幻影の卒業
先輩の卒業式の時に思ったことを書きました。
私は見ていた。涙を流しながら前へ進んでいく人たちを。
別れを惜しみ、変化を恐れながらも、それでも前に進んでいく人たちを私は見ていた。
窓の外、桜はまだ咲かない。そのかわりとでも言うように、校庭では梅の花がしめやかに咲いていた。
長い冬の終わりが、やっと見え始めた三月の初めに、卒業式は開式した。
体育館前の廊下には、先輩たちを送り出そうとする部活動生が多く並んでいた。各々、花や色紙などを携え、先輩たちが出てくるのを今か今かと待っている。
やがて空気を割るような拍手とともに、三年生が歩いてきた。ある人は涙を拭きながら、ある人は堂々と誇るように、後輩たちの中を歩いている。
残される者たちは、先輩たちに縋り付き、別れを惜しんだ。
私はその光景を一人、遠くから眺めていた。否、私は誰かを探していた。
探している人は部活の先輩でも、仲のよかった人でもない。
私が探していたのは兄だった。
流れていく人の群の中から、家族の顔を探す。
しかし、いつまで経っても兄の姿が現れることはなかった。
兄がいない。
それは当たり前のことだった。
どんなに探しても兄はいない。・・・・・・兄は数年前に亡くなったのだ。兄はこの学校どころか、すでにこの世にはいない。
それなのに、私は卒業生の中に兄の姿を探していた。いや、兄の姿を求めていた。
「・・・だって兄さんはまだ、私の中で生きているから」
兄は頭のいい人だった。だからきっと、この学校に入学し、たくさん友達を作って青春を謳歌するのだ。
そして今日、多くの思い出を胸に抱き、涙とともにあの校門をくぐる。あの校門をくぐり、社会へ飛び出すのだ。
大学に進学して、遠く離れた場所で一人暮らしをする。私の家では、男の子はみんな高校を卒業した後、一人暮らしをするから、これは確実だ。そして私は、それを寂しいと感じながらも荷造りを手伝う。そして「たまには帰ってきてね」と送り出すのだ。
・・・・・・そんな夢を何度見ただろうか。
兄は遠くに行っているだけで、いつかまた必ず帰ってくる。そうあればいい、そうであって欲しいと何度思っただろうか。
本当なら今日、この日、この学校を兄は卒業していたはずなのだ。なのに、卒業生たちの中をどれだけ探しても兄の姿は見当たらない。
何で?何で?神さまから与えられた理不尽に、涙を流すことすらできない。
受け入れられないから今日、私はここにいる。
夢じゃないよって誰かが教えてくれるような気がして、ここに立っている。
「誰か・・・、誰か私に教えてよ」
やがて最後のホームルームを終えた三年生が教室から出てきた。
だれも私のことなど気にもとめず、最後の時を共有している。
帰ろうかな。私がそう思い、踵を返そうとしたとき、不意に誰かが私の横を駆けて行ったような気がした。
驚き振り返ると、高校生にしては少し小柄な影が見えた。影は後ろを、私を気にするような素振りを見せながら、校門を駆け抜けて行った。
その姿を眺めていたとき、鮮やかに古い記憶が甦ってきた。
「兄さん・・・・・・?」
校門を出てすぐの場所で影はゆっくりと立ち止まり、振り返った。
そして手を振りながら私に言った。
『さよなら・・・・・・』
音ではない、口の動きから生み出された言葉。
そして影は消えた。まるで、私に何かを教えるために現れたように、一瞬で。
ほんの一時の夢の時間は終わった。
「・・・・・・兄さんっ!!」
きっと彼は私に教えにきたのだ。
もう自分はいないのだと。だからもう、夢を見るのは止めろと。
「・・・・・・・・・」
そう言われてしまっては困る。認めざるを得なくなってしまうではないか。もう、あなたが戻ってこないのだと。
それでも、私は呟いた。
「・・・卒業、おめでとう」
兄さん。そして私も、この夢から卒業するのだ。
一歩踏み出した私に向かって、人混みの中で幻影が笑ったような気がした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。