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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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四の三(恋する人を救えないなんて)

翌朝、仄明るい外の空気は薄らと湿っていた。
戸口から顔をのぞかせれば、顔を少し冷えた風が撫でる。
「今日は雨だな」
同じように外を覗いてからヒイロが言う。倖奈は頷いた。
「出かけるなよ」
「…うん」
次の言葉には僅かに頬を膨らませて頷く。
ヒイロは肩を竦め、家の奥に視線を巡らせた。
「史琉はどうしておる?」
「寝ているわ」
「熱は?」
「…まだあるみたい」
きゅ、と眉を寄せて応えると、そうか、とヒイロは頷いた。
「後で熱冷ましを用意しよう」
そう言ってから、彼は深く息を吐いた。
「相手があれだった、というのが厄介だったな」
「あれ…?」
「時若、といったか? おぬしの知っている【かんなぎ】だ」
ヒイロはじっと見つめてくる。
「ただの魔物が付けた傷ならば… おぬしが治せたかもしれなかったのにな」
「…そうなの?」
倖奈が瞬くと。
「魔物に与えられた傷というのは、瘴気を移された状態にあるもの。つまり、瘴気を払えば元に戻る――傷が塞がる」
ヒイロは迷いのない声で言い、倖奈はまた瞬いた。
「瘴気を払えば… いいの?」
「だが、あやつはまだ半端に人だろう。だから…」
と、彼はまた溜め息を吐いた。
「だから、史琉の傷はこのままだ。私にもどうにもできぬ」
倖奈は首を振って、見上げた。
「瘴気を払えば、魔物に付けられた傷は消せるの?」
「理屈では」
ヒイロは頷く。
「瘴気だけを払うことができるの?」
倖奈がさらに言うと、ヒイロは首を傾げた。
「当たり前だろう」
「じゃあ、時若は助けられる?」
その途端、ヒイロは目を見張った。
「…そう、か?」
「だって… 瘴気だけを払うことはできるんでしょう? 時若の身の上にある瘴気だけを彼から追い払うことはできるんじゃないの?」
「成程な。試す価値はあるか」
それだけ言って、ヒイロは笑んだ。

ヒイロに渡された椀を盆に載せて部屋に戻ると、史琉は起き上がっていた。
倖奈に気づくと振り向いて、ふわりと笑う。
「ヒイロが熱冷ましのお薬だって」
膝をついて、盆を差し出すと史琉は苦笑した。
「苦そうだなあ」
「うん。でも飲んで」
倖奈がじっと見つめると、彼の笑みが深くなる。
そのまま彼は黙って椀の中を飲み干した。
「…まず」
「うん。でも、これで熱は下がるんでしょう?」
顔を覗き込むと、史琉はくくっと喉を鳴らした。
「熱はね」
そう言ってから、溜め息をつく。
倖奈は眉尻を下げ、唇を噛んだ。
それなのに、左目はいつもどおりの穏やかさで見つめてくる。
そして、膝の上に置いていた手をふわりと取っていった。
「倖奈の手は綺麗だな」
嬉しそうに呟いて、彼は自ら頬を寄せてきた。
「傷も何もなくて、本当に綺麗だ」
対して、史琉の手は固くて荒れている。
――ずっとずっと、成したいもののために戦ってきたから。
さらにきつく唇を噛んで、両手を伸ばして、彼の頬を包む。
「どうした?」
史琉が言うのに首を振りながら、左手で傷に当てられた布を触る。
だが、念じたところで何も起こらない。
「何かできる、と思ったのに」
ポツリと呟くと、彼が首を傾げる。
「どうしたんだ?」
倖奈はぶんぶんと首を振った。
――恋する人を救えないなんて。
両腕をそのまま彼の首に回して、縋り付いた。
どすんと伸し掛る体を彼は容易く受け止める。
「どうしたんだ、倖奈?」
顔を覗き込んでこようとするのを、首を振って避けて、彼の胸に埋める。
ぎゅうと腕に力を込めて、倖奈は咽んだ。



戸口がガラッと開く。
流れ込んできた湿っぽい匂いに、ヒイロと真希は同時に顔を上げて、振り向いた。
「ほう… 本当に来たのか」
戸口に立つ男を見て、ヒイロは笑った。
対して、男は口を曲げる。
「探すのは手間だったぞ。なにが、近くまで来れば場所は聞ける、だ」
「親切にされなかったか? 成程、その人相では無理かもしれぬな」
くくっとヒイロは笑う。
男はさらに顔を歪めた。
その男が身につけているのは土に塗れた紺色の小袖と灰黄色の袴。履物も草臥れている。
だが、頭が戸口の梁に支えそうな程背が高く、目の端に鋭さが漂うのが圧迫感を与えてくる。
そして、その右側の袖がだらりと揺れていることで。
「腕… もしかして」
と、真希が顔を引き攣らせると。
「ねえよ」
男はぶすっと言い放った。
真希は頬を引き攣らせて、ヒイロに向いた。
「一昨日だったな。市で逢った。なんでも東から流れてきたんだそうだ… うちまで来ればその腕の傷を見てやると言ってやった」
それに彼は薄く笑って、答える。
「此処に来たということは、命は惜しいということだろう? さっさとその腕を見せろ」
上り口まで動いて、手招きしたヒイロに、男は黙って近寄った。
「座れ」
とヒイロが自分の前の床を叩く。男はどさりと腰を下ろした。
その袖を捲りあげて、ヒイロはほおと声を上げた。
「すっぱりとヤられたな。刀か」
「うるせえ」
「相手の腕が良くて良かったな。半端者が斬り落とそうとしても生き物の体はそう簡単には捌けぬ。キレイに斬れているからこそ、傷がこの程度で済んだというもの」
ヒイロの朗らかな声に、男の眉が跳ねる。
「腕がいい… ね。そうかもな」
歪んだ顔を戻しながら男が呟く。
「なんてったって、人を斬り殺したことがある御仁だからな。捌けるだろうよ」
「ほう… そのようなおっかない御仁に向かっていこうとは、おぬしも酔狂だな」
そう言って、ヒイロは立ち上がった。
「奥から薬と包帯を取ってくるから、座って待っておれ」
とっとっと奥に歩いていくヒイロを見送ってから、真希はのそりと立ち上がった。
「お茶は… 要る?」
恐る恐る男に問うと彼は、ああ、と頷いた。
静かに湯を沸かして茶を淹れて、一つを男に差し出す。
もう三つ用意してから、真希もそうっと奥に歩いていった。

「あ、起きてる」
ひょっこり部屋の入口から顔を出すなり、真希は言った。
振り返って、倖奈はふわりと笑い、史琉も頷いた。
「大分楽になったよ。有難うな」
「元気になった?」
「さすがにね。二日も寝込むとは思わなかったよ」
史琉の言葉に、軽く笑い声を立ててから、真希は倖奈の隣に腰を下ろした。
「はい、お茶」
両手でしっかりと差し出されたそれを、史琉は軽い動きで受け取った。
「慣れた?」
真希が問うと、史琉はくすりと笑った。
「…慣れざるを得ない」
「だよねー」
うんうん、と頷いて、真希はもう一つを倖奈に渡し、残る一つを自分で啜り始めた。
「両方あって当然だったものが片方になるって… 想像したくないな」
それからポツリと零れた声に、史琉は黙って微笑む。
倖奈はぎゅっと唇を噛んで、そっと立ち上がった。

そのまま部屋を出て、静かに土間の方へ歩いていく。
そして、もう一度、右手で右目を覆ってみる。
「片方になると… どう見えるの?」
呟いて、問うまでもないと唇を噛んだ。
右側は全くの黒。覆う前と後で、見える範囲は違う。狭くなる。
心なしか、長さや近さの感覚も違っているような気がする。
そんな状態で。
「戦えるの?」
はっきりと声に乗せると、ぶるっと体が震えた。
「もしも、戦えなかったら?」
史琉はどうするのだろう、と考えて、ぎゅっと自分で自分の体を抱き締めた。
それから、ブンブン、と首を振った。
――悪いことは考えちゃ… 駄目。
はあ、と息を吐くと、喉にひりと乾きを感じた。
何か飲みたいと思ってから、真希に貰ったお茶があると部屋を振り向いて、また首を振る。
今また史琉を見たら、悪いことを考えてしまいそうだ、と。
何度が瞬いたあと。
「お台所で貰おう…」
ヒイロが居るのではないか、と土間に足を向ける。
ひっそりと進んでいって、柱の影から土間を覗いて、瞬く。
そこにヒイロは居らず、その代わり背の高い男が胡座をかいていた。
その彼は険呑な眼差しで倖奈を振り向き、僅かに目を見張った。
倖奈はひっと息を呑んだ。
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