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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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伍の四「何の進展もないのが辛いです!」

しっとりと水気を含んだ空気が木々の間を零れ落ちる。
その中で、影は呻いていた。
ごろんごろんと転げまわって、その合間に控えめに咲いている露草を喰む。
だが、脇に別の人影が立った瞬間に影は全ての動きを止めた。
人影は――シロはじっと影を見下ろしてくる。
「時若」
名を呼ばれ、影はびくりと肩を揺らす。
「何故、倖奈のもとへ行った?」
冷め切った声に、時若はうめき声を返す。
シロは長く息を吐いた。
「しかも中途半端に神気を浴びただけで… それでは人にも戻れぬし、消えることも叶わぬだろうが」
ぴくりとも表情を動かさずに、シロは言った。
それから指先を伸ばして、時若の頬を引っ掻いた。
爪の先に赤い雫が付いたのを認めてから、また息を吐く。
「人として死ぬか、魔物に成り変わるか。どうする?」
すると、時若は首を傾げて、ごろりとうつ伏せになる。
そのまま顔を地面にこすりつけて、草を喰み始めた。
「獣じゃな」
そこで初めて笑って、シロは言った。
「あと何日保つことやら」



「五日目ですよ!」
ずいっと顔を寄せて颯太が言うと、律斗は長く溜め息をついて顔を背けた。
「分かっていることを改めて言うな」
「だってだって、だってですねえ!」
あああ、と呻いて颯太は頭を掻きむしりながら反り返る。
「宮様の屋敷が焼けてから五日目! 何の進展もないのが辛いです!」
それを冷めた視線で見ながら、律斗は口の端を引き攣らせた。
「苛立っているのはこっちもだ」
はああ、と息を吐いて、律斗はゆらりと立ち上がった。
睡蓮が見事に咲いた池の辺りで、彼はぶんと太刀を鞘から抜き放った。
「来い、颯太!」
びりびりと声が空気を震わせる。
「その落ち着きのない根性を叩き直してやる!」
「いえ、結構です!」
蒼い顔で颯太が叫び返す。
だが、律斗はもう地面を蹴っていた。
びゅおっと伸びてくる刃を、身を逸らして避ける。
「わあああ!」
叫び、颯太はだっと駆け出した。
それを追い越して、律斗が足を払う。
転びかけた体を無理やり立て直して、颯太はまた走る。
「器用さだけは上がったな」
呟いて、笑って。律斗も走り出す。
「いや、もうほんと、止めましょうよ~~~!」
「うるさい!」
草が茂った庭を縦横無尽に駆け回る二人を。
「子どもだね」
縁側から見つめながら、芳永は息を吐いた。
「落ち着きがないのは律斗も一緒だよ」
「そうだなあ…」
御簾の隙間から目だけ覗かせて、秋の宮も頷く。
「が、二人の気持ちは分からないでもないな。ここに居ると何も見えぬし、聞こえてこない」
「仕方ないですね。迂闊に外に出て、ここにあなたがいることを三条の大殿に悟らせるわけにはいきませんから。僕は大人しく蟄居していることになっているんです」
芳永は苦笑する。
「その分葵に頑張って近衛府に顔を出してもらっているんですが、あの子はこういう知的な駆け引きが苦手で有益な情報を引っ張ってこないんですよね。まあ、頭脳戦が苦手なのは律斗もですけど」
それから居住まいを正す。
「高辻のおじさん――大納言の話では、その後は内裏へ魔物の襲撃はないようです。三条の大殿は相変わらず、魔物は宮様のせい、宮様のお屋敷焼けたのは証拠隠滅のためだ、と言いふらしているようですが」
「魔物の――時若の行方は掴めないかね?」
秋の宮に低い声の問いに、芳永は首を振った。
「残念ながら。おじさんは内裏の中の混乱収集に手一杯ですし、泰誠君にも追えていないようですね」
ふう、と息を吐く。
「手が足りないです。泰誠君には葵の補助もやってもらいたいから、時若君を追うことばかりに時間を割けないでしょう。そう言う意味で魔物を相手にしてもひるまないような助っ人が欲しい」
「魔物の相手といえば… 校尉がいるだろう」
秋の宮の呆れたような声に、芳永はぽんっと手を打った。
「ああ、そうか。史琉君か」
それから眉を顰める。
「彼に頼むんですか? 魔物の正体は、彼とともに北からやってきた人間だというのに」
「だから、だ」
秋の宮は静かに言った。
「校尉――史琉は、魔物相手に手を抜かぬよ」
「…そうですか」
はあ、と息を吐いて芳永は背筋を伸ばす。
「倖奈の体調がどこまで良くなっているか分からないですけど… 動いてもらえるように連絡しますか」
「ああ」
頷いて、秋の宮は瞬く。
「誰を連絡に寄越すんだ?」
「それは…」
と、芳永は笑って庭を向いた。
「ほら、あそこに。校尉を慕ってやまない人がいるでしょ?」
すると、秋の宮も笑んだ。
「成程」
くすっと笑って、芳永は庭に降りる。
「おーい! 頼みがあるんだけど!」
叫ぶと、よろめいていた颯太が。
「行きます、行きます! 喜んで!」
叫び返してきた。



夜風はまだ湿気ていても、壁を叩く雨音は止んで久しい。
――明日にはお屋敷に戻るわ。
そっと窓にかかった簾を下ろして、倖奈は両手を壁について、何もないそこを睨んだ。
――すっかりヒイロと真希にお世話になっちゃって… でもきっと、颯太も芳永様も茉莉様も心配しているわ。まず、謝らなくちゃ。
それから、と心の内で指を折る。
――泰誠に会いに行って、魔物がどうなったか聞いてみよう。それと、時若が…
とそこまで考えて、唇を噛む。
思い浮かぶのは最後に見た姿だ。落ち窪んだ眼窩に不明瞭な声しか発さぬ唇。乱れた黒い髪。
幼い頃から厳しくあった彼に全く似つかわしくない姿。
思い出すだけで、ぎりぎりと歯に力がこもっていく。
――あんなのは駄目。
倖奈がこんなに苦しいのだ。当の本人はどれほどの苦しみだろう。
そう思えば思うほどに、指先にも力が篭もり、白くなっていく。
――助けるの。
ぎゅっと目を瞑って念じて。それから部屋の中を振り返った。
一つしかない燭台の前には、史琉が背筋を伸ばして座っている。
手元の鞘が払われた刃は揺れる焔を映していた。
真っ直ぐにそれを見つめ、静かに鞘に戻してから、彼もゆっくりと振り向いた。
「倖奈? 何をそんなに難しい顔をしているんだ」
くすりと笑われ、頬が熱くなる。
「何をって…」
「また小難しいことを考えていたんだろう?」
微笑んだ史琉は、両手に持っていた太刀を脇に置くと、手招いてきた。
一度瞬いて、倖奈はまっすぐに彼の胸に飛び込んだ。
すぐに背中に腕を回され、ぎゅっと抱き締められる。
その後、片手は肩に置かれたまま、もう片手は緩く波打つ髪を梳き始めた。
「何を考えていたんだ?」
ふにゃりと体を預けたまま、倖奈は見上げた。
そうして左手で彼の頬に触れて、そのまま目元へと伸ばす。
史琉は笑んだままだ。
「ねえ、史琉」
呼ぶと穏やかな顔のまま、彼は首を傾げる。
「どうするの?」
「何をだ?」
「…時若」
短く言うと、そこで始めて彼の笑いに苦いものが加わった。
視線はするりと倖奈から外れて、脇によけられた太刀に向けられる。
「どうにかしなきゃな」
その声に、びくりと肩を揺らす。
すると史琉はくすくすと笑って、抱きしめてきた。
「おまえが心配することじゃないよ」
「そんなことない!」
僅かに強い声を上げると、彼は目を見張った。
「私にもできることがあるもの!」
倖奈は顔を上げて、唇を尖らせた。
「瘴気だけを時若から追い払うことはできるはずなの… ヒイロだって頷いてくれたわ」
すると史琉は、瞬き、ふっと息を零した。
「ああ… そうだな」
倖奈もふわりと笑むと、彼はくくくっと喉を鳴らした。
「だが、無理はするなよ? 何にもない空間に花を咲かすのはできないと前に言ってなかったか?」
顔を覗き込まれ、倖奈はもう一度唇を尖らせる。
「史琉ってば… 自分が言ったことは覚えないのにわたしの言ったことは覚えているの?」
「あー…」
史琉は頬を僅かに引き攣らせ、横を向く。倖奈はぎゅっと眉に寄せる。
ややあってから、史琉は向き直り。
「とにかく無理はしてくれるなよ。頑張るのは嬉しいが… 程々にな」
髪を梳きながら、耳元で囁かれ。倖奈はゆるりと頷いた。
「大丈夫」
史琉も頷き、また抱き寄せられる。温かい鼓動に耳を寄せながら。
「きっと、助けられるよね?」
言うと。
「そうだな…」
低い声で応じられる。
そうして指先で顎を掴まれ、上向かされた。
驚いて名を呼ぶ前に、唇を塞がれる。
最初は触れるだけ。やがて、熱い吐息が混じり合うようになって、縋り付く腕にも力がこもる。
そのまま二人褥に倒れ込む。
「おやすみ」
言われ、瞼を撫でられて。
倖奈は逆らわずに眠りに落ちた。
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