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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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伍の二「どうして、二人が闘うと瘴気が生まれそうになるの?」

――苦しい。
息が詰まるのに合わせて、思考も止まろうとする。
それを必死に掻き起こす。
――考えろ、考えろ!
薄らと目を開ければ、にたりと見上げてくる男の顔が見える。
倖奈はそれを睨み返した。
――この男から逃げるんだ。史琉と闘わせないようにするんだ。
その為にはまず、この男の腕を退けなければ。
奥歯を噛んで、倖奈は裸足の足を振り上げた。
宙に浮いていた足は、ぶん、と音を立てて動き鳳樹にぶつかる。
「ぐえ!」
鳳樹は呻き、体を折る。
同時に腕が離れていき、倖奈はずるずると木の幹を滑り落ちた。
ひゅうっと一気に息を吸ってしまい、咳き込む。
一方の鳳樹も、体を曲げたまま呻いている。
倖奈は、幹と男の間から這い出した。
「て、めぇ、……!」
鳳樹が低い声で呻る。
「とんでもねえところを蹴り上げやがって…!」
その嗄れた声を背に立ち上がり、走り出そうとしたところでまた袖を引かれ、倖奈は蒼い顔で振り向いた。
額に脂汗を浮かべて、鳳樹は左腕を伸ばしてきている。
「いい根性だ…!」
そう言って、彼は袖から指先を離すと、ゆっくりと左拳をあげたのだが。
「何をしている」
すっと聞こえてきた冷めた声に、きょとんとなって振り返った。
倖奈もそうっと向く。
林を抜けていく小道に立っていたのはヒイロで。
「薬を取りに行くのだと言ったろう。待っておられぬのか、おまえは」
無表情に彼がそう言うと、鳳樹は舌を打った。
「興味の移る先があったんでね…」
そう言って視線を動かして。鳳樹は目を丸くした。
倖奈もまた。
ヒイロからその後ろへと見遣って、息を呑む。
――史琉!
しっかりと開いている左眼を鳳樹に向けたまま。
彼も冷めた顔で立っていた。
「随分、貫禄の付いたお顔になったじゃねえか!」
見られている鳳樹は肩を揺らした。
「いいざまだ!」
それに史琉はゆっくりと首を傾げた。
「そうか?」
「ああ、そうさ」
鳳樹は嗤う。
「因果が報い… ってやつだな」
すると、史琉は長い溜め息を吐いた。
「どれの因果だろうな。多すぎて分からない」
それに鳳樹が眼を見開く。
「どれって…」
「正直、おまえのことも忘れていた。つい、さっきまで」
「んな…!」
鳳樹のこめかみが引き攣る。
「薄情だな… 下手したら死ぬような怪我を負わせているというのに」
ヒイロが呆れたように言うと、史琉は肩を竦めた。
「都に来てからは考えることが多過ぎたんだよ。それでも…」
と、薄らと笑い、史琉は一歩踏み出した。
「忘れるのは良くないな。気をつけよう」
ヒイロの脇を抜けて、進み出ようとして。
それより早く、鳳樹が走り、拳を振るった。
鈍い音とともに、それは史琉の腹に食い込む。
「見えなくて… 避けられなかったか?」
くくくっと鳳樹は嗤う。
だが、腹に食い込んだままの相手の左腕を右手で掴んで、徐に史琉は顔を上げた。
「軽い」
「は?」
鳳樹が目を剥くと同時に、史琉の左手が空を切る。
がつん、と音を立ててそれは鳳樹の胸を殴り、そのまま体を吹き飛ばす。
ばしゃん、と背中から泥の中に落ちて、それでも鳳樹は大声で笑った。
「いいじゃねえか!」
がばりと起き上がる。
にいっと笑って史琉を見上げ、鳳樹は言った。
「今度は存分に付き合ってくれそうだな」
史琉は目を眇める。
「おまえを殴る理由ができたからな」
鋭い視線を一瞬だけ逸らしてから、鳳樹を睨む。
「倖奈に何をした」
「何って… ああ、何発か殴ったな」
途端、もう一度史琉の拳が鳳樹の顔へと走った。
今度は倒れ込まなかった鳳樹は、肩を揺らした。
「全く、やっと、だぜ! やっと、本気で遣り合ってくれそうだな!」
がばっと立ち上がり、左手を前に構える。
「片腕と片眼… どっちか強いだろうな?」
言い放ち、地面を蹴る。
ぶん、と唸った拳が史琉の頬に当たる。
よろめいたと見せかけて、史琉の脚がぐんと伸びて、鳳樹の脇腹を蹴る。
同じように鳳樹も脚を伸ばす。
躱して、拳を突き出し、ぶつけ合って。
風を揺らして。
泥を跳ね上げて走る二人を倖奈は呆然と見遣った。
はっとしたのは、隣にヒイロが立った瞬間。
「おまえはおまえで、何をしていたのだ」
泥濘んだ地の上にへたりこんでいた倖奈は彼を見上げて、唇を震わせた。
「空気が」
それにヒイロが首を傾げる。
「なんだ?」
「空気が揺れているの。これは… 瘴気が生まれそうだから?」
倖奈が言うと、ヒイロは目を丸くした。
そのまま、ぐるりと周りを見回す。
辺りの木々の葉は、小さな花びらたちは震えている。その震えが集まって風はざわざわと小刻みに吹いている。
そして、その風は殴り合っている二人へと流れていて。
ここまで視線を動かしてから、ああ、とヒイロは呟いた。
「そうだな」
「どうして…」
ぶるっと体が震える。
「どうして、二人が闘うと瘴気が生まれそうになるの?」
両腕で己の体を掻き抱いて、倖奈はヒイロを見つめた。
「……人は瘴気を生み出せるの?」
ヒイロはゆっくりと頷いた。
「そうだ」
すっと両目を細めて、彼は遠くを見遣り。
「己を狂わせ、周りも荒れ狂わせるもの。それが瘴気――荒御魂の正体だ」
何度も瞬いて、彼は言葉を続けた。
「荒御魂の正体に気がついた時、私は喜んだよ。怒り、妬み、嫉み――そう言った他者への歪んだ感情を持ち続けていたら瘴気を産めるのか、とね。そして試してみた結果はおまえも知っておろう?」
振り向かれ、倖奈はゆっくりと頷いた。
「ヒイロたちが作った瘴気の塊――」
「あれは『私』が――色の宮と呼ばれていた愚か者が己の境遇を嘆き、それに真っ当でない怒りをぶつけていた結果で生まれた荒御魂だったんだ。だから……」
「だから、ヒイロたちと深く繋がっていたというの?」
倖奈が云うと、ヒイロは笑んで、首を振った。
「つまり、そういうことだ。人は瘴気を生み出すことなど、訳のないことなんだ」
ゆらりと笑ったまま、ヒイロはじっと倖奈を見る。
「瘴気の真逆にあるものが、神気だ。だが、その神気だって人が産み出せる。分かるだろう? 神気と瘴気は紙一重だ。荒れれば瘴気、和げば神気」
倖奈がヒイロを見つめ返すと、彼は笑みを深くする。
「【かんなぎ】とは瘴気を消し去ることができる者を呼ぶが… 、より正確に言うならば、そこある魂を和ませる力を持つ者を云うのだろう。瘴気を和ませることができる者。故に【神和ぎ】」
言って、ヒイロはゆらりと視線を動かした。
「あれを和らげられるか?」
倖奈もまた見遣る。
その時はまさに、鳳樹が倒れ込んだ瞬間だった。
前のめりに泥に沈み込んだ鳳樹の背に史琉が飛び乗る。
そのまま彼は、腕を相手の喉の下に回した。
ぎり、と力が加わり、鳳樹が仰け反る。
限界より先へと曲げられようとして、げえ、と呻く。
ぶわり、と木々が、花が、風が揺れる。
「だめ…」
倖奈はふらりと立ち上がった。
風がごうっと唸る。
そのまま、二人へと吹き込もうとする。
「止めて!」
叫んで、そこへと走り出した瞬間、光が爆ぜた。
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