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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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閑話・三「恋人もできて、気合が入っているだろう?」

薄っすら目を開ければ、部屋の中にまで日の光が届いていた。
――もう昼か。
だが、眠い。
ガンガンと頭の中では鐘が鳴る。
その合間に必死に思考を働かせる。
――今日は非番の筈だ。
大きな魔物によって桜隊がほぼ壊滅の憂き目に遭ってから四日。北の砦の、そして北の国府の長である理久が国府の衛士から人員を回し、元のような当番に戻ったのが漸く昨日。
自分の隊が警邏に当たっていたのが昨日の午後。
次に当番が回ってくるのは、順当に行けば明日の昼のはずだ。
――今は、寝る。
今日一日くらいダラダラしていても罰は当たらない…はずだ。出た結論に、史琉は頭から布団を被った。
だが、その布団を引かれ、また日の光が容赦なく降ってくる。
「何だよ…」
寝転がったまま、寝ぼけた声で一応抗議する。
すぐ隣には、布団の端を握って、背の高い男が立っていた。
「史琉」
同じ隊の仲間として何年も過ごしてきた男。
その彼がにやにやと見下ろしてきた。
「…なんだよ、一彦さん」
付き合いの長い兄貴分は、何でも話せる頼れる相手だが、この表情をしているときは大抵ろくなことが起きていない。
史琉は眉を寄せて、体を起こした。
「何かあった?」
「ああ、大あり」
ニヤニヤと心底愉快そうに笑って、彼は言った。
「おまえ、いつの間に恋人をこさえたんだ」
「…はぁ!?」
史琉は素っ頓狂な声を上げた。



いつの間にか噂が立っていた。
だが、根も葉もない、と言えないのが辛い。
――すまん。半分は事実デス。
隊の部下たちのしらっとした(それでいて愛のある)視線を一身に浴びて、史琉は冷や汗を止められなかった。
「おまえが仕事が早いってのは分かっていたけれど」
「うっさいな、一彦さん」
「手を出すのも早かったんだな」
「…一彦さんにそれを言われたくない」
「…てめえ、しばくぞ」
「それはこっちの科白だ!」
「俺はちゃんと覚悟を決めてから出したんだ!」
「知ってるよ」
「だからどうだ。今はちゃんと二児の父もやっているんだぞ、俺は」
「はいはい、それも知ってるって」
「で? 何が良かったの?」
「……」
星明かりの下で見た少女がとてつもなく可愛らしかったから、というのは言い訳になるのだろうか。
――だからって… 恋人というのは飛躍しすぎだろう?
冷や汗を隠して、話の流れの源を探せば、実に普通の女たちに辿り着いた。
――格好のネタになった、ってことだけ分かったよ。
後は、どう始末をつけるか。当の本人とどう接していくか。

新月の晩。真っ黒な空には、細かな星がさらさらと零れ、北風に揺れていた。
訪い、外に誘えば、彼女はあっさりと付いてきた。
――頼むから警戒してくれ!
悲鳴は心の裡だけで。
来た時にはただ事実を確かめて、窘めて終わりのつもりだった。
なのに。
――本日、晴れて恋人となりました。
どうしてこうなったのだろう。



よって、最優先は名誉なのか不名誉なのか分からない噂が不名誉に転ばないようにするための行動だ。
そういうわけで、翌朝の仕事は一旦、一彦と律斗に押し付けて。
自分は新しい直垂を着て、短い髪に無理矢理折烏帽子を付けて、【かんなぎ】達の棟を正面から訪ねた。
取次に出てきた下働きの女は、史琉を見て笑いを噛み殺している。
だが、今日一番の相手は、神妙な表情で出迎えてくれた。
「倖奈が人と関わろうとすることがあるのかと、驚いたのですよ」
史琉が何を言うより先に、真桜はそう言った。
南向きの部屋。庭先には綻び始めた梅の花。
それをじっと見つめながら。
「あの子が何を出来るかご存知?」
真桜は言い、史琉は頷いた。
「花を… 咲かせるのでしょう?」
「そうです」
白い長い髪をさらりと揺らして、彼女は一度だけ史琉を見た。
「知っているかどうか… あの子は、二つになる前に、親元から神殿へ連れて来られました。花を咲かすというのは強い神気の持ち主だからだろう、【かんなぎ】として役立てよう、そんな心積りで」
また外を見て、それでもまだ真桜は話し続けた。
「私たちは、あの子の神気をどうするかに気を取られていて、子供を育てるという視点を全く持っていなかった。だからか、子どもらしい我が儘を聞いたことがなければ、私から何かを施したことさえもない。幸い、年の近い、時若や美波がいましたけれどね。それでも、埋められないものはあったでしょう。もしかしたらとてつもなく不幸なのかもしれないのに、本人はそうは思っていない」
年老いた【かんなぎ】は、一息ついて、ぽつり、と言った。
「これは、私のせいでしょうか」
史琉は眉を寄せ。だが、黙ってじっと彼女を見た。
「一人、近しい人が増えたということを素直に喜びます」
それをどうとったのか、真桜はゆっくりと振り向いて微笑んだ。
「倖奈を宜しく頼みますね」

「五郷が亡くなってなって… 校尉の席が空いたんだよ」
その足で真っ直ぐ主殿に向かい。
顔を合わせるなり、理久は笑った。
「…大変厭な予感がします、北の帥様」
史琉はずり落ちそうになった折烏帽子を右手で押さえて、頬を引き攣らせた。
だが、向かいで胡座をかいた男は、はっはっはっと大声で笑った。
「厭も何も… もともと、おまえが入るはずだったんだ」
どっしりと構えた笑顔のまま、理久は文机の上の書状を一枚、指先で弾いた。
それはひらりと史琉の膝に落ちてくる。
ちらりと見れば。
それは、校尉の席に史琉の名が記された北の砦の人事図だった。
「二年前、先の校尉がお辞めになった時、俺では年若くて心配だとおっしゃる方がいたから、五郷様が就いたんじゃなかったでしたっけ?」
わざと大きな溜め息を吐いてみせたが。
「煩いのの筆頭がその五郷だったな」
理久はにやにやを止めない。
「…わしは、おぬしにやらせる気だぞ。覚悟を決めろ。厭とは言わせんぞ」
むしろ、笑みを深くして、言い放った
「恋人もできて、気合が入っているだろう?」
――どうしてそういう話になるんだ!

主殿を退出して。
とぼとぼと庭を歩く。
さっさと詰所に戻って着替えて隊に合流せねばと思うのだが、足は進まない。
気も重い。
――俺が校尉になることは、律斗や一彦さんは喜ぶんだろうけどな。
無論、自分も半分は喜んでいる。役目が増えれば、自分の力で何とかなることも増えることになるのだから。
だが、余計な手間が増えるというのも当然で。
目下の問題は、校尉に就くことで飛んでくるだろう火の粉を、どう払い、避けていくかだ。
――これで『いきなり恋人を振りました』とか言ったら、格好のネタになるだけだな。
溜め息をついて、頭を振った。
「覚悟を決めろ… か」
別に、嫌いではない。むしろ惹かれるものがあるのだ。
体も手も小作りなのに黒い瞳だけが大きく、それでじっと見つめてくる少女。何かを必死に探そうとしてその場でもがき続けているような、華奢な少女。
初めて言葉を交わした十六夜の晩から、ずっと頭の隅に引っ掛かっている存在。
――だからって、いきなり口づけはやっぱりまずかったか。
何も知らない彼女だからこそ、深い意味なく捉えてもらえると思っていたが。
それが裏目に出たようなものだ。
――いろいろと… 教えておかないとな。
自分が手を付けたとなれば、襲い来るオオカミはもういないと思うが。
男と女のあれやこれやそれまでも告げておかないと自分が大変そうだ。
だが、仕事のことを告げる必要はない、とも思う。
あの日の戦闘は、たまたま見られてしまっただけだ。
それを二度も見せて、怯えさせることはないだろう。
そこまで考えてふと、彼女は自分のことをどこまで知っているのだろう、と感じた。
――俺が砦の人間だってことは知っていた…が。
それ以上はどうだろう。
砦の人事のことなど彼女は無頓着そうだ。
ならばますます、仕事について語る必要はなさそうだ。
――それに、ここに居ることにした理由だって…
魔物のことも、これ以上知らなくていい。
――あのことも知らせる必要は無い。
あれは、汚点だ。
断る術はなかった命令の上で、とはいえ。
――軽蔑の対象だ。
向けられる彼女の瞳に、もし、嘲りが含まれるようになったら。
考えた途端、背筋がぞくりとなった。
「…嫌われたくない?」
声に出して言えば、さらに胸が苦しくなる。
史琉は呆然とその場に立ち尽くした。
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