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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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閑話・二(足元も見えなくて危ないだろうが。そう思ったのに、歩みは階に向かっていった。 )

少女と言葉を交わした晩の次の晩は、夜の警邏だった。
――二日連続で夜動いていたから… ね、眠い…
まだ冬の色の濃い外の日差しが、やけに眩しい。ぐらぐら回る頭をどうにか真っ直ぐに保って。詰め所の奥、文机の前に座る。
紙を広げ、筆を手に取り墨を吸わせて、溜め息を吐き出した。
「眠い…」
こんなに眠いのは久しぶりだ、と史琉は空いた手で目を擦る。こめかみをグイグイ押して、昨夜は何も起こらなくて良かったと心底思った。
さっさと書き上げて一眠りしよう、と思って昨夜の警邏を思い返す。
そのまま思考はその前の晩にまで遡り、梅林の前で言葉を交わした少女のあどけない顔を思い出す。
流石に昨夜はもうほっつき歩いてはいなかっただろう。この先ももう止めてくれたと思いたい。
――機会があれば、だが。
様子を聞いてみようかと思い。
――誰にだよ。
砦の中でも親しい者の多い香南でさえ様子を知らなかった彼女のことを誰に尋ねられるのかと、自分の思考に突っ込みを入れる。
――なんで、こんなに彼女を気にしているんだか。
つい構いたくなる、と云ったところだろうとは思っている。弱っている子ども、独りでいる者を見つけると、声をかけずにいられないのだ。
――泉を笑えないな。
養い親の顔を思い出して吹き出して、そのまま、筆を右手に握ったまま頬杖をついて。家の妹弟たちは元気だろうかと想いを馳せる。
こう仕事が立て込んでいたらそんな時間も作れないというのもあるが、行ったら行ったで泉が煩いと云うのも足が遠のく理由ではあった。
――まだ、反対なんだろうな。
幹と雅の二人が入る時はあっさり了承したらしいのに、今だに自分には軍を辞めろと煩いのは何となく納得がいかない。
それでも母の如く慈しんでくれた彼女を慕う気持ちに変わりはない。
子どもたちを連れ帰ってくる度に、また台所事情が、とキリキリしていた昔が懐かしい。働くのは苦しかったが、自分と彼女とどんな事情であれ親元から離れる羽目になった子ども達と、全員が明日を迎えられることは素直に喜ばしかった。
今も顔を出せば、幼い弟妹たちは喜んでまとわりついてくる。その様は可愛いと思う。
――遊びに行ってやらなきゃな…
暫く会っていないが元気だろうか、と面影を思い出しながらゆっくりと瞼を下ろした。



「史琉、起きて」
肩を揺らされる。
唸って瞼を押し上げると、一番上の弟、双子たちの顔が見えた。
「なんだよ、幹…」
史琉は眉を寄せた。
「雅も、泉の飯の支度でも手伝ってこいよ…」
「史琉、まだ寝てる?」
くすくす笑って、上の弟は眉間をつついてきた。
史琉はもう一度眉を寄せて、体を起こした。その拍子に、ほたん、と筆が手から滑り落ちる。
「まずい…!」
――報告書…!
紙の上に黒い墨が広がっていく。夢の家の中から、思考は一気に砦の中へと帰ってくる。
「起きた、隊長?」
笑いを堪えきれていない声に、むっとしながら史琉は幹と雅を順に睨んだ。
小袖と袴だけ、太刀もおざなりに下げた二人はよく似た笑顔を向け合ってから、打って変わった真剣な顔を史琉に向けた。
その視線を受け止めてから、部屋の外の張り詰めた明るさを見て。
「幹、雅」
史琉はすぅっと、目を細めた。
「今、柳隊は非番の筈だぞ」
「うん。そうだよ」
「みんな、家に帰るとか遊びに行くとかしちゃってるけど」
「じゃあ何故、こんなにピリピリしたことになっている? 」
幹と雅はもう一度顔を見合わせて、真っ直ぐな視線で言った。
「桜隊からお客様だよ」

縁側には律斗が立っていて、直ぐに振り向いた。
「桜隊からだって?」
問うと、彼は頷き顎をしゃくった。
「申し訳ございません、史琉隊長…」
その先、縁側のすぐ横に、顔だけはよく見知った兵が一人膝をついていた。
「ああ… ご苦労様」
ゆっくりと笑んで見せると、彼は泥だらけの顔を上げて、早口に語りだした。
北側の石垣に大きな亀のような魔物が現れたということ。それによって怪我を負った者がいること。
そして。
「五郷校尉からのご指示は、柳隊は救護に当たられし、とのことで」
と、桜隊の隊長であり、今はこの砦の全ての兵を代表する校尉という立場にある男の言葉を継いでいく。
――本当にあの人は俺が嫌いだな。
僅かに苦笑いを浮かべ、史琉は頷いてみせた。
――柳隊を増援に当てたほうが早いだろうに。
自分の手で助かった、という事実を作りたくないのだろう。そういう意地に付き合うかどうかの判断は一瞬で付いた。だから。
「承った、と伝えてくれ。ついでに直ぐ、楓と柊を呼び戻そう。負傷者は主殿に連れてきてくれ。俺もそこに行く」
そう言った。



その日のうちに五郷は死んだ。
魔物にやられた傷が元で、実に呆気なく。
苦悶のためか僅かに歪んだ死に顔を、じっと見つめて史琉は昏く笑った。
――士気が落ちるな。
そして実際そうなった。
桜隊の大多数が、怪我によって二度と前線に出られないか、辞めていくかしていった。
それを責める気はなかったが、残った者に降ってきた恐ろしい忙しさには悲鳴をあげそうだった。
桜隊が機能しない、その分を残り四隊で補うのだ。一日中警邏に駆けずり回っていた気分だ。
理久が漸く国府の衛士から人員を回し、元のような当番に戻った時には四日経っていた。
――久々にゆっくり寝れる…
詰め所の奥に引っ込もうとして、ふと、引っ掛かった。
――彼女はどうしている?
あの日、石垣で別れて以来だ。
――もう夜にほっつき歩くのは止めているよな?
見れば、外は月のない晩だ。
――足元も見えなくて危ないだろうが。
そう思ったのに、歩みは階に向かっていった。
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