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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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参の三 「……私はおぬしに分けてやるような神気はないぞ」

まだ日は高いというのに、市の出店の数は少なかった。
店だけでなく、客も少ない。
「商売あがったりだよ」
顔馴染みの野菜売りの笑いに、ヒイロはこっくり頷いた。
「なぜまた、こんなに人が少ないのだろうな」
「あー… 何となくバタついているからじゃねえかな?」
蓙に品物を広げ、その後ろにどっかと座り込んだまま男は肩を竦めた。
「なんでもさ、偉い宮様の屋敷が焼けちゃったらしいんだよね。そこで片付けとか屋敷の立て直しとかの仕事にありつけないかとか、そもそもただの野次馬だとか、結構な人がそっちに流れてるらしんだよね」
「屋敷が焼けた?」
眉を寄せると、野菜売りはひひひと笑った。
「突然魔物がお屋敷に突っ込んできて、あっという間だって。確か、花が綺麗な屋敷だって有名なところだよ。花は魔物を寄せ付けない結界になるって話だけど、嘘だったのかな?」
「さて… な」
曖昧に笑ったヒイロに、相手はじとっと見上げた。
「何か、知ってるか?」
「いや、知らぬ」
ヒイロはぷいっと横を向いた。
「なんだよ。せっかく盛り上がると思ったのに」
ひょいっと肩を竦め、彼は話し続けた。
「噂っていやあ… もう一個面白いのがあるんだぜ?」
「どんなだ」
「ほらほら、あいつだよ」
ふっと声を低め、彼は腕組みしたままの指先で通りの向こうの樹の下を差した。
「あそこに、薄汚い男がいるだろう?」
見れば、枝を見事に広げたその樹に凭れている者がいる。
遠目でも埃と泥まみれで、履物が草臥れているのが分かる。
「何処ぞから流れてきたのか?」
「ああ。東から来たらしいって聞き出せた奴もいるんだが… そんだけ。三日くらい前から、この辺をうろつくようになったんだが… 如何せん目付きは悪いわ、片腕がないわで、凄まじくおっかねえんだよ」
「片腕がない?」
「ああ。右腕がこう… この辺からすぱっと」
と、野菜売りは左手の指で、右肩と肘の真ん中をすうっと撫ぜた。
「ほう…」
ヒイロは笑い、ざっと体の向きを変えた。
「新しいネタがあったら教えてくれよ!」
野菜売りの言葉に、片手だけ上げて、ヒイロは真っ直ぐ男に向かった。
近づくと、ぷん、と臭ってくる。
「ほう」
ヒイロは息を吐く。
わざと足音を立てながら近づくと、男はゆらりと顔を上げた。
「何の用だ?」
「傷を見せろ」
ヒイロが言うと、男は顔を歪めた。
「何のためにだ」
「腕の傷だ。落とされてから何をしたか知らぬが、悪化しておろう」
すると、男は鼻を鳴らした。
「一応、ご親切なお医者さんとやらに助けてもらっていてね。やられた直後に手当も受けたし、薬も貰った」
「その薬をまともに使っておらぬだろう。下手をすると、傷が腐ってそこから体中に毒が回るぞ」
ヒイロが眉を寄せると、さらに男は表情を曲げた。
「ああ… 何者か分からぬ者にそう言われても戸惑うな。私も薬師の端くれだ」
それでも男はギンっと睨むだけ。ヒイロは肩を竦めた。
「まあいい。薬が入用だと思うなら、私の処に来い」
「……はぁ?」
男は素っ頓狂な声を上げた。ヒイロは立ち上がる。
「北東で薬師をしている者だ。近くまでくれば、あとは親切な御仁に場所は聞けよう。その傷をマシにしたければ訪ねてこい」
じろっとヒイロが睨むと、男はぽかんとして、次いでニヤっと笑った。
「待っている」
言って、ヒイロは踵を返した。



陽が南の空を廻りきるまで子ども達は居た。
昨日のガキ大将――尋、という名だった――を始めとした彼らはみな、満面の笑みだった。
「またね、おにいちゃん!」
「明日も来ていい?」
「明日は、刀を教えてね~」
対する史琉はがっくりと肩を落として、縁側に座り込んだ。
「はい、お疲れ!」
ずいっと真希が湯呑を差し出す。黙って受け取り、黙って飲み干して、史琉は長い溜め息をついた。
「でも、あんた偉いね。ちゃんと最後まで付き合ってやるんだもん」
自分もお茶を啜りながら、真希は史琉の肩を叩いた。
「あたしは無理。最初は良くても、だんだんあいつらのノリに苛々してきちゃうんだもん」
「まあ… 元々子どもは嫌いじゃないんだが。あの子達は元気が良すぎるな」
と、ようやく史琉が振り向いて、苦笑いを浮かべた顔を見せた。
「でしょでしょ? あー、ほんと、スゴイスゴイ」
真希はさらにばしばしと肩を叩く。
「で、こんな時間ものんびりしてるってことは、もう一晩泊まってくよね?」
史琉は微かに溜め息を吐いた。
「悪いな…」
「うん、別に。だって、この子の顔色見てたら、出てけって言えるわけないでしょ?」
そう言って、真希は同じく縁側に座っていた倖奈を指差した。
突然そうされ、倖奈は瞬いて、頬を膨らませた真希とゆっくりと笑んだ史琉を順に見た。
「すっごい蒼いもん。まだ昨日の方が良かったんじゃない? 風邪までひいた?」
真希はぎゅっと眉を寄せて倖奈を覗き込んできた。
もう一度瞬いて、倖奈は首を傾げた。
「瘴気が濃いせい… なんだって」
「ふうん?」
眉をぴくんと跳ねさせてから、真希は笑い直した。
「ま、いいんだ。あたしは嬉しいし」
「そうなの?」
「うん」
にかっと日に焼けた頬に明るいものを浮かべて、倖奈の隣に座りなおす。
「市で逢った時から知ってると思うけど、あたし、好きで布を染めて縫直して売ってるんだよね。買っていく人は勿論いるし、それも嬉しんだけどさ… こうやって付けてくれてるのを見るのって初めてでさ」
手を伸ばされて、ふわり、と先に行くほど細く柔らかい髪が揺れた。
合わせて、淡く溶けた紅色の飾り布が空気を受けて膨らむ。
「うん、綺麗!」
ぱっと笑ってから、真希はハッとしたように身を退いた。
「あ、綺麗って、あたしの作った布がじゃないよ! あんたがね… って、ええと、違う!」
両手をブンブンと振ってジリジリと後退る真希に対して、史琉はすいっと倖奈の隣に来て座りなおす。
「えっと、悪かったよ…」
真希は頬を染めて横を向く。史琉はふん、と鼻を鳴らす。
倖奈は二人を見比べて、首を傾げた。



かさりと草を踏んで、空を仰ぐ。
「瘴気が濃いな…」
ざわり、と林を抜ける道に風が吹いて、楢の木が揺れる。
「ここまで濃いと、【かんなぎ】でなくても神気を奪われて、参ってしまうぞ」
高いところで結ったヒイロの髪も風に合わせて揺れた。
「アオのせい… ばかりではないようだが」
ヒイロは頬を掻いて、また歩き出す。
道の向こう――己の今の住まいに向かう方からは、わいわいと子ども達が駆けてくる。
「あ、ヒイロ!」
「薬ありがとうね!」
「…おぬしたち、今日はもういいのか」
問うと、はっはっと息を弾ませて彼らは笑った。
「うん。今日もたっくさん相撲してもらったよ」
「…そうか」
無表情に頷いて、手を振り、歩きだそうとして。
ざわり、と肌が泡立つのに立ち止まる。
風も、ごうっと一際高く鳴いた。
ばさばさっという音が近くで響く。
「なんだろう?」
子ども達も一斉に青ざめて、きょろきょろと見回した。
ヒイロは、ごくり、と唾を呑んで振り向く。
近くの草叢の中で黒い影がごそり、と動いた。
「まさか」
小さく呟く。
影はゆらり、と立ち上がった。
穴だらけの黒く焦げた後の残る衣を纏い、だらりと腕を下げたそれ。覗かせた顔の眼窩は真っ黒に落ち込んで、底が見えない。
「…わあ!」
「化物だァ…!」
子ども達が一斉に騒めく。影はひゅうっと息を吸って、ごおっと吐き出した。
息に乗って炎が駆ける。
ヒイロは咄嗟に手前の子ども達を突き飛ばし、自身も伏せた。
顔があった高さを炎の玉が飛び抜けていく。
わっと声がまた上がる。
「おい、さっさと逃げろ」
体を起こしながらヒイロが言う。
だが、へたり込んだまま、ガタガタと震えるばかりの子もいる。
「……私はおぬしに分けてやるような神気はないぞ」
ぼそりと呟いて、ヒイロは魔物に向き直った。
「ついでに言うと、肉体労働は嫌いなんだ」
溜め息と共に両手を二度打つ。
ふわりと生まれた光の玉を、彼は静かに放った。
それに影がむしゃりと呑み込む。
横目でその様を見ながら、ヒイロは溜め息を吐いた。
「ほら、早く行け」



「ヒイロ、戻ってこないね」
ずずっとお茶を啜って、真希は首を傾げる。
同じように湯呑を握り締めて、倖奈も頷いた。
「瘴気の様子を見てくる… って言っていたんだけど」
「う~ん?」
真希は唸り、宙を仰いだ。
「神気とかそういうの、あんまりよく分かんないんだよねぇ」
「真希は【かんなぎ】ではないの?」
「ぜんっぜん! そんなわけないじゃん」
倖奈の問いに、真希はブンブンと手を振った。
「あいつが、薬師って以外に… そういう、何ていうの? 【かんなぎ】? 不思議なことができるんだってのは知ってたけど… 別にそれが理由で一緒に暮らしてるわけじゃないし」
と、そこまで言って、彼女はもごもごと下を向いた。
「…そうなの?」
では何だというのだろう、と問い掛けかけて、止める。
倖奈はゆっくりと史琉を振り向いたが、史琉は微笑んで首を傾げた。
「その… ええっと…」
真希は変わらず俯いて、呟いている。
二人を見比べ、倖奈もまた首を傾げた。
それから足元に寝そべる次郎を見ると、彼はのそりと首をもたげて、じっと外を見た。
視線の先は、楢の林。
そこから、ざわり、と風が吹いてくる。
それが肌に当たった瞬間、ぞくり、と背筋が震えた。
――何?
目を見開く。知らず手を伸ばして、史琉の袖を掴む。
「なんだ、今の…」
史琉もまた眉を寄せて、風の吹いてきた先を睨む。
「どしたの、二人とも…」
二人が黙ったからか、真希も顔を上げた。
そのまま、全員で睨むこと暫し。
林に続く道を駆けてくる姿が見えた瞬間、史琉が静かに立ち上がった。
「どうした?」
明るく通る声で呼ぶ。
駆けてきたのは、尋だった。
「お、お。おにいちゃん!」
彼は真っ直ぐに史琉のもとに駆けてくる。
「助けて!」
どかん、と飛び込んできた子をがっしり受け止めて、史琉は膝をついた。
「化け物でも出たか?」
真っ直ぐに顔を覗き込んだ史琉に、尋は何度も頷いた。
「そうなんだ、そうなんだ。みんなが… ヒイロが…」
倖奈は息を呑む。
真希もがばっと身を乗り出した。
「ヒイロが何!?」
大声に、彼はひっと身を揺らす。
その頭を史琉はぽんぽん、と撫でた。
「よく呼びに来た」
言って、史琉は立ち上がる。そして、腰の太刀をゆっくりと撫でた。
「おにいちゃん、強い?」
見上げられての問いにゆっくりと笑み、頷く。
そして、だっと駆け出した。
「ちょっと待って…!」
真希が叫ぶ。
次郎ものそりと立つと、一気に駆け出した。
その後ろ姿を見送って。
――魔物なら。
と倖奈は胸元に閉まったままの懐剣を、衣の上から触れた。
――何か、できる?
ぐっと唇を噛む。ふらっと立ち上がる。
「え、ちょっと、あんた…」
真希が声を上げる。
構わず、庭に飛び降りて、倖奈も走り出した。
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