ここが夜だと貴女は謡う(3/14)PDFで表示縦書き表示RDF


全て完成した状態ですが、とりあえず一通り見直すつもり……です。時間を見計らってやってみます。
ここが夜だと貴女は謡う
作:バイレン



3.夜に血は舞い剣が鳴る



「……それで、何か聞きたいことはあるかな、ええと……貴方は」

「故烏雄平。白眉芳乃さん」

「名前、知ってるんだ」

 すっ、と眼を細めながら白眉芳乃は少しはにかんだように笑う。

「有名人だから」

 そのあまりに破壊力の在る笑顔に何故か罪悪感を感じて、とってつけたような言い訳をしてしまった。……今日の朝まで(昨日の『夜』まで?)は知らなかったとはとても言えない。
 白眉芳乃を見据えながら思考する。聞きたいことは沢山在る、けど――

「……じゃあまずは一つ」

 これは最初に聞いておかなければならないと思う。

「……なんで喫茶店?」

 現在、自分達が居るのは、シックな調度に統一された喫茶店の奥の席だった。
 白眉芳乃と向かい合って座っている。
 学校から歩いて五分程度の喫茶店に雄平は居る。色あせたようなような喫茶店で初老のがっしっりとした体格のマスターが切り盛りしている。白眉芳乃はマスターとも知り合いらしく(常連なのだろうか?)あっさりと奥のほうの席に雄平を案内してくれた。
 全体的に懐かしいような空気の店である。落ち着きのいい木のにおいと、コーヒーの匂いが一体となり柔らかい雰囲気となって漂っているかのようだった。
 店に流れている曲は聞き覚えの在る懐かしいテンポ――浪漫といった形容がしっくりとくるような、どこか眠りを誘う優しさに満ちた曲。
 この場所を表すなら――『懐古的』と形容するのがしっくりくる。まさに『隠れた名店』という感じの佇まいだった。
 店内は時が止まったようなのに、窓の外はまるで別世界のように動き続けている。
 女子高生が手を振り、仲間と合流している。彼女らをさえぎるようにサラリーマンが疲れた顔をして横切った。耳を澄ませば微かに車の音がする。
 自分の座っている椅子の隣には自分の荷物。机の上には湯気を立てるコーヒーが置かれている。
 あれから後、教室に戻り荷物をとりにいかされ、白眉芳乃の強引な誘いにより、この喫茶店につれてこられていた。

「何故って……ゆっくり話すならこういう場所のほうがいいかなと思って」

 きょとんと首をかしげる白眉芳乃と見て思わず机に突っ伏したい気分に駆られる。
 芳乃には緊張感がまったく無い。しかしこっちの緊張感は並大抵のものではないのだ。
 この状況――学園最高級の美少女、『アブソリューター』と一緒に雰囲気のよい店で向かい合って座っているということは、明らかに大それたことをやっているような気がする。

「ああ、もしかして外のほうが良かった? ごめんね。男の子の好みとか解らなくて」

 慌てたように手を振る彼女を見て慌てて答えを返す。

「いや、好みとかそういう問題じゃ……って……」

 その言葉に引っかかりを覚え、一瞬口ごもってから少し考え、恐る恐る問いを発した。

「……もしかして誰とも付き合ったことがないの?」

「うん。そうだけど……」

「なっ!? マジでか!?」

 驚いた。思わず身を反らしてしまうほど驚愕する。あの告白の断り方はかなりの男性経験を彷彿とさせたのだが……。
 自分のあまりの驚きっぷりに芳乃は少し身を堅くしながらも律義に答える。

「ええ。告白とかはよくされるけど付き合ったことは一度も……」

 そこまで話してから白眉芳乃は突然言葉を止め、自分の言ったことを考えるかのようなしぐさをとり、

「って……なんでこんな話になってるんですかっ!?」

 突っ込む。実に当たり前の行動だった。

「あ、いや、すまない。話を戻そう」

 顔を赤く染めながらうつむく白眉芳乃を見て反省する。実に話がずれている。全く……相手に失礼な話をしてしまった。
 ――女性に対してなんて話を……アホか俺は。

「あ、いえ……」

 居住まいを直す自分に、なぜか白眉芳乃は驚いたように黙り込んでしまった。

「何か気に触ったのか? すまない……」
 
 その挙動に思わず謝ってしまう。

「いえ、友人はそういう話をすごく聞きたがるものですから……」

 手をぶんぶんと振り白眉芳乃は釈明するように口を開く。
 納得する。この年頃ならそういう話に興味ありありだろう。おまけに相手は『アブソリューター』。二次元にいそうな完璧な女性である。一昔前の少女漫画の展開のような恋愛を期待してしまうのも無理はないと思う。

「…………」

 なぜか気まずい雰囲気がながれる。口を開けない。というか雰囲気が開かせてくれない。相手もまた黙り込んでしまった。ますます気まずい。

「あの……」「えと……」

 声が重なる。お互いに顔をそらし再び沈黙が訪れた。

(なんなんだこの雰囲気は……)

 頭を抱えてしまいそうな空気が沈殿する。先ほどの告白シーンにも勝るとも劣らない。
 店に流れるクラッシックか何かの音楽だけが動いていく。ちくたく、と壁にかけられた古めかしい時計の音が耳についた。

「ええいもう!」

「ひゃあ!?」

 空気に耐え切れず思わず大きな声を出してしまった。向き合った白眉芳乃がすっとんきょうな声をあげる。
 カウンターの奥にいる店主らしき人にじろりと睨まれる。
 即座に頭を下げて謝罪。
 後、咳払いをして白眉芳乃のほうを向く。

「ええと……『夜』だっけ? なんか前にあったとき話してくれたみたいだけどそこら辺の記憶が曖昧なんだ。まずそれについて大まかなことを教えてくれないか」

 声を潜め、きっ、と白眉芳乃を見つめる。場の雰囲気を引き締めるためだったのだが――
 目の前に白眉芳乃がアップで映る。
 ほっそりっとした体なのに、存在を主張するバストや、大きく輝いている眼やら、長い黒髪が店内の薄い照明を跳ね返してつややかに輝くさまやらが、思いっきり目の前で強調されるわけで。
 ものすごい恥ずかしい。心なしか鼓動が加速する。目の前にこんな美人が存在するなど考えたことが――そりゃあ無いではなかったが心の準備が出来てるわけがない。
 そんなこっちの心情を白眉芳乃は欠片も察していないようで、その端麗な顔を引き締め、

「そうですね。わかりました」

 ようやく本題だと言わんばかりの気合の入れ方。
 こちらも気合を入れる為に 意識の外へ性別とかそういうのを追いやろうとするのだが、許容範囲を超えた美人の存在はそんな抵抗などやすやす突破してくるわけで……。
 眼を逸らす。逸らしてしまう。古めかしい机が度アップで映る。角砂糖の入ったカップを無意味に眺めながら、心を落ち着けようとコーヒーをわざと味わうように口に含む。芳醇な味わいである。コーヒーとは苦いだけのものかとこの生まれて十八年思ってきたが、なんと甘みが存在し、全体の風味をがっしりと引き立てている。少し……いや、かなり感動。
 ようやくココロの平穏が取り戻される。まだ心臓は鼓動を早めているが。

「夜とは……」

「ああ」

 彼女の言葉が耳を打つ。その真剣な空気にコーヒーを受け皿に乗せ、聞く体勢になる。相槌を打ち、準備万端。
 気合を入れて、頭の回転を早めて――

「何なのかよくわかっていません」

「オイっ!?」

 ファールボール。
 思わず机に突っ伏してしまった。大声が出てしまう。再びマスターに睨まれる。さっきより深々と謝る。

「最初に科学がどうたら、現代の魔がどうたらって……」

 咳払いをして仕切りなおし。
 質問を返す。このままそれがオチだったらかなり虚しい。

「あれは――『夜』に数度入れば本能的に理解できことです。ただ、本当かどうか私も知らないのです。物的証拠が無いものを『本当』といいはるのはどうかなと思いまして」

 それを聞いて合点がいった。
 真面目な受け応えで、真摯な言葉遣いで、白眉芳乃は補足する。顔を逸らしてるから表情までは見えないが、きっと真面目な顔をしてるだろう。
 数度ということは何度も白眉芳乃はあの場所に行っているのだろうか。

「人の負の感情――恐れ、不安、怒り、狂想等は――はもともと『夜』という概念に責を置いていました」

 そんな疑問を払拭するかのように白眉芳乃は語り始めた。

「…………妖怪とか神様みたいな上位存在は、雷とか台風とかの自然現象の畏れを元に作られた……みたいなことか?」

「あら……すごい。よくご存知ですね」

 芳乃は意外な博識ぶりに戸惑ったのかきょとんとしながら素直に驚きを返す。

「ああ、まあいろんな漫画とかゲームで……それより続きを」

 褒められたことが気恥ずかしくなり先を促す。
 少し砕けた雰囲気が再び緊張する。

「特に日本は『闇』――夜を国民的に恐れてきました。各地に伝わっている鬼とかの伝承がそうですね。しかし科学が発達してきてから、電灯や電気の活躍で夜に対する恐れ取り払われたのです。古来の文献を読み解くと……あるでしょう? 口笛を夜に吹くと蛇がやってくるとか、鬼が夜に出没したり、『羅生門』のように悪心に芽生えた男が夜に消えていったり……」

「つまり、猟奇犯罪とか、無残な事件は全部、『夜からきたバケモノ』が生んだって、昔は信じられてたってことか?」

「ええ。しかし、現代では――負の感情を鬼、妖怪、魔。様々なオカルトにに転化することはできなくなっています。鬼や悪霊などの存在が科学知識によって否定され、『いないこと』にされてしまっているからです。とすると……自分たちの心にわきあがってくる恐怖を、人はどう解消するのでしょうか? 今までの解消手段を奪われて、それで――」

「…………」

 どこか夢見心地のように、白眉芳乃は淡々と語る。その語り口調は妙な説得力を持って、心の深い部分にしみこんでくる。

「その答えがあそこ――『現代の夜』です。あのバケモノは恐怖に類する感情――『負の感情』の固着化した存在です。あそこ――『夜』はそんな、人間の心から生じたバケモノたちを封じ込める空間なんです」

「恐怖……」

「言ってみれば『夜』とは心の中のようなものなんです。そして、その中にいるバケモノは人の恐怖が転化した存在。『恐怖』そのもの――」

 そこで白眉芳乃は一息をつき、コーヒーを飲んだ。
 静寂が落ちる。
 あまりにも荒唐無稽な考え方だった。現代の魔? 異次元空間? そんなものが何故必要なのか? 第一自分たちはなぜあんなところに入ってしまったのか。疑問は後から後から噴出してくる。
 だけど、自分は体験してしまったのだ。
 毛玉に襲われた場所を。大きな悪意の中にいるような――そんな感覚を。恐怖、絶望、悲しみ。あの場所は確かにそんな感情が渦巻いていた。あまりにも濃く、強く。
 その負の感情があの闇を作っているのかのように。

「あの布はなんなんだ? 稲妻みたいなのが出てたけど」

 浮かんだ疑問を口に出す。毛玉を吹き飛ばした武器――雷を放つ純白の布。明らかにおかしな武装。

「アレは……私の心にある何かしらの恐怖の具現です。あそこは『バケモノ』を具現化させる場所なんです。だから、あの布は私の何か恐怖したもの――『バケモノ』なのでしょう。最初、炎の塊のようなバケモノに襲われたとき、急に現れました」

 『バケモノ』――あれもまた何かの恐怖だというのだろうか。
 雷光を纏って空間を切り裂いた純白の布が脳裏にまざまざと浮かぶ。神々しいほどの清冽さを持ったあれがなにかの恐怖だというのだろうか。

「あの『夜』に巻き込まれた後、ベッドの上で起きた。それはどういうことだ?」

 とりあえず場を持たせるために質問を繋げていく。

「あの空間に入るのは、私たちの一部を切り取った存在なのです。私も同じように、寝ると夜へ行きます」

「ええと……」

「解りやすく言うと……あそこで行動する私たちはゲームのキャラクターみたいなものです。寝ている状態がゲームを起動するということですね。普段は休眠してるキャラクターはプレイヤーが操作する――私たちが寝ると始めて動き出します」

「なるほど……」

 そこでいったん話が区切れる。こんな話は普通なら妄想か電波の一言で終わってしまうだろう。だが、なぜか自分はすでにこの話に納得していた。あまりにも荒唐無稽なこの話を。
 そのことに少し違和感を覚えるが、無理矢理打ち消した。とにかく事実の把握が大切だ。

「しかし……そんな記憶があるなら……いろいろ日常生活が厄介だな」

「私たちのような存在は特別なんです」

「え?」

「私たちのように記憶を持ち、しかも夢の中であの場所に出入りできるなんて非常にまれなことなんです。というか――存在しないと言ってもいい。だからこそ」

 口調が強くなる。

「夜に囚われたものは逃げられない。次も必ずあの場所へ行く」

 白眉芳乃はそう言って顔を伏せた。

「なんで――そんなことまで知ってるんだ?」

 思わず疑問が口を付いて出た。なぜなら、何故か自分もまた、その説明なんの違和感も抱かずに納得しかけていたからだ。
 まるで忘れていた本の内容が久しぶりに読むことでどんどん思い出していくように。
 こんな馬鹿げた話を、だ。

「白眉……さん。あんたは『はっきりと解らない』って言ったな。それなのになんでこんなに詳しいんだ? まるで確信を持って言ってるように俺には聞こえる」

「…………そう、ですね。自分でもなんでか解らないんですけど――私は『理解している』んです。まるで当然のように知識を持っているんです。本当に、当然のように――」

 初めて白眉芳乃の口調に曖昧な成分が混じる。

「そうですね、『夜』の中の私達は『夜』で産まれたものなのでしょう。だから、その世界のことを知っているのかも」

「あるいは皆『夜』という場所を知っていて……見ないフリをしているだけなのかね」

 白眉芳乃は茶化して言ったこちらの答えに何も返さずに苦笑した。そして、思い出したかのようにコーヒーカップを口に運ぶ。

「じゃあ、最後に」

 それはおそらく本当なのだろう。自分も体験してみたからこそわかる。元から知っていたかのように、あの空間を、自分自身を疑うより先に受け入れていたのだから。
 自分がおかしいのではなく、現実の一部だと、許容していたのだから。だからこそ、最大の肝へと話を進める。
 夜にとらわれた。それならば――

「……はい」

 こちらの緊張を察してか、白眉さんの声もまた硬くなる。間髪居れず言葉をつむいだ。

「『夜』から出るにはどうすればいい?」

「…………」

 沈黙が降りる。

「解らない、のか……?」

 ずくり、と胸が痛む。
 恐怖の坩堝、負の念の行き着く場所。
 あの、寒い荒野――
 あんなところに、毎日?
 それは考えるだけで恐ろしい。
 嫌だ。

「私が、『夜』に入って――」

 ぽつり、と白眉芳乃は語り始めた。

「……私は、貴方と同じように眠った瞬間、突然あの場所にいました。そしてあの場所で――」

 そこでいったん言葉を切る。わずかに考え込んでいるような表情で、数瞬の沈黙を生み、視線を逸らし、

「強い、懐かしさを感じました。そして私は何故か理解したんです。頭の中に最初からあったように自然に、本能みたいに――」

 そこで一端言葉が途切れる。けど途切れたのは一瞬で、再び白眉芳乃は形のいい唇を開き、

「何かを探していることを」

 そう、言い放った。

「それは……」

 戸惑う。何故そんなことを言うのか解らない。

「貴方も、探しているんじゃないでしょうか?」

 どくん、と心臓が脈打った。何か胸の奥底に沈殿していたものがめくれ上がったような感覚が襲う。

「俺、は……」

 『夜』のことを思い返す。何か懐かしいような感覚が、確かに胸の中に芽生えていた。かさぶたのような感覚。はがしたい、痒い。
 けど、これを剥がしてしまったら――血が、吹き出る。血は、見たくない。

「解らない、な……それで、それがあの場所から出ることと……」

 関係あるのか、と続けようとして、芳乃の言葉にさえぎられる。

「ええ。それさえあれば、あの場所から、出られるような気がするんです。あの場所は、よほど強い意志が無ければ、存在することも知覚出来ない場所……入る必要がない――いいえ、入ってはいけない場所なんです」

 だから、何故、知っているのだろうか。そんな情報を。

「だから、何かを、得ることが出来れば……私の場合はその『探し物』を手に入れれば、あの場所に入る意味が無くなる。だから……」

「出られる、と?」

「ええ」

 目的があって、あの場所に行く。そして目的を達成する。RPGのように、一つ一つ戦闘をこなして、探していくのか。……広大で、寒い、魂まで凍りつくようなあの場所を。

「だから、私は戦おうと思いました。あの『布』が出てきたのがその瞬間でした」

 純白に輝く布を思い出す。雷撃を放つ布。天女の羽衣のように白い、武器。

「そして、『化け物』と戦いました。最初に出てきたの黒くて丸い金属でできたような物体でした。稲妻みたいなものを使ってきて……このときに、一緒に稲妻を使うことが出来るようになって――」

 白眉芳乃の話は続く。

「その後、植物みたいなものが出てきました……次は石、そしてその次が――」

 俺が始めて『夜』に巻き込まれた時の毛玉。

「……」

 いつの間にかまっすぐ、白眉芳乃はこちらの眼を見つめてきていた。視界いっぱいに広がるのは、いまさらながら認識する、学園最高の美人。

(だからその表情は威力が在りすぎるんだっつーのっ)

 先ほどのシリアスな空気がものすごい勢いで脳内から吹っ飛んでいく。そんな思考を取り戻そうと努力するも空ぶるだけ。
 強い眼。力のある表情。それが彼女の持つ生来の美貌と絶妙にマッチする。まさに、『流麗雹花』に相応しい美しさと強さである。憂いを帯びた顔を鑑賞し損ねたことを本気で悔しがっている本能を思いっきり叱咤する。
 異様な恥ずかしさである。まるで長い間逢ってなかった仲のよかった友達に、ばったり出会ったときのようだった。

「そっか……」

 なんとかそれだけを言う。顔をうつむけ、意味も無くコーヒーをすする。美味しい……のだろうが味などさっぱりわからないほどの精神状況である。
 なんとかそれだけを口に出し、鼓動を抑えるために努力を開始する。

(よく考えたらこれって……デートとかと変わらない状況なんじゃないのか?)

 夕暮れのいい雰囲気の喫茶店で男女が二人、シリアスな顔で――

(やばいやばいやばいやばいやばいやばいこんなところを知り合いに見られたら明日から学校中の指差されを確実ですよ!?)

「あの……?」

「はいぃっ!?」

 心配そうに話しかけてきてくれたのだろうがこの状況でそれはまずかった。
 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。この状況で話しかけてくることは、パンパンに膨らんだ風船を握り締めることに似ている。

「な、ななななななんですか?」

 だからなんとか爆発寸前で踏みとどまった、自分で自分を褒めてやりたい。

「ええと……その、聞かないんですか?」

「ナニヲデス?」

「何を、探してるのかとか……」

 その言葉に含まれる雰囲気をさっし、暴れまわる心を落ち着ける。気持ちを引き締め性別の壁とか雰囲気とか一切合財シャットダウン。
 すっ、と顔を逸らし、口を開いた。

「ええと……俺は、誰かの嫌がることはしたくないんだよ。白眉さんが何を探してるか言わないってことは、言わなくていいことか、言いたくないことなんだろ?」

「え、ええ……」

「だったら、わざわざ聞いてこの場の空気を悪くすることなんてしたくない。それに何より――これ以上悲しむ顔なんてみたくないし」

 自然にそっけなく放たれた台詞は二秒後にものすごい勢いで恥ずかしさに変わる。悶絶したくなる感情を無理矢理押し込みなんとか平静を保とうと努力する。

「あ……」

 何故か驚く白眉芳乃。ああ、視線が痛い。顔に出てたか? 今のでもしかして変人かナルシスト決定なのかもしれない。

「そう、ですね。誰かが傷つくのは哀しいです」

 しかし返ってきた言葉は予想に反して、まるで何かにおびえるような、急激に幼くなってしまった印象さえある声だった。
 その声に戸惑う。それが本当の彼女であるかのように錯覚して――先ほどの鼓動が嘘のように収まっていく。

(馬鹿か俺は……白眉芳乃の何を知ってるって言うんだ?)

 今日あったばかりの同級生である。何を考えてるのだろう自分は?

「そうだね……」

 すっかりと覚めてしまったコーヒーと感情に苦笑して、一言だけ相槌を打った。そうすることしかできなかった。
 沈黙が再び降りる。けど今度の沈黙は居心地が悪いものではなかった。
 何か懐かしいような感覚だった。



 あの後話は進まずに、結局、白眉芳乃のほうが時間切れということになった。
 白眉芳乃と別れ喫茶店を出る。
 「今日、『夜』にね」と笑顔で手を振られ、再び動揺したのはもはや思い返すことすらも哀しい。
 夕焼けの色が町を包んでいた。
 この時間帯になると11月の秋の空気がより強く感じられるな、と思う。

「はぁ――」

 ため息をつき、目の前に広がる町並みを意味もなく眺める。なんとなく現実感がない。あんな美人と話をしたことなど人生の中で始めてての体験だし、その内容自体もぶっとんでいた。
 しかしそれに対して自分は何の違和感もなく応じていた。思い返してみると不自然だ。自分は元来社交的な性格じゃない。なのに白眉芳乃と――学校きっての美少女『アブソリューター』とあまりにも自然に会話していた。

「意外な自分を発見、ってか?」

 首を振りながら苦笑する。
 これは自惚れだ。おそらく命を狙われたという異常事態があったために、恥ずかしさよりも、情報を得て命を守ろうとする本能が働いたのだろうと勝手に推測する。精神分析などできるはずもない素人の弁だが、あながちまちがってないと思う。

「あれ、雄平?」

「希?」

 思考に没しかけたとき、後ろからの面識ある声に思わず振り向いてしまう。そこにはかばんを持った上石希が驚いたように立っていた。
 夕暮れに映える困惑の女顔。一瞬、本気で女性と間違えそうになってしまった。

「なんでお前こんな遅くに外にいるんだ? 帰宅部だろう?」

 違和感を覚えて問いかける。

「あ〜いや、ちょっと残されちゃって……」

「なんだ? 補習か? 二年とは言え気をつけろよ? 俺はもう学校決まりかけてるからいいけどさ」

「雄平みたいに現実的な思考には浸れませんよ〜だ」

 おどける希を見て苦笑する。

「しかしまあ……そういえば久しぶりだな帰りまで一緒ってのは」

「ああ、そうだねえ。昔は結構一緒に帰ってたよね」

 懐かしさに眼を細める。

「そういえばここらへんはあんまし変わってないなあ……大人になったら景色の見方も変わっちまうのかと思ってた」

 目の前に広がる光景は幼い頃とまったく変わっていなかった。街角の古びた本屋、花屋、たばこ屋。ぽつぽつと知らない店があって、コンビニなんかも立ち並んでいるけど、それでも記憶の中の光景と漂う雰囲気は変わっていなかった。

「そう、かな……ていうかそもそも覚えてない」

「そうかあ? ん、そういえばそうだな……俺も昔のこと覚えてるような律儀な人格じゃないのにな」

 苦笑する希を見て自分もまた苦笑する。まったくにらしくない。何故こんなにも昔のことを思い出すのか……
 セピア色の風景。いつも希と居た日々。川原、空き地――そうこう話している間に、もう家についていた。
 二階建ての一軒屋。なんの変哲も無い自分の生家。

「んじゃね、雄平」

 希は笑顔で手を振りながら背を向ける。

「ああ、またな」

 そして別れを告げる。不意に寂しくなった。『夜』から帰ってこられないような――これが遺言になるかのように錯覚して――怖くなって――

「希!」

 気が付くと希を呼んでいた。

「なに?」

 希はぴたりと止まり、こちらを向いて、小首をかしげる。

「あ、いや……」

 その様子に言葉が止まる。何か言わなければいけないような気がしたのに、何もいえない。何かをしなければならないようなもどかしさ、子供の頃に感じたように、ただ、ただ離れるのが怖くて――。
 一人で居るのが悲しくて、それでも何もいえない。

「明日また学校でな」

 だからとっさに思い浮かんだ言葉しかいえなかった。

「うん。じゃあね」

 希は微笑みながら再び背を向ける。夕日が希の小さな体から影を伸ばす。
 その影を見つめながら雄平は家の扉を開いた。
 もうすぐ、夜がくる。




 一階のリビングからコール音が鳴り響く。
 コールの先は――
 故烏雄大。

「もしもし?」

 逡巡して、結局とることにした。

「ああ、雄平か。元気か?」

 変わらない、父の声だった。

「ああ、元気だよ。母さんは?」

「変わらないよ。元気だ」

「んで、何か用?」

「ああ、そのことなんだけどな……」

「そろそろ、帰れそうなんだ」

「希が言ってた」

「ああ、そうか。上石さんは人事部長さんだからな」

「久しぶりに日本の土を踏めそうなんだよ……土産かって帰るぜ?」

「そっか。楽しみにしてる」

「おお。っと、母さんに代わるな」

「雄平? ちゃんとご飯食べてる?」

 母の声に変わる。どこか現実感が無い会話だった。
 それから学校のこと、生活のこと、そして身の回りの話をして終わった。
 
 会話が終わる頃には辺りがすっかりと暗くなっていて、電気をつけた部屋の端にあるベッドに上がる。思いっきり体を横たえ、くらくらするような眠気に身をゆだねる。
 寝れば『夜』に入る。あの恐怖を思い出して、何度も寝ずに夜明けまで過ごそうかと自問自答した。
 けど、『夜』を思うとワクワクするような胸の高鳴りを覚えるのだ。その感情は恐怖をいとも簡単に超えて、塗りつぶしてしまう。
 そんな自分を狂っていると笑い飛ばしたい――。
 けど、何故か自分は『夜』に行きたい。
 いや、行かなければならないとさえ思う。
 白眉芳乃の言葉が頭に浮かぶ。

『何かを探してるんです』

 自分の感情を再び省みて、これが一番しっくり来るような気がした。自分もまた、何かを探しているのだろうか。それは一体なんなのだろうか?
 意識が揺らぐ。眠ろうとしている。これ以上思考を続けるのは無理だった。

 数瞬後、眠りに落ちたと感じた瞬間、引っ張られるように意識が飛ぶ。続いてぐっ、と引きずられるような――落ちていくような感覚に襲われた。
 気が付くと膝をついた姿勢で雄平は『夜』にいた。思考が再び復活する。冷たい地面に足を付き、雄平は立ち上がった。

「……こんな風に入るんだな」

 不思議な感覚だった。前、一度入ったときは無我夢中で全く覚えていなかったから。
 眼前には漆黒の空間が視界を覆いつくしていた。無限の広がりを持っているような――すぐに果てにたどり着きそうな、なんともいえない深みをもつ空間だった。
 最初のときは観察する余裕すらなかったものの、こうして見るとさらに不気味さが増す。

「白眉さんは――いない、か」

 周囲を見渡しても人影はなし。
 同じ場所に出てくるわけではなさそうだ。
 体を触り、異常が無いか確かめる。服装は以前、『夜』に入ったときと同じ服装だった。
 視界は暗い。まるで自分が世界で一人になってしまったような――泥の中で必死に足掻いているような嫌な感覚がある。

「くそっ……」

 それを振り払うように雄平はため息をついた。
 ここが違う場所だと体中が感じていた。確かに白眉芳乃の説明したことを全て感じる。自分の負の感情を感覚としてとらえるような――そんな不思議な不快感。

「寒い……」

 冬の寒さとは違う寒さ。魂を凍らすような寒さだ。此処は感覚を持つ世界だと理解する。
 夢ではない。夢と違い感覚があるのだ。身体を傷つけられれば痛覚が走る世界だと理解する。
 啼いていた。ここは全てが啼いていた。
 そして――来る。この中で一番強い鳴き声が来る。こちらに向かっている。

「うっ!?」

 思わず悲鳴のような声が漏れた。あの恐怖が、あの夢で体験した恐怖――否、そんなものじゃ生ぬるいほどの強い感情が走りぬける。
 自分がバラバラになってしまいそうな感情の中、時が空白になり、ただ一つの思考が脳を満たしていく。

(怖い……っ!?)

 その思考は一瞬しか持たなかった。
 現実はその間に劇的な変化を見せた。

(何か、降って――くるっ!)

 そう思った刹那、風が吹き荒れる。

 ――――ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!!!!

 不快なこすれあうような金属音。『それ』は雄平の視界より上でこの世界の何よりも強く啼いた。

「くっそぉおおおぉおおぉおぉぉおぉっ!」

 生存本能が恐怖を塗りつぶし、信じられないような速度で体が反応した。その場を飛びのく。一瞬遅れて凄まじい重量が着地したのがわかる。地面が揺らいだ。
 何かが突き刺さるような音だった。耳鳴りがする。金属の音だった。まるで工事現場の機械が鳴り響かせるような音が耳朶を打つ。もうもうと上がる土煙の先、一瞬眼をかばって瞑った眼が再び開かれるとき、そこに在るのは――

「……釘?」

 釘、だった。
 金属製の鋭角なフォルム。とがった先は地面をやすやすと貫き、その体を半分と埋めていた。その威力は想像もつかない。

「う、ぁ、ぁああああああああああああああああああああああああっ!?」」

 恥も外聞も存在しなかった。生存本能が命じるままの恐怖に従って逃げ出す。恐怖が薪をきべられた炎のように強く激しく燃え盛った。
 怖い、怖い――っ!
 ぐんぐんと前に進んでいく感触がする。視界は相変わらず真っ暗で、踏みしめる地面はアスファルトのように固いけど、違和感を感じさせる道。どこか薄い氷の上を歩いているかのよう。
 ――下は底のない闇で出来ているのか。

「ぐあっ!?」

 思いっきり腕を動かし、前へ向かおうとした瞬間、火花が目の前に散るほどの衝撃が身体を襲った。
 宵闇にふさがれた真っ暗な視界の中で、壁のような何かにぶつかったと理解した時には、すでにもう地面へと体を強く撃ちつけていた。
 きーん、と耳鳴りがするほど痛い。さきほどの衝撃とあわせて凄まじいダメージとなっている。
 歯噛みする。それだけのことで自分がとても弱く、小さな存在になったように感じられた。
 視線を背後に向けると釘は再び宙へと浮いていた。ゆっくりと体を動かし、地面に刺さった時についた埃を撒き散らしながら追尾してきている。
 それは獲物を前に舌なめずりをする獣のようで――

「舐めるな…………!」

 死を間近に感じた所為か、やけに凶暴な感情が蠢くのを感じた。

「死んで、たまるか……っ!」

 感情が自然と声になった。抑えきれないほどの激情が体を付いて出る。死への恐怖を強引に押さえ込むほどの激情だった。
 まるで熱い塊が自分の中で、心臓のように熱く、熱く蠢いている感覚だった。自分が、その感情で動いている錯覚――
 その激情と共に、雄平は怪物の方へ跳んだ。

「ぉぉおおおぉおぉぉおぉおぉおおぉおぉぉおぉぉおぉおっ!」

 怒号――ともつくぬ声が口をつく。何に対しての、何の為の感情なのか解らない。寒さと恐怖で、沈む寸前の溺死者のように生きていることを感じることができない。
 だからこそ――『命』というモノの実感を欲した。
 手に熱さがともる。
 
 『刺し貫く感触』。

「あ――?」

 激情が嘘のように消えうせる。自分が何をしているか唐突に理解が追いついた。
 手にある異物――釘に、手に持った『何か』を刺していた。そして、熱いのはその異物ではなく、釘からでた何かの液体だった。
 その液体は紅い。

「なんだ……これ?」

 バケモノに刺さった異物を呆然と見つめる。
 曲がった刃物。
 赤い液体に塗られているがうっすらと見える地の色は鮮烈に白く、半月のように歪んだ刃物が両手に一つずつ握られていた。
 時間が止まる。それ自体は錯覚で、おそらく一瞬の後であるけれど――刺しぬかれた釘は咆哮した。シンバルを何百何千と同時に打ち鳴らしたかのような腹に響く音だった。

「う、ぁっ!?」

 その衝撃に、たまらず後ろに飛びすざる。
 ――跳ぶ。
 まるで自分の身体じゃないほど軽かった。何故なのだろう。これもまた『夜』の中に居るからなのか。それとも――これが夢なのだからか。
 釘との距離がぐんぐん開いていく。八メートルくらいはなれた地点で再び後ろに『壁』を感じた。くだらない思索は、背中に走った強い衝撃で打ち消される。舌打ちしたい気持ちをこらえ、釘を凝視した。
 釘は地団駄を踏むように体を怒らせながら地面に埋まり、生えを繰り返していた。

「大工仕事ってか? 修理するような価値の在る場所にも見えないがな……ッ!」

 背いっぱいの悪態でなんとか心に平静を取り戻そうと足掻く。効果はあったのかは分からない。だが、こわばっていた顔が笑みに変わっていくのを確認することができた。
 ――俺は、大丈夫なのか?
 問いかけに答えはなく、在るはずもなく、耳に残る不快な音と共に地面が揺れた。数度もその行動を繰り返す。まるで、自らを世界に刻んでいるかのようだ。
 ――不安なのか、お前も。
 白眉芳乃の言っていたことを思い出す。
 アレは、人の負の感情なのだ、と。
 ならば不安も在るのか。負とは何か――何処までか。

(それは分からない。私も明確な答えを持っているわけではないの……ごめんなさい)

 苦笑する芳乃の顔が浮かぶ。その顔も、釘の穿った地面とその衝撃に消えた。

「――来るか!」

 そして、釘は自らの尖っている部分をこちらに向ける。
 自らの存在する『縫いとめる』という意味どおりなのだろう。何が起こるか容易に理解できるからこそ、恐怖で再び足がすくんでいる。
 両腕に握られた武器がやけに頼りない。自らの数倍はある巨体に比べてなんと貧相なものか。
 しかし、その武器から伝わってくる力はそんな心を不思議と沈めていく。落ち着いた心にふと疑問が生まれた。
 先ほどの自分の行った動きはなんなのか? この双刀はなんなのか? 思考が少しそれたその刹那に、釘が、突撃してきた。
 自らを螺子こむように回転を加えた一撃。
 早い。まるで肉食動物のように早い。
 ねじりくだく一撃。あれを受ければ自分ははじけ跳び、肉片と化すだろう。
 守らなければならない。自分をだ、自分を守らなければならない。
 自然に双剣を構えていた。
 不思議と恐怖はない。奇妙な安心感と確信があった。
 トゥーハンデッド・スタイル。逆手に双剣を持ちかえ、腰を低く構え、爆発するような加速を生み出すように足を調整する。

「いくぞ……」

 自分に言い聞かせるように声を出す。
 足に力を込める。
 ――疾れ!
 跳んだ。
 服がはためくほどの風圧が体に重くのしかかり、その風圧は痛いほど、強く、強く体を打ち据える。
 釘よりも先に風圧に殺されるのではないか――それほどの圧力が体を駆け抜けるが、視界は一歩一歩、そのバケモノに近づいていた。
 お互いに跳んでいるこの状況、瞬きの間に互いの体が目の前に来る。
 構えた双剣をためらいもなく雄平は振った。
 バケモノに当たる。
 手が折れそうなほどの衝撃がかかる。崖が崩れるような轟音が耳を貫き、それでも自分は止まらなかった。
 固い。乾いた泥に飲み込まれるような感触がする。だが、勝ったのは自分だった。

 釘が、真っ二つに裂かれた。

 わずかなタイムラグと共に――ばしゃっ、と体に生暖かい液体が降り注ぐ。
 紅い液体。釘の体を真っ二つにした瞬間、まるでせき止められていた川が氾濫するように――釘の断面からその液体が噴出した。それは土砂降りの紅い雨となり、体を凄まじい勢いで撃ちすえてくる。
 体中を鉄錆のにおいで染めながら雄平はただ、釘のバケモノを呆然と見つめて立ち尽くしていた。

 後方で、機械の故障音のような耳障りな音を立て、バケモノ――釘、だったものは最後の雄たけびをあげる。
 ――終わる。

 二、三度痙攣を繰り返しバケモノは完全に沈黙した。
 
「あ――――」

 ぷつん、と緊張が切れ、膝をがくりと地面についた。
 血の感触。バケモノの体から吹き出たもの。
 鉄錆の匂いは、バケモノの体臭ではなくて――
 バケモノの血、だった。

「なんだよこれ……!」

 手を振りまわし、血を追い払う。
 目の前に広がる闇に紅い雫が飛び散る。それが自分の手についていることをますます気にしてしまう結果になった。

「なんなんだよっ!」

 煩わしい。生命だったという温かみが、手にまとわり付くということがこんなにも煩わしい。あれは、こちらを害する意思しか無いというのに。
 苛立ちが頂点に達する。揺れる心を落ち着かせようと視線が無意識に彼女を探した。知った人を探した。
 その瞬間、ぎしり、と『夜』が震えた。
 そう感じられただけだったのかもしれないが――平衡感覚が一瞬麻痺するほどの揺れが確かに雄平を襲った。
『夜』が開く。
 瞬間、目の前に凄まじい落下音が鳴り響いた。
 思わず眼を閉じる。
 甲高い音。
 杖が転がったときのような、遠くから響き渡る音。

「あ――」

 それとまったく同時に、別の影が闇に翻る。雷光を纏い、その名の通り、純白の衣装を纏って。

「ァぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ――っ!」

 天女のように布を携えて、白眉芳乃は裂帛の気合と共に『落ちてきたもの』に布を放った。

「白眉さんっ!?」

 夜を割く雷光。一瞬照らされた夜はコンクリート色の壁に覆われた場所だった。
 だが雄平には景色を見渡す余裕などなく、白眉芳乃と対峙している『モノ』に眼を奪われていた。
 面。
 そう形容するのが相応しいだろうか。古びた木製の板がそのまま存在しているかのような佇まい。その体を覆う亀裂が、叫びを上げる人のような、醜悪に歪む表情で浮き出ている。
 本能的に恐怖が走る。
 幼い頃両親がいなくて、一人さびしく寝ていたとき、天井を見上げればあんな模様をした天井がいつも目の前にあった。
 眼をぎゅっと瞑っても、何故か動きだしそうで――眼を開き、凝視してしまう。そんな記憶。
 ――怖い。
 幼い頃の純粋な恐怖が呼び起こされる。毛玉のような威容ではなく、先ほどの釘のような生命の危機でもなく、単純にそれは怖い。恐ろしい。
 視覚を支配する恐怖。眼をそむけてしまうほど心の奥底を揺らす風貌。
 ――これが『バケモノ』。
 人が超常現象に責任を転嫁した心の闇。
 しかし、そんなバケモノを凝視してなおも白眉芳乃は覇気を揺らがせなかった。

「故烏くん?」

 優しく、強い声。かすかな笑顔を含んだ問いかけ。

「いるの? 暗くてよく見えなかった」

「ああ、居る」

 その問いかけに答える。

「そっか。やっぱり居るんだ」

 くすり、と笑われた。

「やっぱりって……白眉さんが教えてくれたことじゃないか」

 恐怖が薄れていくのを感じる。人が居るということはこんなにも心強いことなのかと実感する。軽口を叩く余裕ができるほど、自分が落ち着いていくのを感じた。先ほどの恐怖はもう無い。

「ああ、そうだね。うん。けど貴方が初めてだから。ここで逢う人間って」

「なんだ、そうなのか。もっと仲間が居れば楽勝なのに」

「私だけじゃ不満かな?」

 戦闘中であるというのに、あんなに怖い敵と戦っているというのにまるで教室で自然に雑談しているように和やかな雰囲気だった。
 緊張にこわばっていた顔が自然と笑顔に戻る。

「いや、十分。本当に感謝してる」

「本当かなぁ?」

 一緒に笑いあう。

「さて……あれが『バケモノ』?」

 目の前で律儀に立っていてくれた板を見ながら両腕の双剣を構える。先ほどの血が少し残っているけど、握れないほどではない。不快感は残るけど、心の余裕が生まれ、優先順位がわかる。
 目の前の『バケモノ』と戦うほうが重要だ。

「そうよ。あれが――誰かの『恐怖』」

 雄平の質問の答えに呼応したかのように、板のバケモノは疾走を開始する。浮遊しながらその不快な顔面を押し付けるように飛ぶ。
 自分の方に向かってくる、と雄平は認識した。
 白眉芳乃は回避。あの速さを受ければなんの材質でできた体であろうとも意味は無い。車のトップギアと同じくらいの早さだからだ。
 自分も横に飛ぶ。恐怖に足がすくまなければ先ほどの釘ほどの速さではない。
 だが、板は物理法則を無視するかのように方向を急速に転換した。

「なっ!?」

 板の表層の、不気味な顔が視界いっぱいに広がる。

「ら、ぁっ!」

 気合を放ち、なんとか両手の剣で受けるも、痛いほどの衝撃が走りぬけ、握力が抜けそうになる。先ほどの釘から付いた血がさらに掴みを弱くしている。
 滑らせるように、衝撃に逆らわず体から力を抜き、その力で後ろへ飛びながら、双剣を横に滑らせる。
 俗に言う『受け流した』状態。
 間合いが空き、地に足が付く。体が鋭い衝撃でよろめくが、踏ん張りなんとか持ち越した。
 足が痺れたように痛む。

「やっかいだな……」

 体を沈めて、双剣を左右に広げるようにして構える。
 足は問題なし。こちらへとまだ突進してくるバケモノに、瞬間、稲妻が走った。
 白眉芳乃の持つ布の攻撃だ。夜を照らすほどの明るさが直撃する。光の速さで迫る攻撃を流石に車のスピードごときがかわせまい。
 焦げ臭さが漂い、バケモノは大きく身を仰け反らした。だが、バケモノは一瞬体を震わせただけで再び正面に向き直り飛んだ。

「ちぃ――ッ!」

 不気味な速さ。
 寸前、頭スレスレをバケモノが追加していく。
 かがんで避ける。
 それと同時に両腕の双剣を叩きつけた。めきょり、という人間の体を叩いたような感覚が双剣に伝わってきた。
 だがまったく応えないようで、板はとんでもない力で芳乃に体当たりを敢行しようとする。
 抵抗しきれず、双剣を抜き取ってしまう。凄まじい力がかかり、仰向けに倒れこんでしまった。腰を打ち、痛さにうめく。
 バケモノは上空に飛び上がり、芳乃を押しつぶすように体当たりを――
 刹那、純白の布が翻った。

「このっ!」

 白眉芳乃の攻撃。
 弾丸のように飛ぶ布の一撃はバケモノの体に直撃し、豪風にあおられる凧のような勢いでバケモノを側面へ吹き飛ばす。
 五メートルほど吹き飛び、バケモノは停止する。一部が割れとび、歪な形になる。そんなバケモノに再び、猛然と布が疾走していった。
 先ほどの攻撃から一秒もたっていない。まさに神速ともいえるべき速さだった。
 ごがっ、というハンマーで木材を殴り壊した時のような音が響き渡る。同時に木片が飛び散り、見る見るうちに板が崩れていく。
 だが、そこまで破壊しても直、バケモノは動きを止める気配を見せなかった。
 さらに勢いをつけ、白眉芳乃に突っ込もうとする。

「まだまだぁっ!」

 それに対応するように布がさらに速さを増した。雨が降りつける古い家のように、叩きつける音が断続的に響く。

「く、っ……」

 痛む腰を支えながらふらふらと立ち上がる。

「すまない……」

 自分の出した声は驚くほどか細かった。
 布の攻撃はますます激しくなっていく。もはやバケモノの体は原型が何なのかすら解らないほどまでに砕かれてしまっていた。

「は――っ!」

 嵐が、止む。布が翻り持ち主の手に収まった。
 一瞬の静寂。そして、ぼろぼろの木屑になった板のバケモノは、崩れ落ちた。木の葉のように細切れになったそれは浮遊力を失い、からからからから、と甲高い音を立て、地面に落ちる。
 そしてまた静寂。

「ふぅ――」

 白眉芳乃のため息が夜に響く。戦いは終わった。

「強かったねえ、今回のは」

 軽い――本当に軽い口調で白眉芳乃は話しかけてきた。うつむいていた雄平は我に帰ったように芳乃を見据える。

「強いとか、弱いとかあるのか?」

「うん、あるよ。長く続いた恐怖で出来たバケモノはやっぱり強い。強いというか――しつこい」

 散らばった木片を見ながら芳乃はつぶやく。

「消えないような強い恐怖。それはやっぱり怖くて、強い」

「…………ごめん」

「なんで謝るの?」

 突然の謝罪に芳乃は驚いたように顔を向ける。

「今回も、役に立たなかった」

 悔しかった。体の奥のほうから何か得体の知れないもやもやとした強い感情が湧き出てくるのを感じる。

「そんなことは無いよ。一人じゃやばかったと思う」

「違うよ。あいつの攻撃は防げなかったし、あの攻撃があるなら白眉さん一人で……」

「芳乃」

「は?」

「芳乃、って呼びなさい」

 あまりの突然すぎる提案に眼を白黒させてしまう。

「それで貴方が感じてる『借り』はチャラね」

「へ……?」

 眼が点になる。何を言っているのかさっぱり解らない。

「……えと、もしかしてそういうのじゃなかった? 男の子って全て貸し借りで判断するって聞いたんだけど……」

「なんだよその知識」

 脱力する。あまりの反応に苦笑しかできない。

「私って、堅苦しいのあまり好きじゃないの……学校では『アブソリューター』なんて名前で通ってるけど……そういう煌びやかな妄想とかされると困るんだよね……」

 本気で困ったような顔をする芳乃に苦笑をますます濃くする。それでようやく気が付いた。芳乃が敬語を使ってないことに。
 堅苦しい言葉はきっと本来の彼女では無いのだろうと思う。
 ふと疑問が浮かぶ。何故自分を隠す意味があるのだろうか? この話し方でも嫌われるようなことは無いと思うのだが――

「だから、『芳乃』ね。こんな所にまで来て、堅苦しい呼び方されたらいろいろ滅入っちゃうからさ」

「あ、うん……」

 嬉しそうに話す芳乃の言葉に曖昧な返事しか出来なかった。まさか『なんで学校は敬語なの?』と聞くわけにもいかず、ため息をつく。
 ふと気づく。先ほど感じた無力感は何処にも無かった。

(不思議な子だなあ……)

 改めて芳乃の顔を見る。
 その整った顔立ちで小動物のように小首を傾げられる。

「つ――っ!?」

 その破壊力は凄まじかった。
 また赤面してしまう。『夜』の中でさえ赤面してしまうとは、と嘆いていても始まらない。

「じゃあ、雄平君」

 すでに芳乃は苗字を呼んでないという徹底っぷりである。

「え、いや、あの……」

 ためらう。当然である。逢ってまだ二日も立ってない、しかも美少女相手にいきなり呼び捨てなど誰ができよう? 否、できまい。

「『芳乃』、ね」

 そんな雄平の動揺しまくる心を知ってか知らずか芳乃はぐっと両腕をガッツポーズで、自分の名前を一文字一文字強調しながら迫ってくる。

「えと……え?」

 困惑するような表情になる。

「『よ・し・の』」

 ぐっ、と顔を近づけられる。
 顔が噴火するんじゃないかというくらい熱い。

「あ、う……」

 口ごもる。

「よぉ〜し〜のぉ〜っ」

 語尾を延ばされた。
 少し可愛いと思う。そんなことを考える自分に落ち込む。

「くっ……」

 期待に満ちた眼でこちらを見つめてくる芳乃を邪険にするわけにも行かず――

「よし……の、さん」

 ところどころ口ごもりながらもなんとか言い切った。一生分の精神力を使い切ったんじゃないかってくらいの疲れが押し寄せる。

「あははは、名前呼ぶだけだよ?」

 屈託なく笑いながら横を向く芳乃を見てため息をつく。最近の女の子はどうも凄いなあと思った。
 ふいに、その疲れが名前を言い切っただけのものじゃあないと知る。

「あ、れ……?」

 体が、傾ぐ。
 脳が体から切り離されるように――電源が落ちていくようにゆっくりと、意識が揺らいた。

「今日は、ここで閉じるみたいだね」

 ぐらり、とまた毛玉の時のように急激な眠気が襲ってくる。
 足に力が入らなくなる。

「じゃあ、お休み。明日また、学校でね」

 その笑顔とともに、まぶたが落ちる。ブレーカーが落ちたように意識が途絶えた。
 残ったのはまた、彼女の顔。




 『夜』に少女は佇んでいた。
 漆黒に溶け込むようなつややかさを持った長髪にどこか焦点のあってない眼。闇色のマントを羽織っており、どこか幼げな印象を持った少女だった。

「嗚呼――そっか、二人ともちゃんとまた逢えたんだ」

 少女の眼は笑顔で話す雄平と芳乃のほうを向きながら、どこか遠くを見つめていた。
 少女は回想する。

 少女の眼に映る過去は、笑顔と、勇気と、そして悲しい――哀しい結末。

 あの時、何度も止せばいいのにと思った。
 あの時、何度もやめればいいのにと思った。
 けど、それをしなければならないほど自分は追い詰められていて、
 それは絶対の悲しみで、
 それはありえないほどの苦悩で、
 泣いた。
 血の涙を流した。
 そして決断した。
 私はは自分を救うためにあの人たちを利用したのだ。
 『夜』がどういう場所で、何がいるのかを知っていて、
 あの人たちがどうしてあの場所にいるか知っていて、
 『あれ』を殺すために。
 殺せば救われると思っていたのだ。
 そう、私は利用した。
 理不尽に憤った日々から逃れるために、私は『あれ』を殺そうとあの人たちを利用したのだ。
 そして、あの人たちは、『あれ』に殺され、そして失った。
 だから私は――罪として、『夜』に自らを繋いだ。
 罰として自分の求めていたものを手放した。
 あの人たちは『夜』で死んだのだ。自分はあの人たちから大切なものを奪ってしまったのだ。
 だから誓った。自分はもうあの人たちから何も奪わないと。
 無償で与え、
 無償で笑い、
 無償で支え、
 無償で守り、
 無償で見守ると。
 バケモノを与え、あの人たちに殺させる。
 それが私の役割だと謳おう。
 私が殺すこと、それこそが傲慢だと思うから。
 目の前で『ライト』が消えた。
 目の前で『毛玉』が消えた。
 目の前で『釘』が消える。
 目の前で『面』が消える。
 嗚呼――あの人たちは出会った。
 再び夜で、
 新たに朝で、
 それは喜ばしくて
 それはとても喜ばしくて――
 ほんの少しだけ――悲しくて。
 あの日から止めてしまったものを思い、
 これから失ってしまうものを思い、
 彼女は笑った。
 歪に、笑った。


戦いという様式は驚くほど日常から離れていて、私たちは血の臭いとか感触とかすぐに忘れて、暮らしています。それはいいことですし忘れるに限りますけど、人を傷つけるくらい腹が立ったときには思い出したいことの一つですよね。











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