挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
花の如く 作者:秋保千代子

第四章

83/100

壱の六「既に餌は“一人”得ておろう?」

※文中にグロテスクな表現がございます。
腕をめいっぱい振って走る。
門を飛び出し通りを抜け、都の一番東の通りを抜けたところで、ふと、次郎が振り向いた。
目を丸くして、史琉も止まる。
その彼をじっと見上げてから、次郎は身を震わせた。
白い体がさらに膨れ上がる。足は太く、爪も牙も鋭く、毛が逆立つ。
やがて震えを収める頃、次郎は元の倍はあろうかという大きさになっていた。
「…魔物?」
史琉が目を眇める。次郎は黙って史琉に頷きかけ、前に向き直り、腰を下ろす。
その背中を黙って見つめ、それから史琉はそこに飛び乗った。
同時にまた、次郎が走り出す。
風よりも早く、彼は草を飛び越えていった。



「くっ…」
頭を振って顔を上げ、地に引っ繰り返った少女とその上に馬乗りになった魔物に、律斗は目を剥いた。
だが、食われるかと思った次の瞬間、白い光がそこから立ち上った。
黒い靄を呑み込んで、空に向かって吹き上がっていく。
思わずぽかんとその様を見つめ、またハッとする。
「…北で見たのと一緒か!」
旅立ちの日に、北の地の港で見たものと同じ光景。
思い至ると同時に、辺りにふわふわと白い花びらが舞い始める。
「魔物を」
倖奈から引き剥がさねば。そう思って立ち上がり、腰に手をやって、太刀がないことに気付く。
「こういう時に…!」
ぎり、と奥歯を鳴らして、視線を巡らせば。
魔物より手前で、シロはまだ刃に喉を突き通されたまま地面に倒れ込んでいる。その傍に少年は一人佇んでいる。
律斗が睨むと。
「神気を浴びることに疲れるか飽きるかすれば、アオは退こう」
少年――ヒイロは肩を竦めた。
「結局は魔物。神気を浴び続ければ、その身を保つ瘴気が失せる。己の消滅を怖れるならば、退こうとも」
「それまでこのままか…!」
律斗がぎっと奥歯を鳴らす。ヒイロは首を振った。
「私が何かするとは思うなよ。私もアオ、シロと変わらず、瘴気で身体を保たせている。私は消えたくないから―― 神気を浴びて、この身の瘴気を減らしたくはない」
言って、しれっとそっぽを向いたヒイロに、律斗は盛大に舌を鳴らす。
腰にもう一度手を当てて、それから拳を固める。
そこでまた突然、アオが吠えた。
地面が揺れる。
黒い靄が吹き上がり、それに合わせて白い光も強くなり、白い花びらが舞う。
光に目を刺され、揺れに立つこともままならない。
呻いて、律斗は片腕で顔を覆った。
それを少しずらして魔物を睨んだ時に、横合いから大きな塊が突っ込んできた。
同じように白いそれは勢いよく走り抜け、魔物を弾き飛ばす。
宙を舞ってから、魔物はずどんずどんと地面で弾み、転がっていった。
瘴気の渦が収まる。同時に白い光も静まっていく。
光が収束していくところには、倖奈が仰向けに倒れている。
律斗は呆然とその様を見つめ。
「…次郎?」
ヒイロが掠れ声で呟く。
白い塊は止まり、のそりと振り返った。
毛の長い、巨大な狼のようなそれの黒い艶を湛えた眸が順に彼ら見て、腰を落とす。
その背から、すとん、と飛び降りた男を見て、律斗は瞬いた。
「史琉…!」
よく知った相手の名前を呼ぶと、相手も軽く目を見張った。
「…律斗」
そうしてから、律斗はもう一度周りを見回した。
くすんだ空の下。
ヒイロが佇み、その横でシロがまだ引っ繰り返ってもがいている。草の中に埋もれた倖奈はぴくりともしない。大きな白い狼のような何かはじっと睨み、睨む先には細い魔物。
視線を浴びて、魔物は呻いて起き上がり、また吠えた。
応じるように狼も吠える。
魔物が走る。正面から狼とぶつかり合う。
がつんがつんと、何度も頭をぶつけ合い、叫ぶ。
律斗は史琉に叫んだ。
「太刀を貸せ!」
史琉はまた目を見開く。
「おまえはしっかり抱えていろ!」
だが、律斗がびっと指先で地面に倒れたままの倖奈を示すと、表情が変わる。
ぎっと魔物を睨んだ後、史琉は鞘ごと太刀を律斗に投げてきた。
受け取って、律斗が魔物へ走る。
遅れて史琉も走る。
彼が駆けた先は、倒れ伏せたままの倖奈の処で。
「…倖奈?」
小さな声で呼びかけても、彼女は応えない。
そっと抱き上げると胸はきちんと動いていて、史琉はほっと息をついた。
「北での時と …一緒だ」
これで三度目。魔物に触れるとどうしてもこうなるのだろうかと眉を顰めた時に。
「シロから、魔物に触れるだけで神気を溢れさせる娘だと聞いていたが」
さく、と草を踏んで傍に立った人影を見上げる。
長い髪を後ろの高いところで一つに結い上げ、麻の小袖と袴を身に付けた少年は、翠色の眸でじっと見てきた。
「こうも抑制のないものとはな。神気は命と同じというのに」
史琉はぐっと唇を噛んで、倖奈の体を抱きしめる。
少年は肩を竦め、視線を巡らせた。
「…だが、これだけの神気を浴びてもアオは無事か。やはり、この娘一人では我等の瘴気を購えないのではないか?」
そう言って見つめる先には、もう一人引っ繰り返った人影。
そこににょっきりと生えた太刀に、史琉は薄らと笑った。
「今まで刀で倒しきれなかった魔物に出食わしたことがないわけじゃない。だが、抵抗はできるさ」
少年は肩を竦める。
「…確かに、あの手段は考えたこともなかったが」
そう言って二人が見る先では、もう一人の少年――シロが喉と地を太刀で縫い止められたまま、震えている。
首とその周りを真っ赤に染めて、がくがくと手を伸ばし。
刃にかかった指先も切れて赤い筋を作りながら、漸く。
太刀が傾く。そこを震える両手が一気に押し倒す。
ぶしゅう、と血が吹き上がる。錆びた匂いが広がる。
がっ、と呻き口からも血を零して。シロはごろんと転がり、両手をついて立ち上がろうとした。
「…それでも、瘴気は消えぬらしい」
史琉の脇の少年が呟く。
何度となく咳き込んだ後。
「消えぬどころか余っておるわ。もう… 傷が塞がり始めた」
シロが掠れ声で笑う。
史琉は眉を顰めた。
「何故アオだけ… 神気より瘴気を多く持ったのかのう。神気が優っていれば、ああもなるまいに」
昏い笑みを浮かべて、シロが視線を巡らす。
その先では、細身の襤褸を纏った体が飛び跳ねて、律斗の太刀と白い狼――次郎の牙から逃げていた。
「アオ」
はっきりした声で、シロは呼んだ。
ぴくり、と魔物が止まる。それからゆっくりと首を回して、ああう、と呻いた。
「アオよ。倖奈の神気は甘かったか?」
シロの問いに、あうあう、と呻いて頷く。
そうか、とシロも頷いて、ふらりと立ち上がった。
「今は腹満ちていよう。それにおぬし、既に餌は“一人”得ておろう?」
ゆらりとシロが指差し、アオが首を回す。全員がそちらを見向く。
そこには、ぐったりと地面に倒れ伏した影があった。
先程、アオと一緒に空から落ちてきた影。黒い長い髪を一つに縛り、襲の狩衣を纏った体。
「…時若?」
史琉が呟く。律斗が目を剥く。
「ほれ、それも【かんなぎ】じゃ。人の命を――神気を喰らいたければ、それにしておけ」
シロが言うと、アオはあーと言ってふらふらと歩き出した。
「律斗!」
史琉が叫ぶ。律斗が走り、アオの背に斬りつける。
一瞬だけ躊躇い、アオが振り向く。
振り向いた勢いで振るわれた腕を太刀で受け止め、払い、律斗は今度は突き込む。
刃を避け、アオが反対の腕を振り回す。
太刀と腕が弾き合い、音を立てる。
やがて、アオが振り下ろされた太刀を握り、太刀ごと律斗を放る。
律斗が地面に転がり、跳ね起きる。
アオは叫び、黒い靄を吐き出す。同時に地面が揺れる。
シロがまたひっくり返り、律斗とヒイロも膝をつく。
その中でもアオは一人立ち、よたよたと歩いて動かない時若を担ぎ上げた。
彼の衣装は、肩から腹にかけて真っ赤に染まっている。
細い肩も、指先もピクリとも動かない。
「時若!」
史琉が叫ぶ。叫んで、腕の中の倖奈を見て、史琉はぎっと奥歯を鳴らした。
アオも吠える。それから、だん、と地面を蹴った。
黒い靄が渦巻き、風が巻き上がる。それに乗って、アオの体が空に舞い上がる。
時若を担いだまま、アオは真っ直ぐに西に飛んでいった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ