14
ついにバッテリー切れになった機械の相棒をあとに置いて、霧香たちはひたすら歩いた。
霧香はサリーを背中に負ぶっている。それだけならちょっとした行軍訓練並みではあるが、ろくに飲まず食わず、ひっきりなしに揺れ始めた地面、息が詰まりそうな大気だとかなりきつい。0.8Gとはいえ背中の荷物の慣性は容赦なく霧香をよろめかせ、体力を奪ってゆく。
地面がひときわ小刻みに揺れ始めると、霧香は叫んだ。
「みんな伏せて!」叫びながら彼女も地面に這いつくばった。
今度の地震はいままででもっとも大きく、ものすごい雷鳴のような轟音が辺りに響き渡った。背後で不気味な粉塵が立ちのぼっていた。
激しい横揺れがますますひどくなり、これ以上はやめて、と思った頃こんどは縦揺れに変わった。
揺れは十五分ほども持続し……やがてゆっくりと収まった。
北のほうの空一面が盛大に土煙に覆われていた。不気味なほど近く……二マイルほどに迫っていた。
「いまのはひどかった……」
シンシアが忌々しげに口を手で覆いながら起き上がった。ひどい匂いの粉塵が舞い上がり、あたりが黄色く霞んでいた。
サリーの身体の上に伏せていた霧香も、頭をそろそろともたげた。「……怪我しなかった?」
「わたしは平気。あんたは?」
「右に同じ……」霧香はややふらつきながら立ち上がった。眠っているサリーの身体を担ぎ直した。「重いなあ……」
シンシアに手伝ってもらいサリーを背中に負ぶさると、ふたりは歩き始めた。
「悪いわね~。わたしじゃその女は運べないから」
重い荷物を背負ったまま喋るのはつらいが、かえって気が紛れる。
「気にしないで。あなただってくたびれてるでしょ。よく二週間も無事でいたもんね」
「まあね。慣れればこの匂いも……案外気にならなくなるし」
粉塵が収まり、視界が開けた。
シンシアは名残惜しげに何度もうしろを振り返っている。地面がごっそり崩落した現場を観に行きたいのだ。だがさすがに好奇心より常識が勝ったようだ。
霧香はぽつりとつぶやいた。
「おなか空いた……もう二日間、ろくなもの食べてない」
「そうねえ、帰ったらのんびりお風呂に浸かりながら一杯飲んで…… ベッドで眠りたいわあ」
「それから好きなものをおなか一杯食べて……」
「また寝る。マリオン、あなたのおかげで無事帰還できそうだし、いい画がいっぱい撮れたわ。番組の完成を楽しみにしててね。わたしには分かるの。これはものすごい反響を呼ぶわ!」
「そりゃよかった」霧香は熱の籠もらない声で言った。「まあ、わたしこそ集落では助けてもらったから。それにしてもよく居所が分かったわね」
「うん?そりゃあ……あんたのことずっと撮影してたから……」
霧香はシンシアの顔をまじまじと見た。「はあ?」
「あの崖縁で別れて以来、あんたをずっと撮影していたの。キューブを渡したでしょ?あれに記録プローブの誘導ビーコンも組み込まれてたの……。だから集落で檻に入れられてたときも、宇宙船を発見したときも撮影され続けてたの」
「なんですって!」
「やっぱ気付いてなかった?おかげであんたカメラ目線がなかったから、とっても臨場感のあるシーンになったわよ」
「ちょっ……全部?ずっと撮影してたって言うの?わたしがどうしてるかずっと分かってたっていうの?」
「まあ……ランドール中尉に知らせなかったのは悪いと思ってるけどさ……あんたすぐに危険が迫ってるようじゃなかったし……宇宙船が武装解除してるか分からなかったんだもん……」
「ドローンがあんたの記録ポッドに反応しなかった時点で分かったでしょうに!」
「そんなに怒らないでよ。あんたもちゃんとクレジットするから」
「けっこうです!」
「え~?イイじゃないの。銀河パトロールマリオン保安官大活躍。異世界の密林に迷い込んだ可憐な保安官に迫る謎のドローン群。その正体やいかに……って」
「お断りだわ!」
「つれないなあ……」シンシアは溜息混じりの笑い声だ。いやらしい響きだった。相手は分からず屋だけどだいじょうぶ、籠絡は時間の問題だという余裕が滲み出ていた。
「絶対に許可しないから。わたしの声も顔もNG」
「なんでそんなに嫌がるかな。あんたスターになれるのよ?メガスター。ふつうそんなチャンス無いと思うけど」
「そんなの任務に支障が出まくりだわよ!言っておくけどわたしはこの仕事が大好きなの。仕事の邪魔したら許さないから」
「真面目なのね……」シンシアは話題を変えた。「あんたいくつ?」
「えっ?ええとじゅ、17よ」
「なにー?あたしより六歳も年下かよ!どう見ても二十歳越えてるじゃないか!」
「余計なお世話よ!」
「まったく年下のくせに生意気な口の利き方……。だいたいそれじゃ銀河パトロールに入隊したばっかりなんじゃないの?よく仕事が大好きとかいえるわね」
「銀河パトロールじゃなくてGPD!」
「どっちでも同じじゃない」
「違うの!」
ふたりとも口をつぐみ、しばし歩き続けた。
シンシアがふたたび喋り始めた。
「ところでさ……」
「なに?」
「地面がほんの少しだけ傾いてるような気がするんだけど、気のせいかしら」
「き、気のせいじゃないの……?」
サリーを運ぶので必死だったから気付かなかったが、言われてみるとわずかに下り坂を歩いている感覚だった。サリーたちのほうに向かっていたときはどうだっただろう。あまり起伏を感じていなかった気がする。むしろ集落のほうに行くに従って落ち込んでいたような……。
ふたりはいつしか歩みを早めていた。
体重150ポンドの女を負ぶって駆け足は容易ではなかった。霧香は歯を食いしばりひたすら足を動かし続けた。あとせいぜい一マイルくらいじゃないか?それだけ走りきればずっと休める。あと少し。
「ちょっとあれ見てよ!」シンシアが叫んだ。
霧香はうなだれていた頭をしぶしぶ持ち上げてシンシアが指さす方向……前方の空の一点を見た。
宇宙船が上昇していた。
降下ではない。どんどん高度を上げている。
「置いてかれちゃった!」
「落ち着いて」霧香はくたびれた肺にくさい空気を賢明に取り込みながら声を絞り出した。「迎えの宇宙船は一隻だけじゃない。まだ大丈夫……」
とは言え、気力を奮い立たせてくれる眺めとはとても言えない。
額の汗をぬぐった。手の甲を見て舌打ちした。土埃を被ったおかげで泥だらけだ。ひどい格好に違いない。
「マリオン!」
「今度はなに……?」
前方を見ると、03の頼もしい姿が岩陰から現れたところだった。ようやく騎兵隊到着か!
03のあとにドローンたちが続いた。大勢で助けに来てくれたようだ。四角いボディーに触手で這いずり回るドローンの親玉まで一緒だった。
「悪いけど頼む……」霧香はふらつきながらサリーを03の背中に降ろした。
『ホワイトラブ小尉。応答せよ』03の無線からブルックス老の声が聞こえた。
「こちらホワイトラブ!」
『無事か嬢ちゃん。最後のバスに乗り遅れるなよ。ランドール中尉はひと足先に原住民のお客と出発した。わしらもいつまでも待てんぞ。崩落は予想よりひどいようじゃ』
「分かったわ」
霧香たちはドローンに囲まれながら歩みを再開した。
端から見たら妙ちきりんな取り合わせの一団だったろう。半裸の女に場違いなサファリルックの女の子、ロボット犬とその他雑多なドローン。損傷した03はややびっこを引いていて哀れを誘う。
ホワイトの球体はさきほどから霧香たちの頭上に浮き続けている。シンシアはこの雑多な一行をずっと撮影しているのだ。なんと仕事熱心なことか。
「ミス・ホワイトラブ」
聞き慣れない声で呼ばれ、霧香は辺りを見回した。ドローンの親玉が四角い胴体の一角に埋め込まれたライトを瞬かせていた。霧香はハッとした。
ドローンを通じて遺伝子伝搬船のメインフレームが語りかけてきているのか……。
「あなた、船の電子頭脳?まだ地震でやられていないのね?」
「はい、しかしもうすぐ機能停止します。それで、これから先、ニューギニアの民たちのことはあなたたちにお任せすることに決めました」
シンシアがお喋りに気付いた。だが口を挟まず霧香たちを注視している。
「ニューギニア……」霧香は呟いた。「彼らは……あなたたちはそこから来たの?」
「そうです」
「そう……わたしの祖先はあなた方が打ち上げられた頃ニュージーランドに住んでたの。けっこう近いでしょ?妙な気分だわ」古めかしい人工知能を相手に思わず世間話のような調子で言っていた。
「分かります」ドローンの答は意外だった。「わたしはAIではありません……電脳人格に書き換えられる前は人間でした」
「ああ……!そうなの……」
「はい、あまりにもたくさんのアプリケーションを接続されて元の人格をほぼ忘却していましたが、あなたに提供された現在の人類に関するデータベースを読むうちに、ぼんやり思い出しました。あなたがたにわたしの大事な子供たちを託す決断ができたのも、そのおかげです」
「そうだったの……」
「人類は生き延びた」
「ええ。あなたが知っている暗黒時代を生き抜いたし、いまは他星系に進出してずっと繁栄している」
「わたしの故郷も人が帰ってきた……」
「水位が下がったからね。火星やタイタンの同胞も帰還したんじゃないかな」
「わたしの旅は徒労でしたね」
「そんなことない!」霧香は自分でも意外なほど強い調子で否定した。「そんなことはない……あのひどい時代、地球が滅亡するというのは多くの人が確信していたことだった。あなたは必要なことをやった。それも最後までやり抜いたのよ」
「ありがとうございます」
ドローンは小さな円筒ディスクを取りだし、霧香に渡した。
「2388年に始まった航海から現在までの記録を、ここに収めました」
小さいが、ずしりと重みを感じた。霧香はディスクを握りしめた。
「……了解した。責任を持って持ち帰る」
「ありがとうございます」
ひらけた平地にたどり着いた。100フィートクラスの降下船が丘の稜線あたりに着陸していた。ようやく帰ってきた……あと300ヤード。
「記録に眼を通して頂ければ分かりますが、彼らの身体データの詳細がすべて記録されています……。わたしは三四〇年間にわたりこの惑星に人類の子孫を定着させる試みを続けました。しかし残念ながら、試みはすべて失敗でした」
「なんですって……?」
「この惑星の組成に含まれる分子が彼らの肉体に影響を与えました。複数要因によるもので、わたしの能力では解決できませんでした。ニューギニア人の子孫はことごとく不妊で、性衝動を欠いているのです」
「……生殖不能だったの……じゃあ彼らは……」
「いま現在いる218人のニューギニア人は、船の人工孵化器で生み出されたものだけです。この惑星に順応させるため遺伝子に改変を加えられています。その点を留意してください」
「分かったわ……」霧香は努めて明るい声で続けた。「わたしたちの生化学はだいぶ進歩してるのよ。ニューギニア人たちはすぐに良くなる。その子孫も外の世界で繁栄し続ける……」
「よろしくお願いし――」
声が途切れた。同時に地面がふたたび揺れ出した。またいままでと違う異様に振幅の大きな横揺れだった。霧香はなにが起こったのか瞬時に悟り、叫んだ。
「みんな走って!」
シンシアと03が弾けるように全力疾走し始めた。霧香もその真後ろに続いた。ドローンたちはその場に留まった。マザーの制御を失ったのだ。
立ち止まって揺れが収まるのをを待つべきだ。常識はそう告げていたが直感は走れと叫んでいた。シンシアは03の上のサリーになかば寄りかかり、もつれそうな足を必死に動かしている。右に左によろめきながら走っているのは霧香も同じだ。宇宙船との距離がなかなか狭まらない。もどかしくて叫び出したかった。
前方で宇宙船がゆっくり上昇し始めた。
2メートルほど浮かんだまま慣性制御システムでホバリングしている。
横腹の昇降タラップは収容されていない。
霧香たちはそのタラップ目指してひたすら走った。
ブルックス老人が宇宙船の入口にいた。「はよ来い!」と長い片腕を振り上げて叫んでいた。言われなくてもそうしている。
シンシアが最初にタラップの手すりに飛びつき、それから03が背負っていたサリーの体を抱え上げ、ブルックスとシンシアがその体を掴んで引っ張り上げた。
続いて霧香がタラップに飛び移ろうとしたその瞬間、突然地面が何フィートも沈下した。
手すりにとびつこうとしていた霧香は宙を掴み、そのまま地べた倒れ込んだ。したたかに体を打ったが、その痛みも気付かず這いつくばったまま空を仰いだ。
タラップの端が、宇宙船の胴体が無情に遠のいてゆく。
(おしまいだ)霧香は、ちょっと驚いた顔でタラップから身を乗り出しているブルックスとシンシアを見上げた。
そのとき後ろから03が霧香の体をすくい上げて赤ん坊のように抱え上げ、おもいきり中に放り上げた。
霧香の体はけっこうな勢いでシンシアとブルックスの懐に飛び込み、三人もつれ合ったままステップの上に倒れ込んだ。
霧香がひび割れだらけの地面を見下ろすと、最後まで忠実なロボットが背中の収容庫から取り出したなにかの塊を霧香に投げつけた。霧香がそれをキャッチすると、地面が土埃に覆われて03の姿が消えた。
宇宙船が上昇し始めた。安全な船内にようやく這いずり込んだ霧香たちの背後で隔壁扉が閉まった。
霧香は荷物を抱えたまま床にへたりこんだ。
助かった。もうぜったいだめだと思ったのに、助かった。船内の浄化された空気を深く吸い込み、遅まきながらどっとあふれ出したアドレナリンで昂ぶった心を静めようとした。
「マリオン」
霧香は四つん這いで這い寄ってくるシンシアに顔を向けた。
「ワンちゃんが投げて寄越したそれ、なに?」シンシアが肩で息をしながら尋ねた。まだ好奇心が余っているらしい。
「んー?……これは……」霧香は疲れた笑みを浮かべ、タオルにくるまれていた塊を取り出した。
「植物の実?」少し痛んだ大きな塊を見て、シンシアは少しがっかりしたように言った。「なんでそんなものを……」
「これはね、バナナよ」
シンシアがその言葉の意味に気付くまで2秒もかからなかった。
「うそっ・・!ちょっとそれすごいじゃない!下でそんなの発見したんだ!」疲れも吹っ飛んだように叫んだ。
「ささやかなお宝ってところかな……」なぜかクスクス笑いがこみ上げてきて、霧香は肩を揺すりながらバナナの房をさしだした。「あげる。番組のオチになるんじゃない?」
「あげるって……ささやかなお宝どころじゃないよ?これうまく繁殖させたらひと財産だよ!?」
霧香が笑い続けているので、シンシアは途方に暮れたように肩の力を抜いた。やがてシンシアもつられて笑い始め、まもなくふたりとも床で笑い転げた。
操縦室からブルックスが現れた。
「おまえさんたち、もう安全圏に上昇したぞい……」笑い転げるふたりを眺め、途方に暮れたように言った。「なんだ、頭でも打ったか?」
霧香とシンシアは衛星軌道に達するまで笑い続けた。
―了―
『マリオンGPD 3127 鉄の方舟』はこれにて完結しました。
ご意見、質問、などありましたら気軽にたずねてくださいませ。また文章的な難点や間違いなども遠慮なくご指摘いただければ幸いです。
それほど遠くない時期にマリオンを主人公にした次の物語をアップさせていただきます。