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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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参の一「傷つく覚悟も傷つける覚悟もないのに、太刀に触るな」

次に目が開いた時は、もう昼間だった。
天井の低い部屋の小さな窓からは陽の光と少し暑い風が入ってきている。
その反対側の板戸は開け放たれていて、向こうにも同じような部屋が広がっているのが見える。がたん、かたん、と誰かが居るらしい音も響いてくる。
部屋の真ん中、布団の上に起き上がり、倖奈は首を傾げた。
――ここは何処かしら?
全く見覚えのないこの場処。
どうすべきだろう、音がする方にでも向かうべきかしら、ともう一度首を傾げ溜め息をついた。
体が重い。
全身を覆う気怠さに、何もかも忘れてもう一度寝転びたくなる。
――だめだめ、これじゃあ…
ブンブンと首を振っていると、物音が近づいてきた。
「あ、起きた!」
物音は隣の部屋で止まり、その原因だったらしい少女がぬっと戸の影から顔を覗かせた。
「気分はどう?」
にっと笑った顔を、ジッと見つめる。
その倖奈の視線に相手は頬を膨らませた。
「なによ、あたしの顔に何か付いてる?」
「いえ、そうじゃない…!」
へたり込んだまま、倖奈は手を振った。
「あなた、は」
とさらに見つめる。
自分と同じ年頃の少女。小麦色に灼けた肌に、痘痕の浮いた頬。
「前に、市で逢った方… よね?」
問うと、彼女はぱあっと笑った。
「うん、そうそう。覚えててくれた!?」
言って隣に腰を下ろし、倖奈の髪に手を伸ばしてきた。
「あたしもこれ付けててくれたから分かったよ!」
二人揃って、倖奈の髪に緩く結ばれた紅色が淡く溶けたような色の飾り布を見下ろす。
「すっごいキレイに使っててくれてありがと」
明るい声で彼女が続ける。
「ヒイロが連れて帰ってきたときはビックリしたんだ。こういうふうにまた会うなんて思わなかったからさ~」
その言葉で思い出した。
――そうか、ヒイロって人に会ったんだ。
この目の前の彼女と同じく以前に市で出会った少年に。そして、また。
――シロにも会ったわ。
よく顔の似た二人に。草の茂る丘、瘴気の溢れる森の側で。
――律斗と一緒に来ていたの。時若とも、泰誠とも!
そもそも丘に行くことになったのは、泰誠に誘われたから。その彼は別の男とともに時若を訪ねてきていたのだ。
――そうよ。魔物を倒さなきゃという話だったのよ。魔物には遭ったわ。
じっと虚空を睨む間にどんどん思考は駆ける。
魔物と遭う前にシロが己の神気について妙な話をしていたとか。律斗がシロを刺したのだとか。
律斗も史琉も、次にシロにあった際には刺す気でいたことだとか。
――史琉?
そう言えば、眠りが途切れた隙に、史琉を見た気がする。
そもそも、何故、自分は眠りこけていたのだろう?
「どしたの? まだぼうっとしてる?」
ひょいっと覗き込んできた少女を、はっとして見つめ直す。
「あの…」
「なに?」
「……史琉と律斗は?」
問うと彼女は、ああ、と頷いた。
「どっちがどっちか分かんないんだけど。一人は戻るって言って、朝早くここを出て行ったよ。もう一人は… 庭でヒイロにこき使われてる」
それに倖奈も頷く。
「ここに… 残ってくれているのは誰?」
「あ、だからね。あんたの呼ぶ人が、その二人だろうってのは想像つくんだけど、どっちがどっちの名前か覚えてないんだってば」
彼女は肩を竦め、それから手を打った。
「でも、大丈夫大丈夫。残っているのは、あんたのいいひとの方だから」
「いいひと?」
倖奈は眉を寄せる。
「うん、そう」
彼女はにっこりと笑って親指を立てた。
「だって、あんた、あの人とやっちゃってるんでしょ? 分かるんだから~」
だが、ずいっと顔を近づけてきた彼女に、倖奈は小首を傾げてせた。
「…何を?」



庭に、ぱっかん、と高い音が響く。
すんなり割れた木々を素早く運んで積み上げて、また次の割れ木を台に置いて斧を振り上げる。
ぱっかん、と音が響く。
「手早いな」
その様を縁側に腰掛けたまま、ヒイロはほうと息を吐く。
「まあ… ね」
斧を地に刺し、その柄に手を置いて笑ったのは史琉だった。
麻の切り袴に長着を着た彼は、その袖を襷で括っている。
手の甲で汗を拭うと、斧を振り上げようとしたが。
「動くのは嫌いなのだ、昔から」
ヒイロの呟きに動きを止めた。
「ジジくさいな」
くくっと彼が笑うと、ヒイロは目を眇めた。
こちらもまた長着に袴だけの姿で、胡座をかいていたヒイロは己の隣に置かれた太刀を見下ろした。
「……お前はそうではなさそうだな」
コキコキっと首を鳴らして、視線を真っ直ぐに史琉に向ける。
「まあね」
ヒイロはふうっと息を吐いて。
「まあ、御蔭で助かった。不精者の私に小娘一人なものだから、薪を割る人間がいなくてな。毎日と言っていいほど、薪には困っておったんだ」
至極真面目な表情で言った。
「…普段はどうしてるんだよ」
「近所に貰う」
ぽかん、と史琉は口を開ける。
「言ったろう。薬師として暮らしておる。薬の対価は銭だけとは限らぬ」
喋りながら、ヒイロは視線を庭の向こうに流した。
庭の先には雑木林。その向こうには集落が在るといい、そこからであろう幼い子どもが三人駆けてきた。
「こんにちは、ヒイロ」
「お薬ちょうだい!」
「今日はお魚の煮付け持って来たよ~」
そう言って、重箱を開けようとする子どもを手で制し。
ヒイロは奥に入っていった。
史琉が瞬いていると、子ども等が振り返った。
「おにいちゃんは誰?」
「誰って… う~ん。ヒイロのお客?」
「そうなの? ボクらもおきゃくだよ?」
「…薬を貰いに来たことは、お客様だな」
高い声にふっと笑んで、史琉は子ども等を一人ずつ見つめた。
皆、年の頃は十前後であろう。麻の衣から見える手足はすっきりと伸びている。日に灼けた顔に浮かぶ笑みも淀みない。
そして、それぞれ重箱やら籠やらを手にしていた。
やがて戻ってきたヒイロが、紙袋を一つずつ、その子ども達に持たせる。
「これはいつもの湿布だ。御祖母にそう言え」
「うん、ありがとう」
「こっちは、昨日頼まれた咳止めだ。母御によろしくな」
「これで弟のお風邪治る?」
「うむ」
「やった~、良かった~」
わいわいと笑う子から、ヒイロは重箱と籠の中身を受け取っていった。
それをじっと見つめて。
「薬屋って本当だったんだな」
史琉が呟くと、ヒイロは口許を歪めて振り向いた。
子ども達は、それぞれ受け取った薬を手に喋っている。
ざっと音を立てて下りてきたヒイロに、史琉はにこりと笑いかけた。
「薬は好きか」
「目指す効果のために、何をどのように煎じるか。その逆に、その生薬からどのような効果を得られるか。いろいろと試すのが面白い」
「……面白い、ね」
史琉は笑みを深くする。
ヒイロはふっと息を漏らした。
「……この好奇心が原因であったのだろうがな」
史琉は眉を寄せた。
――瘴気の生まれ出ずる理由に興味を持っていてな。
昨夜の話が耳の奥で木霊する。
ヒイロはもう一度息を吐くとくるりと背を向けた。
史琉も視線を縁側に向ける。
そこでは子ども達がまたお喋りを続けていて。
「なにコレ?」
「すげー、本物だ!」
と言って、置かれたままだった太刀に手を伸ばした。
「こら、触るんじゃない!」
史琉が声を上げる。びくっと肩を揺らして、子ども達は振り返る。
ずかずかと歩み寄って、史琉は太刀をひょいっと掴みあげて腰に差した。
「これ、おにいちゃんの?」
「そうだよ」
笑い声に頷いて、手を伸ばしていた子の額を掌で弾く。
「人の物に勝手に触るなと教わらなかったのか」
べちん、と鳴った後赤く染まった額を押さえ、男のその子が叫ぶ。
「いいじゃん、減るもんじゃねえのに、ケチ」
「言ったな、ガキ!」
「うっせー、じじい!」
ぽかぽかと繰り出されてくる拳を一回一回受け止めて、それから彼を体ごと投げ飛ばす。
おー、と他の二人が声を上げると、ムキになって男の子はぶつかってきた。
それをまたぽいっと投げる。
ゴロンゴロンと転がっていたのを追って、傍に立って。
「…子どもが太刀に触るな」
史琉は見下ろし、唸った。
「傷つく覚悟も傷つける覚悟もないのに、太刀に触るな」
縁側に取り残された子ども達がきょとんと瞬く。
「…成程」
一人、ヒイロは哂った。

真希、と名乗った少女に連れられて庭に出る。
澄んだ空と翡翠の草木に目を細めてから、見回せば。
庭の真ん中では、襷掛け姿の史琉が子ども達相手に相撲をとっていた。
「何やってんの、あれ? 薪割り頼んだんじゃなかったの?」
真希が隣で唖然とした声を上げると、縁側にだらしなく座っていたヒイロが振り返った。
「今は、子守を頼んでいるところだ」
「なんで子守!?」
素っ頓狂な真希の声に庭にいた者たちも振り返る。
そこには、子どもたちは十人ほど。その大半が男の子。既に全身土埃塗れになっているのに、笑っていた。
「だって、このおにいちゃん強いんだもん」
「僕らの大将も投げちゃったんだよ」
「だから、ボクら全員鍛えてもらうんだ!」
きらきらのそれらとは対照的に、史琉はその顔に渋いものを貼り付けている。
だが、倖奈と目が合うと、彼は柔らかく笑んだ。
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