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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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六の一「僕には責任があるんだ」

どんよりとした曇り空と蒸し暑い空気が重苦しい。
胸元から裾に向けて紅の濃淡が波を描く小袖も、笠から下がった小鳥の刺繍が施された薄衣も、お気に入りのはずなのにと、美波は溜め息を吐いた。
それから市女笠をばさりと上げて、後ろを睨む。
「どうして付いてきたの?」
だが、後ろから歩いてくる男は笑みを崩さなかった。
「貴女一人で出歩くのは危険だからご一緒しますと言ったでしょう」
ふっくらとした頬を綻ばせ、彼は首の後ろを掻く。
「美波」
人懐っこい笑みのまま呼んだ彼に、美波は口の端をヒクつかせる。
「呼び捨てにしないで」
「すみません、貴女にはどうも… 難しくて」
彼はゆっくりと首を振る。
「僕のことも呼び捨てで構いませんよ」
そう言われ、美波は六日前から共に動くようになった相手を。
「泰誠」
と、ぶっきらぼうに呼んだ。
「ええ、結構ですよ。それでですね、美波」
泰誠も応じる。
「まあ、窮屈でしょうとは思いますが」
「じゃあ、一人で歩かせてよ!」
きんっと小さいが高く叫ぶ。するとやっと彼は笑みを消した。
「だから、駄目です。今は危険です。三条の大殿の目がどういう形で光っているか分かりませんから」
そう言って、彼は細めた目で周りを――ざわつく市の中の人々の流れを見回した。
「秋の宮様と宮様とお親しい方々への締め付けが始まっているのは確かです。宮様は高辻のお家と親しいですから、その一族の葵も、近衛府でかなり窮屈みたいですし。北の校尉殿も、宮様とお親しいと思われているから… 校尉殿の縁者である貴女ははっきり言うならば危害を加えていい対象と思われているはずです」
ね、と小さく言われ、美波はぷいっとそっぽを向いた。
「私と史琉は関係ない」
「貴女がどう思うかじゃないんですよ。周りが――悪意のある相手がどう見てくるかなんです。分かんない人だなあ」
溜め息とともに吐き出された声に、美波は一層頬を引き攣らせる。
――知ったもんか!
ぎりりと奥歯を噛んで前を向き直る。
唇の上には触れられた感触がまだ残っている気がすると、ますます奥歯に力が入る。
――史琉の馬鹿!
己には何の情もないくせに、と口付けてきた男を罵ると、後ろに立つぼんやりとした雰囲気の男にも苛立ちが募った。
今歩いているのは煌びやかな都の市場。だが、数日前なら心踊った色とりどりの衣たちにも何の感動も感じない。
――こいつがいなかったら思う存分楽しめたかもしれないのに!
そう思った瞬間、美波はまた後ろを振り向いて、泰誠を睨んでいた。
「あなただって私と一緒にいるより行きたいところがあったんじゃないの?」
問うと、泰誠は肩を竦めた。
「ありますけどね」
「じゃあ行けば?」
間を置かずに返すと、彼は複雑に笑った。
「……だとしたら、貴女にもご同行いただくのが条件ですけど?」
「なんで!?」
「だーかーらー… ああ、苛々するなあ!」
泰誠は叫び、立ち止まって頭を掻いた。
「こっちだって苛々する!」
美波も叫ぶ。泰誠はグシャグシャになった髪はそのままに項垂れた。
「……校尉殿と時若殿に悪いからと思ってお助けしたんだけど。間違ったかなぁ…」
「だからどうして史琉が出てくるのよ」
イライラと叫ぶ。泰誠も低い声で応えた。
「貴女は校尉殿達と一緒に北から来たのでしょう? どうして、自分がどう見られるか考えられないかなぁ!」
そうしてから、彼は顔を上げ、手櫛で乱れた髪を直していく。
「…校尉殿にお願いをして、時若殿にご同行いただいた結果で今の事態があるんです。皆さんをこれ以上に危険に晒さないために、時若を元に戻すためになんだってしますよ」
細めた目で真っ直ぐに前を向いて、呟く。
「僕には責任があるんだ」
「……わっかんない」
今度は美波が肩を竦める。
「結構です」
泰誠の溜め息が響く。そのまま彼はよたよたと道の端へと寄っていく。
何かと思って見遣れば、そこはこじんまりとした茶屋だった。店先で二言三言、前掛けをかけた女と喋った泰誠は振り返り手招いてくる。
躊躇う素振りを示すと、彼は大仰に手を振ってきた。
美波は眉を寄せて歩み寄る。だが、固くなってきていた脚に気付いて素直に腰を下ろした。
間口こそ小さくまとまっていたものの奥に広がっているその店からは多様な声が聞こえてくる。
「大殿は昨日も市に来ていたそうだな」
「ああ、今度は道の整備について話を聞いて回ってたって話だぜ」
「聞いてくれるのは嬉しんだけどなぁ…」
「でも実際、東の川の橋、かけ直してくださったのは大殿のお力なんだろ?」
――あれ?
と美波はゆっくりと店の奥を振り返った。
「今話題に上っているのが、三条の大殿?」
呟くと、そうですよ、と泰誠から声がかけられた。
顔を向けると、彼は静かな顔を向けていた。
「大殿だって悪い方じゃないんです。ただ… まあ、いいか。分かってもらえそうにないですし」
「馬鹿にしないでよ」
思わずそう返す。だが、泰誠の細められた目は緩まない。
美波はもう一度長い息を吐き出すと、薄暗い空を見上げた。



雲が重たいなと、空から目を逸らす。
被いた衣をギュッと引き寄せて、倖奈は眉を寄せた。
「どうもありがとう」
そこで声が聞こえてはっとなる。
顔を上げると、広げた蓙の上に野菜を広げ、自分もその上に胡座をかいていた男が、どうもと笑い返してきていた。
隣の人はすっと立ち上がり、倖奈の手を引く。
頷き、その人に合わせて歩き出す。
「史琉」
呼ぶと、手を引く人――顔の右側が隠れるように白い包帯を巻き、墨色の直垂を着た史琉は苦笑いを向けてきた。
「参ったな」
それに静かに頷く。
「何があったのか詳しく分からないのが辛いな」
目は細められ、すっと前を見遣る。
「噂するだけの方は気楽だもんなぁ…」
倖奈も釣られ、前を見た。
そして、頭の中だけで先ほど耳に挟んだ話を繰り返す。
――秋の宮様のお屋敷が焼けた。
一体何故、と唇を噛む。
火事の日やその翌日に実際に見に行ったと言う彼でも、原因までは知らなかったらしい。ただ、今は周囲に検非違使や近衛の役人が居て、塀の中を覗こうともできないと笑っていた。
市の雑多な流れをくぐり抜けて、通りの端の木の下まで来ると、ふうと息をつく。
倖奈はそのままへたり込み。
史琉は幹に凭れ、腕を組んだ。
「どうして律斗は連絡を寄越してこないんだろうな」
小さな声で呟き、首を捻る。
「なんか連絡できなくなるような事態――ってなんだ? ただの火事じゃなかったってことだよな?」
彼の眉間には皺が刻まれ、倖奈の手は胸元に隠された懐剣を掴んだ。
――皆は無事?
もう一度唇を噛んだところで、袖を引かれる。
え、と呟いて見向くと、袖の端を白い大きな犬――次郎が噛んでいた。
思わず笑み、腕を伸ばすと、次郎はその大きな体を剃り寄せてきた。
「皆、無事だといいね」
言って頬を寄せると次郎は犬のように、くうん、と鳴いた。
すると、小さな笑い声が上から聞こえる。
「本物の犬みたいだな」
そう言って史琉は視線を次郎に向けた。
「おまえ、何故俺たちについてきたんだ?」
すると次郎は。
「ワン!」
と一声上げ、史琉は、はあと溜め息を吐いた。
ヒイロは次郎が瘴気を持つ存在だと言っていたのに――つまり、次郎は魔物なのだろうに、と倖奈は吹き出す。
「見た目が可愛らしくてもな」
と史琉は低い声で話す。
「シロとじゃなく、俺たちといるっていうのが疑問なんだよ。おまえが喋れるんなら洗い浚い吐かせたいところだ」
それに、倖奈は眉を寄せた。
だが。
「そんな不安そうな顔するなよ」
と、彼は倖奈を向いて笑った。
「何とかするさ」
それから次郎に向き直り、口元を綻ばせたまま、目を細める。
次郎もまた静かな顔で彼を見上げた。
「でも」
その様を見つめて、ますます渋い顔になりながら呟く。
「…でも?」
史琉はまた見向いて、目元を和らげてくれる。
倖奈は首を振った。
――この不安をどう吐き出したらいいのか分からない。
胸元に寄せた両手に力が入る。白くなった指先に、荒れて固くなったそれが重ねられて、倖奈はゆっくりと顔を上げた。
史琉は変わらず、穏やかな顔をしていた。
その右半分を覆い隠すように巻かれた白い布に手を伸ばし、倖奈は言った。
「史琉は笑ってくれるのね」
すると。
「…おまえがいて、良かったよ」
史琉が言い、倖奈は瞬いた。
手を添えた顔が静かに寄せられ、瞬間唇と唇が重なる。
「振り返ったらおまえがいるんだ」
僅かな距離まで離れたところで、低い声が響く。
「俺は間違えられない」
それだけ言うと、彼は元通り体を起こした。
「さて、どうしようか。律斗たちが簡単にくたばるとは思えないからな。無事でいるだろうし、合流したいところだが… 何処にいるのやら」
首を捻る彼に合わせ、倖奈も呟く。
「何処…かしら?」
「思いついたところををしらみつぶしに当たっていくか」
うーん、と唸って宙を仰いだ史琉の横顔を見上げる。
「秋の宮様や… 芳永様が滞在していても不思議のなさそうなところだな。宮様や芳永様にとって安心して滞在できそうなところ……」
そのまま倖奈は、ぽつんと言った。
「芳永様のお家は?」
すると、史琉が一瞬目を見開いた。
それからにやりと笑う。
「ここから近いな。ダメもとで行ってみようか」
すいっと体を起こし、彼は倖奈に手を差し伸べてくる。
がっしりした掌に引き上げられ、倖奈も真っ直ぐに立つ。
それから史琉は横を向いた。
「おまえも来るのか、次郎?」
顔を上げていた白い大きな犬は僅かに頷く。
ふっと史琉は笑い、歩き出す。
手を引かれ、倖奈も付いていくと、後ろを次郎が静かに歩いてきた。
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