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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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参の二 「やっとできることが見つかったのにね」

「薪割ってるほうが楽だったよ…」
長い溜め息とともに吐き出された言葉に。
「ご苦労さん」
言って、真希は湯呑を突き出した。
「あいつら、遊ぶ相手がいるとなると、飽きるまで離さないからね。多分、明日も来るよ」
「勘弁してくれ…」
受け取り、中身を一気飲みして、がくりと史琉は項垂れた。
窓からは朱色の光が差し込み、遠くから烏の声が聞こえる。
「夕ご飯作ってこよっと」
立ち上がって部屋を出て、それからもう一度戸の影から真希は顔を出した。
「勿論、今日も泊まっていくよね? こんな夕暮れに帰っていったりしないよね?」
「悪いけど、甘えさせてもらうよ」
史琉は応える。真希は笑窪を浮かべた。
「ううん、あたしは嬉しい。倖奈ともっとお喋りしたいし」
にかっと笑いかけられ、倖奈は瞬いた。
「じゃ、待ってて」
そう言って、とたとたと走っていく。
しばらくして、土間から彼女とヒイロの話し声が続いて聞こえてくるようになった。
それから、短い髪をぱらりと揺らして、史琉が振り返る。
「少しは元気になったか?」
じっと顔を覗き込んで問われ、倖奈は頷いた。
「それじゃあ… 話すことを話しちゃわないとな」
倖奈はぎゅっと胸元にしまった懐剣を掴み、彼を見つめ返す。
いつもと変わらない、穏やかな笑みを浮かべて史琉は訊いた。
「どう、話せばいい?」
「わたしも… どう訊けばいいのか、分からない」
倖奈はそう答えてから、首を振った。
「ううん。知りたいことはあるの。シロのことに、どうして史琉が一緒に居るのかということと、それから森の魔物がどうなったのかとか、その…」
口元を戦慄かせて見上げると、史琉はすっと体を寄せてきた。
そのまま腕が肩に回される。くいっと抱き寄せられて、倖奈は黙って彼の胸に頬を付けた。
荒れた掌が反対側の頬を撫で、緩やかに巻いて揺れる髪を梳いて、それから胸元に置かれたままの倖奈の手に触れた。
「こいつを… おまえが使う羽目にはしたくないんだけどね」
――懐剣のこと?
かつて、史琉が『持っていることに意味がある』と持たせてくれた、黒漆の柄と鞘の、余計な飾りは一切無いこれは結局、倖奈の手で鞘を払ったことはない。
だけれども。
「使わなきゃいけなくなるかも… と云うの?」
言った声は震えていた。
見上げた視線も、揺れていたのかもしれない。
彼は笑みを深くして、両腕で抱きしめてきた。



翌朝起きると、窓からは湿気を含んだ風が流れてきていた。
雨でも降るのだろうかと見上げても、窓から見える空は変わらず澄みきっている。
「…暑い」
肌の上にはじっとりと汗がへばりついている。
腕と足も、そして頭も重い。
そこをなんとか動かして身形を整え、部屋を出る。
「おはよう」
土間では、真希が鍋を火にかけていた。
部屋よりもさらに暑い空気に、僅かに眉を寄せる。
上り口で棒立ちになった倖奈の前に寄ってきて、真希は顔を顰めた。
「あんた、蒼いよ?」
そう言って、その場に腰掛けさせる。
「昨日より具合悪そう」
「…そう、かしら?」
両腕で体を抱いて、ぶるりと震えた。
「うん。真っ青だもん。そんなんで戻るの?」
真希はじっと覗き込んでくる。
「世話になっている屋敷までは歩き通しになるんでしょ? とても、歩き続けられそうな顔じゃないけど?」
「そんなに酷い?」
思わず吹き出すと、彼女は両手を腰に当てて胸を張った。
「一応ね! ヒイロの手伝いで病人の世話を焼くこともありますし! 体調の良不良は見分けてあげられるはずよ!」
座っていろ、と言って、彼女は竃に戻っていく。
「今、雑炊とか作ってあげるから! 食って寝なよ!」
その姿にくすりと笑って、倖奈は真希の動く手を見た。
甲は日に灼けて、掌は色は白くとも、カサついている。
――お料理ができる手なんだ。
思い、久しぶりに己の小さな手を見下ろした。
――わたしにできることは?

花を咲かすことができるのは、神気を多く持つからなのだと云われた。
神気は魔物を浄化できるのは知っていた。
それを繋ぎ合わせて、大量の瘴気をまとめて消そうなどとは考えたことがなかったけれど。

――そういうこともできるのかもしれないのね。
縁側でぼんやりと日に当たりながら、倖奈は昨夜の話を反芻していた。
シロがその身の内に瘴気を持っていること。
かつては彼と一つでありながら、別れた存在があること。
その中に、魔物と化した者がいて、森の中で眠っていたということ。
そして、シロが己の神気に使い道を見出していたこと。
突拍子もないことなのに、何故かすんなりと納得していて。
「やっとできることが見つかったのにね」
ふわりと笑って、彼女は足元を見下ろした。
「命と引き換えかもしれない、と云われて、尻込みしてるの」
呟くと、足元で寝そべっていた存在がのそりと顔を上げた。
「ね、次郎?」
笑いかけると、大きな白い犬の姿をした彼は首を傾げるような仕草をした。
それから倖奈の脚に擦り寄ってくる。
「くすぐったい!」
きゃっと笑って足を揺らすと、次郎はさらに毛を擦り付けてきた。
あはは、と笑って、ごほと咳き込む。
――やっぱり、どこか体調おかしいのかしら?
一頻り咽て、目を擦りながら顔を上げると、目の前にヒイロが立っていた。
「苦しかろう」
それに素直に頷く。
「今日は随分と瘴気が濃く漂っている。アオが結界の外をうろついているから、というだけはないだろうな」
高いところで結わえた髪を揺らして、彼は言葉を継いだ。
「おぬしは歩いているだけでも、その辺の瘴気を取り除いていっているんだ。私は自分の瘴気を消したくないから近づきたくないと思っているというのに… だが」
と視線を彼方に向ける。
「今日は、私に神気が振り分けられないくらいに、消耗している。街から随分流れ込んできているからな。苦しかろう」
倖奈は瞬き、頷いた。 ヒイロは一度振り返り、それからまた街の方を向いた。
「少し様子を見に行ってこよう。おぬしは余計な消耗を避けて、ここに居ろ」
「…でも」
いつまでも此処に居たら、颯太や、芳永、茉莉に余計な心配をかけてしまうのではないだろうか。
屋敷で過ごしている人たちの顔を思い浮かべて、眉を寄せると、ヒイロは肩を竦めた。
「弱っている時にほっつき歩いて、シロと遭遇してみろ。これ幸いとあいつはお主を食うかもしれぬぞ」
くくっと笑って、彼は視線を倖奈の足元に移した。
「おぬしも瘴気で身を保たせているのだというのに… よくもまあ、この娘の傍に居ようとするものだ」
それに次郎がのそりと顔を上げる。
倖奈はゆっくりと次郎を見つめ、ヒイロを見上げた。
「次郎は…」
「元はただの犬か何か。それにシロが瘴気を与えたのだろう。何故かまでは知らぬが」
一昨日、森に駆けつけるのに、史琉はその身を変じさせた次郎に乗ってきたのだと言っていた。
今、日を浴びて寛いでいる姿は、その丈こそ大きけれど、ただの犬と変わらない。
大人として並の背丈の史琉が乗って大丈夫とは思えない。
だから。
――本当に大きくなるんだろうな。
頷いて、視線を庭に移した。
庭の真ん中では、史琉が昨日と変わらぬ姿で、子ども達の相手をしている。
「もう一回! もう一回勝負だ!」
「おまえも懲りないな!」
向かってきた相手を真正面からがしりと組んで、ぽいっと投げ転がす。
「ねえ、一対一じゃ勝てないよね」
「うん、無理無理」
「じゃあ、みんなで飛びかかってみる?」
きらっと子ども達が笑う。
「おい」
史琉が頬を引き攣らせる。
「それ! かかれ!」
わっと歓声をあげて、彼らは飛びかかっていく。
それでも。史琉は口では嫌がりながら、ひょいひょいと跳ねて躱していって、適当に子ども達をごろごろと転がしていく。
「みんな諦めるな!」
「一斉にかかれ~!」
「いい加減にしろ!」
わあわあと騒ぎながら、彼らは庭一面を駆け回っている。
倖奈はくすりと笑い、ヒイロは深い溜め息をついた。
「…あれが居れば、おぬしも休んでいられよう。何か飲みたければ真希に言え」
その声に顔を上げる。彼は首の後ろを掻いて、ざっと踵を返した。
「街と… 例の森やこの近くを見回ってきてやろう。瘴気を少しでも減らせられる何かがあれば試しておいてやる。少しは過ごしやすくなろう」
言うや否や、歩き出してしまう。
倖奈は身を乗り出した。
「ごめんなさい!」
ヒイロはそれに、振り返り少し頷いてくれた。
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