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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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弐の三「早く、この大逆人を捕まえろ」

「全く…」
と、部屋の中に芳永の溜め息が響く。
「大殿もとんでもない事を考えたものだね」
向かい合って座った律斗が静かに顎を引く。
やや離れて座った颯太は、眉尻を上げて二人を見比べた。
芳永はじっと宙を睨んでいる。それを真っ直ぐに見つめて。
「どうするつもりだ?」
と律斗は言った。
「どうするもこうするも…」
芳永は嗤う。
「あちら様が、だけでなくて、僕もあの御方は嫌いだし。こうなったら、お互いどちらが先に相手を蹴落とすかだよね」
「…おまえ、自分も命を狙われている身だと分かっているのか」
「分かっているよ」
律斗の溜め息に、芳永はなおも笑った。
「理を解き筋を通すのではなく、短絡的に敵を消そうというのは、僕の正義にはそぐわない。しかも僕一人を狙ってくるのではなくて、茉莉や莉紗も巻き込むようなやり方をしたのが一番気に食わない。あの日、僕は一人で出歩いていたんだよ。そこを狙ってくれた方がまだマシだったね」
「…マシ、か」
律斗が苦笑すると、芳永もまたくすりと笑った。
「魔物に【おかみ】を襲わせようというのも。ね。内裏には警護の衛士もいる、僕らみたいな官吏もいるっていうのに。魔物は【おかみ】に辿り着くまでにその周囲をどれだけ食べていくつもりなんだろう?」
そうして、芳永は両腕を組んだ。
「さて、大きな方針は決まっているとは言え… それに向かってどうするかが次の問題だな。その魔物の件で何か物的な証拠を掴んでいると一番手っ取り早いけど、そういうものは無さそうだし」
律斗もそれに頷く。芳永は首を捻った。
「宮様が帰ってくる前に、何個か策を考えておきたいけどな… ああ、そうだ。帰ってくるのを待ち構えておこうか」
そう言って、芳永が立ち上がる。
「宮様のお部屋で待とう。朝ご飯も向こうに運んでもらおうかな~」
そのまま、すすす、と御簾の下まで進んだ芳永を颯太は視線だけ追う。
だから、くるりと振り返られてびくっと肩を揺すったが、芳永が見ているのは律斗だった。
「ほら、律斗も行くよ?」
「俺も?」
「当然だろう? 史琉君には『宮様に話せ』と頼まれたんだろう?」
くすっと芳永が笑う。律斗は思いっきり顔を顰めた。
「もう… しょうがないなあ」
それに芳永は軽く肩を竦め、またくるっと振り向いた。
彼と颯太の視線が噛み合う。
「颯太君。手伝って?」
にっこりと笑いかけられ、颯太も顔を引き攣らせた。



びょん、びょん、とどこか軽快に影は跳ねていく。
「歩くのではなくて、跳ぶ、というのが人間から離れていっていて… 面白いのう」
車を引く牛を追い立てながら、シロは笑う。
牛車の中からは三条の大殿は引き攣った顔を覗かせた。
「瘴気を吸うと魔物に変じるというのが真だったというのはよく分かった」
そして、咳払いをする。
「屋敷の… 魔物が来てから倒れた者共は無事なんだろうな。ああはなっておらぬのだろうな」
「おそらくは大丈夫じゃろう」
シロは振り返り、頷く。
「アオも時若も… 瘴気の源が去ったんじゃ。ぼちぼち目を覚ますであろう。その中で、主がおらぬと分かれば大騒ぎになるのではないか?」
そのまま首を傾げると、大殿は鼻を鳴らして、首を引っ込めた。
「そこまでの律義者はおらぬわ」
「嫌われている主か… 哀れじゃのう」
シロがけけけと笑う。
牛車の中から返事はない。
肩を竦め、シロはさらに後ろを見遣った。
牛車の後ろからは、体中に札を貼り付けられた影がよろよろと付いてきている。
「アオ。お主は一回森に戻れ」
シロは笑いかけた。
「行けば、ヒイロが蓋ぐらいしてくれよう。差し当っては時若の始末が先じゃ。その後出してやる」
すると、細い体のそれは、あーと鳴いた。
「大丈夫じゃ。時若一人で全てを喰らい尽くすわけなかろう。お主の餌は充分残る」
くくっと笑ってから、シロは目を細めた。
「くれぐれも倖奈に手を出すなよ」
影が、うう、と呻くと風が巻き上がる。
それに乗って、アオはまた東に飛んでいった。
影が米粒ほどの大きさになるまで見送って、シロはまた前を向く。
視線の先では、血染めの狩衣の影が跳ねて進んでいっている。
「内裏に向かう… か。狙いは誰にする?」



庭先の白い靄を払い終わった朝日を全身で浴びながら、紫の袍を纏った背の高い男がひょこひょこと廊下を歩いていく。
彼は、視線の先に人影を認めると、ふっと笑いを零した。
そこにいるのは四人。三人は色取り取りの襲を纏い緋の袴を付けた女官で、男を認めると静かに頭を下げてきた。
それに手を挙げて応え。
「春宮」
彼が呼ぶと、真ん中に立つ少年が笑った。
「おはようございます、秋の宮」
瀟洒な織の絹だが、色はいつもの黄丹ではない衣装はまだ彼が一日の活動を始めていないと告げているようで、秋の宮は唇の端を上げた。
「朝の勉学の時間ではなかったのかな?」
すると、春宮は口を尖らせた。
「今日はお休みなんです」
「おやおや」
「だから、今日は会議の場にお邪魔することもできるかなあと思っていたんですけど」
そう言い、すぐに笑い直した少年に、今度は秋の宮が苦笑した。
「残念。今日は会議も休みだ」
「ええ!? そうなんですか!?」
「昨日、話を纏めてしまったからね」
秋の宮が言うと、春宮は頬を膨らませた。
「つまらない…」
「まあ、そう言わずに」
「だからお祖父様も来ないのかな?」
ぽつんと春宮が漏らした言葉に、秋の宮は目を丸くした。
「おや。左大臣殿は毎朝必ずあなたを訪っていたというのに?」
「ええ、そうなんです」
「珍しいことだ」
呟いて、秋の宮は腕を組んだ。
左右に首を捻る彼を見上げ、春宮も眉尻を下げる。
「秋の宮もすぐお帰りになりますか?」
秋の宮は春宮を見下ろして、頷いた。
「ええ。昨日は頑張り過ぎて遅くなったので、帰らなかっただけのこと。次の仕事は、頼んだことが仕上がってからですからね、それまで休ませてもらいますよ。ただ…」
と、彼はにっこりと頬を緩ませた。
「久しぶりに兄上――【おかみ】にご挨拶に伺うことにしましょうか」
春宮もぱっと笑った。
「ええ、お願いします!」
「宮はもう、朝の挨拶は済ませたのかな?」
「ええ」
「では、私一人で伺うとしよう」
言って、秋の宮が手を振ると、春宮は歩いていき、その後ろを女官たちがすすすと付いていく。
それを見送ってから、彼はまた、ひょこひょこと廊下を進んでいった。
進んだ先の周りの庭は、木陰に武士が佇み、静かな緊張感に包まれている。
廊下にも何人か女官や童が侍り、凛とした空気が満ちていた。
表情を引き締めて、その中を進み、秋の宮は東側、大きく御簾が上げられた場処で腰を折った。
「おかみ」
呼びかけると、奥まったところの、四方を薄絹で囲われた台座の中でごそりと動く気配がした。
秋の宮は笑い、中に踏み込む。
「まだおねむですが、兄上」
くすくすと笑いを含ませて言うと、中から、違う、と声が返ってきた。
「ずっと調子が悪いんだ」
その声には張りが全くない。秋の宮は眉を顰めた。
「ずっとずっと、何かが体中にまとわりついて、力を奪い取っていかれているようなんだ」
静かに薄絹を捲り、秋の宮が中を覗くと、蹲っている体がのそりと動く。
「昼にでも【かんなぎ】を呼んで調べさせるつもりでいるのだが… 魔物がいるのではないのか?」
「まさか」
秋の宮は頬を引き攣らせた。だが、中に踞る男は首を振る。
「これは絶対、凶悪な魔物がいて…」
語尾は掠れて消える。そのままごろんと横になった男にゆっくりと肩から衣をかけて、秋の宮は薄絹を下ろした。
「楽なようにお休みください、兄上」
言って、秋の宮は立ち上がり振り返った。
視線の先で、外の空気の色が僅かにくすんだような気がして眉を顰める。
そして、甲高い悲鳴が聞こえた。
息を呑む。廊下でも女官たちが騒めいて揺れた。
「何事だ!」
叫んで飛び出す。
庭ではバラバラと武士たちが南東に走っていく。
秋の宮も廊下を足音荒く駆けた。
建物に程近いところで、バラバラと集まった武士たちは緩く円を描いて何かを囲んでいる。
中央にいたのは血染めの衣を纏った影と、それに首元を噛み付かれ震えている武士だった。
「…魔物、だよね?」
息を切らせて立ち止まって、秋の宮は呟く。
だが、囲む側が手を出しそこねているうちに。
噛み付かれていた男の体から、がくん、と力が抜ける。
ずるりと地面に滑り落ちたそれから、土に血が染み込んでいく。
口許を真っ赤に染めて、纏う衣を更に赤くして、影が吠えた。
雄叫びを上げて、囲んでいた一人が跳んだ。振り下ろされた刃を右手で難なく受け止めて、魔物がまた大口を開ける。
今度は肩を噛み付かれ、武士が絶叫した。
周囲からもまた悲鳴が上がる。
見回せば、侍っていた女官たちは腰を抜かして震えているか、気を失って引っ繰り返るかしている。
「魔物、なんだよね?」
目を見開き、顎を伝う汗を拭って秋の宮は呟いた。
「何故… 何故、宮中に。【おかみ】のすぐ近くにまで…!」
「全く、おかしな話だ」
不意に聞こえた声に、秋の宮は振り返った。
声の主は廊下を南側から歩いてきたらしい男で。
「左大臣殿」
秋の宮は眉を寄せて、相手を呼んだ。
だが、彼は厚い胸板を反らせて、ぎろりと秋の宮を睨んだ。
「都のうちでも… いいや、【豊葦原瑞穂国】でも一番、神気に満ち溢れている、魔物が最も嫌うであろう場所にこうも易々と魔物が現れるというのは… おかしな話だ」
「そのとおりだ。普通の魔物がそう簡単に現れてたまるものか!」
秋の宮は叫ぶ。濃い紫の、よく見れば皺の寄った袍を纏った男は厳しい顔のまま、口を開いた。
「普通の魔物ではないのだろう。神気にかなり強いと見える。もしや、誰かが手引きでもしたのか」
「…は?」
思わず目を丸くした。だが、男はじっと宮を見返してくる。その視線の意味を汲んで。
「ちょっと待て、その論理は飛躍しすぎだ。何故、私が魔物をここまで手引きしたということになるんだ」
秋の宮は叫んだ。
「そもそも私はこんな魔物を知らないぞ!」
「どうだろうか」
静かに左大臣が言う。秋の宮はぐっと唇を噛んで、庭先に振り返った。
二人目の武士を食いちぎったらしい魔物はゆらりと立ち上がった。
日本足でしっかりと立つ様は、獣ではなく人間のようだ。
血染めになったその衣をよく見れば、もとは狩衣だったらしい形をしている。
髪は黒く長く。眼窩は真っ黒に落ち窪んで無くなっているか、そこに元あっただろう眸が不意に思い出せた。
「いや… 違う」
秋の宮の首筋を冷たい汗が伝う。どくん、と跳ねた心臓を宥めようと、彼は胸元を抑えた。
「まさか…」
四日前から屋敷に招いている客の一人。さらに言えば、初めて顔を合わせてから一月も経っていない。史琉の方につい目が行きがちだったが、彼を覚えていない訳が無い。史琉――北の校尉とともに都に北の帥の遣いとしてやってきた男。
「時若か!?」
小さく、だが鋭く叫ぶ。
それに低く左大臣――三条の大殿が笑った。
「知っている魔物なのだろう?」
へたり込んでいる女官たちから、魔物に近寄れずにいる武士たちから、秋の宮に一斉に視線が集まる。 秋の宮は目を見開いて、庭を向いた。
すると、こちらを向いた魔物の顔が真正面から見えた。
だから、輪郭と流れる髪から、顔立ちは崩れていても、それが彼なのだとはっきりと分かる。
彼はじぃっと秋の宮を見つめてから、ぐおお、と叫んだ。
叫び、胸元を掻き毟り。それから背を向けて、びょんびょん、と跳ねて去っていく。
転がった二つの物言わぬ躯、むわっと立ち上った血の匂いに誰もが立ち竦む。
「知っている顔を見て、襲うのを止めたようだ」
その中で、三条の大殿だけがゆっくりと口を開いた。
「北からの遣いを屋敷に置いているのは宮であろう。内裏を、【おかみ】を狙うために魔物を使うとは実に忌まわしい考えだ。もしや、この策は北の帥と共に練っていて、この度は校尉に持たせてきたか?」
「馬鹿な!」
秋の宮は眉を釣り上げ、叫んだ。
「史琉が魔物を使うはずが、仲間を魔物と変えるはずがないだろう! あれは誰よりも魔物を憎んでいるんだぞ!」
「これだけ言っても非を認めぬとは、図々しい」
大殿はどんと構えて立っている。
「だが、見逃すわけにはいかぬと誰もが分かっていること。捕まえろ!」
秋の宮はじり、と一歩下がった。
周囲の武士、女官たちが怯えた視線を秋の宮へ、そして大殿に向けた。
大殿はじろりと周囲を睨みつけた。
「早く、この大逆人を捕まえろ。衛士たちよ、私を信じぬのか?」
すると、庭にいた武士の一部がゆっくりと刀を構えた。
「…より大きな権力になびく、ね」
秋の宮は頬を引き攣らせる。
「史琉の言うとおり、権力は使えるものだったようだよ」
呟いて。彼は大殿を突き飛ばして走り出した。
一目散に出口に向かってかける。
「捕まえろ!」
大殿の三度目の叫びが聞こえる。それに振り返らずに、秋の宮は駆けた。
息を切らして走って、隣の棟へ。角を曲がり、浴びていた視線を感じなくなった一瞬に。
「宮様!」
横合いから腕を引かれ、御簾を破って部屋の中に転がり込んだ。
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