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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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弐の四「どうして内務卿宮の屋敷を焼いた?」

「みんな出かけちゃったのね」
ぽつん、と美波は座り込んだ。
差し込んでくる陽の光に目を細めて、はあっと息を吐く。
「一人になっちゃった」
茉莉は、今日は親類の命日に当たるのだと言って、莉紗を伴って出かけていった。
芳永は朝から出て行っているようで朝食の場からいなかった。
颯太も同じく。
そして、昨日出かけた面々は誰ひとりとして帰ってきていない。
「時若と、倖奈と、律斗と、史琉と…」
名前を呼んで、形のいい眉を歪める。
「どこ行っちゃったのかしら」
散々勝手に出かけるなだの行き先は告げて行けだの言っていた当人が、何処へとも言わずに出かけたというのが腹立たしい。
「本当に、もう…」
呟いて、美波はもう一度息を吐き出した。
それから裾に細かい花模様のある袖を揺らして立ち上がり、部屋の外に出る。
「わたしはどうしようかしら」
誰もいないなら、今日はひとりでのんびりここに居るのも良いかもしれない。
「そうしよっかな」
ふふっと笑んで、伸びをして。
木の床を踏みしめてくる足音に気がついて、視線を向けた。
「…誰よ?」
ずんずんと近づいてきたのは、碧色の直垂を着込んだ男。
瞬いて顔を見つめる。
「律斗じゃなくて、ええっと」
「葵だ」
美波の呟きに、相手は苛立たしげに名乗った。
――えっと? 近衛将監だって云ったっけ、この人。
彼の後ろから、ひょっこりともう一人顔を出す。
ぽっちゃりとした躯を渋茶色の衣で包んだ男は、やはりふっくらとした顔に柔和な笑みを浮かべた。
「北の校尉殿とご一緒の方でしたよね」
「…そうだけど。あなたは誰だっけ?」
「泰誠です。近衛府に勤めている【かんなぎ】です」
名乗り、さらに微笑んだ男に。
――そう言えば、一昨日来ていたかしら?
思い返しながら、美波は眉を跳ねさせて問うた。
「で、何の用?」
相手は苦笑いを浮かべた。
「時若殿と… 倖奈はいます?」
「二人は、昨日から戻ってきていないけど?」
「やはり…」
美波の答えに、彼は笑みを消してぐっと眉を寄せた。
「どうしたっていうの?」
美波も眉を寄せると、彼は首を振った。
「じゃあ… 校尉殿はいらっしゃいますか?」
「史琉もおんなじ。出かけちゃっていないわ」
「いない?」
答えに、彼は目を見張った。
「参ったな…」
次に目を細め、ぐしゃぐしゃと髪を掻き毟る。葵も顔を歪めた。
「何の用なの?」
つられ、美波もしかめっ面になる。
「どうしようか… 誰になんと告げたらよいのか」
泰誠が唸る。
もう一度、美波が詰ろうとした時。
どぉん、という音が響いた。

音に驚いて、飛び出して
「爆発!?」
主殿の向こうの棟から上がる火の手にまた驚いた。
目を丸くしている間に二度目の爆音が響く。
それに崩落音が続いた。
頑丈な造りのはずの棟が呆気なく瓦礫と化していくのを呆然と見つめて動けずにいた颯太の横に、ふらりと芳永が立った。
「一体何が…」
どうにか見上げれば、彼の頬も蒼い。振り向けば、律斗も簀子に立ち尽くしている。
その彼らの傍に、バタバタと数人が駆けてきた。
「火事です!」
「見れば分かるよ!」
悲鳴に叫び声で応じた芳永を、駆けてきた中でも年配の男が見上げる。
「宮様は!?」
屋敷の使用人と思しき彼に、芳永は首を振ってみせた。
「お戻りでないよ」
「ああ、では、お留守の間にこんなことに…!」
頭を抱え込んで、彼はしゃがみ込む。
そうしている間に、三度目四度目が響いた。
崩れた棟から隣の棟へと炎が広がる。
ガラリ、と音が上がり、瓦礫の中にぬっと黒い影が立ち上がる。
「あれかい、原因は?」
芳永が目を細め、振り向く。視線を受ける律斗は唇を曲げた。
影は吠え、腕をぶん回し、焔を撒き散らす。
「……魔物、か!」
ぐっと拳を握り、飛び出しかけて、踏み止まる。
「火を噴く魔物、ということか?」
「そう見えるね」
「…迂闊に近寄ったら、丸焼きにされるか」
ぎぎ、と律斗の奥歯が鳴る。芳永も蒼い顔のまま、影を睨みつけた。
「どうして、こんなところに魔物が? それにあれ、人のように見えるけれど。噂のかい?」
遠く離れているとは言え、確かに頭も腕も胴も、大きさは常人と変わって見えない。だが、律斗は首を振った。
「違う。俺が遭った魔物は――アオという奴は、飛びはしても火なぞ吹かなかったぞ」
「じゃあ、あれは何なんだい」
芳永は長く溜め息をついた。
魔物はまだ焔を撒いている。チリっと音を立てて、火の粉が舞う。
どんどん大きくなる粒に、駆けてきた男たちは情けない声を上げて、また走り出した。
ぶわり、と黒煙も舞う。
「……取り敢えず、逃げよっか」
袖で口を抑えて芳永が言うと、律斗が頷く。
「そうだな。丸焼きはごめんだ」
「いろいろと燃えちゃうけど… 仕方ないね!」
芳永もだっと駆け出す。
「行くぞ、ぼさっとするな!」
「あ、あああああ、はい!」
どん、と背を叩かれ、颯太も律斗ともに駆け出した。
庭を駆け抜ける間にも、火の粉は大きくなっていく。煙が視界を塞いでいく。
鼓膜を揺する悲鳴に、颯太の奥歯が鳴った。
それを無理矢理止めて、腕を振り、築地塀の外に抜け出る。
塀の外にまでは火の粉は届かなくても、叫び声が飛び交っている。
「逃げ遅れた人とかいないといいけれど」
芳永が呟き。颯太はぎょっと目を剥いた。
「み、美波さんは!?」
律斗と芳永も目を見開く。
「ああ… 彼女は出かけていなかったんだっけ」
言って、ぐるり、と見回しても、この辺りには男しかいないようだった。
「た、大変だ…!」
わあ、と声を上げて颯太は塀沿いに駆け出した。
そこかしこに、屋敷から逃げてきたと思しき人たちがいる。
男も女も大勢いるのに、その中に探し人はいない。
ぐるりと門を3回曲がって表門に辿り着いた時。
「まさか、逃げ遅れたりとか…」
そう呟いて颯太は振り向いて。
瞬いた。
後ろを走っていた律斗も、さらに後ろを見ている。
門に向かってくる道には、巻纓の冠に浅縹の衣を着た衛士たちがぞろぞろ居た。
弓を携えているのだが、腕はぶらりと遊んでいて、切羽詰ったものは感じない。
しかし。
「何故、彼らがあんなに大勢ここに居るんだい?」
低く小さく、芳永が呻く。
律斗は首を傾げる。
見られているのを気にしていないのか、彼らはバラバラと歩き回り、大声を上げていた。
「あれはなんだ! あの、屋敷を燃していた人間みたいな魔物は!」
「さっき、宮廷に出たのと同じやつだぞ!」
「左大臣様は内務卿様の差し金で【みかど】のすぐ傍に現れたとか言っていたけれど、それがここに居るってことはやはり内務卿宮様が…?」
「バカ、それならなんで、屋敷を燃やしちゃうんだよ。自分の家の屋敷を燃やすように命令する奴がいるか」
「あー? 証拠隠滅とか?」
そこまで聞いて。三人は顔を見合わせた。
「何を言ってるんでしょう、彼らは…」
小さな颯太の問いに、律斗はバシっと背を叩いた。
「……これは先に手を打たれたかな?」
芳永がひくっと頬を動かした。
「何があったのかしっかりは分からないけど、良くない事態みたいだよ。宮様は無事だといいが」
颯太は口を噤む。そろそろと律斗を見下ろし、芳永に向き直る。
彼は首を振った。
「悪い、律斗。僕はこのまま茉莉と莉紗のところに行くよ。二人がまた妙なことに巻き込まれていないか心配だ」
言って、首を傾げる。
「二人と一緒になってから、善後策は練るよ。君たちはどうする?」
「…律斗さん。オレ達は?」
颯太は眉を下げた。
だが、律斗は黙ったまま。視線はあらぬ方に流れていた。
「律斗さん?」
颯太はそろりと呼んだ。
律斗は、うう、と呻いた。
「…史琉ならどうするだろうな。何を聞いて、何を見て、どう考えるのか」
ガリガリと頭を掻き毟ってから、律斗は颯太を見上げてきた。
「颯太。芳永と行くぞ」
「あ、はい!」
――大勢でいたほうが心強いもんね。
しっかりと颯太が頷くと、芳永はくるりと背を向けて歩き出した。
大股の歩みに、律斗と颯太もぴったりと続く。
後ろからはまだ、衛士たちが大声で叫び合っているのと、炎の燃える音が聞こえた。
その中でも、低く問う。
「律斗さん。校尉と倖奈はどうするんですか?」
すると、律斗は微かに笑んで言った。
「これだけの異常が起きれば、話は流れていくだろう。聞こえたならば… あいつならどうとでもしてくるさ」
そのまま、ずんずんと彼は歩き、顰めっ面に戻っていく。
「くそ…」
勢いで律斗は芳永を追い抜いていく。颯太はぱたぱたと追う。
並んだところで、芳永が草臥れた顔を向けてきた。
「時若君や美波ちゃんも無事に逃げているといい… ね」
「はい」
颯太は頷く。
「校尉も倖奈も、美波さんも時若さんも… 皆です」
それに律斗が僅かに振り返り、曇った顔を覗かせた。



遠くから聞こえる悲鳴に。
「火事…?」
美波は首を傾げた。
「火の不始末ってことは… ないよねぇ?」
どこかのんびりした声で泰誠が呟く。
葵は鼻を鳴らし、ガツガツと歩き出す。
その背を泰誠と美波も追っていく。
そして、遠くの棟が音を立てて崩れ炎に呑み込まれていくのを見た。
「馬鹿な…!」
葵が叫ぶ。
美波は息を呑んで、へたり込んだ。
次の瞬間、また、どおん、と音が上がる。
火の粉がバラバラと飛んできて、瓦礫の中からは黒い影が飛び上がった。
「何、あれ!?」
美波は悲鳴を上げた。
影は、火の粉を纏ったまま、宙を飛んでいく。
泰誠がひゅうっと喉を鳴らした。
「そんな、まさか…!」
その言葉に、美波は泰誠に見向いた。
「なによ、何だって言うの!?」
そう問う間に、すっと泰誠の顔から血の気が失せる。
美波はきょとんとなった。
真っ白な顔になって、泰誠はだらりと肩を落とした。
「嘘… でしょう?」
葵も振り向き、首を傾げる。
「……取り敢えず、ここから離れるぞ」
それに泰誠は瞬いて、顔を上げた。
「あ、ああ。そうですね。これだけの火事だ。逃げましょう」
「え、ちょっと?」
美波が叫ぶ。その目の前に、泰誠はゆるりと手を出した。
「行きましょう、貴女も」
その白い掌をじっと見つめて、顔を見つめる。彼は膝をつき、美波の顔を覗き込んできた。
「僕らが貴女の安全には責任を持ちます。そうでないと、校尉殿に顔向けできない」
「どういうこと?」
「さあ、いいから早く!」
瞬いた美波に、泰誠が叫ぶ。
甲高い声に気圧されて、美波は己の手をそこに重ねた。
温かく湿った手に握り返されて、ぐいっと引かれる。
勢いのまま、美波は泰誠について歩き出した。



西の空が真朱に染まる。
侘しい鳥の声が響く中を、シロは草を踏んで歩いていった。
視線の先では影が丸くなって蹲っている。
「都中がかまびすしかったわ」
シロが言うと、影はのそりと顔を上げた。
その眼窩はぼこりと落ち込んで真っ暗で、締りのない口許からは、あーという音が漏れた。
「どうして内務卿宮の屋敷を焼いた?」
首を傾げながらの声にも、影は音を立てるばかりだった。
「…返事なしか。喋らないでおるととどんどん人でなくなっていくようだぞ?」
くくっと笑ってから、シロはじろじろと影を見遣った。
黒く長い髪は縺れて顔や肩を覆っている。襲の衣は焼け焦げて穴だらけで、隙間から覗く肌の上には細く赤い筋が流れていた。
「だが、完全に魔物というわけではなさそうじゃな」
その筋を指先で掬う。
「血が流れておるではないか」
ぺたりと付いた赤に、シロは哂った。
「今のうちならば… もうひと押し、何か神気が加われば人に戻れるか、或いは死ねるか」
けけっと笑って、シロは首を傾げ、ぱんぱんっと手を打った。
「わしが分けてやる… のは無しじゃな。ここに来て減らしたくない」
両手を合わせたまま、うーんと唸り。
「おぬしの神気が瘴気に勝るのを待つか。」
最後、ポンっと手を打って、シロは呟いた。
それから見下ろされた影は、口をぽかりと開けて見上げている。
くるりとそれに背を向けて。
「アオはちゃんと檻に戻ったかのぅ… そっちから蓋をするか」
シロはぶつぶつ呟きながら歩いて行った。
向かう先には鬱蒼と茂った森。
影もそこを見つめて。
「も… すこし、の、神気…」
呟く。
それから立ち上がろうとして転ぶ。
どさりと手を付いた先で、ぐしゃりと何かが潰れた。
あうあうと呻きながら手を上げれば、紫色の雫が流れ落ちた。
血では、露草がひしゃげている。
「は、な…」
息をぜえぜえと吐き出して、影は地面に口を近づけた。
そして、むしゃむしゃとそれを頬張る。
「はな、が、ほし… い」
一つだけでなく、辺りに咲いていたものをどんどん食んで行った末に。
「倖奈」
影は呟いて、どさっと倒れ伏した。
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