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花の如く 作者:秋保千代子

第四章

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壱の三「見掛けだけ爺で、根はワガママは全て聞いてもらえると思っているガキじゃ」

※文中にグロテスクな表現がございます。
さらりと風が茅葺きの建物の中を抜けていく。漂ってきた荷葉の香に、彼は顔を上げた。
部屋の入り口、巻き上げられた御簾の下には幾重にも重ねた衣と緋袴を纏った女が立っている。
「秋の宮様」
真っ直ぐに視線が合うと、彼女は微笑み。
「…ここは宮中だぞ。それで呼ぶかね」
秋の宮は唇を歪めた。
「内務卿様」
「…君にそう呼ばれるのは気味が悪い」
「それでは、どうしたらよろしいのやら」
くす、と笑って彼女は部屋に入ってきた。
秋の宮が黙ってその動きを視線だけで追っていると、彼女は笑みを湛えたまま、すっと彼の隣に腰を下ろした。
部屋の中は何十という巻物と冊子。それに囲まれた真ん中の文机に向かっていた秋の宮は、はあと息を吐き出して、手にあった一冊を閉じた。
「天音」
呼ぶと、彼女は首を傾げる。
それにふっと笑みを零す。
「何の用だい?」
「お仕事をこちらでなさっていると伺い、珍しいなと思いまして、様子見に」
ころころと笑った天音に、秋の宮はますます口元の笑みを深くした。
「…心配させているようだな」
「はい」
その一瞬だけ、天音の笑みが陰る。
だが、すぐに天音は元の表情に戻ると、紅を佩いた唇を動かした。
「宮様が珍しく働かれているというのに、左大臣様の方がお帰りになったようですわ」
ふむ、と秋の宮は頷いた。
「何か気に喰わないことでもあったかな?」
それに、天音はわざとらしく首を傾げてみせた。
「もっとも、お忙しくしていらっしゃるようですわ。ここのところは宮中のお仕事の後は大学寮に寄られるのが常のようで、今日もそちらに向かわれているのかも」
「ふうん?」
秋の宮は目を丸くする。
「何のお勉強をなさっていらっしゃるのやら。【かんなぎ】達の資料の棟に通っているという話で」
天音は袖口で口許を隠しながら、鈴を転がしたような声を立てた。
「どこから出た話だい?」
「大学寮で働いている者から。専らの噂だそうですわ。共の者の一人しか連れずに見えるとか」
「…珍しいね。あの人が共一人とは」
肩を竦め、天音を見ると、彼女はまだ笑っていた。
「ええ。なので、何をお勉強なのかしらとわたくしもそちらへ行ったことがあるのですけれど」
「収穫は?」
「…倖奈さんにお逢いしたことかしら?」
「…分からなかったということが分かったよ」
はあ、と秋の宮は溜め息をつき。天音はもう一度笑って、袖口を下ろした。
「強いて申し上げるなら… 色の宮様のお残しになった書を中心に見ていらっしゃるようですわ」
「…色の宮、ね」
それに秋の宮が眉を寄せる。
「あまり歓心しないな。皇族に連なるからこそ隠されている出来事… かの宮様は蒸し返されたくない話だからね」
「ええ、そう思います」
しっかりと天音は頷いて。
「お考えが揺れていなくて。しっかりお役目に励まれているようで、安心いたしました」
と笑った。
秋の宮が天音を睨む。
「では、わたくしも勤めに戻りますわ」
笑うだけ笑って、天音は優雅に立ち上がった。
その姿を目を細めて見上げて。
「ああ…」
と、秋の宮は一度だけ頷く。
天音は荷葉の香だけ残して立ち去り、秋の宮はまた紙を繰り始めた。



ざあ、と風が唸ったにも関わらず、都の北東のその森は薄暗く凝っている。
「すごい瘴気だな」
「昨日より酷くなっています。…来て良かったな」
小高い丘の上に登り、森の入口に立って。時若が口許を歪めて言うと、後ろに付いた泰誠も眉を顰めた。
「元の魔物そのものが強くなっている感じだ」
うう、と唸って泰誠は首の後ろを掻く。時若は苦々しい顔になった。
「とっととその魔物とやらを始末すべきだろうな」
「同感だ」
葵が渋々といった風情で首を振る。
「森に入ってみます?」
泰誠の問いに、時若が頷く。
「問題の樹のところに行こう。結界を破ってでも、中を確認したい」
それを聞くや否や、葵はざかざかと草を踏んで歩き出した。
追って泰誠、時若が歩き出す。
その彼らの背中が茂みに隠れていっても、尚。
「…行かないのか?」
問われ、倖奈はゆっくりと顔を上げた。
隣に立っているのは無表情の律斗。
倖奈はめいっぱい瞳を開いて、唇を戦慄かせた。
それでも、その場にへたり込んだまま立ち上がれない。
「ここで待っているつもりか?」
もう一度問われ、必死に首を振る。
「そんなつもりは…」
ない、と言いたいのに、唇は動かない。手足は尚更、凍ったように動かない。
――どうして?
息が詰まる。背中を冷たい汗が伝っていって、気持ち悪い。
――前にも同じ感じ…
ひゅう、と息を吸うと、柔らかく温かなものが擦り寄ってくる。
ゆっくりと向くと、傍らに次郎が白い体を寄せてきた。
くうん、と鳴いて、彼は黒い瞳で見上げてきて。
くい、と袖を咥えた。
ガンガン鳴る頭をどうにか持ち上げて笑ってみせると、彼はなおも袖を引く。
「入るな、とでも言うつもりか」
律斗が低く呟くと。
次郎は見上げ、くん、と鳴いた。
倖奈は瞬いて、ゆっくりと立ち上がった。
そのまま、ずるずると次郎に引き摺られ、丘を降りていく。
「次郎? 何処へ?」
問うても、彼は歩みを止めない。
慌てて振り返れば、全く動じていない顔で律斗だけが付いてくる。
――時若たちは。
どうしただろうかと森を見上げ、だが、足は次郎に連れられるままに進み。
ふと、息が楽になったことに気づく。
「…え?」
喉に手を添え、真っ直ぐに立ち、止まる。
それからもう一度、暗く凝った森を見上げる。
ざくざくとその横を律斗が通り抜け、止まる。
何か、と振り向いて、倖奈は目を丸くした。
「…シロ?」
見遣った先に、次郎が草を踏んで歩いていく。
その先に立っていたのは、水干を纏い、角髪を結った細身の少年。
彼は次郎の頭を撫で、それから振り向いた。
「苦しかったじゃろう」
にっと笑う顔をじっと見つめて、倖奈は首を縦に振った。
「それをどうして…知っているの?」
「分からぬものか。わしとて【かんなぎ】の端くれ。瘴気に神気が吸い取られていく感触は知っておる。これ以上近寄れば、吸い取られかねないということもな」
のう、と彼は笑って、横を向いた。
そこにも少年が立っていた。
小袖に切袴、髪を後ろで高く結い上げた異なる出立ちながら。
――似ている。
そうじっと顔を見る。
鼻筋に顎の形。それから翠色の眸。造形の全てがこの少年とシロは同じだ。
――前にも会った…
「市で」
と倖奈は呟いた。
「前に、市でお会いしたわ…」
そう言ってゆっくりと少年に視線を送り、髪に結えられた紅色の布飾りを触った。
――この布飾りを買った時に、お店にいた人!
「ああ…」
少年も頷き、目を細める。
「逢っている。これだけの神気の持ち主、忘れるものか」
それに律斗は首を傾げ、倖奈、少年、シロと順に見遣った。
その先でシロは笑い。
「やっぱり、ヒイロも忘れられなかったんじゃな。六十年過ごしてきて、ここまで強い神気の持ち主は初めて。二度三度の出会いを願うて当然だろう?」
言って、一歩踏み出す。
「無尽蔵の神気と無尽蔵の瘴気、どちらが多いか今は知りようもないが、賭けてみたい」
くっくっと喉を鳴らす。
「倖奈の神気で、わしらの瘴気が消せるか否か」
横に立つ少年は、はあ、と息を吐いた。
「私は死にたくない」
「なんと… まあ。わしはもう、飽きたぞ」
シロは振り返り、笑い続ける。
倖奈はごくりと喉を鳴らして、一歩下がった。
その前に律斗が静かに立つ。
「この間、体を保っているのが瘴気だと、言ったのだったな」
低い声に、シロが歩みを止めて、瞬いた。
「史琉にそう言っていたのだろう?」
律斗が重ねて言うと、彼はくすっと声を鳴らした。
「ああ、言った。だから、その瘴気を消すのに倖奈の神気が欲しいともな」
「…え?」
倖奈は瞬く。
だが、シロは陶然と笑った。
「わし一人で貰いたい。ヒイロは死にたくないと言っておるし、アオはもうそろそろ瘴気を使い果たしそうじゃし、問題なかろう?」
すると、律斗が舌を打つ音が響いた。
「アオ… というのが、あの魔物か」
シロが瞬く。その背後で、今一人の少年が溜め息を吐き出した。
「今、丘の上の森の中に封じられているのが、アオ。瘴気が神気に勝った故、魔物のような形をしているが、人間だった物だ」
それに、律斗が鋭い視線を寄せる。少年はもう一度息をついて。
「そして、私がヒイロ。シロも含めて、元々一人の人間だった存在だ」
淡々と告げる。
「アオは我らの中でも瘴気を多く請け負ったほう故に、人間としての意識を無くして久しい。都の端で眠らせていたのだが、春先にその結界が壊れて逃げ出していた。随分と民に姿を見られていたようだな」
「それを捕まえ直して、ここに放り込んだのはわし」
言葉の切れたところで、シロが口を挟む。
「意識は無い故、魔物として逝ってもらおうと、そのついでに人を喰ろうてから逝ってもらおうと思ってな。適当に弱るまでと思っていたのだが、この間の餌で逆と元気になり過ぎたようで、ヒイロにバレてしもうた」
にやにやと笑うのを、ヒイロが睨む。
律斗はそれを順に見遣って、また舌を打った。
「訳が分からん。元々一人の人間だった、というのも。体を保っているのが瘴気だ、というのも」
「まあ、話せば長くなるから、割愛じゃ」
もう一度、シロが笑う。
「お主に関係するのは、わしがアオに喰わせようとしているのが誰か、じゃないのかのう?」
それに律斗の目が細くなる。
「話せるだけ話してやる。何せ、北から都まで飯を奢って貰った恩があるからな」
「…とっとと喋れ」
ギリ、と律斗が睨む。シロはニヤニヤしたまま。
「今、わしは、左大臣――三条の大殿に厄介になっておるわい」
喋る。律斗は溜め息をついた。
「…刀屋のじいさんの言っていたのは、当たりか」
「で、先だってお主たちが世話になっている式部大輔の邸を襲ったのは、三条の大殿の家人」
「それは知っている」
「嫌いなのは全員殺してしまえ、と最近はめっり発想が硬くなってきておるようでな。大殿は式部大輔が嫌い… もっと言えば、自分の遣り方に異を唱える奴らが全員嫌いじゃ」
軽い声に、律斗は逆に低い声で呟いた。
「……我侭な奴め」
「おお。見掛けだけ爺で、根はワガママは全て聞いてもらえると思っているガキじゃ」
ふう、とシロがわざとらしく息を吐く。
「で、式部大輔を殺したいのは勿論。今殺したいのは【おかみ】らしい」
「…は?」
律斗が眉を跳ねさせる。倖奈も目を丸くし、ヒイロもまた目を剥いた。
「いや、だってのう。この国の向かう先を最終的に決めるのは【おかみ】ではないか。今の【おかみ】も昔はいはいで大殿の話を聞いていたようじゃが、最近は弟の方を頼りにしているようでな。だから大殿は自分の言うことをほいほいと訊く次の【おかみ】を立てたいのじゃよ」
シロは可笑しそうに頬を緩めた。
「だが、流石に宮中で大っぴらに暗殺事件を起こすわけにもいかんし、自分への非難が集まったら元も子もないでな。そうと分からぬ手段で殺そうと考えて。魔物に――アオに襲わせようとしているのじゃよ。だが、如何せん魔物じゃ。しっかりと狙いだけを襲うようにしなければならんし、狙いを始末した後にも暴れられては叶わぬ。だから、魔物を適度に弱らせて、言うことを聞くように躾けるのと。狙いを始末したらそのまま消滅してくれるようにしなきゃならんのでな」
そこまで喋って、すう、とシロは息を吸った。
「狙いは【みかど】、この国で最強の【かんなぎ】じゃ。喰うことで魔物の身の内には神気が満ちよう。その【みかど】の神気と釣り合うくらいに魔物を弱らせておこうとここに突っ込んでおいたんじゃが… まあ、もうこの先は知らぬわ」
ぐにゃり、とシロの唇がたわむ。
「のう、倖奈…」
彼が踏み出すのに合わせて、一歩退く。
「わしは自分自身の願いの方が大事なんじゃよ」
シロは笑みを崩さずにゆっくりと言った。
「瘴気に触れれば、際限なく神気を出すしかないお主じゃ」
そうして、右手を伸ばす。
――一体何を。
言いたいのだ、と叫ぶより早く。
律斗の腕が動いた。
ぶん、と太刀を抜いて彼は一息に跳び、そのまま切っ先が真っ直ぐにシロの喉を貫く。
真っ赤な飛沫が吹き上がる。
ぐしゃり、と音を立ててシロの体が背中から倒れ込む。
それに律斗は伸し掛かり、両手で太刀を押し込んだ。
「…何を」
掠れた声で、ヒイロが呟く。
それに構わずに。
「傷つけられたくらいでは死なぬ、と言っても」
立ち上がり、頬に散った赤をぐいっと拭って、律斗は冷ややかな目でシロを見下ろした。
「殺しっぱなしにすれば少しは違うだろう?」
刃はシロの喉を通って、地に突き立った。貫かれた少年の両腕ががくがくと震え、手が宙を掻く。
緑の羊歯の合間を縫って、赤い血が地面に染み込んでいくのを、倖奈は呆然と見つめた。
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