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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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六の三「君、まさか都にわざわざやってきた理由を忘れてはいないだろうね」

天音は迷うことなく手を引いて進んでいく。
その足が一歩主殿に踏み込んだ時倖奈は身を竦ませたが、それでも止まることはなく、ぐるりと南側へと廊下を廻っていく。
「やあ」
辿り着くと、御簾の内側から低い声がかけられた。
その主は杜若の襲を纏った男。
「…秋の宮様」
小さな声で男を呼ぶと、彼はにっこりと笑い手招いた。
「入りたまえ」
その言葉にまた体が強ばる。倖奈はそっと隣を見た。
「どうぞ」
どことなく引き攣った笑みを浮かべて、天音は頷く。そのまま彼女は早足で引き返して行ってしまった。
「突っ立っていないで、入りたまえよ」
重ねて掛けられた声に、倖奈は去っていく背中を見つめ、前に向き直って無言で踏み込んだ。
秋の宮は、脇息に凭れかかって座っている。その南向きの部屋の中は、日が陰って来ているというのに、灯りがなくとも仄明るい。
秋の宮は目を細めて首を振った。
「やっぱり天音の見立ては正しいね」
「この衣装…ですか?」
怖々視線を淡い黄色の衣に落とし、それから秋の宮を見ると、彼は口の端を綻ばせた。
「そう。昨日の立葵が天音の選んだものだったというから、今日も彼女に頼んでみたんだ。その衣装も君に似合っているね。大変美しい。だが、磨く余地はまだまだありそうだ… また天音に頼んでみようか」
「…何故、天音様に?」
倖奈は眉を顰めたが。
「彼女は私の好みをよく知っているからね」
秋の宮は笑いを深めた。
「君自身も着飾りたいとか思わないのかね」
「…確かに、この衣装は素晴らしいものですけれど」
だけど、と倖奈は首を傾げた。
――どうせ綺麗になるのなら。
史琉に見てもらいたい、史琉に綺麗って言ってもらいたい、そんな気がして。
そこまで思って、倖奈は瞬いた。
――天音様が恋うる方は秋の宮様だ。
理屈などない。ただ、思い浮かんだだけ。
だが、陰の差す天音の笑みだけが思い出されて、倖奈はますます顔を顰めた。
「わたしよりも、宮様のことを真に想っている方に宮様が好むお姿になってもらった方が良いのではないのですか?」
すると、秋の宮は瞬いて、それからゆっくりと体を起こした。
「着飾りたいとか思わないのかね」
片腕だけ脇息について、首を傾げる。
「…着飾らせることだけが御用ですか?」
倖奈が小さいながらも強く言うと、彼は一度瞬いてから、にっと口端を綻ばせた。
「その気持ちもあるが、実はね、君と話をしてみたかったんだ。何せ、校尉にふられてしまったものだから」
「…史琉に?」
胸元に忍ばせた懐剣を衣の上から両手で押さえ、倖奈は呟く。
「そう。今日は一日休みだから彼と過ごしてみようかと思っていたのに、彼の方が先手を打って出かけてしまったから。だから君と過ごすことにした。校尉にもだが、君にも興味があるのだよ、私は」
秋の宮の笑みが広がっていく。
「興味というのは、どういう意味ですか?」
「考えてごらん。美しい、可愛らしい姫君を前にして男が何を思うか」
「…からかっているのですか?」
「そうとも言う」
「ご冗談はお止めください!」
倖奈は叫んだ。
すると、秋の宮は肩を竦め、まただらりと脇息に凭れた。
「…怒るのかい。まだまだ子どもだね」
――わたしはやっぱり子ども。
ちくりと胸の底が痛む。
だが。
「それでも厭です! 本当に宮様に見ていただきたいと思っている方を押し退けるような真似ではないですか…!」
叫びは止められず、そのまま、くるりと秋の宮に背を向けた。
「相手の余興に付き合うことも大人には必要なのだよ?」
その背中に声が掛けられる。
「君、まさか都にわざわざやってきた理由を忘れてはいないだろうね」
倖奈はびくっと肩を揺らした。
秋の宮の言葉に引っ掛かる気持ちはあっても、それでも振り返ることはできなくて。だっと走り出した。



空を覆う雲はどんどん分厚くなっていく。
「朝は晴れていたなんて信じられない」
紅色の被衣をするりと滑らせて、美波は呟く。
それから部屋内を覗くと、若竹色の直垂の男と真っ直ぐ視線があった。
「お帰り。時若、美波」
笑いかけられ、美波は一瞬だけ眉を顰め。
「あら、史琉」
すぐに朗らかな笑みを浮かべてみせた。
「戻っていたの… って、誰?」
見回した部屋の中には、史琉と律斗の他、見知らぬ顔が二人座っている。
一人はふっくらとした顔立ちの男。今一人は、律斗に良く似た面立ちの男。史琉はその彼にゆっくりと視線を移してから、美波に向き直り立ち上がった。
「近衛将監殿だ」
「はあ」
「それで、こちらは【かんなぎ】殿」
美波は眉を顰める。
だが、後ろから追い抜いて部屋に入っていった時若は何でもないように応じる。
「知っている。泰誠だろう」
「はい。時若殿、お邪魔しています」
金茶色の羽織の彼も立ち上がり、にっこりと笑いかける。
時若は両手を腰に当て、唇を尖らせた。
「何故、此処に?」
「校尉殿に御許しを頂きまして。時若殿、頼み事がございます」
「頼み?」
時若は首を捻る。
その彼と泰誠を促して座らせると。
「昨日、偶々、魔物に遭ったんだ」
そう言いながら史琉も腰を下ろした。
「せっかくの休みと出かけた先でね」
「…お前たちは、ここでもそんなことをしていたのか」
時若の大仰な溜め息が響く。
それに史琉は首を振って見せて。
「何とも太刀打ちできなく、今日、秋の宮様を通してこの御二方に退治をお願いをしたんだ」
言葉を続ける。それを泰誠が受ける。
「ですが、僕の力でもどうにも心許なくて。この先のご助力を時若殿にお願いしたいのです」
時若の眉が跳ねる。だが、泰誠は笑んだまま続ける。
「貴方の力は素晴らしいものと感じています。僕の考えでは、ここで力を振るわれるのは大事と思いますよ。北の地が劣っているから都に援助を求めているわけでは決してない、と示すためにも」
史琉もゆっくりと頷く。
時若はさらに長い溜め息をついた。
「…いいだろう」
だがはっきりと言葉が発せられて、泰誠はほっとしたような表情を浮かべた。
「勝てる自信は?」
そこにさらりと史琉が問う。時若は口の端を持ち上げた。
「十分にある」
「頼もしい限りです」
にっこりと笑って、泰誠は立ち上がった。
「それでは、明日、よろしくお願いします」
「…泰誠」
黙っていた葵が声を上げる。だが、泰誠は首を振った。
「葵。明日もちゃんと出てきてくださいね。北からのお客様だけにお願いするわけにいかない」
ね、と泰誠が念を押す。
葵は何度か唇を空回らせて、たん、と立ち上がった。
「ほら、お静かに。お行儀悪いですよ」
「煩い!」
殊更ゆっくりと立ち上がって、泰誠は腰を折った。
「お邪魔いたしました、校尉殿」
「いいえ、こちらこそ今日はありがとうございました」
ゆっくりと史琉が頭を下げる。
それを合図に葵が廊下に出てくる。
入口に立ちっぱなしだった美波は、ゆっくりとその相手の顔を見た。
「顔だけでなくて、声も背も律斗とそっくりね」
思わず呟くと。
葵は思いっきり顔を歪めてから、足音荒く去っていった。



空は今にも泣き出しそうだ。
ぱたぱたと走って戻ってきて、元の部屋の前で倖奈はほうと息を吐き出した。
「お帰り、倖奈!」
そこから簀子を降りた先では、袖を捲りあげた颯太がまだ抜き身の太刀を握っていた。
倖奈がその彼に向き直ると、相手は目を丸くして、それから瞬いた。
「格好が変わってる」
「そ… そうね」
頬を引き攣らせながら頷く。
「可笑しい、でしょう?」
「え…? そうでもないよ」
颯太は首を振る。だが、倖奈は俯いた。
「可笑しいのでしょう? 颯太、変な顔してた」
俯いたまま、しゃらりと絹の袖を揺らすと。
「いや、変だとか思ってるんじゃなくて… 吃驚しているだけだって!」
颯太が叫んだ。
「ほんと、吃驚しているだけだから! ほら、あれだよ… 『馬子にも衣裳』。いやいや、これは違うって! とにかく大丈夫大丈夫!」
颯太は太刀を取り落とし、両手を振る。
そこに。
「何やってるんだ、おまえたちは」
不意に声がかかる。颯太は、ぎゃあ、と叫んだ。
「校尉! お帰りなさい!」
倖奈も振り向けば、史琉が角を曲がってきたところだった。
その後ろには律斗が付いていて、彼は史琉を追い越して庭にひらりと飛び降りた。
「颯太。太刀は軽々しく落としていいものじゃないぞ」
どこか楽しそうに律斗は呟く。颯太はやや蒼ざめて後ずさる。
「律斗、よろしく鍛えてやってくれ」
簀子に残ったまま、史琉がくすりと笑い。
「任せろ」
ごきごきっと律斗が拳を鳴らす。
「い、いや、その… ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
颯太は叫び、走っていく。その後ろをのんびりした風情で律斗が追って行く。
態度に差のある追いかけっこを見遣ってから。
「倖奈」
史琉が名を呼ぶ。倖奈は肩を揺らして、見上げた。
「今日も化粧したのか?」
くすり、と笑って、彼は己の頬を指差す。その指先が向かってきそうになった瞬間、倖奈は身を退いた。
「ごめんなさい」
呟きが漏れる。史琉が瞬く。
倖奈はくるりと背を向けて、もう一度走り出した。
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