挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
花の如く 作者:秋保千代子

第三章

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

73/100

七の四「何かしてくれていたら、俺たちの村は、失くならなかったかもしれないんだよ?」

期待どおりに、立て札はまた立った。
史琉は門を叩いてみた。
聞いたほど、入るための試験は難しく感じなかった。
むしろ、毎年相当数が辞めてしまうため、入れる数は多くしていたかったらしい。
「そういうわけだから、国府の衛士になれることになったよ」
街外れのボロ屋、囲炉裏を挟んで向かい合ってそう告げると、泉のふくよかな、優しげな顔がみるみるうちに蒼くなった。
「何を… 言っているんだい」
「だから、国府の衛士になるんだってば」
史琉は努めて、明るい声を出した。
「この家に住み続けることはできなくて、詰所に入ることになるんだけどさ。給金、思っていた以上に貰えそうだよ。勿論、泉や皆の分だ」
「いや、そうじゃなくて」
「仮に死んでしまったり、働けなくなっても、その分の手当を出してもらえるって話だし」
「そこだよ、問題は!」
泉はキンと声を上げた。
「衛士になるっているのは… 軍に入って戦う兵士になるっているのは、他人の為に戦うってことだよ。戦うってことは… その中で死ぬかもしれないんだよ!」
「…そうだよ」
史琉は静かに頷いて、目を閉じた。
瞼の裏に、真っ赤に染められた母の姿が浮かぶ。泉の膝の上で事切れていた友の姿も思い出す。
「私は、あんたが死ぬなんて嫌だ。そんなのって…」
泉も俯いて、声を震わせる。
「俺が稼がなきゃ、皆が飢えて死ぬことになるけど?」
史琉は顔を上げて、からりと笑った。
「他にも稼ぐ方法なんてあるでしょうに…」
泉は俯いたまま、首を振った。
「誰かが戦わなきゃ… そうしないことで死ぬ人が出るかもしれないなら」
それを見つめたまま、ゆっくりと微笑む。
「三年前さ… 本当は衛士たちは魔物があの辺りに出ているらしいことを知っていたんだろう? 知っていたのに、何もしてくれなかった。何かしてくれていたら、俺たちの村は、失くならなかったかもしれないんだよ?」
泉は顔を上げた。両目を真っ赤にして、頬に涙の筋をつけた顔で、何も言わない。
「俺は… 俺なんかにどこまでできるか分かんないけどさ。やってみたいよ」
史琉はもう一度笑った。
「衛士も兵士も、普通は四年勤めれば辞められるんだって。それだけの間だよ」
「…そんなに私に不安を感じ続けとけっていうの?」
泉が唇を尖らせる。
「大丈夫だよ。泉は俺のことより気にすることがあるでしょ?」
そう言って、史琉は振り向いた。
部屋の襖の影からは、少年が二人、不満そうな顔を覗かせていた。
「というわけだから、幹、雅。家のことは頼むな」
双子の二人は、同じように頬を膨らませる。立ち上がり、傍によって両手で頭を撫でても、二人はむくれたままだった。
二人を通り過ぎて廊下に出れば、一歳になった子を抱きしめた痩せぎすの少女が突っ立っている。
「ばか史琉」
夏の日に最初にやってきた少女は涙声でぼそりと呟いた。
その彼女の袖を掴んで、幼い男の子と女の子が立っている。その後ろにはもう一人少女。
史琉が笑いかけると、子どもたちは一斉に顔を歪めた。
「なんで行く前からそんな不安そうになっているんだよ」
史琉は、大袈裟に胸を反らして、微笑んだ。
―― 死ぬのは怖い。それでも、やってみたいことがあるから。



「その後はお察しくださるでしょう?」
と史琉は笑った。
「そこそこに忙しかったんですよ。なので、泉の家に戻ることも少なくて、村の跡に行ってみようかなんて考えもしなかった」
また雷が鳴る。
秋の宮は真っ直ぐに向いたまま、目を細めた。
倖奈もまた、じっと史琉を見上げる。
盃の中を呑み込む彼の頬は僅かに削げて見えた。
「兵の任期は四年なのかね?」
秋の宮が口を開く。史琉は頷いた。
「だが、君はもう何年働いている?」
「八年になります」
「…何故?」
首を傾げた秋の宮に、史琉は笑ってみせた。
「その前に逃げ出したりするのもいますけどね。四年以上勤めれば辞める時に慰労の金が出されるってだけですよ。四年勤めれば絶対に辞めさせられるというわけではないから、気に入ったら居着く奴もいる。俺もそのクチで」
「…気に入る理由があったのかい」
「金、ですよ」
くくっと喉を鳴らす史琉に秋の宮は顔を顰めた。
「家には子どもがいるんですよ。俺以外にも上の三人はもう働いていますけど、まだまだ物入りですから」
だが、史琉の声は妙に明るくなった。
「それに、兵の仕事も悪いことばかりじゃない。思っていたとおり、兵士、衛士という立場だからこそ出来ることもあります。それに、父と慕える方、兄と呼べる相手、気の置けない友人とも出会えました。諸々含めて…気に入っているんですよ」
一息つくと、彼はすっと盃の中を飲み干した。
秋の宮もまた盃を取り、その中を揺らしている。
揺れたそれを喉に流してから。
「気に入っている… ね」
秋の宮は頭を振る。
それから脇息に凭れたまま、じっと見つめてきた。
「知っているように、私は今の【みかど】の弟だ。ちなみに同じく弟という者は他に四人いる。だが、私以外、表立って暮らしている者はいない。何故か分かるかね?」
「朧げには」
史琉が頷くと、彼も満足そうに首を振った。
「…誰が【みかど】になるかで、己が権勢を振るえるかどうかが変わる。国の行く末、民の安寧ではなく、己の欲に忠実な輩に振り回された結果、【みかど】になれなかった皇子は表舞台から落とされていくのだよ。だが… 私はそれはごめんだ。だから、『秋の宮』」
「春宮の反対… ということですか?」
「そうだ」
より嬉しそうに秋の宮は笑い、残った盃の中身を口に含んだ。
「…権勢に興味のない位の高い方、というのは初めてお会いしました」
史琉の声に、秋の宮は目を細めた。
「君自身は権勢に興味があるのかね」
「あります。位が高ければ高い程、求められることも増えますが、成せることも増えていきますから。今の校尉という立場は、俺の生まれで狙える最高の位でしょうね。就いてからやれることは増えました。満足しています」
史琉が喉の奥を鳴らす。秋の宮が溜め息を吐いた。
「例えば何が求められる?」
「求められることの一番が戦うことですよ。魔物相手でも、人間相手でも。多数の民の敵と看做された相手には容赦することが認められません。それに応えなければ、地位が無くなる。自分を守るためには求められることに応えるのが手っ取り早いし、成したいことにも近づきます」
笑みを深くして、史琉は言葉を返す。
秋の宮は頭を振った。
「君のその言葉に従うならば。私はもう少し、自分の位の活かし方を考えたほうがいいのかな?」
「例えば、どのように」
史琉は首を傾げる。秋の宮は盃を持ち上げた。
「振り回されたくないから、権力争いから逃げていたのだよ。内務卿の地位は大いに妥協した結果だ。だが――敢えて、争いの中に乗り込んでいくのもいいのかもしれないということだね。私自身が望む暮らしのために」
「宮様の望むもの、ですか」
「…ただ、愛する女と過ごしたい、という我侭なのだがね」
秋の宮がそっぽを向く。史琉は目を丸くして、それから吹き出した。
「唯一人と思い定めた相手がいるのに、別の娘を招いたのですか?」
くくっと笑う史琉に、秋の宮が向き直る。
「君ね… あっけらかんとそれを言って、自分のものの心配はしていないのかね」
「宮様こそ。どうぞ、恨まれませぬよう」
「余計なお世話だ」
盃の中を一気に飲み干して、秋の宮はくたりと脇息に凭れた。
「今日はもう下がりたまえ」
倖奈は秋の宮を見つめ、何度も瞬いて。それから史琉を見上げた。
隣に座っていた史琉は静かに立ち上がる。
そのまま踵を返そうとするので、倖奈も慌てて立ち上がった。
見上げても、彼は何も言わない。ただ、先程よりも柔らいだ足取りで御簾の外へ向かっていこうとする。
じくりと胸が痛むのを感じながらそれを追おうとした瞬間。
「ああ、明日は余計でない世話をやこう」
掛けられた秋の宮の声に二人で振り向いた。
「北の地への援助。一つのことに拘っているのは好ましくない。そろそろ会議の場での決着はつけて、具体的な援助の策の検討に移るべきだ」
史琉は黙っている。秋の宮は怠そうに顔だけ向けてきた。
「あの地を失うのはこの国に不利益が多い。人が住む地、耕せる地をを確保するためにもね。そもそも、北の砦を設けた目的は、さらに北へ【みかど】の力を広げるためだ。決して魔物退治のためだけではないのだよ」
そこまで聞いて、くすりと史琉は笑った。
「…権勢に興味がないとおっしゃいながら、そういうことをさらりとおっしゃって。何やかやで本当は、政に充分興味がおありなのでしょう?」
秋の宮は、長い溜め息をついて、脇息に突っ伏した。
「今日はもう疲れた」
もう一度史琉は笑い。
「お休みなさいませ、秋の宮様」
倖奈の手首を乱暴に掴んで、歩き出す。
引き摺られるように、倖奈も進んでいった。

簀子を踏む二つの足音が雷鳴にかき消されて聞こえなくなった頃。
秋の宮はよろりと顔を上げた。
「求められることと成せること… か」
ずり落ちた襲を肩に掛け直す。
それから提子を傾けたが、中からは雫が一滴零れただけで。
「そんなふうに応えてばかりだと… やはり散ってしまう気がするのだがね」
もう一度溜め息を零した。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ