ!

「神藤に、あまり会社の仕事を押し付けないで、って言ってあるのに! 見るたびにその量は増えていくのだもの! 何を考えていらっしゃるやら!」
 ファイルを胸に抱いてドアへと歩き出した紗月姫の前に、神藤は慌てて立ちふさがった。
「おやめ下さいお嬢様。私の事を案じて下さるのは大変嬉しいのですが、お嬢様がそんな事をなされれば、私が旦那様に責めを受けます」
 冷静にそう言った神藤の顔を見た途端、吊り上った眉は下がり、怒りの表情はどこか拗ねた可愛らしい表情に変わった。

「だって・・・神藤は、『私の』お世話役なのよ! なのに、どうしてお父様や会社の仕事もしなければならないの?! そのせいで私の世話がおろそかになる事は正しい事では無いでしょう?! 神藤は・・・っ」
 自分が思う以上に興奮してしまっている事に気付いた紗月姫は、途中で言葉を弱め、ちょっと頬を染めて、神藤から視線を外し、その目を当てもなく彷徨わせた。
「・・・神藤は、私のものなのに・・・」


 幼い頃より紗月姫のお世話役として付き、辻川の家にも会社にも精通し、非常に頭が切れる彼を、紗月姫の父は辻川財閥統括本部の仕事に付かせたがって居る事を、紗月姫は薄々感じ取っている。
 しかし、そんな事を認める訳にはいかない。
 神藤を選んだのは自分。
 神藤は自分の物なのだ。
 紗月姫の心には、その想いがある。

 そして、自分の中で、何よりも大切なのだと・・・・・。

「有難うございます。お嬢様」
 神藤は冷静にそう言いながら、紗月姫が手にしているファイルを取り上げた。
 そしてそのファイルを床に置くと、ファイルを抱えていた紗月姫の両手を取り、片手で持ち上げながら手の甲を包み込むように撫でる。
「あんな物を無造作に抱えてはいけません。怪我をなさったらどうするのです」
「・・・神藤が・・・悪いのよ・・・」
 明らかに自分の我侭から出た行動。それは紗月姫自身も解かっている。
 しかしそれを、彼女は認めない。

 神藤は紗月姫の手を取ったまま、片膝を立てて、スッと彼女の前にひざまずいた。
「申し訳ありません・・・」

 紗月姫が我侭を言おうと、理不尽な事を言おうと。
 彼女は彼の「主人」。

 「絶対」の存在なのだ。

「貴女のお気を煩わせるような言動をしてしまいました。どうか、御許し下さい」
 掴んだままの紗月姫の両手をキュッと握り、紗月姫を見上げる。
 まるで子供をなだめる様な優しい目に、胸が詰まる感覚を受けつつ、紗月姫は神藤を見下ろす。
「・・・もぅ、いいわ・・・。私も、少しムキになったみたい・・・」

 神藤は紗月姫の言いつけしか利かない。
 しかし、それが紗月姫の父である辻川の当主となると話は別なのだ。
 「紗月姫を守れ」と彼に言い、紗月姫の意思によって、名も無く身元も分からない少年が、大切な娘の傍に居る事を許した人物。
 その当主に言われた事には、神藤も逆らう事が出来ない。

 だからこそ、父が神藤に会社の仕事を与えるのが嫌だった。
 「仕事」に神藤を取られてしまう。
 紗月姫は、そう思えてならない。
 このまま「仕事」に掛かり切りになり、自分は一人にされるのでは無いかと不安になってしまう。
 もちろん紗月姫には、神藤の他に、色々な面でサポートに入る「お付き」が、あと九名ほどいる。
 しかし、「お付き」は「お付き」であり、「お世話役」ではない。
 もし仮に神藤が、彼女のお世話役ではなくなっても、紗月姫は「次」を決める事など出来無いだろう。

 神藤はゆっくり立ち上がると、優しくニコッと笑った。
「眠れるまで、お話でもしますか? 本でも読みましょうか?」
 その優しい笑顔が、紗月姫は堪らなく嬉しい。
 この笑顔を向けてくれるのは自分にだけだという事を、紗月姫は知っているからだ。
 紗月姫も神藤を見上げたまま、嬉しそうに微笑んだ。
「本がいいわ。ギリシャ神話の長い奴」
「はい」
 神藤はクスッと笑い、壁側の本棚へ近付く。
 今日は旦那様の言いつけには従わせてもらえそうもないな。そう思い苦笑いが漏れた時、フッと、ある事を思い出した。

「そうそう、明日の午前中、お客様が来ますよ」
「お客様?何処の企業の?」
「・・・とても大きな企業の専務さんです。お嬢様に、会いに来られます」
 神藤が含み笑いをしているのが気になったが、紗月姫は父ではなく自分に会いに来るという話で、ちょっと眉をひそめた。

 「辻川の宝刀」と通り名を持つ紗月姫は、十二、三歳からすでに「辻川財閥の全てを束ねる才能を持っている」と称賛を受け続けてきた少女だ。
 もちろん、仕事目的で紗月姫に目通りをしたがる者は多い。
 しかしその中には、仕事以外の思惑で紗月姫に会いに来る者もいるのだ。
 それは年々、紗月姫が美しく成長していく中で増える一方だ。

「明日は土曜ですから、早い時間、十時頃にいらっしゃる予定です。覚えておいて下さい」
「分かったわ」
 本を選びながら、明日の予定を口に出す神藤の背中に返事を返す。
 嫌なものは感じるが、今は我侭で勝ち取ったこの至福の時間を堪能しよう。そう思い直し、紗月姫は神藤が振り向くのを大人しく待った。



 土曜日は学校が休みなのはもちろんだが、紗月姫が驚いたのは、いつもは土曜日でも仕事に出ている父が屋敷に居た事だ。
 父と母と紗月姫。珍しく三人揃っての朝食を終えた後、神藤が父に呼びつけられ、紗月姫には他のお付きが二人体制で付いた。
 ほんの数分でも、例えそれが屋敷の中でも、辻川の跡取りである紗月姫を一人にする事は、許されてはいない。
 しかしよくやるように、紗月姫は二人のお付きの目を盗んで、姿をくらませてしまったのだ。



「短い時間なら、他のお付きなんて付けなくてもいいのに」
 ちょっとぶつぶつ言いながら、紗月姫は中庭に入った。
 実際、辻川邸内のセキュリティはほぼ完璧だ。辻川邸の敷地内で、外部のものから危害を加えられる可能性は考えにくい。

「神藤以外に・・・私を守れる者なんていない・・・」
 小声で呟き、中庭に悠然と立ち並ぶ桜の樹に話しかける。
 すっかり葉は多くなってしまったが、まだちらちらと花が見えていた。

「ねぇ?」
 同意を求めるように問い掛けると、風もないのに桜の樹がザワザワとざわめく。

 しかし、そのざわめきは、紗月姫に同調した桜の樹が起こした物だけではなかった・・・。


 ガサッ!!
 紗月姫の目の前にあった桜が大きく揺れ、その横の茂みから、一人の男が飛び出してきたのだ!

「!」

 紗月姫は瞬間的に足を止め、ハッと息を呑む!

 背の高い男。
 モスグリーンのスーツに、光沢あるベージュのネクタイ。
 サングラスで目元を隠してはいるが、その機敏な動きを見ても若い男である事が予測できる。おそらく二十代だろう。

 男は素早く手を伸ばし、紗月姫の右腕を力強くグッと掴んだ!
「なっ・・・にを・・っ!」
 紗月姫が声を発する前にその腕を引かれ、男の傍へ引き寄せられる。
 紗月姫は腕を外そうと掴まれた腕を引き、左手を振り上げた!
 しかし、その左手も簡単に男に掴まれ、先に掴んだ右腕と共に片手で両手首を押さえられてしまった!

「はなし・・・てっ!」

 パンッ!!
 大きな音がして、紗月姫の手首を掴んでいた男の手が叩き飛ばされる!
 それと同時に、紗月姫の前に彼女を庇うように神藤が立ちふさがった!

「・・・神藤・・」
 思い切り掴まれていた手首をさすり、自分の前に立ちふさがった神藤の陰から、目の前に居るであろう男の様子を覗く。

 男は思い切り叩かれた腕を、「おー、いてぇ」と小声でぼやきながら、ブンブンと宙で振り苦笑いを漏らした。
「酷いな・・・。神藤さんは」

 男はクスクス笑いながらサングラスを外す。
 その下に現れたのは、「眉目秀麗」を絵に描いたような、綺麗な面立ちの青年だった。

「ごきげんよう。紗月姫ちゃん」



*「活動報告」の方に1/13~14まで、web拍手で頂いたコメントのお返事を掲載させて頂いています。
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/28254/blogkey/15578/

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