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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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壱の五「俺には、おまえたちを連れて帰る責任があるんだよ」

秋の宮の屋敷の庭先で。
颯太が地べたに寝転んでいたのはほんの僅かな間だった。
名を呼ばれ、目を開けると。
「美波さん」
覗き込んでくる娘と目が合った。
華やかな柄の打掛を羽織り飾り帯をかけ、右手に市女笠を持った姿は、外出から帰ってきたところだからだろう。
「お帰りですか?」
そう言えば、何処へかは知らないが朝から出かけていたなと問うと、頷かれる。
「あんたは、こんなところで何してるの?」
「えーと… 休憩です?」
答えに美波は眉間に皺を刻む。颯太は慌てて跳ね起きた。
「だって、律斗さん酷いんですよ。昨日から全く手加減なしで…」
「ふぅん? 稽古してたの?」
「そうです」
頷きも中途半端に美波は元の顔に戻る。
「俺はすっごい疲れたのに、それでも涼しい顔して出かけられちゃうのがすごいですよね」
溜め息混じりに颯太が言うと、美波は首を傾げた。
「律斗、出かけたの?」
「はい。時若さんや倖奈も一緒です」
「ふぅん…」
ひとつ頷いて、反対に小首を傾げる。
「…史琉は?」
「校尉はもうお戻りです。着替えてくるって言ってました」
「そう」
それだけ言って、美波は簀子を上がり、奥へと歩いて行った。

何気ない顔で立ち去れば、颯太は何も言ってこない。
そう言えば、今朝出かける時素知らぬ顔で簀子を歩いていったら、時若は何処へ、とさえ訊いてこなかった。
自分が何をしていようが皆特別気にしないのだろうか、と美波は頬を膨らませた。
角を曲がれば、颯太の居る場所からは見えない。だから、美波は思いっきり溜め息を吐き出した。
そうしてから、少し離れた場所にもう一人いることに気づいてハッとした。
だが、そのもう一人はこちらを見ていない。
御簾の前に立ったまま、彼はガシガシと冠を取った頭を左手で掻き回していた。
「史琉?」
名を呼ぶと、すい、と振り向かれた。
「ああ… お帰り」
何でもなかったかのように、彼は笑う。
「史琉こそ。今日もお疲れ様」
美波も艶やかに笑ってみせる。それから、じっくりと史琉を見遣った。
特別目立ったところのない容姿の中で、口の端はいつも釣り上げられていて、笑っているように見える。
だが、それが今は少し違う気がして。
「よっぽど今日は嫌なことがあったのかしら?」
美波は言った。
「苛々して、どうしたの?」
「そんなこと、ないさ」
史琉が苦笑する。細められた目をじっと見つめて、美波は空いた手を頬に添えて小首を傾げた。
「とても何でもなくは見えないわよ? 髪、ぐしゃぐしゃ」
くすくすと声を立てると、史琉はもう一度頭を掻き回した。
「…冠を付けるのに結ったのを、取った後だからじゃないか?」
「それもあるかもしれないけど、今、自分で掻き回していたじゃない。なんで?」
「結った後は落ち着かないんだよ。毛が根元から引っ張られていたせいで、皮膚がピリピリする」
「ふうん? 髪はあまり結ったことがないからよく分からないけど」
と美波は笑い続けた。
「史琉ってば、本当に着飾るの嫌いね。冠つけて装束着るの、素敵なのに」
「…良い衣装を着るのは嫌いじゃないぞ」
史琉が笑う。
「いろいろゴテゴテと飾り付けるのが面倒なんだ」
「そうなの?」
首を反対に傾げる。
「素敵なのに。簪とか飾り帯とか。この笠の薄絹も素敵でしょ?」
「…おまえは本当にそういうのが好きだな」
それは兎も角、と史琉は美波に向き直った。
「何処に行っていた?」
――やっと訊いてもらえた。
今度はゆっくりと首を横に振る。
「特別どこにも」
すると、史琉がまた苦笑いを浮かべる。
「決めてなかったのか?」
「そうよ。だって散歩だもん」
ぷう、と頬を膨らませてみせると、肩を竦められた。
「せめて、方角とか決めて、それくらいは告げてから出かけてくれ」
「だって、誰も訊いてこなかったし」
「だからっておまえからも喋らないっていう理屈にはならないだろ? 万が一迷子になっても迎えに行けないぞ」
眉尻を下げて笑う顔をじっと見上げて。
「倖奈にもそう言うの?」
言うと、史琉は一瞬だけ険しい顔になり、直ぐに笑い直した。
「まあ… ね」
「あの子、すぐ迷子になるものね。昔っからそう」
美波は、少しだけ肩を竦めた。
「北の砦に移ったばかりの頃は、主殿に行くのにもわたしの倍は掛かっていた」
だが、史琉は困ったような笑みを浮かべているだけだ。
「ちょっとくらい鈍臭い方が可愛がってもらえるかしら。倖奈みたいに」
美波はもう一度頬を膨らませ、顔を伏せた。
「だからって、不貞腐れて引き篭るのは止めろとこの間も言っただろう」
少しばかり厳しめの声。
顔を上げれば、史琉は変わらず笑みを浮かべている。
「ええ、言ってもらったわ。芳永様のお宅に押し入りが来た日にでしょ。ちゃんと考えて、だから、引き篭ってないで散歩に行ってきたわ」
いつもの調子で答えると、史琉は一瞬口を開きかけ、押し黙る。
それをしっかりと見届けてから、美波は眉を寄せた。
「それでも駄目なの?」
「…北の砦に居るのとは事情が違うんだ」
史琉は溜め息を吐き出した。
「都の地理は俺だって全て把握しているわけじゃない。何処にどんな危険があるか知らないんだ。そのついでにこの間の一件もある。本当は狙われているのは俺たちの方だという可能性も捨てきれないんだ。その中で自分勝手に動かれてばかりじゃ、助けたくても助けられないことに成りかねない」
「そんなのは、史琉の勝手じゃない。わたしが勝手するのと変わらないじゃない」
唇を尖らせる。
「俺には、おまえたちを連れて帰る責任があるんだよ」
史琉の口元も歪む。美波はきっと睨んだ。
「どんな責任よ」
「おまえたちを北の砦に無事に帰らせる責任だ」
「おまえたちって?」
「はっきり名前を言わなきゃ駄目なのか? 美波と時若と倖奈だよ。颯太だってそうだ」
「どうしてそんな責任があるの。真桜様に言われたから? 理久様に言われたから?」
「…はっきりと言われていなくても生まれる責任もあるんだよ」
「全然分かんない」
睨み続けたまま、美波は言った。
「どうして、わたしもなの? 時若もなの? 時若とあなたがそんなに仲良くないのは北の砦で誰もが知っていることだし… わたしだって、史琉の何でもないわ」
言うと、胸にぽかりと穴が生まれた。
「倖奈はイイわよね。史琉の恋人なんだもの、史琉が護ってくれて当然よね」
それをぐりぐりと広げながら、言い募る。
「だけど、わたしは何の関係もないじゃない。だから、心配もしてくれないし、甘やかしてくれもしないし、特別に思われる何かもないんでしょ。じゃあ何しようと勝手じゃない」
すると、史琉は顔を伏せ、一段と大きい溜め息を吐き出した。
「おまえ、恋に夢を見すぎだろ」
その言葉に、え、と目を丸くする。
ずかずかと史琉が歩み寄ってくる。
乱暴に左手を取られ、引っ張られ、右手に持ちっ放しだった笠を取り落とし、つんのめったところで抱き寄せられる。
今度は呟く間もなく、口を塞がれた。
唇に当たったのは生暖かい感触。
一瞬で離れていったそれを呆然と見つめる。
もう一度、史琉が溜め息をつく。
「どうしてもそういう理由が必要なら… 俺がおまえと倖奈と二股かけているってことにしておけ」
かっと頬が熱くなる。
「絶対に嫌!」
美波は叫んだ。
それを一瞥して、史琉は歩いて行ってしまう。
若竹色の直垂を着た背中が角を曲がっていくまで睨んでから。美波は足音荒く、自らの部屋に飛び込んでいった。

苛々していないというのは嘘だ。
口許を手の甲で乱暴に拭って、その手を柱にガツンとぶつける。
この胸の裡がざらざらと波打っている感触の理由は、勿論美波ではない。
――倖奈が出かけた?
時若と一緒に、それに律斗も付いていったのと颯太は言っていた。
今日、時若は例の魔物の件で近衛将監やその相方の【かんなぎ】と出かけることになっていたはずだ。その用件で出かけたのだとしたら。
「倖奈も魔物のところへ?」
はっきりと口にすれば、苛立ちは募る。
あの魔物はシロと関わりがある。そして、そのシロは倖奈が欲しいとはっきりと口にした。
――はいそうですかと渡せるか、ちくしょうめ。
だが、と首を振る。
律斗が一緒なのだ。腕前を他の誰よりも信じている、彼。知っている事考えている事全てを分かち合う彼だから、同じ事を考えて倖奈に付いていってくれたのだと信じている。
それに時若がもいるのだ、気が合わないからと言っても、彼が頼りにならないのという話にはならない。
そう思っても、喉の奥の引っ掛かりも抜けない。
「…何で」
と呟いて、じんじん痺れる手を額に当てる。
不意に、近くの草が揺れる音がした。
「誰だ?」
見遣りもせずに問うと、くうん、と弱々しい鳴き声がした。
「次郎?」
目を丸くして、振り返る。庭先、背の低い木立の影に白い大きな犬が尻尾を垂らして座っている。
「どうした?」
くっと笑って問うと、次郎は立ち上がり、二歩進んだ。
そこで一度振り返り、また三歩進んで振り返る。
史琉は眉を顰める。
次郎は、もう一歩進んで振り返り、今度は走り出した。
それを見て、史琉もだっと走り出す。
簀子を回り、庭に飛び出したところで。
「…校尉?」
颯太が上擦った声をかけてくる。
「留守番してろ!」
それだけ叫び返して、史琉は前を駆ける次郎を追った。
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