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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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四の一(「その右目はもう二度と開かぬ」)

遠くで烏が鳴いている。
夕焼けの光に照らされた庭は、青々と草が繁りしっとりと花の薫る心地良い空間だ。
それを見渡せる縁側には男が二人腰掛けている。
「これで、今日も御終いだねえ…」
目を細める芳永と。
「何にも進展無しか」
その隣に腰を下ろし、深々と息を吐いた律斗がいるのだが。
「いやあ、困ったねえ… 普段なら、この庭の美しさに酔うところなんだけどね」
言葉とは裏腹に、芳永は微笑んでいる。
「さすがにそうはいかんだろ」
律斗は声も拳もブルブル震えている。 二人を見比べて、颯太はひくりと頬を引き攣らせた。
その颯太に、ね、と笑いかけて、芳永は部屋の中を振り返った。
「屋敷の庭、本当に勿体なかったですね」
「全くだ」
返事をして、入ってすぐの几帳の影からひょいと顔が出てくる。
そのまま何枚も重ねた袿を引き摺って出てこようとしたその人を。
「駄目ですよ、出てきちゃ」
芳永が笑って制する。
「その姿、違和感があり過ぎなんで。知らない人が見たら、卒倒しますよ」
律斗は頬を引き攣らせて、横を向く。
颯太はぐっと息を呑んで、両手で口元を覆った。
「仕方なかろう。さすがに元の格好のままでは内裏を出てこれなかったぞ」
几帳の影にもう一度体を隠し、その人は情けない顔だけを覗かせた。
常であれば櫛を通して結上げ冠を載せている髪は、ばさりと下ろされ、肩下で揺れている。短すぎる髪だけでなく、薄らと髭の伸びてきた顔は、決してその人が女ではないと伝えている。
「確かに、宮様だと分かっていて外に出してくれる衛士がいたら、職務をなんと心得ると叱らなきゃいけない事態だったんですものねー」
その顔を真っ直ぐに見つめ、芳永は、くくくっと肩を震わせた。律斗は体を追って声を殺している。
颯太は笑うまいと頬を膨らませて、几帳の影の人を見た。
背の高い、颯太と並ぶほどの上背のこの人が秋の宮だと云われた時、颯太は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
聞けば、政敵と完全に反目し、内裏から逃げ出すために女装したのだという。
「天音もよく考えつきましたよね、本当に」
芳永は、苦しそうに肩を揺らしている。
「ついでに言うと、ここに逃げることを思いついた点も褒めてやってくれたまえ」
苦々しい顔のまま、袿の人――秋の宮その人は言った。
すると、そうですね、と芳永は笑いを収めた。
「屋敷が焼け落ちている今、高辻の家の縁を伝っているとは思われているでしょうけど…ね。ここで正解です。巧く僕らと合流できたわけですし」
律斗も顔を上げて、頷いた。
「本家の父上のところでなくて良かった。今日、向こうには検非違使が乗り込んできたらしい。知らぬ存ぜぬで追い返したそうだがな」
「そう、叔父様のところにも手が回っているか… さすがに大殿は仕事が早いな」
芳永が眉を寄せる。
「此処――高辻の菩提寺に僕らがいるのはバレているだろうけど。宮様もいると感づかれるのも時間の問題かな」
「私はどこか別のところに行くべきかね?」
秋の宮が息を吐くと、芳永は笑んで首を振った。
「いいえ、まだバレていない――追及の手が来ている気配はありません。ギリギリまで大丈夫でしょう。今は叔父様に対処をお願いしたいところかな… ここと向こうの行き来は極力しないほうがいいだろうけど」
それと、と芳永はくくっと笑った。
「一応、宮様には女装を続けていただきましょうか」
「何故!?」
「だって、寺の人には――ああ、上の方々には伝えていますけどね、大半の人にはあとから牛車でやってきたのは女性ってことになっているので。いきなり男に戻ったら怪しまれるでしょ?」
「…これだけ背の高い女がいるのも、怪しまれると思うが」
律斗が呻く。颯太も、秋の宮もうんうんと頷いたが、芳永は一人首を振った。
「いいんです」
そして、すっと表情を冷やす。
「早いところ、事態を解決させればいいんでしょう? だから考えましょう」
それに秋の宮も頷く。
「大殿だけに好き放題されるのは気に食わぬからな」
手にした扇で、とんとんと床を叩きながら、秋の宮が続ける。
「内裏に現れた魔物と私の関係が、良好でない、と示せればまずは【おかみ】を弑そうとしたという疑惑は晴らせるかね」
「そうですね」
芳永はまた頷く。
「ついでに、三条の大殿のほうこそが魔物を飼っていると示せるといいんですけどね。魔物が時若君だっていうのが…その」
と、芳永がぐっと唇を噛む。秋の宮もすうっと目を細めた。
「なんだって、彼は魔物に変えられているのかね?」
「俺が知りたい」
律斗はぼそりと呟いて、立ち上がる。
「最後に見かけたとき、魔物と化しているというような様子ではなかったぞ」
「その後に何かあったんだろうとは思っているよ。それが何だったのか…… 大殿が関わることなのかどうか、なのさ」
芳永は溜め息を吐き出し、秋の宮を振り向いた。
「幸い、葵に泰誠君とも連絡が取れています。泰誠君が人が魔物と化す方法が調べられないか当たってくれるというので、その報告も待ちましょう」
「そうか」
頷いて、秋の宮はぐてっと前のめりになった。
「まあ、このまま一生雲隠れでも私は構わないのだが…」
「何言ってるんですか。宮様がいなくなったら、ますます大殿のやりたい放題となるだけですよ。僕は御免です」
ぴしゃりと芳永の声が響く。
そして、律斗がだんっと立ち上がる。
ざっざっと彼は庭の中心まで歩いていくと、ぶんっと刀を抜いた。
「うん。鬱憤は適当に晴らしながらいこうね」
芳永が笑い、颯太を見た。
「颯太君もね。肩の力を抜いて」
「……はい」
颯太は頷く。芳永は笑みを深くした。
「僕らが無事なだけじゃない。茉莉と莉紗は最初からこの寺に来ていたし、天音も宮様と一緒に来た。美波は葵と一緒に逃げられたそうだし、史琉君と倖奈だって居場所が分かっている。本家の叔父様だって、宮様の味方だからね。皆いるんだ、何とかなるさ」
しんと響く言葉に、もう一度頷いて。
「きっと大丈夫ですよね」
自分でも言葉を吐き出す。
「何でも手伝いますから、言ってくださいね!」
「うん、ありがとう」
微笑んでから、芳永も立ち上がり部屋の中へ戻っていく。
それを見送って、がりがりと両手で頭を掻きむしってから、空を見上げる。
「オレ、ちゃんと役に立てますよね? 校尉~~~~~!」



夕陽の差し込む部屋の中には、苦い薬の香が広がっていた。
渋い緑色の水に浸された布がギュッと絞られ、肌に当てられる。
口が歪んだのは、その一瞬だけ。
「染みぬか?」
布から手を離さぬまま、ヒイロが問う。
彼を見上げて、座ったままの史琉が笑った。
「感覚がないよ」
布が当てられているのは、その彼の右目の辺り。
先程、時若に殴られた部分。
ヒイロがその上から包帯を巻いていくのを、倖奈は息を詰めて見つめていた。
「もうちょっと巻いた方が安定するんじゃないの?」
壁に持たれた真希が問うと、ヒイロは首を振った。
「これ以上巻くと、交換の時に面倒だ」
そう言って、端を留めて、彼は息を吐いた。
「今のは化膿止めだ。しばらく、取り替え続ける必要があるぞ」
「しばらくって…」
「腫れがひくまで」
静かに言ってから、ヒイロは眉を寄せた。
「だが… 腫れが引いたからといっても」
「いっても?」
史琉が左目で睨む。
ヒイロはゆっくりと首を振った。
「傷を悪化させはせぬ。せぬが… だが」
そのまま黙り込む。倖奈はぎゅっと唇を噛んでヒイロを見、史琉を見つめた。
右目を布で覆い、その布がずれぬように包帯は彼の頭をぐるりと一周して結ばれている。
見えている頬と唇は蒼い。
その唇を微かに震わせて、彼はまた言った。
「悪化の心配があるのは俺の傷だけじゃないよな?」
するとヒイロは怪訝そうに顔を上げた。
「と云うと?」
「時若だよ!」
史琉が叫ぶ。
「あいつ… あれ以上、瘴気に呑み込まれたりはしないよな!?」
それにヒイロはまた眉を寄せた。
「何とも言えぬ。アオが移したのだろう瘴気の量が分からぬからな。だが、あれも【かんなぎ】だと言ったな――あれの持つ神気が優れば、人に戻るか、我らのような中途半端な存在となろう。だが、瘴気が優れば…」
そこまでヒイロが言ったところで、史琉はだんっと立ち上がった。
「なになに、なによ!?」
真希が目を丸くする。
「何処行こうっていうの!?」
そう言って、史琉の袖を引く。史琉はぎっと彼女を睨んだ。
「あのまま、時若を放っておけるか!」
「だからって、片目見えてない人間が暗くなる時刻に出かけないでよ!」
もうっと真希も叫ぶ。
倖奈は目を丸くして、二人を見上げた。
ヒイロは溜め息を零した。
「何故… ああなったかな」
真希と史琉の怒鳴り声に紛れた小さな声に、倖奈はゆっくりと振り向いた。
ヒイロは天井を仰いで、また息を吐いた。
「60年… 変わらぬ。私の作ったものが、私ら自身も関わった人間も狂わせていく」
横顔をじっと見つめる。
――ヒイロやシロたちが作った瘴気の塊。
割られたそれは作り主も割って。不死の苦しみを与え。
――時若も魔物になってしまうの?
そう考えた瞬間、背筋が揺れた。
――それは嫌!
だから、史琉は行こうとするのか。そう思って顔を上げる。
彼は変わらず真希と怒鳴り合っていたが、ふと、左手を額に当てた。
そのまま、長く息を吐いて、しゃがみ込む。
「…どしたの?」
真希はきょとんとして、一緒にしゃがみ込む。
「いや… 別に…」
そう応える史琉の声は乾いている。
真希は首を傾げて、掌を史琉の額に当てて、ぎょっとなった。
「大丈夫!? すごい熱いけど!?」
そのままがしっと彼の肩を掴む。
「やだ、叫び過ぎた?」
高い声で叫んだ真希を史琉は片手で押し返す。
「悪い… 声が頭に響く…」
「傷が酷いからな。熱も出よう」
ヒイロは一人だけ平坦な声で言った。
史琉は呻き、顔を上げて、そのままぐらりと傾いだ。
声を上げ、真希がその体を支える。
「ちょっと、ヒイロ!」
振り返って真希は叫んだ。
「予想してたんだったら、対策とってよ!」
「ああ、熱冷ましを用意しておくべきだったな」
「気づくのが遅い!」
真希は唇を尖らせて、倖奈に向いた。
「ちょっと、倖奈、史琉支えてて。布団用意するから」
はっとして傍に駆け寄るなり、彼の体は倖奈の方へと倒れてくる。
両腕を回して、重い体を受け止めて。
「史琉」
呼ぶ。返ってきたのは、呻き声。
膝を付き、かっと熱い肩を抱きしめて、倖奈はヒイロを向いた。
彼は静かに見つめてくる。
「ヒイロ」
じっと視線を返して、倖奈は言った。
「史琉の傷。とても酷いのね?」
すると、ヒイロはすっと顎をひいた。
「当たり所が悪かったな。その右目はもう二度と開かぬ」
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