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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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伍の一「俺と校尉がどんだけ遣り合おうか、娘っ子に何の関係があるって言うんだ」

ざわついて空気を揺らす花びらたち。
真っ赤な夕陽に照らされた川辺。
その中で舞う真っ赤な血飛沫。
膝をついて、蒼白な顔で呻く男。

一瞬のうちに様々な影が脳裏を掠めていく。

「おい」
低い声をかけられて、倖奈はびくりと体を揺らした。
声の主は、土間から上がってすぐの処に座っている男。
座っていても分かる程背が高い彼は、にぃっと薄い唇を綻ばせた。
「なんで、小娘が此処に居る?」
倖奈は背筋を真っ直ぐに戻して、眉を寄せた。
「なんでだ?」
重ねられた問いにも黙って、倖奈は右手で衣の上から懐剣を掴んだ。
ぎゅっと睨むと、相手はくくっと喉を鳴らす。
「質問を変えるか」
彼はだらりと左手を後ろについて、胸を反らした。
「てめえ、俺が誰だが分かっているんだろ?」
すう、と息を吸って。首を振るでもなく、倖奈はもう一度相手を睨んだ。
「黙ってちゃあ、分かんねえ」
相手は鼻を鳴らしてから、肩を竦め、片足をだんっと床についた。
ぎろりと睨まれ、背筋が揺れる。それを誤魔化すように殊更眉を寄せて、倖奈は相手を睨む。
「だが、こっちはてめえが誰だが分かってるんだ」
向こうの瞳も険呑な光を宿して、すうっと細められた。
「おまえ、北の校尉殿が連れていた娘っ子だろう? 都手前の宿場町で逢った時には、しっかり名前まで言ってくれたのになあ… 忘れたとは云わせねえぜ?」
鋭い眼の奥に宿る光を見ながら、倖奈は指先に力を込めた。
――忘れるものですか。
東の国府の街で交わったのが最初。二度目は男の云うとおりの都手前の宿場町。そして今が三度目。
――鳳樹、というのが貴方の名でしょう?
因縁を付けて追ってくる男に心の中だけで呼びかけ、倖奈はじっと立つ。
鳳樹はのそりと立ち上がった。
そして、梁に届きそうなほどの長身を伸ばして、見下ろしてくる。
「本当に、何も答えない気か?」
彼がそう言って、僅かの後に。
ひゅっと何かが風を切る音が響く。その直後にぱんっと鳴った。
「…っ!」
衝撃によろめいて、踏み止まって、見上げる。
「手は選ばねえ」
左手をわざとらしく揺らして、男はにいっと見下ろしてきた。
「喋れ。俺が誰だか分かっているんだろう? そして…」
と薄い唇の笑みをじわじわと体中に広げながら言った。
「校尉殿は何処にいる?」
じんじんと痺れる右の頬を抑えながら、倖奈も言った。
「それを聞いて、どうするの?」
ははっと笑って、鳳樹は返す。
「決まっているだろう? 戦うんだよ」
左手でゆっくりと右の袖を捲くって、続ける。
「腕の御礼もしたいしなあ…」
どれだけ捲くっても覗かない腕に、ひっと息を呑んでから。
倖奈は素早く左右を見回した。
ヒイロはいない。奥の部屋から、真希が戻ってくる気配もない。
勿論、史琉も来そうにない。
――今は、来ないで。
願い、一度目を瞑ってから。倖奈はだっと男の脇をすり抜けた。
「おい!」
鳳樹が叫ぶのに構わず、裸足で土間に飛び降り、走る。
――この人の狙いは史琉と戦うこと。
だが、今は戦ってほしくない。
片眼の見えない史琉に、戦ってなどほしくない。
――お願い、史琉が奥に居ると気づかないで。
戸を出て振り返ると、顔を赤くした鳳樹がずしりと歩いてくる。
それだけ認めて、倖奈はだっと走り出した。
湿った土が足の裏に触れ、肩に小雨が落ちてくるのにも構わずに、そのまま庭を駆け抜ける。
そして、林の小道に辿り着いたところで。
「おい!」
低い声がすぐ後ろで聞こえたと思った直後、ぐいっと髪を引っ張られた。
「きゃあ!」
勢いよく、後ろに転げる。
強かに背を打ち付けて、咳き込んだ。
「どういうつもりだ」
鳳樹がギロリと見下ろしてくる。
ごろんと転がってから体を起こした倖奈にまた鼻を鳴らして、彼は左手で頭を掻いた。
「逃げてどうする。俺が訊いたのは、校尉殿が何処に居るかってだけだろう?」
息遣いが全く変わらない男を見上げながら、倖奈は懐に右手を差し入れた。
硬い感触に息を詰めながら、よろりと立ち上がる。
「おかしな奴だ。とっとと答えりゃいいのに」
冷たい視線を寄越しながら、鳳樹は肩を竦めた。
「俺と校尉がどんだけ遣り合おうか、娘っ子に何の関係があるって言うんだ」
「関係あるわ!」
思わず叫ぶ。
それに鳳樹が目を丸くする。
ざわっと木々の葉が揺れた音を確かに聞いてから、はあと息を吐いて、もう一度。
「関係あるわ。史琉のことだもの」
倖奈は低く呟いた。
一瞬の間を置いて。
「あっはははははは!」
鳳樹が肩を揺らす。
「傑作だ!」
ひひっと笑って、彼は一歩踏み出す。
「まさか、娘っ子がねえ… まあ、その辺の人の趣味をどうこう云うつもりはないが」
ざっざっと踏み込まれ、倖奈も二歩三歩と後退る。
どん、と倖奈の背中が木にぶつかったところで、鳳樹は進むのを止めた。
「取り敢えず、てめえは校尉殿の居場所を吐くんだな」
にぃっと笑って、彼はゆっくりと左手を上げた。
風もないのに、ざわり、と木々の葉がまた揺れる。
ずきんずきん、と頭の奥が痛み出し、胸が押し潰されたように苦しくなる。
――ああ、この感じ。
倖奈は無理矢理息を吐き出した。
――魔物に逢った時に似てる。
前にヒイロが、瘴気に体力を奪われるから苦しくなるのだと云っていたなと考えたところで。
また、ぱぁん、と空気が震える。
今一度右の頬を張られ、倖奈はよろめいたが、すぐに顔を上げてきっと睨む。
「止めておけよ。俺だって、か弱いのを苛める趣味はねえんだ」
ははっと鳳樹は笑い、もう一度左手を上げた。
また、背を預けた木の葉が揺れる。ざわめきは葉から隣の木へ、またその隣へ、雨に濡れた露草へと広がっていく。
揺らぎを聴きながら、倖奈は唇を噛んだ。
――闘ってごめんなさい。
二度瞬いて、もう一度、鳳樹を睨む。
「でも、お願い。今は力を貸して!」
叫び、左手で背を付けた木の幹を撫ぜる。
ざわっと一際大きく葉がざわめき、それからごうっと揺れた。
「なんだ!?」
鳳樹が叫び、見上げたと同時に。
葉の雨が降る。
「うわっ!」
それを浴びた鳳樹は悲鳴を上げた。
緑色の刃が彼の皮膚を裂いていくのを、目を見開いて見つめ、それからまた睨む。
「お願い、ここから去って」
腹の底に力を込めて、一気に声を吐く。
「手に入れそびれたお金のことも、仲間のことも、腕のことも、お願い忘れて。私たちのところに来ないで。史琉と闘おうなんてしないで!」
さあっと最後の一枚が地に落ちてから、鳳樹はゆらりと顔を上げた。
「何をぬかす」
血走った眼を向けて、鳳樹は一歩踏み出す。
「何が、闘おうとしないでだ… あ!?」
今一歩というところで、今度は足元の羊歯がしゅるりと伸びると、鳳樹の脚に絡みつく。
がくん、と動きを止められた鳳樹を見つめて、口を開く。
「闘おうとしないで。あなたたちが闘うと、周りの空気が揺れるの。まるで瘴気を産もうとしているみたいに… 魔物を作り出そうとしているみたいに!」
はあ、と肩で大きく息をしてから、自分で目を丸くする。
――そうか。だから。
あの川原でも、花たちがざわめいていたのだ。
史琉と鳳樹が乱す空気から瘴気が生まれるのを懸念して。
――だとしたら、尚更。
と唇を噛む。
史琉とこの男を戦わせられない。彼が憎む魔物を彼が作り出すなんてことはさせられない。
木に凭れたまま見遣れば、鳳樹は両足を羊歯に絡め取られていた。
「この… くそ!」
顔を赤く染めて、ぐんぐん伸びて絡みつき続ける蔦に左手をかけると、一気に引きちぎる。
「葉といい蔦といい、何が何だか分からねえ…」
ぶちぶちっと音を立ててから、ばらばらと地面に振り落とされた緑色の紐をぐしゃりと踏みつけ、鳳樹はまた一歩踏み出して、左手を伸ばした。
そのままぐいっと倖奈の襟元を掴む。
軽々と体は宙に浮く。
背を幹に押し付け、太い腕が胸を押してくる。
「離して…!」
指先を腕に引っ掛け押し戻そうとしても叶わず、裸足の爪先が空を掻く。
相手の顔より高い場所に引き摺り上げられ、腕に肺を押され、倖奈の唇が戦慄く。
鳳樹はにいっと笑い。
「めんどくせえのは嫌いなんだ」
と言った。



真希は湯呑の中身を飲み干してから。
「そう言えば今、片腕のない男が来てる」
と言った。
「…腕?」
史琉が繰り返すと、真希は頷いた。
「なんか、こう… 右腕のこの辺からすぱっと斬られたみたい。ヒイロ曰く、巧く斬られたってさ」
「斬られた?」
「うん。喧嘩か何かかな?」
彼女は首を傾げる。史琉は瞬いてから。
「…へえ」
と薄らと笑みを浮かべた。
そして。
「ここから?」
と左の指先で、右の肘上あたりをすっと撫ぜる。
真希はこくこくと首を振った。
「そうか」
史琉は笑みを深くすると立ち上がった。
「どうしたの?」
見上げ、真希は問う。史琉はのんびりと首を振った。
「面倒だな、と思っただけだ」
肩を竦め、史琉はゆっくりと足を土間に向けた。
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