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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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弐の一(何故、自分はよく知らぬ場処で横になっているのだろう)

ふと気が付くと、辺りは深い紫色の闇に覆われていた。
何度も瞬いているうちに、見上げているのが木の板の天井だと思い至る。
――此処はどこ?
何故、自分はよく知らぬ場処で横になっているのだろうと目を見張る。
そして起き上がろうとして、腕も脚も、体中が重たくて動けないことにも気が付いた。
そう言えば、喉も痛い。外側の皮膚がじんじんと痺れているだけでなく、内側がカラカラに乾いている。
何故なぜ、と必死に考えているうちに。
「起きたか?」
聴き馴染んだ声が聞こえて、視線だけを巡らせる。
だが、声の主はそれより早く顔を覗き込んできた。
「倖奈」
名を呼ばれ、微笑もうと唇を動かしたが巧くいった気がしない。
相手もそれが分かったのか、苦笑いを浮かべて左手を差し伸ばしてきた。
頬に触れた、荒れて硬くなった指先の温もりに、体中の強張りが抜けていく。
そのまま彼はゆっくりと、倖奈の首の下に腕を入れ、抱き起こしてきた。
力の入れられない背を支えたまま、反対の手で器を持ち、口許に寄せてくる。
器の中は冷えた水で、傾けられたまま流れてきて、喉を潤していく。
飲みきって、息を吐き出すと少し楽になる。そうして見上げると、彼はまた笑った。
「体が辛いなら、まだ寝てろ」
そう言って、また元通り横たえられる。
此処は何処なのだとか知るべきことはあるような気がしたが、彼が居るというだけでほっとして、頬が緩む。
そこから必死に手を動かして、彼の指先を握って。
――史琉。
名を呼んでみようと唇をから回す。
すると史琉は一瞬、どこか戸惑ったような表情を浮かべて視線を彷徨わせた。
だが、直ぐに笑みが戻り。端が緩く釣り上がった唇が寄せられてくる。
重ね合わされたその感触に目を閉じる。
そのまま、意識はぷつんと切れた。

「寝たか?」
声に史琉は振り返る。
狭い部屋の入り口、柱に凭れて座った律斗がじっと見てきている。
その向こうに立った少年は僅かに肩を竦めた。
「あれだけアオに神気を浴びせたんだ。一晩やそこらで意識が戻るものか」
それを史琉が睨む。
鋭い視線に彼は顔を背けた。
「言っただろう。私は神気に近寄りたくない。身を保たす瘴気を失いたくないからな」
「単にビビってただけなんじゃないの?」
その彼の背から、ひょっこりともう一人顔を覗かせる。
年は倖奈と変わらないだろう少女。小袖に湯巻を身に付けた彼女は、からりと笑った。
「あ、本当だ。あの子、あたしの染めた飾り布付けてる」
「…さっき、市で逢った娘だと言うたろう」
少年は息を吐く。少女はすっと少年を追い越して、律斗と史琉の間に盆をずいっと突き出した。
「はい。お腹空くでしょ? お握りとお茶だけだけど、どうぞ」
それに史琉と律斗は目を見開いて、顔を見合わせた。
「何よ。毒なんか盛ってないわよ。ヒイロなら分からないけど」
「…おぬし、年中私の薬箱から色々持ち出しているだろう?」
「塗り薬限定です。食べ物には使えないわよ」
「いや、どうだかな。艶出しに塗っているかもしれぬ」
「…ヒイロ!」
少女は振り返り叫ぶ。ヒイロと呼ばれた少年はまた明後日の方角を向いた。
それにくすりと史琉が笑う。
「頂きます」
手を伸ばした彼に、律斗が渋々といった風情で従う。黙々と二人が食べるのを、少女はにかっと笑って見ていた。
その頬には幾つもの痘痕がある。だが、それをかき消すように笑い。
「美味かった?」
彼女が言うのに、史琉も笑み返した。
「美味かったよ。ご馳走様でした」
少女は笑う。その肩を叩いて、少年は部屋に入ってきた。
「さて、話を始めるか?」
麻の袴を捌いて、史琉の横に腰を下ろす。
史琉もまた体の向きを変えて、少年と真正面で向き合った。
「そのつもりでお邪魔しているからね。倖奈を休ませるだけなら、とっとと戻るさ」
「そういうな。一応、薬師として商いをしている身だ。滋養強壮の薬も出してやれるぞ」
言って、少年は笑む。
「ああ… 名乗り遅れたな。ヒイロと呼んでくれ。此処で薬師として暮らしている」
そう言って、彼は少女に視線だけ移した。
「そっちは同居人の真希まきだ」
「よろしくね」
彼女が笑うのに、史琉も笑って頷く。
「史琉だ。…北の果ての砦で校尉の役に就いている」
「随分と遠くからきたものだな」
ヒイロが呟くのに史琉は笑い、視線を動かした。
それを受けて律斗がぼそりと言う。
「律斗だ」
そして、ヒイロは頷く。
「真希」
その彼に呼ばれ、入り口近くに座した少女が目を丸くする。
「何よ?」
「外せ」
短く言い切られ、彼女は頬を膨らませ。
「分かりましたよ!」
ごゆっくり、と言い放ってずかずかと去っていった。
その足音が聞こえなくなるや否や。
「どこから知りたい?」
ヒイロが口を開き。
「あんたたちの体の構造からだな」
と史琉は哂った。
「シロは自身の体を、瘴気でもたせている、と言った。だが、俺の印象では、人間が――魔物以外の何かが瘴気を持つってのは考えられないんでね。その理屈と… あんたが、あんたとシロを含めて『元々一人の人間だった存在』といった意味も」
律斗も入り口から動かないまま、首を縦に振る。
ヒイロは肩を竦めた。
「問いかけとは逆に… 『元々一人の人間だった存在』ということから話そう」
「構わない」
史琉が頷く。ヒイロは溜め息を吐き出して、足を崩した。
「…六十年経つな。私… を含めた存在は一人の人間…【かんなぎ】として都で暮らしていた。その中で、瘴気の生まれ出ずる理由に興味を持っていてな。理由を突き詰めていくうちに、それを人の手で作れるのではないかと考えた」
足を崩し、背も丸め、ヒイロは哂った。
「そして、作り出すことに成功した。理屈は聞くな、兎に角作れたんだ。こう… これくらいの」
とヒイロは両手で何かを抱えるような仕草をした。
「これくらいの、玉の形でな。ただ、やはり瘴気の塊。そこにあるだけで魔物はどんどん生じ、外からも多くの魔物を呼んだ。なので、当然」
「片付けろって話になるよな」
史琉が言葉を継ぐ。律斗も黙って頷いた。
ヒイロも頷く。
「そう。それで、叩き割って壊した。だが、その瘴気の塊と私たちの魂と、どういうわけか深く繋がり合っていたようで… 玉が割れた数にだけ、私たちも分かれていたのだよ」
低くヒイロが笑う。
「玉が割れた数は四つ、元は一人だったはずの私たちも四人になっていた」
「…それこそ、どういう理屈だよ」
史琉が眉を寄せる。ヒイロはくっくっと喉を鳴らし続けた。
「分からん。ただ、玉は割れる瞬間まで確かに一人だったはずなのに、気がつけば四人いた。その瞬間までの記憶と知識、思考、全てが共通する存在がな」
「不気味だ」
律斗がぽつんと呟く。ヒイロはますます哂った。
「四人になった我らにその割れた玉はそれぞれ吸い込まれていった。そして瘴気の発生は収まって、魔物の問題は片付いた。だが、我らは玉の影響と思うが、身に神気と瘴気双方を持っていて、瘴気の影響で不死身になっていた」
おそらく、とヒイロは言葉を続けた。
「我らが人として持っていた神気が玉の瘴気に蓋をしていて、魔物の発生は抑えている。瘴気は瘴気で我らを魔物に変えんと蠢いているのだろう。そうでなければ、我らはとうに老い、死んでいるはずだからな。これが『瘴気で体を保たせている』といった理由」
ほう、と彼は息を吐き、史琉は肩を竦めた。
「おまえたちは人間なのか魔物なのかどっちなんだ」
ヒイロは首を傾げる。
「分からぬ。そもそも瘴気の玉と魂が繋がりあった時点で変わったのか、四人に別れた時点で変わったのかも分からぬ。ただ…」
と一つ息を吸って、彼は視線を逸らした。
「私は瘴気よりも神気を多く持っているらしい。だから、人間としての思考をとり行動をとる。シロも同じだ。ただ、アオは瘴気の方が多かったらしく、分かれてすぐにああなった」
「…取り敢えず、あんたとシロは人間で、アオってのは魔物ってことでいいか?」
史琉は苦笑いを浮かべる。ヒイロは首を振った。
「好きにしろ」
それにくくっと笑ってから、史琉はまた口を開いた。
「それともう一つ。四つに分かれたってことは… もう一人居るってことだろう?」
「居る。クロが居る。だが、五〇年以上会っておらぬ。もう死んだかどうかさえも知らぬ。ただ、クロもどちらかというと神気が多めだったようだからな。人間として暮らしているかもしれぬ」
ヒイロは頷き。
「本当にアオだけが貧乏くじだ」
と、ぽつんと呟いた。
「そうか…」
はあ、と息を吐き出してから、史琉は前に向き直った。
「じゃあ、次の質問だ。あんた、シロがやろうとしていることは知っていたのか?」
するとヒイロはすっと表情を引き締めた。
「知るか。あやつにも今日、五、六年ぶりに会ったんだ。この数ヶ月の奴の思考が分かるものか」
「元々は同じ思考と記憶を持っていた… けど、今はバラバラってことか」
「分かれてからはずっと、な」
肩を竦め、ヒイロは溜め息を吐き出した。
「ただアオを消滅させねば、というのは私もシロも考えていたことだ。だが、さすがに【おかみ】を殺してそのついでにアオを消そうなど考えなかった。私は結界に沈めて、やがて瘴気が尽きるのを待つ気でいたんだ。だから、春先に結界を破って逃げたのには気付いていたし、捜して封じ直す気ではいた」
それに律斗が、どうだかな、と笑う。
「だが、先に捕まえたのはシロだったじゃないか。シロが捕まえて結界に入れてしまったから、尚更捜せなかったとでも云うんだろう?」
もう一度ヒイロが溜め息を吐き出す。
「面目ない」
だが、と彼は背筋を伸ばした。
「アオの消滅させることは目的が同じとは言え、【おかみ】を殺させるという暴挙を許す気はない。この点に関してはおまえたちと手を組めるぞ」
真っ直ぐな眸に、史琉が笑う。
「じゃあ、そういうことにしよう」
そう言って、史琉は右手を差し出した。ヒイロは黙って史琉を見返し、それから手を握り返した。
「史琉」
律斗が低い声で呼ぶ。史琉は振り返り、笑んだ。
「俺が責任を持つよ」
はあ、と律斗は息を吐いて首を振った。
「…俺はおまえを信じている」
史琉が口端を吊り上げる。そうして前を向き直った。
「取り敢えず、どうするのが得策とヒイロは見る?」
ヒイロは座り直し、首を傾げた。
「アオを探そう… 餌とした者を連れて何処に飛んでいったものやらな」
それに律斗と史琉は眉を寄せた。
「時若のやつ、無事かな?」
「意識があれば、相手を燃やして屋敷で戻っていそうだがな」
「意識があれば… ね」
史琉はがりがりと両手で頭を掻き毟る。律斗も額に片手を当てた。
「ついでに、シロが厄介になっているという三条の大殿も見張っていたほうが良いだろうな。アオがなくても何とかする手段を講じているやもしれぬ」
「そうだなあ…」
史琉は一層頭を掻き毟った。
「倖奈嬢は起きるのか?」
それを見つめながら律斗が問うと、ヒイロは首を縦に振った。
「今死んでおらぬなら、あれが原因で死ぬことはない。ただ、目が覚めるまで一晩では無理だろうがな」
すると律斗は二度三度と首を捻ってから。
「…秋の宮様の処に戻る」
と言った。史琉は振り向き、笑う。
「なら一緒に…」
「おまえは残れ」
それに律斗が鋭く言う。史琉は目を丸くした。
「どうせ、倖奈嬢が気になって上の空になるんだろう? ぼやっとしてるおまえは面倒くさい。俺でやれることはやってやるから、倖奈嬢が起きてから一緒に帰ってこい」
史琉は目を見開いたまま、口は開かない。
ヒイロは頷いて、立ち上がった。
「ならば、泊まっていくということだな。構わぬ」
そう言って、部屋を出て行く。
じりじりという燭台の灯りに照らされた部屋の中で。
「俺がすべきことはなんだ」
ぶっきらぼうに律斗が言う。
史琉はまた苦笑した。
「…悪いな」
「いいから、とっとと指示を出せ。校尉」
律斗は頬を染めて横を向く。
すっと史琉は表情を引き締めた。
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