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狭霧綺譚

取り替え子

作者: 円坂 成巳

 小学五年生になる息子が猫を殺していた。

 恍惚とした表情で、野良猫の胸に刃物を突き立てていた。

 本当に自分の息子なのか。これは違うものなのではないのか。そう考えてしまうのも無理ないことだろう。いや、そうであると考える理由があるのだ。この村では。


 取り替え子という言葉を知っているだろうか。

 ヨーロッパに多く見られる伝承の一つだ。横文字ではチェンジリングという。

 人間の子供、特に新生児が、妖精など人外の存在によって盗まれ、代わりに妖精の子供や、木の枝が変化したような紛い物が置いていかれるという伝承。取り替え子の目的は、いたずらであったり、人間の子供を愛でるため、あるいは召使いにすること、様々である。取り替えられた子供は、明らかに異常な姿であったり、また、見た目が変わらなくとも、成長が遅く早くに死んでしまったり、異常に頭がよかったりと、普通の子供とは異なる点があるのだ。

 子供が何かに取り替えられてしまうという伝承は、世界各地にあり、近代においても子供が取り替え子なのだと信じて虐待をしたような事件もある。

 しかし現代で、しかも、自分の家族にそれが起こるとは、誰も思っていないはず。私だって、そうだった。

 さて。それでは、私の家族に起こった取り替え子の話を始めよう。


 私たち一家は、ある東北の小さな山村に暮らしている。

 妻も私も、ずっとこの村で育ってきた。車を走らせればそこそこの規模の町にも近く田舎にしては便利な場所だ。私の職場も町にあり、一時期はそちらにアパートを借りていたのだが、息子が生まれたことをきっかけに、故郷の村へと帰ってきたのだ。

 この村は、霧が多いことで知られる。その幻想的な光景に惹かれて訪れる人は多いが、村人からすると霧は神聖でかつ恐ろしいものだ。なにしろ、霧の中では山の精が人を攫うという伝承が、今でも年寄りを中心に信じられているような村なのだから。


 あの日、私は小学五年になったばかりの息子と沢に遊びに出かけたのだった。鮎釣りを教えようと沢に沿って上流に移動し、いいポイントを探していると、霧が立ち込めてきた。

 それは美しい光景で、自分の身体が霧に包まれるまで、私は見とれてしまっていた。ふと気づくとすぐ後ろにいたはずの息子がいない。名前を大声で呼ぶが返事がない。耳をすませても動く気配は感じない。霧が出てくるときは、私の背中にさわれるほどの距離にいたはずなのに。川に溺れたのではと心配になるが、私たちは沢から少し離れたところにいた。

 まさか道に倒れているのではと、少しずつ今来た道を引き返すが、息子の姿はない。

 結局、霧が晴れるまで小一時間ほど、私は周辺を歩き回っていたのだが、息子は見つからなかった。

 その日,息子は帰ってこなかった。

 七日間がたっても息子は見つからなかった。私も妻も毎日山に入ったが手がかりは皆無。誰しもがあきらめつつあった。息子から目を離してしまったことに対する後悔の念に苛まれる私を、妻は慰めてくれた。よほど私のことを罵りたかったろうに。

 しかし、七日目の夕方に息子はひょっこりと帰ってきたのだ。

 その日も霧の深い日で、私の母、つまり息子にとっての祖母と手を繋いで、何事もなかったかのように、帰ってきた。

 母が近所に用事で出かけたところ、息子が山の方から歩いて来たのとばったり会ったのだそうだ。

 息子は、いなくなった日と同じ格好で、買ったばかりの釣竿を持っていた。

 妻に抱きしめられる腕の中で、息子はきょとんとした表情をしていた。

 安心してその様子を見ていたとき、母が「取り替えられてしまったのかのう」と小声で呟いたのが、聞こえてしまった。一瞬意味がわからなかったが、すぐに理解した。村の伝承にある山の精は、霧の中に現れて、人を隠してしまうのだ。霧から帰ってくる者は、取り替えられた者で災いをもたらすという。息子が山の精に取り替えられてしまったのではと母は本気で心配しているのだ。

 まさかそんなはずはない、山の精など迷信に過ぎない、そう思っていたが、この村で生まれ育った私にも、山の精の存在は心に染み付いている。意識していなかったとしても、既にこの頃から、一抹の不安の影のようなもやもやしたものが心の片隅になかったかといえば嘘になる。


 息子を探すのを手伝ってくれた村人たちに報告と感謝に行くと、皆喜んでくれたが、やはり戸惑ったような表情を示すものもいた。七日間も何をしていたのか、どんな様子かとしつこく聞いてきたのは、村の顔役である赤松と取り巻きたちであった。赤松の家は村でも名家の一つで、村の伝統について神経質なまでに細かく、常に村の行事をとりしきっている。山の所有者の黒沢家よりも山への人の出入りに厳しいとも言われていた。こそこそと話す彼らの会話が耳に入った。「三年ぶりか」と。三年前といえば、村で高校生が一人山で行方不明になり騒ぎになったことがあった。あの高校性は見つからなかったはず。


 帰ってきた息子は特に体調を悪くすることもなく過ごしていたが、少しばかり情緒不安定になっているようだった。親馬鹿かもしれないが息子は小学生にしては随分と聡明で、ただ人前に出るのが苦手で人見知りなところがあった。山で迷った後、人前でびくびくするような様子が増えていた。しかし、山に数日も一人でいたのだから、心に影響が出ることもあるだろう。

 妻と相談し、町の病院に連れていくことも考えたが、息子が激しく嫌がったため様子を見ることにした。

 息子の失踪中の記憶については、私といっしょに釣りに出かけて、霧の中で迷ってそのまま家に帰ってきたという記憶しかないようだ。七日間、食事は、寝床はどうしていたのか、疑問は残るが追求しても仕方がない。いずれ思い出すこともあるだろう。

 失踪中の時間はまるで存在しなかったのようだ。典型的な神隠し、村の伝承にも同じような話があることを思い出した。


 息子が帰ってきて、どうにも村人からの視線がよそよそしくなったと感じた。特に四十ほどから上の世代でそれが顕著だった。まるで監視しているようにも感じる。中には直接、息子に異常がないかと聞いてくるものもいた。村の顔役の周辺の者たちだ。

 間違いない。彼らは、息子が取り替えられたものだと、何か悪さをするのではと疑っているのだ。

 村役場に勤める友人は、所詮迷信だから気にするなと言ってくれたことが有難かったが、私自身が疑っていることに罪悪感を感じた。


 息子が、学校でいじめられている様子があると担任が教えてくれた。ニセモノと呼ばれているのだそうだ。ニセモノは山に帰れと囃し立てる子供達がいると。担任はきつく叱ってくれたそうだが、果たして効果があるものか。

 しかし、ニセモノとは、明らかに取り替え子を意識した言葉だ。村の伝承は子供たちにもしっかりと根づいている。息子はこの村をいずれ出なくてはならないかもしれない。

 子供らの親も家で言っているのかもしれない。私の息子が、霧の中で取り替えられたニセモノなのだと。

 村人たちは、息子さんの調子はどうだ、あれから大丈夫か、ことあるごとに聞いてくるようになった。正直、不快であった。

 妻も同じのようで、疲れが顔に出ていた。


 しばらくして、村の子供が一人消えた。

 息子と同級生の男の子であった。

 その子が消えた日、誰かもう一人の子供と一緒に山に向かっている姿が目撃されていたが、そのもう一人の子供が誰だったのかはわかっていない。

 消えた子供の親に尋ねられた。遠回しさの欠片もなく、私の息子はその日どこで何をしていたのかと尋ねられたのだ。

 私は、家に一緒にいたと嘘をついた。

 間違いなくこの人は息子を疑っているのだ。

 私も恐れていた。一緒にいたのは本当に息子であったのかもしれないと。

 息子は、その日は一人で本を読んでいたと言っている。たまたま、私と妻は町に出ていたし、母は庭の手入れをしていたため、息子の様子を見ていた人はいないのだ。

 息子は、どうしたって息子にしか見えない。取り替えられたなどありえないと自分に言い聞かせた。


 しかし、私は見てしまったのだ。

 庭で息子が恍惚とした表情で猫を殺しているところを。息子は私の視線に気がつきながらも、悪いことをしているという様子は全くなかった。いやむしろ笑っていた。目が澱んでいた。

 これは息子なのだろうか。

 私は、その場で息子に話しかけることができなかった。


 もはや、うっすらと理解できていた。

 老人たちの「三年前ぶり」という会話。山での行方不明事件は三年前から今までにも発生していたはずだが、それにも関わらず三年ぶりと言っていたのは、おそらく行方不明の高校性が村に戻ってきていたことを指しているのではないか。そして、皆がそれを知る前にその高校性は消されてしまった、殺されてしまったのではないか。取り替え子の伝承を信じる村人たちによって。

 今回、息子は山から帰ってきて、幸運にも初めに母に出会った。そしてすぐに私と妻のもとに帰ってきた。だから、手出しされずにすんだのではなかろうか。

 妄想かもしれない。妄想だったらどんなによいか。

 だが、もはやこれが真実としか思えなかった。

 霧の中から帰ってきたものは村人に始末されているのだ。

 息子が村人から消されるかもしれないと考えると、ずしりと身体が重たくなるのを感じた。

 私は、迷いながらも、この考えを妻に語った。

 自分の中だけに留めておくことはできなかった。

 妻は言った。

「お義母様に相談しましょう」

 そうだ、母はずっとこの村に住んできて、たくさんのことを見てきたはずだ。何より、取り替え子の伝承を信じている節がある。母ならば、真実を知っているのかもしれない。


 母は言った。

 村人みなではないが、赤松の家は、昔からそういうことをしているのかもしれないと。

 そういうこととはつまり、取り替え子と信じた人間を始末するということ。

 赤松の家は、村の求心力を保つために、村の伝統を重視して自分たちが行事や祭りを仕切ってきた。

 村の伝承や禁忌についても、うるさいほどに管理したがる。

 実際の山の所有者であり村一番の資産家である黒沢家に強い対抗意識を持っており、山のことについても口出ししようとする。

 赤松の家ならば、もしかすると本当にやっているのかもしれない。。

 だが、息子が取り替えられたのかどうかという点については、なんとも曖昧なままだった。

 山の精はいるのかいないのか。本当に人が取り替えられることなどあるのか。

 母は呟く。

「それは誰にもわからんのだ。誰にも」


 この数日、村人が息子をみる目が恐ろしく感じられて仕方がない。

 村を出るべきかと真剣に考えはじめた。

 だが、それ以上に、息子が恐ろしく感じられて仕方がなかった。


 ある晩、一家三人で川の字で寝ていると、息子が静かに布団から出たのがわかった。

 トイレにでも行くのかと思ったが、息子は玄関に向かった。

 私は後を追った。

 息子は振り返ることもなく、すたすたと歩いていく。

 懐中電灯も持たずに家を飛び出した私は、電灯もない田舎の暗闇の中を足音と月明かりを頼りにして、息子の後を追った。

 虫が鳴いている。

 どこまで行くのか。息子の向かう先は山だった。

 なぜ山に。心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 何度も転びながら、必死で後を追った。

 山の入口に差し掛かろうとするとき、息子がくるっと振り向いた。

 目が合ったと思ったが、その目は、空洞のように窪んでおり、闇だけがあった。

 私はいったい何を追いかけてきたのか。悲鳴をあげたつもりはなかったが、辺りに響くのは自分の悲鳴だ。

 気がつくと、朝だった。

 自分も息子も布団の中にいた。息子はかわいらしい顔で眠っている。

 感じる痛み。手の平と膝小僧が擦り剥けている。転んだ跡だ。

 夢ではなかった。


 翌日、村で二人目の子供が消えた。

 親が、怒鳴り込んできた。

 そいつを渡せ。霧に返せと。

 扉を叩く音。響く怒声。

 一人ではない。これまで、鬱憤を溜め込んだ村人たちが集まっているのだ。おそらく赤松の家の者も。

「あなた迷わないで」

 妻は言った。

「私はあの子を守るわ」

 妻が包丁を後ろ手に玄関に向かった。

 母は、黙って座っていた。

 そして息子は、その様子を眺めて、にやにやと笑っていた。

 母が言った。

「誰にもわからんのだ。誰にも」

 そうだ、誰にもわからない。自分で決断しなければならないのだ。

 私は、汗ばむ手でゴルフクラブをしっかりと握って、息子と向かい合った。

前作「きりのなかにいる」の別バージョンですね。かなり被ってますね。

前の話と分けずに一つにできる可能性もあったかもしれないのだけど、作者の力量と時間の問題で切り離して作ってみた。

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