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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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七の一「お願いすることの一環だと思って、一つ話を聞かせてくれたまえ」

日が沈んだ後、空からは大粒の雨が降ってきた。
部屋の中には雨が屋根を打つ音が響き、空気も冷めていく。
「し、しんどかった…!」
その冷えてきた床にべったりと伏した颯太の横に腰を下ろし、倖奈は微笑んだ。
「お疲れ様、颯太」
ごろん、と颯太は仰向きになりげんなりとした顔を見せた。
「なんかさー、律斗さんに八つ当たりされた気がするんだよねー」
「そうなの?」
「だってさ。俺が間違いなく受けられる位置にばかり打ち込んでくるんだけど、かかっている力が今までよりずっと強かったんだよ。だからまだ、手が痺れてる」
両手を持ち上げ、ぶらんぶらんと振って。
「俺ならちゃんと受け止められるって思って打ってくれてたのかなー?」
颯太が呟く。
「そうだったら… 嬉しいね」
「うん、嬉しい」
倖奈が言うと、颯太は笑って跳ね起きた。
「…一人前だって認めてもらいたいな。役立たずって本当に惨めだ」
「うん」
「次こそは、絶対に絶対に、戦うんだ」
ぐっと口元を引き締めて、颯太は正面を睨む。
「北の砦の最重要任務だって言われた」
「誰に?」
「校尉に」
「…そう」
頷いて、倖奈は顔を伏せた。
――やっぱり史琉は戦うことを恐れていないんだ。
分かっていたことをもう一度感じて。それに付いていこうとしている颯太が少し羨ましくなった。
――わたしはまだ何もできない役立たずのままだから。
時若のように魔物を消そうとして消せるわけでもない。真桜のように結界が築けるわけでもない。美波のように何か役に立つ道具を用意できるわけでもない。
ならばせめて役目の邪魔にはならないようにしないと、と考えて。
その思いにつられるように、昼間の秋の宮の言葉が、じんじんと胸の奥の痛みを広げる。
――相手の余興に付き合うことも大人には必要なのだよ?
着飾らせることが余興だとしたら。それに伴う本題はなんだったのだろう。
「わたしたちが都に来た理由…」
呟くと、座り直した颯太が振り向いた。
「え? 何?」
だが、それに顔を向けずに。
――わたしが、じゃない。史琉が理久様に命ぜられた御用は、皆様に北の地への助力をお願いすることだ。
倖奈はじっと考え込んだ。
――そのために史琉は都の集まりに顔を出している。対して自分は?
「わたし、逃げてきちゃいけなかったんだ」
「え? なになに?」
颯太が目を丸くする。
――余興だろうがなんだろう… 必要なことだったら、為さなければ!
倖奈はすっくと立ち上がった。
「ごめんなさい、颯太。出かけてきます」
「え? 今から?」
「屋敷の中だから、大丈夫」
「…どこへ?」
颯太は首を傾げる。
「秋の宮様のところへ」
梔子色の小袖の裾を揺らし空色の衣を肩にかけると、倖奈は敢然と歩きだした。

胡座をかいたまま、ぽつんと取り残されて、颯太は瞬いた。
「いつ、秋の宮様と知り合ったの?」
ここに移ってきてから顔さえも見たことないのに、と首を捻る。
「…何気にやるなあ」
そう呟いて、体を揺する。
ぼうっとしていると、ぱさり、と御簾が持ち上げられ、雨の匂いが流れ込んできた。
振り向くと、御簾を持ち上げた史琉と目が合った。
「校尉」
「…颯太か」
彼は烏帽子を被らずに短い髪を揺らして、部屋を見回し、首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「いや…」
一瞬だけ史琉は眉を寄せ、すぐにいつもの表情に戻ると。
「倖奈を知らないか?」
と言った。颯太はにこと笑った。
「出かけていきましたよ?」
瞬時のうちに史琉の顔が強ばる。
「出かけた? 一人で?」
底に響く低い声にぎょっとなる。
「あ、はい。屋敷の中だから大丈夫だって言って」
答えると、史琉ははあ、と息を吐き出した。
「…何処へ?」
「秋の宮様のところって言ってましたけど…?」
何かありましたか、と問い直すより早く。
「俺も出かける」
そう言ってさっと身を翻す。
御簾が降りる瞬間。
「史琉?」
その向こうから、驚いたような律斗の声がした。
「悪い、出かけてくる」
応じる史琉の声は遠くなる。
何度も颯太は瞬く。
そのうち、また御簾が持ち上げられ、律斗と芳永が顔を出した。
「…どうかしたのか?」
目を細め、律斗が言うのに。
「倖奈が出かけたと言ったら、校尉も出て行っちゃったんです…」
颯太は答える。
するとまた律斗も顔を強ばらせるので、颯太は胡座をかいたまま固まった。
「どこへ?」
それを問うたのは芳永で、颯太がまた秋の宮の元だと答えると、彼は二度瞬いてから笑った。
「昼間も会ってみたと言っていたなあ… 性格悪いんだから、あの人も」
言って、芳永は踵を返す。
「芳永!」
律斗がそこを呼び止める。
「大丈夫、危険はないよ」
振り返り、芳永は笑った。
「僕も行ってみたいな… というのは半分冗談だけど」
「残り半分は本気か」
「そうだね」
「何故?」
律斗が眉を顰める。
「僕も史琉君の話を聞いてみたいんだよ」
芳永は笑う。
「何の話を… だ」
律斗はますます顔を歪めた。



昼間と同じ部屋の前に立つ。
「やあ。戻ってきてくれて嬉しいよ」
部屋の主はすぐに気付いて、笑いながら手招いてきた。
ゆっくりと中に入ると、次の間から人がさっと出てきて、茵を置いて戻っていった。
主の真正面に置かれたそれに、さらにゆっくりと腰を下ろす。
「おや、白粉は落としてしまったのかい?」
「はい」
「勿体無い…」
ふう、と相手は肩を落とした。
「秋の宮様のお好みではなくて、わたしが好きなものを着てまいりました」
「まあ、それもそれでありかな」
呟いて、小袖と袴の上に昼間と同じ杜若の襲が掛けた姿の秋の宮は、脇の脇息にしなだれ掛かった。
対して倖奈は、膝を閉じて座り、背筋を伸ばす。
秋の宮は、手前に置かれた膳の上から盃を取り上げ、にこりと笑って差し出してきた。
「一緒にどうかね」
「お酒は飲んだことがありません」
「…そうか」
一瞬秋の宮は唇を尖らせたが、すぐに笑い直した。
「だが、戻ってきてくれたということは、私に付き合うつもりがあるということだね?」
「自分の役目を忘れてはおりません」
倖奈は体を揺らさずに言った。
「皆様に北の地への手助けをお願いするために参りました」
聞いて秋の宮はますます笑い、膳の上から堤子を取り上げるとその握っていた盃に中を注いだ。
雨の匂いが入り込んでいた部屋の中にふわりと酒精の薫りが広がる。
「そう。つまり、お願いをする気になったということだ」
唇は盃に近づけたが、視線は倖奈に向けて。
「お願いすることの一環――余興だと思って、一つ話を聞かせてくれたまえ」
秋の宮が言うのに。
「何のお話をご希望なのですか?」
倖奈も真っ直ぐに見つめ返す。
盃の中を喉に流してから、秋の宮は目を細めた。
「校尉について」
「史琉のこと?」
倖奈は眉を顰めたが、秋の宮は声を立てて笑った。
「理久――北の帥がね。北に行って何が一番面白かったって、彼に出会ったことだと言うんだよ」
もう一度盃に口を付けて中を空にすると、秋の宮は盃を膳に戻した。
「彼は名のある家の出身ではないらしい。だけど、魔物との戦いにかける情熱は家柄だけで出世したボンボンとは比べ物にならない程だというし。自分で前線に出て行くのは勿論、人に慕われるようだから、部下となった者も果敢に戦っていく。そして武術だけかと思わせておいて、相当頭がキレるというのが理久の話からもよく分かる」
間違いないね、と宮が笑う。
倖奈は眉を寄せて、頷いた。
「まあ、そんな風にあんまり頻りに褒めるものだから… 一回会わせろって話になってね。それで今回、都に送り出してもらったのだよ」
「…そんな話は聞いておりません」
倖奈がぼそりと言うと、秋の宮は小さく首を傾けた。
「まあ、彼は知っていても君は、かもしれないがね。君の表向きの理由は政のことではないわけだし」
それはそれとして、と秋の宮は首を振った。
「今回の件に関する私の主な目的は、旧くからの友人である理久が褒める、彼の人となりを知ることなんだよ。ところが彼は面白い ――もっと端的に言うならば、私が知りたいと思っている話をしてくれない。私を警戒しているのだろうね」
言って、脇息に凭れたまま、長い息を吐き出した。
「理久から君と校尉の関係は聞いている」
秋の宮はじっと倖奈を見つめてきた。
「史琉とわたし?」
倖奈が瞬くと。秋の宮は身を起こし、形の良い手を倖奈に伸ばしてきた。
「そう。自他共に認める仲の良い恋人同士だという話じゃないか」
体ごと近づいてきただけでなく、長い指が唇に触れそうになり、倖奈は慌てて身を退く。
秋の宮はからからと笑って、体を元に戻した。
「そんな君なら、彼のことをよく知っているだろう?」
ねえ、と小首を傾げて、秋の宮は笑みを唇に佩いた。
「君が知っている校尉の話をしてくれたまえ」
「わたしが知っている史琉?」
襟の袷をぎゅっと押さえて、倖奈はもう一度瞬く。
秋の宮は反対に首を傾げた。
「そう… 彼の戦い続ける理由をね。だって、不思議に感じると思わないかい? 己の身を顧みずに魔物に立ち向かっていくというのはとても覚悟がいる行動だよ? 都にも勿論、魔物と戦うことを役目と追っている人間はいる。だが、北の地の魔物はこことは段違いの恐ろしさだという話で、その中で、何故彼は戦えるのか」
倖奈は目を見開いた。
――史琉が戦う理由。
何か知っているだろうか、と瞬く。
――成したいものがあるから軍にいる。そのために戦っている。
それは聞いた。だが、秋の宮が知りたいのはそういうことではないだろう。
――成したいものとは何なのか、をわたしは知らない!
何度も瞬いて、片手で口元を覆う。
その仕草をじっと見つめてから、秋の宮はふっと笑った。
「金にあかして、庭園を花や緑で飾る者がいる。私もまた、この屋敷を花で飾って喜んでいるものなんだが」
言って、巻き上げられた御簾の向こうの雨の庭を見遣る。
雷が光って浮かび上がらせたそこには、濡れた花が溢れている。
「それが何故か、考えたことがあるかい?」
「…いいえ」
枳殻、谷空木、庭に咲いていた花を思い出しながら、倖奈は首を横に振った。
秋の宮は庭から視線を戻さないまま、呟いた。
「花は結界の代わりになる。だから、家に魔物を寄せ付けぬために周りを花で無理矢理に飾るのだよ。そこに本来は無かった花をね。だが、其処がどこであっても花は凛と咲き、そして散っていく。お蔭で我々には魔物を避けるという目的の他にも、その美しさに心癒され、散り際の見事さに感じ入るというおまけがついてくる」
倖奈は瞬いて、それからじっと秋の宮を見た。
秋の宮もまた、倖奈に視線を戻して。
「で、何が言いたいかというとだね。魔物に立ち向かう彼の話にそれと似たものを感じたのだよ」
すうっと静かに微笑んだ。
「彼はいつか花の如く散っていくのだろう」
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