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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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七の三「みんな、生きたかったに違いないんだよ」

女の名前は、泉、といった。
「知ってるよ。あんたの息子と俺、友達だったし」
と史琉は言った。
「私だって、あんたのことは知っているよ」
と彼女も口を開いた。
「奥の家のワルガキだろう。名主の家やそこかしこで悪戯を仕掛けて、村の仕事はしたことのないカギンチョ」
史琉はむっとして頬を膨らませた。
だが、泉は容赦ない。
「母親を困らせてばかりだったろう」
史琉は黙り込んで、下を向いた。
茅葺の家の壁を木枯らしが揺らして行く。風にはまだ錆びた匂いが篭っていた。
家の中も、奥の間に眠る物言わぬ骸となった友――泉の子ども達から放たれる、えも言われぬ匂いが満ちている。
その中で、目の前には汁物とご飯だけの膳があった。
「食べる… の?」
問うと。
「食べなさい」
泉は応えた。
「腹拵えして… これからを考えなきゃ」

考えるまでもなく、翌朝、国府から衛士たちがやってきた。
この村だけでなく、辺りの村三つがほぼ同時に襲われたらしい。それを生き残った人が他にもいたのだ。 知らされた衛士たちはその何処へも向かわされ、犠牲となった人々を土に埋めてきたのだという。
大元の魔物を探すことは行われず、ただ。
「この辺りは危険なので、もう住まないように」
と言い渡され、国府の街へと移る他なかった。
だというのに。
粉雪が舞い始めた夕方。門は固く閉ざされていた。
「中に、中に入れてくれ!」
荒々しく木戸を叩く音だけが響く。
「凍えてしまいそうだ! 頼む、開けてくれ! 入れてくれ!」
叩いているのは甲高い声で喚く男。だが、叫んでいるのは男だけでない。
「家から出ろって言ったのはあんたたちだろう!」
「それなのに、眠る宿すらないってのはどういうことなんだい!」
「こんな晩に外で寝ろなんて… 死ねって言っているのかい!?」
狂った叫び声。
それを遠くから見つめて、泉は息を吐いた。
「お役人は… 最後の最後で助けてくれないんだね。いつも」
言って、踵を返す。
その裾を史琉は握って引き留めた。
「泉」
「なんだい?」
安物の、分厚いばかりが取り柄の麻の衣。それを皺が寄るまで握りしめて、見上げる。
「俺… 死にたくない」
すると返ってきたのは、冷めた視線だった。
それにたじろぐ。だが、丈も袖も短い己の小袖を見つめてから、もう一度。
「死にたくないよ」
はっきりと声を出した。
「当たり前だろう」
すると、泉は叫んだ。
「死んでたまるかい。みんな、生きたかったに違いないんだよ。その中で生き残った私たちなのに… 死んでなんかたまるか」
泉は腕を伸ばしてくる。史琉はおとなしくその中に収まって。
そのまま、その夜は眠らなかった。
雪が舞う中、眠ってそのまま目覚められなかったら嫌だから。
実際、門を叩いた男は冷たくなってしまった。
翌朝、必死になって方方に頼み込んで回って。
その二日後に漸く、国府の大通りから一本奥まったところ、土間と囲炉裏、その奥に一部屋しかない狭い家で二人は眠れた。
「泉はどうして、助かったの?」
その晩だっただろう。訊ねると、彼女は寂しそうに笑った。
「買い物にね… 出かけてたんだ。一人で。こんなことになるんだったら、出かけなきゃ良かった。せめて… 子ども達を一緒に連れて行くんだった」
狭い家で、二人は囲炉裏を挟んで向かい合っていた。
「これも縁だからね」
「そう?」
史琉は首を傾げたが、泉はからりと笑った。
「一緒に… 暮らすくらい好いじゃないか」
史琉は黙って、彼女を見つめた。
ふくよかな体で小袖の袷はきゅうきゅうと重ねられている。顔も同じように丸いはずなのに、頬はげっそりと痩けている。
「…独りじゃあ、気が狂いそうだ」
乾いた唇から溢れた言葉に、史琉は頷いて。

そんな暮らしが始って何日経った頃だったろうか。
目の前に置かれた膳から箸を取った時。
「そうそう、この間も言おうと思ったんだけど」
と泉はすっと指を史琉の手先に向けた。
「その持ち方。なってない!」
「…んな!」
史琉は口を歪めた。
「食べれれば持ち方なんてどうでも…」
「どうでも良くないよ」
泉は微笑んだ。
「きちんとした動きをしていなきゃ… その人柄もきちんとしていないと看做される。何をするにも不利よ?」

そのまま、季節は冬を越し、春を迎えた。
泉は、通りの店から手縫いの内職を請けてくるようになった。
史琉は街に出て、その日仕事を手伝える場所を見つけた。
最初こそ、何をどうすればいいのか分からなかったが、めげずに通ううちに体の動かし方を覚えた。
同時に、髪を伸ばし出した。ただ切っただけの髪はだらしなく、幼く見られるらしいと気が付いたからだ。ついでに、初めて袴を穿いて、大人のように振舞ってみた。
すると、周りもそのように扱ってくれるようになり、回される仕事が増えてきた。
掌は固くなり、肉刺と皹だらけになって痛かったが、それでも生きていく糧を得ることのほうが大事で。
細やかな身入りは、二人が食べていくのにちょうど良かった。

なのだが。
「何、その子」
夏になろうという頃。
家に戻ると、囲炉裏端には泉の他にもう一人いた。
がりがりに痩せた、史琉より二、三年下だろう少女は、虚ろな瞳を向けてきた。
泉は、しょんぼりと肩を落とし、幾分ふっくらとしてきた顔を向けた。
「そこの通りでね… 泣いていたのよ。お母さんが戻ってこないって」
「はあ」
史琉は眉を寄せた。
「で、話を聞いてみると… もう三日も通りをウロウロしていたんだって。それでも戻ってこないし、かといって、家はこの街じゃないらしい上に、どうやって来たかもあまり覚えていないから、一人で戻れなくて」
「迷子かよ」
史琉は、頭をがりがりと掻いて、溜め息をついた。
「史琉」
その彼を泉は穏やかに呼んだ。
「この子も一緒に住んでいいよね?」
史琉はそのまま、固まった。
「放っておけないんだよ。家族がいない子なんて…」

その後。
泉は、店の商品を盗ろうとして捕まっていた双子の少年を助け、連れ帰ってきた。
道端に置き去りにされていた赤ん坊を拾ってきた。
両親が病で死んだのだという、同じ店で内職を請けていた少女を連れてきた。
そうやって二度目の夏が過ぎる頃には、同じ屋根の下に七人が住むようになった。
さすがに一部屋の家では狭すぎて、次の春、町外れの崩れかけのボロ屋を頼み込んでタダ同然で譲り受けて、移り住んだ。
史琉は必死で働いた。
慎ましい暮らしで良いと云っても人の数が多ければその分物入りで、掌がより硬くなって肩や腕が太く痛くなっても休むことはできなかった。
働く中で、いろんなことが見えてくる。
衛士や兵士たちが普段何をしているか。
魔物は何処に出るのか。
どうすれば魔物を斃せるのか。
そんなことが。

村を出てから三度目の冬の終わりの日。
「お疲れ、史琉」
土方の仕事終わりで、皆が泥と埃に塗れていている中で。史琉も頬についた泥をこすり落とそうとして諦めて、苦笑いで歩き出した。
「土方って早く終わるんだけど、その分きっついんだよな」
「そうですね」
五つは年上の、よく顔を合わせる男の少し後ろを歩いて付いていく。
「おまえ、今日も真っ直ぐ帰るの?」
「はい」
「…真面目だねえ。お母さん、こんないい子で嬉しいって言ってねえ?」
軽い口調で話す男に、史琉は苦笑いだけを返した。
「おまえ、今年で幾つ?」
「十四です」
「…そろそろ、定職を探せるんじゃねえの?」
言って、男は通りを進んで行き、広場で足を止めた。
そのまま、二人の視線は広場の中央の大きな立札で止まった。
「お、もうこんな季節か」
「こんな?」
「あの立札が立つ季節」
男は真っ直ぐに件の札を指した。
「あれ、国府の衛士、軍団の兵士の募集の札」
「…そうなんですか?」
「意外だろ、兵士とか衛士って普通に成り手を募っているんだぜ」
男は笑った。
「給金は相当良いし。万が一死んだり、働けなくなっても、その分の手当を出してもらえるって話だ」
「へえ…」
史琉は思わず札を見遣り、覚えたばかりの文字を必死に読んだ。
「十五の年を越え、心身共に頑健たる志ある者、国府の門を叩くべし…」
ははは、と男が笑う。
「毎年、文面変わんねえんだな!」
「そうなんですか?」
史琉が見上げると、彼は頷いた。
「俺も昔、『叩いた』ことがあるんだよ」
「はあ…」
だが、ここにいるということは何かの理由で入れなかったのだろう、と史琉は眉を寄せる。男は肩を竦めた。
「叩けばいいんじゃなくてさ。一応、剣の扱いとか、読み書きの試験とかがあったわけさ。剣はさ、最悪素手の喧嘩でも良いわけなんだけど、読み書きがねえ…」
男はからりと笑った。
「だが、やってみて思ったよ。あれは好きもんがやる仕事だね。俺みたいにその日暮らしのお気楽野郎には、無法者や魔物を相手にして戦うなんて度胸はねえ」
そう言って、男はまた歩き出す。
史琉はもう一度札を見上げ。
「志ある者…」
頭を振ってから、走り出した。
その晩。
衛士の役目は死体を埋めることじゃないだろう、とまんじりとしなかった。
――死ぬ前に守ることができなかったのか?
兄弟たちの寝息が響く部屋の中、同じように布団にくるまって、史琉はじっと目を開けていた。

また季節が回る。
泉はもう二人、子供を拾ってきた。
史琉はさらに忙しなく働くことになった。
その合間合間に、雇い主に頼み込んで、読み書きを教えてもらった。
「熱心だな、史琉」
初老の、いつも洒落た小袖と袴に折烏帽子を被った男は、鼻を鳴らした。
「お前みたいな仕事には、読み書きは不要だ」
「はい。今の仕事に要らないのは分かっています」
にっこりと微笑んで、言う。
「でも、知りたいんです」
背筋を伸ばし、袖口が墨にかからないよう細心の注意を払って、文机に向かう。
じっくりと時間をかけて記される文字に。
「一年でましになったな」
と男が呟いた。
「おめえ… 本当に山の村の出か?」
「そうです」
史琉が応えると、男は片目を眇めた。
「そうしていると、どっかの商人って言っても通じそうだな」
その嫌味とも言えぬ言葉にもにっこりと笑ってみせ、彼は硬くなった掌を見つめた。
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