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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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弐の二「餌の候補を増やしてやると言っているのだ」

夜露に濡れた草を踏んで、棟に向かっていくと。
「律斗さーーーーーーーーーーーーん!」
大音声に出迎えられて、律斗は頬を引き攣らせた。
だが、大音声の主は、大股で走ってくる。
がばり、と抱きつかれそうになったところを律斗は脇に跳んで避けた。
ずしゃ、と音を立てて、上背のある体が地面にのめり込む。
その背をどんと片足で踏んで。
「颯太」
律斗は相手を呼んだ。
「はい、何ですか律斗さん…!?」
ジタバタともがきながら少年が応える。
「時若は戻ってきたか?」
「いいえ、戻ってきてませんよ?」
律斗は眉を寄せ、足を退けた。よいしょ、と颯太が起き上がる。
「時若さんだけでなくて… 皆さんですよ」
「葵とその相方の【かんなぎ】も?」
「はい、全員です」
ぱたぱたと腹に付いた草を払いながら、颯太は情けない声を出した。
「律斗さんと倖奈も一緒に出かけたままだし、校尉も急に出てっちゃうし、なのに誰も昨夜は帰ってこなくて… 心配しました!」
「ああ、悪かったな」
しれっと言って、律斗は建物に昇っていった。
その背を見て、颯太があれ、と声を上げる。
「律斗さん、それ、校尉の衣装です?」
「ああ…」
応えて、律斗は己の着る若竹色の直垂に視線を落とした。
「昨日も律斗さん、灰色のを着てましたよね。あれ、どうしたんですか?」
「血みどろになったから洗濯中だ」
「そうですか、洗濯中… って、ええええ!?」
颯太が叫ぶ。
「洗濯するような場所が何処に!? それに、校尉は? なんで、衣装だけ校尉のなんですか!?」
「うるさい。史琉は至って元気だから安心しろ」
「本当ですか!?」
「いや… 元気ではないな。あいつは倖奈嬢が絡むと途端に狼狽える」
「ええ!? じゃあ、倖奈に何かあって…」
「煩い、少し黙れ」
後ろに追いすがる颯太に向き直り、律斗が叫んだ時。
「おはよう、元気だねえ…」
のんびりとした声が聞こえ、二人振り向いた。
その先には、狩衣を僅かに着崩した芳永が立っている。
「元気でなによりだよ。律斗」
「あ、ああ…」
律斗の頬が引き攣る。芳永はにっこりと微笑んだ。
「で、朝帰りの理由は何だい? 衣装が血みどろになるほど… そうだね、そんなに素敵な女性を巡って修羅場を演じてきたかい?」
「どうしてそうなるんだ!」
「あれ? だって。律斗が北に行く時だって、女の子絡みのゴタゴタが面倒くさくなったからって、ちょうど下向の命が出た理久に泣きついて連れて行ってもらったんじゃな…」
「えええ! そうなんですか!?」
「煩い! 昔のことを引っ張り出すな!」
「すごい、凄すぎる! 律斗さんをめんどくさがらせる女の人って一体…!」
「え? それはもう可憐な美少女…」
「あのどこが可憐なんだ! …って今はその話じゃないだろう!」
叫び、律斗はよろめいた。芳永は袖で口許を押さえ、肩を震わせている。
颯太は瞬いて、二人を見つめた。
「まあ… ここまでの話を繋ぎ合わせると、倖奈も史琉君も一緒だったんだろう。それで、衣装を交換しているのから考えるに…」
くっくっと喉を震わせながら。
「律斗が太刀を抜いて、衣装が汚れるような何かがあった。そして、倖奈は何かあって動けない。史琉君も彼女といるからここに戻ってこれない。それで、衣装が無事な彼の物を来て、律斗だけ戻ってきた。当たっているかい?」
最後はすっと冷えた表情で芳永が言う、
律斗は大きく息を吸ってから首を振り、辺りをぐるりと見回した。
朝一番、朝日だけの仄明るい庭先には、三人以外誰もいない。
「芳永」
声を低め、律斗は言った。
「秋の宮様は?」
「…宮様も昨夜は戻られていないよ。昨日の会議のあとの調べ事は結構難儀だったみたいでね。お付き合いしようかとも思ったんだけど、茉莉と莉紗も心配だから帰れと言われて失礼したんだ。今日はさすがに戻られると思うけど、何時になるかは分からないよ?」
芳永は肩を竦める。律斗はがりがりと首の後ろを掻いた。
「…宮様に話せ、と史琉には言われたんだ。だが、先におまえに話させろ」
芳永の視線が鋭くなる。
そのまま静かに視線だけで部屋の中を示し、芳永が御簾を潜る。
それに律斗が続き、颯太も躊躇った後、走った。



朝日に照らされた街並は、いつもなら白く霞んでいるはずなのに、今朝は違う。
「瘴気が濃いから… か」
言って、シロは笑った。
「倖奈が街中に居らぬからか? いや、だが、都に帰ってきた直後に感じた瘴気の濃さは、アオのせいだったからのう。アオを結界に放り込んでからはマシになっておったからな… 元々瘴気の濃い都とは言え、倖奈がおらぬくらいでここまで濃くなるかのう?」
僅かに弾んだような足取りで、鼠色に霞む通りをシロは進んでいく。
その築地塀に左右を区切られた通りはいつも以上に静まり返っている。
「はてはて? 瘴気の濃さに皆寝込んでおるかな?」
シロは首を捻り、築地塀をちょん切って作られた門の前に立った。
その脇には昼夜を問わず弓と刀を携えた武者が立っているのだが、今は。
「おやまぁ…」
シロが立ったにも関わらず、地面に倒れ伏して動かない。
黙って彼は屈み込み、武者の腕を手首を握った。
「生きてはおる… か」
ふん、と鼻を鳴らして、腕を放し。シロは悠然と屋敷内に入っていった。
案の定、屋敷の中はしんと静まり返っている。簀子に、御簾の内に何人かが倒れているのを見ながら、彼は真っ直ぐに主殿に向かっていった。
そして、屋敷の真ん中、一番良い拵えの部屋の前の庭に瘴気の塊を見つけ、シロは目を丸くした。
「アオ… こんな処に飛んできておったのか」
呟くと。
「シロよ!」
部屋の内から鋭い声が飛んできて、彼は振り返った。
その先には、恰幅の良い男が背を丸めて座り込んでいる。懐には札を抱きかかえ、周囲にも幾つか布袋が落とされている。
おやおや、とシロは笑った。
「即席とはいえ、随分と良い結界を張ったではないか。屋敷内にあったお守り御札全て使ったか? 御蔭でお主は無事ではないか」
言うと、男――三条の大殿は青い顔で叫んだ。
「これを無事というのか! 聞いておらぬぞ、お主の飼い犬――魔物がこの屋敷に来るなんぞ!」
それに、ふむ、と首を傾げてシロは庭先に降りた。
向かい合ったのは、地面に座り込んだ魔物。細い体に襤褸だけを巻きつけた人の形をしていながら、眼窩は黒く落ち窪んだそれ。
「アオよ。何故、ここに来た? …ああ、そうか。わしの痕跡を辿ってきたのか」
じっと顔を覗き込んで、シロが笑うと、アオはあうあうと頷いた。
「ただ結界に沈め込むだけのヒイロより、餌を与えるわしの方が良いか。それは当然じゃな… おぬしも人間だった者。このように醜い姿を曝し続けるよりは一刻も早い消滅を望もう… 神気を喰らい続けて消えたいか」
シロの言葉に、アオは激しく頷く。シロはからからと笑った。
「だが、まだ早いな… いかに倖奈の神気を浴びた後、喰ろう餌は【おかみ】と言え、お主の持つ瘴気の量はまだちと多かろう。第一、昨日の餌はどうした?」
すると、アオはちらりと視線を庭の中に投げた。
枯れ果てた花と立木の並ぶ池のほとりに、丸くなった影がある。
その影の一つに縛られた長い黒い髪は泥にまみれ、狩衣も破れ血に染まっている。
シロはゆったりとそれに歩み寄り、蹴飛ばした。
その勢いで、影がごろんと転がる。
呻き声一つ上げないそれにシロは、ふむ、と頷いた。
「なんじゃ、早々に神気を喰らい果たしたか」
もう一度爪先でつつくと。影はぶるりと震えて、ぐぎゃあああ、と叫んだ。
部屋のうちで、大殿もひっと叫ぶ。シロは首を捻った。
「喰らい尽くすばかりか、瘴気を分けてこやつも魔物にしたか」
言って、シロはからりと笑った。
「アオの瘴気を減らす手段としては上策じゃか、こいつを消す手間が増えるのう…」
喉を胸を掻き毟り、黒い靄を吐き出す影に背を向けて、シロは部屋に戻った。
「さて、どうするか。餌を増やす必要があるかな?」
言うと、ふと大殿が顔を上げた。
「そうじゃ… 殺す相手が増えたんじゃ」
シロは目を丸くした。
「なんじゃ、唐突に。アオに喰わすのは【おかみ】だけ。あとはおぬしが自分で何とかするんじゃろう? まあ、式部大輔はしぐじっておるが」
その言葉に大殿は一瞬だけ顔を歪め、それから笑った。
「餌が要るのだろう? 餌の候補を増やしてやると言っているのだ」
シロはさらに目を見開いて。
それから腹を抱えて笑いだした。
「なんじゃ、邪魔者全て、餌に変えるか。最初からそうしてくれれば楽だったのに」
ひーひーと笑ってから。シロは無邪気な笑顔を大殿に向けた。
「知らぬぞ。ただ居るだけで、屋敷内の人間全て倒れさせるほどの瘴気の塊がアオじゃ。暴れさせて瘴気を撒き散らせれば、都の内、内裏の内、どうなるかは分からぬぞ」
言ってから、まあいいか、とシロは首を振った。
「して? 誰を喰らわせたい?」
「【おかみ】。式部大輔。それに秋の宮。儂の話を素直に聞く【おかみ】に座に付いてもらうのに差し当って邪魔なのはこの三人。今の【おかみ】が居なくなれば儂の孫が座につく。その彼が何かと慕う秋の宮と式部大輔にも居なくなってもらえたら万々歳じゃ」
大殿は頬を緩めた。
「まあ、どんどん餌は増えていこう。もしかしたら、高辻の家は全員に、北の帥とその配下である校尉殿にも消えてもらう羽目になるかもな」
「校尉… ああ、史琉か」
シロは肩を竦めた。
「面白い男なのだがのぅ…」
「そう。彼は非常に面白い。だから残念ではあるのだがね」
「まあ、あいつがおるとわしが欲しいものは手に入れづらいから、良いか」
シロはひひっと笑い、庭に降りた。
「だそうだ。…時若、おぬしから行くか?」
言って、視線を投げると、池の畔でもがいていた影はゆらりと立ち上がった。
「おぬしは、今のうちならば少し喰らうだけで消えよう。ほれ、先に行け」
笑みに時若だった影は頷いて、びょん、と跳び上がり、駆けていった。
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