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ミアと禁断の創薬レポート 作者:山本 風碧
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4 遅れてきた留年生

「あれが《天使の涙》かぁ……」

 紅葉が陽の光に照らされてガーネットのように光っている。前庭の噴水も負けずにきらきらと光を撒いている。小春日和のうららかな昼下がり、ミアは窓の外を眺めながらぼんやりと呟いた。
 あれというのは、入学式での一件だ。
 暴動を起こした少年は例の《天使の涙》という病だったそうだ。約百年前に発生したという、魔術師しか罹らないという特殊な病。ミアの周りには魔術師など居なかったから初めて見た。体内の魔力が膨れ上がり、抑えきれなくなった力が人を発狂させる。病自体で死ぬことはないけれど、他傷や自傷を招くという、恐ろしい病だった。
 幸い薬も開発されているし、国立の施療院で治療すれば症状は抑えられる。悪いのは『病』で『彼』ではない。彼が戻ってきたときには温かく迎えてやってくれと先生は皆を諭した。

(悪いのは『病』で『彼』ではない、か。そうだよね――そのはずだよ、ね)

 母が受けた仕打ちを思い出して、不快感が湧き上がる。胸の奥でもうひとりの自分が「それなら、お母さんも悪くないよね?」と問いかける。怒りにとらわれそうになったミアは、気を紛らわせようと顔を上げ、辺りを見回した。
 生徒の数だけ用意された席には、虫食いのようにいつまでも埋まらない席がある。ぽつんと空っぽのままの席を見つめてミアは小さく息を吐いた。
 事件のショックで入学後一ヶ月経っても授業を欠席し続ける生徒が学年に一人居たのだ。

(大丈夫かな。心の傷って、体の傷以上に侮れないから……)

 想いを馳せていると、耳にある言葉が飛び込み、ミアはハッとした。

「――であるからして、冬至祭の前に卒業論文の企画書ガイドライン、夏至祭の前に一度グループでの計画書グランドデザインを出してもらうから、そのつもりで各自準備を行うように」

 ぼんやりしていて話を聞き漏らしていたらしい。ミアは慌ててノートにメモをとる。だけど聞き漏らした前半部分がわからない。誰かに聞こうかと思ったけれど、すぐにやめた。
 ちらと見た限り、周りが紫タイ――法科の人間ばかりで顔見知りが居なかったのだ。
 科が分かれているからといって、授業が全て分かれているわけではない。学院は単位制で、一年次から六年次まで、それぞれ必要な授業を選んで自分たちでカリキュラム組む。そして、一、二年の間は教養部といって、生徒が世に出るときに必要な教養知識も必要単位に入っているのだ。それは語学であったり、史学であったり。そして今受けている卒業論文のガイダンスも必須科目で、皆が一緒に受けることになっている。
 入学してばかりで卒業論文? 気が早いのでは――とミアも思ったのだけれど、王立学院では三年になると各自ゼミや研究室に配属されてそこでの研究を始める。そして論文を書き始めるのだ。各科で詳細は違っているけれど、どこも最終的に卒業論文を一本書くことができればいい。それを聞いてミアは一瞬安心しかけたが、話はそんなに甘くなかった。論文の出来によって各自の将来が決まっていくというのだ。薬科の場合、早い者では四年次には研究者としての就職先が決まっていると訊けば、のんびりは出来ない。手を抜けば卒業する六年後、就職先はないということなのだから。
 ミアは聞き漏らした部分を補足しようと、ガイダンスの資料に集中する。

(うーんと)

 そこには、一年で各ゼミでの研究内容を知り、二年で配属を決めると書いてある。配属先のゼミでテーマを教授と一緒に考えて、三年から研究をスタートさせる形が基本。
 だが、例外もある。二年次までに自ら考えたテーマで計画書を提案でき、かつそれが独創的で魅力的であれば、別途研究費がついて、卒業研究のテーマに出来るのだ。

(願ったりかなったりよ。……え、でも、補助金申請は二年に一度? ってことは、来年は無いってこと? ……ええと、研究補助金希望者は学期末までに計画書をまとめて提出すること、その際――)

 気を引き締めてガイダンスの資料に強調の意味の下線を引いていると、

「卒論の計画書とか、面倒だよねえ……」

 隣の法科の子たちがうんざりと囁いているのが耳に入ってきた。

「そういうのって、俺達法科には関係ないんじゃないの? 俺たち政治をやるんだからさ、論文書くより討論ディベートしてたほうがよっぽどためになる」

 そんなものなのか、とミアが何気なく聞きいっていた時だった。ひときわ大きな声が彼らの私語に割入る。

「別にいいんだぞ、お喋り(ディベート)ばかりしていても。私たちは何も困らないからな」

 声の主で、授業の担当教員であるリューガー教授ににやりと笑われて、法科の子たちは小さくなる。ミアも顔をひきつらせる。囁き声だったというのに。教授の耳は地獄耳と心に刻む。
 法科の子は叱られつつもこの際聞いておこうと思ったのか、手を上げて質問をした。

「あの、教授、ここに提出すれば《可》以上を与えると書いてありますが、本当は計画書のできが悪いと単位はいただけないんですよね?」
「いいや、出しさえすればいい。白紙でも名前さえ書いてあれば《可》だ。内容がだめでも《良》は与える。そのテーマで卒業研究ができないだけの話だ」
「《可》や《良》の場合は、卒論はどうすればいいのですか?」
「《可》と《良》の計画書を出したものは、ゼミ配属後に教師から与えられたテーマで卒業研究に取り組むことになる」

 答えを聞くと、法科の子たちが「じゃあ、楽だね」とほっと息を漏らす。
 だがミアは、

(どこが楽なの……!? これ以上ないくらいに厳しいよこれ!)

 と眉間にしわが寄るのがわかった。つまり最良の成績――《優》を取らなければ、せっかく作った計画書通りに研究を進めることはできないということだ。
 ミアのテーマは入学を決めた時から決まっている。そのテーマのために入学したと言っても過言ではない。

(つまり、一年だからって気を抜くなんて、もってのほかってことじゃない……)

 教授はやる気のない生徒からは自主性を奪うと言っているのだ。想像以上に厳しいとミアは思った。
 青くなって再び資料に集中していると、ガララ、と音がして、教室の後ろの扉が開いた。

「フェリックス=カイザーリング、遅れました。すみません」

 明るい声に振り向き、ミアは目を見開く。

(あの時の――……じゃあ、来てないのって彼だったんだ!?)

 そこに居たのは過呼吸を起こしてうずくまっていたあの男の子だったのだ。紫のタイをしているからきっと法科なのだろうが、そのタイは緩み、シャツの釦は一番上を外している。だが、着崩し方がこなれているせいで、だらしなくは見えず、どこか通い慣れた余裕を感じた。彼は、癖のある金髪をくしゃくしゃとかき混ぜると、堂々と空いている席を探して座り込む。
 ぽつんと空いた穴がようやく埋められる。
 どうやら、これで新入生が初めて全員揃ったようだった。

「ああ、君か。もうちょっと遠慮して入って来なさい」

 リューガー教授が、大きくため息を吐く。
 ガイダンスの資料を近くの人が渡そうとするけれど、「いらない、俺、去年も聞いたから」と彼は断わった。

(去年も――って、ああなるほど)

 少しだけよれた制服、余裕のある態度の意味がわかってミアは納得する。……つまり彼は留年したのだ。
 ならばどう扱っていいものか。そんな懸念は皆が抱いたようだった。ざわざわ、と教室が落ち着きをなくすと、教授がしかたないなと肩をすくめた。

「カイザーリングは、身体が弱くて、出席日数が足りなくてな。進級できなかった。一年先輩だから、勝手もよく知っている。わからないことは聞くといい」
「よろしく。カフェテリアのおすすめメニューから、代返の仕方まで、なんでも聞いてくれ」

 からっとした答えからは病弱さなど微塵も感じられなかった。だが、入学式のことが頭をかすめ、ミアは身体が弱いというのはあの事だろうかと心配になる。

「おい、余計なことは教えなくていい」

 フェリックスが教授から小突かれ、その気安さに周囲から笑いが溢れる。
 留年について特に気にしているわけではなさそうだ。あっけらかんとした笑顔に皆が遠慮を消すのがわかった。ミアも同じく。腫れ物にさわるような対応はお互いに疲れるだけだろうし、最初にこういう風にしてくれると付き合いやすいと思った。
 彼は屈託のない笑顔と好印象を振りまいたあと、ふとミアのところで視線を止める。そして、目を見開いたかと思うと、突如嬉しくてたまらないと言った様子の顔になった。

(ちょ、ちょっと――、)

 ミアは花が溢れるような、という表現を初めて使いたくなった。先日見た時の彼は、どこか影がある印象だったけれど、今は暗さがどこにもない。印象だけで言うならば、別人と言っていいかもしれない。
 外見の淡麗さも手伝って、十人が十人、好意を持ちそうな華やかさだった。
 思わずぼうっと見とれるミアの周りで女子がざわめき出す。

「ねえ、カイザーリングって、あのカイザーリング家のご子息かな? 貴族名鑑に載ってる?」
「南部の大農園を所有されているっていう男爵家の? ご嫡男かしら? ……ああー残念、三男よ」

 法科の女の子たちの集団が、華やぎと落胆の混じったため息を吐いてミアは我に返った。
 こうして授業を共にして知ったのだが、法科のお嬢様たちは卒業後、ほとんど議員や官僚にはならない。なのにどうして学院へ進学するのかというと、法科や魔術科に進学するエリート男子生徒を品定めする――つまり花婿探しをするためらしかった。ミアには理解できない世界だけれど、上流階級の女性というのは結婚で将来が決まってしまう。だから、彼女たちが持ち歩く貴族名鑑はいわば理想の結婚をするための教科書。常に持ち歩くべきものだった。
 この国の法律では、貴族とはいっても、長男しか財産を継ぐことが出来ない。次男三男……となると、自ら職を探さねばならず、だからこそ、こうやって学院に通って将来の職業を得るのだ。それはそれで立派だと思うけれど、財産の相続ができないというのは確かに大きい。残念というのはそういう意味なのかな――と考えつつちらりと後ろを見ると、中心にいるのは入学式で見かけたすこぶる綺麗で制服の似合う女子だった。そこで、ミアは閃いた。

(あ、ああ! そうか、彼、あの女の子たちに向かって微笑んだのよね? そうに決まってるし! うわああ、勘違い恥ずかしい!)

 ミアは勘違いに真っ赤になり慌てて俯くと、小さくなってガイダンス資料に意識を戻した。
 かつ、かつというブーツが床を打つ音が近づいてくる。後ろで椅子を引く音がする。例の女子が立ち上がった音のようだった。

「あの、わたし法科のアンジェリカ=ハイドフェルトといいます。いろいろ教えて下さいね」

 盗み見た完璧に作られた笑顔に、ミアは思わず見惚れる。物怖じしない眼差しは、自信の現れだろうか。これはどんな男の子もひと目で恋に落ちるだろう。案の定、フェリックスは彼女の前で足を止める。そして片眉を上げると綺麗な笑みを見せている。

「ああ、よろしく。俺も法科だから、なんでも聞いてくれ」

 ああよかった、勘違いがバレなくて。羞恥から顔を伏せたままだったミアは胸をなでおろす。
 ――だが、フェリックスはアンジェリカの相手はすぐに打ち切って、ミアの隣に戻ってきて立ち止まった。ひどく嫌な予感がしたミアはそっと顔を上げる。すると先ほどの華やかな笑みが間近にあった。

「君、この間はありがとう」
「え、わ、わたし?」
「死ぬかと思ったから、助かった。君は命の恩人だ」

 大げさ! ミアは顔をひきつらせた。

「い、いえ、過呼吸で死ぬ人はいないんで――それに、わたしは、あの、その、出来ることをしただけで」
「でも君は僕のことを一番に助けてくれただろう」
「いや、重傷の人を先にするのは当然ですし」

 笑顔がきらきらと眩しくて、ミアは目がくらむ思いだった。同時に、周りの目線がすごく痛い、とミアは思った。だが、フェリックスは全く気づくことなく、ミアを子犬のように無邪気な眼差しで見つめてくる。彼の瞳は透明度の高い湖のようで、すごく綺麗だった。もし二人きりでこの状態であれば、ぼうっとなっていてもおかしくないけれど、ミアはあいにく周りが見えなくなるほどにはこの状況に酔えなかった。

(うああああ、やめて! わたし、できるだけ目立たずに穏やかに勉強だけして生きていきたいの!)

 とにかく斜め後ろの女の子の視線が怖い。明らかに周囲の温度が下がっている。肌がピリピりするくらい。怖すぎるのに、どうして気づかないのか。
 この人、空気読めない人!? ミアは冷や汗を大量にかきながら必死にこの状況から逃れる術を探った。だが、思いつかない。どうしよう、そう思った時だった。

「あ、ペン泥棒」

 冷たい声が割り入ったのだ。
 見ると二列前の席の男の子が、こちらを振り向いて冷たい眼差しを向けている。

「あ、あなた――」

 白金の髪に若葉色の瞳には覚えがあった。それは入学式のとき、ミアの後ろに並んでいた医科の男の子だった。

「あの時のペン返してくれる?」

 ぎゃっとミアは小さく悲鳴を上げると、足元のかばんを漁り始める。申請書を書くときに借りっぱなしだったことを、今思い出したのだ。
「あのときは、ありがとう」と手を伸ばしてペンを渡すと、男の子は「普通さ、その場で返さない?」と不満を言って再び前を向いた。
 だが、結果的に助けられた。フェリックスは今の間に、元の席におとなしく戻っていた。「遅れてきたくせに授業まで中断する気か」とリューガー教授に叱られている。
 ほっとするミアだったけれど、斜め後ろからの鋭い視線は消えなかった。それは、そうだろう。ミアだって勘違いをして恥をかいたと縮こまっていたのだ。勘違いを人目にさらして、実際に恥をかいたとなれば、ミアだったらいたたまれない。そうして、こういう場合の悪意の矛先というのは、なぜか、異性には向けられず、同性に向けられるものなのだ。

(厄介なことにならなければいいけど)

 後ろを見る勇気は持てず、ミアは小さくため息を吐く。だが、ミアの抱いた嫌な予感はすぐに的中することとなる。
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