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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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六の一「校尉と律斗さんは出かけて行ったんだけど。俺は置いてけぼりだよ」

初夏らしい爽やかな日差しが、青空を駆け抜ける。
日差しが降り立つ先には、茅葺きの屋根。その下は、色合いこそ落ち着いているものの、手に取ってみれば一つ一つが豪奢だと知れる調度で飾られている。
その屋敷の真ん中の一番大きな棟もまた然りで、広い庭も池もゆっくりと見渡せる部屋は尚更優雅さを醸し出していた。
その部屋の陽の差す際に置かれた文机に彼は肘を付いていたが、簀子に人が立つ気配に体を起こす。
「秋の宮様」
呼ばれ、彼は視線を庭から来訪者に移した。
「やあ、校尉」
簀子に立っていたのは、中肉中背の体に品良く直垂を纏った男。
翠色の眸を輝かせ、秋の宮は目尻を下げた。
「君が来てくれるとは嬉しいよ」
扇で己の傍を指し示すと、失礼します、と言って男――史琉はゆっくりと部屋の中に入ってきた。
若竹色の直垂の裾を捌いて、彼は秋の宮と正対できるよう腰を下ろす。
秋の宮も直衣の袖を揺らして、座り直した。
「昨日、今日とお休みなわけだが… ゆっくり過ごせているかね?」
言って、にっこりと笑う。
だが、史琉は口元にだけ笑みを浮かべて首を横に振った。
「おや、困ったことだね。どうしてだい?」
秋の宮は大袈裟に肩を竦める。
「実は、せっかくの休みと出かけたのですが… その先で魔物に遭いまして」
表情を崩さないまま、史琉は平坦な声で続ける。
「力及ばず、その場に居合わせた者を一人死なせてしまいました。魔物そのものも斃すに及ばす、その場に閉じ込めるに留まっています」
対する秋の宮は目を丸くした。
「随分簡単に、魔物に遭ったと言えるものだね」
「…慣れております」
史琉が薄く笑う。それにさらに目を見張り、秋の宮は肩を竦めた。
「…慣れ、か。そういう慣れはしたくないな」
「大抵はそう思うでしょう」
「自分たちは例外か?」
「その自覚がございます」
ふう、と息を吐いて、秋の宮は立ち上がった。
ひょこひょこと部屋の奥に歩くのを、視線だけがついてくる。
「まあ、都に現れたと言うなら、私たちの守備範囲内だね」
「そう考え、お伝えに参りました」
「うん」
部屋の隅、紙の束が積み上げられたところで秋の宮は腰を下ろす。
「その魔物はどこで見た? どんなヤツだい?」
「北東の… 申し訳ございません、詳しい地名は存じませんが。この都の北東です」
「…うん」
史琉がゆっくりと言葉を続けるのに合わせて、秋の宮は紙の山を引っ繰り返す。
「魔物そのものは… 見た目の形だけならば、人の形です」
だが、その言葉を聞いた瞬間、秋の宮は引っ繰り返すのを止めた。
「…人の形をした魔物、か」
長い指を顎に添えて、小首を傾げる。
「どうも最近、そんな話を聞いた気がするな… 何だっけかな」
数度瞬き。秋の宮は紙を一枚一枚丁寧に捲っていった。
「ああ、この件だな」
そう言って、とある一枚を引き抜く。
「近衛府が… 葵と泰誠が追っている件だな」
紙をひらりと史琉に渡す。その上には簡単な線で都の図が書かれていて、それに史琉は目を見張った。
「既に追われていた?」
「うん。民の目撃情報が出ている件だろう。場所もほぼ一致する」
図を指し示すと、史琉は頷いた。
「では…」
「そうだね。葵と泰誠を呼び出そう。あとは二人によろしく伝えてくれたまえ」
秋の宮が笑うと、史琉も微笑んだ。
「よろしければ、今日一日お手伝いさせていただけませんでしょうか」
「…折角の休みだが?」
また秋の宮は首を傾げる。史琉はゆっくりと首を振った。
「じっとできない性分なのですよ」
「ふうん…」
秋の宮が目を細めると、史琉は慇懃に頭を下げてから立ち上がった。
そのまま立ち去ろうとする背中に。
「…人が死んだんだってね」
そう声をかける。史琉は振り返り頷いた。
「弔いは?」
「可能であれば… よろしくお願いします」
体ごと向き直り、ゆっくりと腰を折る。それから、史琉は今度こそ去っていった。

静かに歩いた先、主殿から通る渡り廊下に真っ直ぐに立つ人影があり、史琉は笑った。
「律斗」
呼ぶと、灰色の直垂に折烏帽子を隙無く付けた彼は目を細めた。
「葵ってのは、おまえの従兄弟だっけ?」
「そうだ… 天敵だ」
「その彼と、今から魔物退治だよ」
史琉が愉快そうに告げると、律斗は唇を曲げた。
だが、頭を振ってすぐに真顔に戻る。
「来るのか?」
「当たり前だ」
力強く頷き、律斗は史琉を睨んだ。
「おまえの狙いは、今回だけは魔物じゃなくて、あの男だろう」
「…そうだよ」
「上手くいけばまたシロに遭遇できる。始末できれば、さらに上々だ」
はっきりした口調に史琉は苦笑を返す。
はあ、と息を吐き出してから、律斗は呆れたような顔になった。
「倖奈嬢に何かあって、おまえにトチ狂われたら困る」
史琉は眉尻の下がった情けない顔になった。
そのまま黙った史琉に、律斗はまたすっと引き締まった表情を浮かべた。
「…おまえの目指すところを俺も目指している。分かっているだろう?」
すると、史琉もにやりと唇の端を吊り上げた。
「頼りにしてるよ」



「ってことで、校尉と律斗さんは出かけて行ったんだけど」
憮然とした表情で、颯太は呟いた。
「俺は置いてけぼりだよ」
「そう…」
それに倖奈も苦笑を返す。
庭の見える一室、簀子近くに並んで座って、二人は一緒に溜め息をついた。
大きな背を丸めて胡座をかいた颯太は、ちらりと倖奈を見てきた。
「倖奈も出かけなかったの?」
「うん…」
倖奈は顔を向いて、苦笑いを浮かべてみせた。
「…珍しいね。時若さんは出て行ったのに」
「そうね…」
「まあ、たまには倖奈もゆっくりしなよ」
「颯太もゆっくりしたら?」
「オレは… 駄目だ」
「どうして?」
「昨日、本当に役に立たなかったんだよ。せっかく刀をもらったのにさ」
――私だって懐剣を何にも使っていない。
勿論、使わないに越したことはないのだが。
颯太の太刀はそうもいかないのだろう。
「置いてけぼり食らったのだって当然だよね」
はああ、とまた長い溜め息に続いて、颯太の背が曲がっていく。
「おっかしいなー。これじゃあ何のためにオレ、田舎出て軍に入ったのか分からないじゃん」
「理由があるの?」
倖奈は瞬いてみせる。
「…まあ、一応ね」
振り返ることなく颯太が頷くので、倖奈はもう一度口を開いた。
「どんな理由?」
「訊くなよ。情けなくなるだろう?」
「…ひどいのね。わたしにはいろいろ聞いたのに」
くすりと笑うと、ようやく颯太は振り返り、じっと視線を向けてきた。
「…倖奈、性格変わってない?」
「そうかしら?」
「そうだよ」
「で、理由は?」
小首を傾げて問いかけると、颯太はまたぶすっと正面を向き直り。
「……好きな子がいるんだ」
ぼそっと呟いた。
「それが理由?」
「……もう訊くなよ!」
颯太が叫ぶ。
彼はがばりと立ち上がると、ずんずんと庭先に降りていった。
「ああ、くそ。むしゃくしゃするな!」
がしがしと髪を両手で掻き回した後、腰に差していた刀をぶんっと抜き放つ。
「悔しいよ! 本当に!」
荒々しく言い放つと、彼はそのまま、ぶんっぶんっ、と刃で空を切り始めた。
「どうしたら… どうしたらいいんだよ!」
両足を踏ん張って、刀を振り続ける。
向けられた背中を見つめて、倖奈はぐっと唇を噛んだ。
――その気持ちはよく分かる。
大好きな人に認めてもらいたくて、必死になる気持ちも。己の力不足で役に立てなくて、悔しい気持ちも。
――だって、わたしもそうだもの。
「刀持ってるだけじゃ意味ないんだ! いざって時に抜けなきゃ全然…!」
――ただ花を咲かすだけでなくて。その先を探さないと。
それなのに、未だに見つからない。
はあ、と息を吐いて部屋の奥に引っ込む。
窓際の文机の脇に行くと、そのままその机に突っ伏す。
ぶん、ぶん、と刀が空気を切り裂く音を遠くに聞きながら、目を閉じた。
ぎゅっと唇を噛み締めて、頭を抱える。
――やっぱり大学寮に出かけるべきだったかしら。
だが、今日はどうしても出る気になれなかった。
時若が出かけようとするのに付いていこうとしたら、それを追い抜くように美波が出て行った。
その冷たい後ろ姿に足が竦んだ。
翻る紅色の裾に悲鳴を上げそうになった。
――今一緒にいたら、また余計なことを訊いてしまう。
その結果として、胸の奥の重苦しさを増やしたくなかった。
何故、こんな苦い思いをしているのだろう。
忘れてしまえばいいのに、気付かなければ良かったのに。
――美波が本当は、わたしのことを何も思っていなかったかもしれないなんて。
だが、おあいこなのだろう。倖奈だって、美波の感情に気付かずにいたのだから。
一番近くにいたと思っていたのは、倖奈自身だけの妄想だったのだろうか。
そして、もしも。
――それは美波だけだったの? 時若は? 真桜様は?
吐き出すに吐き出せないモヤモヤだけが胸の裡を満ちていく。
その感触に小袖の袷を押さえれば、仕舞ったままの懐剣が触れた。
――史琉と話がしたい。
昨日は、何かを必ず話すと言っていたのに、結局は顔を合わせることないまま。そして今朝は彼は出かけていった。
僅かにでも顔が見れれば、少しは気持ちが軽くなるかもしれないと詮無いことまで考える。
――じっとしていると悪いことばかり考える。
もう一度息を吐いて顔を上げる。
ふと視線を巡らせば、簀子に見慣れぬ人影が居た。
落ち着いた色合いの小袖に打掛、長く垂らした髪からしてこの屋敷に仕える女だろうか、と思っていると。
「文をお届けに参りました」
そう告げられる。倖奈は立ち上がって、己より背の高い女の前に立った。
「誰に?」
問うと、女は突っけんどんにそれを突き出してきた。
「あなた様にです」
倖奈は瞬いた。
「どなたから?」
「名は告げるなと言われております。中をご覧になって判断してください」
女がずいっと突き出してくるので、倖奈は黙って受け取った。
すぐに女は立ち去っていく。
その背中が見えなくなってから、倖奈は文を開こうとして、あ、と呟いた。
真っ白な紙から、ふわりと香が上ってくる。
季節外れの沈丁花の香り。
それで誰だか分かった気がした。
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