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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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閑話・一(何となく気になるからだ、とは認めたくなかったがどうもそのようだと自嘲した。)

※史琉視点での過去回想。倖奈視点では第二章参で語っているものです。
十六夜の月が照らす石垣の上。
「史琉隊長」
呼び掛けられて振り向くと、共に来ていた年若い部下が怪訝そうな顔をしていた。
「あの子、砦の中の子でしたか?」
「あの子?」
問われ、史琉は首を捻った。
「…さっき隊長が助けた子ですよ」
今度は呆れを含んだ声に、史琉はぽん、と手を叩いた。
「石垣から落ちそうになっていた、あの子」
「そうです。あんなちっちゃな子、砦に住んでましたっけ?」
また首を捻った少年に向かって。
「そんなことないさ」
史琉は笑った。
「…隊長、さすがですね」
部下も一緒に笑う。
「俺、見たことがない顔の気がしてたんですけど… 砦に居る人全員覚えていそうだ」
「まあ、ね…」
覚えていなければ、その場に居たことを咎めるべき相手か否か判断をつけられない。
だが、まさか彼女を後ろ姿でも分かるとは思わなかった。
――あの子は、いつも時若について歩いている子だ。
見かけたことは何度もある。自分たち軍団の兵と同じように北の砦の中に居を構え、魔物を相手にすることを役目として担う【かんなぎ】の一人のはずだ。
【かんなぎ】には年若い者が多い。取り纏めである真桜は老齢だが、その他は三十路に届いている者が一番上といったところだ。その中でも、彼女は一番年若い――もっと言えば、幼い感じがする。
いつも連れて歩いている男も細身の体躯だが、それ以上に彼女は華奢だ。兎に角背が低く骨も細そうで、手も顔も全てが小作りで、その中で黒目がちの瞳がとても目立った。
――喋るのは、初めて聞いたけどな。
見かけどおり小さいが、ゆっくりと発せられる声は思いの外はっきりと耳に届いた。



朝日が昇ると、厳つい男どもが目を光らせるだけの処から、老若男女問わず喜怒哀楽を明らかにする場へと、砦の中の表情は一変する。
南寄りの、直接戦には携わらない者が集まる棟の辺りは特に、何処の村とも変わらぬ風景だ。
一際華やかな、若い女子たちが洗濯に励んでいる井戸端に向かい、史琉は僅かに離れたところからその中へ手を振った。
それに気づいた一人がぱっと笑って、一人の肩を小突く。
小突かれた方は膨れっ面でこちらに向かってきて、残る女子たちは明るい声を上げた。
「なに、色男さん」
前掛けで両手を拭きながら歩いてきた彼女は、言葉とは裏腹の高さで言う。
「やあ、香南かな
史琉は、しっかりと距離をとって止まった彼女にゆっくりと笑みかけて。
「元気?」
首を傾げてみせたが、彼女は曖昧に頷いて首を振った。
「そんなことを聴きに来たんじゃないでしょ?」
「…どうしてそうなるかなあ?」
「別れた女のご機嫌伺いに来る奴がいますか」
長い溜め息に苦笑して、こちらも首を振る。
「まあ… おまえなら知っているかなというのがあってだけど」
「何を?」
朗らかに笑い直し香南は首を傾げる。
「あなたこそ、砦の中なら知らないことはないでしょうに」
「買い被るなよ」
もう一度首を振り、傍らの塀に凭れる。
「女の子のことまで把握はしていない」
「あら、じゃあ、聞きたいのは女の子の噂話?」
端的な言葉に苦笑いを零す。
「…【かんなぎ】の女の子とは喋ることある?」
「【かんなぎ】? …わたしはあっちの建物に用はないからなぁ。たまに美波が外に出てきている時には、喋ることもあるけどね。別の子が掃除とかに行くけど、その子に訊く?」
「いや、そこまではしなくていいよ。…恐らくいるのは二人だったと思うけど、それが合っているかと名前が分かればってくらい。美波って言うのか?」
問うと、香南は指先を顎に添えて、うーん、と唸った。
「二人… は確かね。美波ともう一人、彼女と姉妹みたいな子がいるわ。そっちの子のことはよく知らないけど」
「美波ってのはどんな子?」
重ねて問うと、香南はくしゃりと笑った。
「カワイイ… ううん、キレイな子よ。おまけに明るいし、元気だし。わたしより四つは下の筈なんだけど…もしかして、次は美波狙い?」
瞳を輝かせる香南に手を振ってみせる。
「残念、そっちじゃないらしい」
すると、香南は目を丸くした。
「…そうなの?」
史琉は肩を竦め、背を起こした。
「じゃあ、また気が向いたら聴きに来るよ」
「うん… そのもう一人の女の子の話、美波に聴いておこうか?」 「いや、そこまで良いよ」
苦笑して踵を返す。
じゃあね、と笑って香南も元の輪の中に戻っていった。



そして、下弦の月の夜。史琉は庭に出てみた。
目的は、もう一度あの少女と話すこと。
よくよく気をつけて見てみれば、【かんなぎ】の女子のうち年上の方――これが美波だろう、彼女は頻繁に棟の外に出てきて人々と交わっているようだった。対する今一人――この間の石垣の上の少女は、棟に篭もりがちのようで、出てきても他の【かんなぎ】の後ろに小さくなって付いていることがほとんどなのだ。
そんな様を見ているうちに、まさか一人で出歩くのは夜だけなどということはないだろうに、と思う一方で、夜にしか会えないのではないかという思いも湧いた。
間違いなく引っ込み思案と云える彼女が何故、夜中に石垣などをウロウロしていたのか。
――花摘み、なわけないだろう。
花、と言われてそう返したあの晩の自分は何を考えていたのだろう。花摘みなら昼間に充分やれることだというのに。
あの感じは夜に出歩いていたのが初めてではなさそうだ、何か余程のことがあってウロウロしているのかと思ったが、石垣には兵以外の者に近づいてもらいたくないというのが正直なところだ。
――警邏の邪魔だ。
それに何より、兵というのは大概にして血気盛んな奴らだ。
――何か、があってからじゃ遅いんだぞ?
特に、夜中、というのは最悪の時間帯だ。自分を含め、兵を統率している立場の者の目が常に光っている訳ではない。それを分かっている莫迦が居たら叶わない。
「他の隊だったら、莫迦野郎、で終わらせられるけどな…」
柳隊からでは洒落にならない。
「誰が責任取らされると思ってるんだ」
呟いて、夜の庭を歩く。
だが、一刻も経たないうちに。
「…何の手掛かりもなく歩き回っても、遭遇するわけないか」
溜め息をついて、梅林の入り口の岩の上にどっかと腰を下ろした。
襟巻きに首を埋め、がりがりと頭の後ろを掻く。
「なんで、もう一度話そうなんて思っちゃったんだか…」
何となく気になるからだ、とは認めたくなかったがどうもそのようだと自嘲した。
あの晩以来、見かけるたびに彼女を視線で追ってしまう。
その場で話しかけられればどんなに楽か、と史琉はまた溜め息をついた。
それができないのは、ただただ、彼女の隣に立っている男に睨まれることが多いから。
「なんで時若のヤツ、俺を目の敵にするんだ?」
彼女が共にいることの多い――正確には、年齢・立場双方から考えて彼女は連れ回されているという表現が正しいのだろうが、その男の軟弱な見かけとはちぐはぐの鋭い視線を思い出すだけでげんなりする。
彼とは、最初に引き合わされた時からウマが合わなかった。
自分も苛々するが、彼も同じように此方が遣る事為す事全てが気に入らないようだ。気に入らないなら放っておいてくれれば良いものを、何かと突っかかってくるから遣りにくい。
「間違ったことはしていないと思うんだけどなあ…」
その割には、北の帥が都から連れてきた官人は、特別な家を持たないのに重要な地位を占めてしまった自分に好い感情がないようで、棘のあることばかり言ってくる。
ついでに隣の隊の長でありこの砦を率いる校尉でもある男も、遣り様が悪い、まだ若いのにと何かと目の敵にしてくる。
「最近… 俺、敵ばっかだな」
余計な忠告をしたら、彼女も『敵』になるのだろうか。
「それはそれで… まあ、いいか」
取り敢えずの目的は、彼女を身近な危険から遠ざけることだ。
恨まれようが何だろうが、彼女の身の安全が図れ、自分の立場も危うくならなければ、それでいい。
そう思ったところで、視界の端にふわりと衣が揺れるのが見えた。
期待して振り向く。
そのとおり、視線の先には、被衣をしっかりと纏った少女がいた。
「やっぱり」
史琉は笑った。
「ほっつき歩いてたな」
立ち上がり、殊更ゆっくりと史琉は娘に歩み寄っていった。
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