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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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伍の六「颯太の活躍は次に期待だ」

木の洞から外に飛び出した瞬間、陽の光に目が眩んだ。
だが、目を閉じたのは一瞬で、史琉はすぐに周りを見回した。
外は静かだった。
洞からやや離れたところには、血飛沫を散らした、人の背丈よりも高い大岩。
「これで蓋って… 縄があるってことは何かしらの神気が?」
史琉は見回したが、辺りにシロはもういない。
むっと口を尖らせたまま視線を巡らせば、尻尾を振る次郎と目が合った。
彼は真っ直ぐに史琉を見上げる。何も言わず、動くこともない犬に、史琉は笑んだ。
「仕方ない… 信用するか」
そうして、両手を岩に当てる。そうして、体全体で伸し掛った。

ずしん、と音を立てて、魔物の体が地面に伏す。
太刀を払い終わった律斗は厳しい視線をそこに向けていた。
「や、やった…!」
その様に、颯太は溜め息を吐き出した。
へたり込んだままの彼をギロリと睨みつけて、律斗は踵を返した。
「今のうちに行くぞ…」
「…って」
がばりと魔物が飛び起きる。そして一足で跳ぶ。
「律斗さん!」
颯太が叫ぶ。律斗はギョッとした顔で横に跳んだ。
律斗が立っていた位置に魔物が爪を立てる。
砂埃を上げて、爪は地に突き刺さって抜けなくなり、魔物はまた吠えた。
それに合わせて黒い靄が勢いをつけて渦巻く。
「ぎゃああああああ!」
颯太も叫ぶ。律斗も魔物を見据えながら声を張った。
「…逃げるぞ!」
二人も叫ぶ。
そのまま律斗は真っ直ぐに木の洞に飛び込み、颯太も慌てて続いた。
洞の中は暗い。だが、正面の上の方の白い明かりがそこが出口だと伝えてくれる。
そこに向かうのは、急な傾斜のようで、張り出す木の根に足と手を架けながら、二人は登っていった。
後ろからはまた魔物の咆哮が響く。
しかも、爪は抜けたようで、徐々に声は近づいてくる。
「ひえええ!」
叫んだ瞬間、颯太の足元が崩れる。
「阿呆…!」
律斗の叫び声とともに、崩れたところの小石が無数に下に転がっていく。
それらはばらばらと魔物に降りかかったようで、魔物の咆哮の形が変わる。
「……らっきー?」
「急げ!」
上に向き直り、二人はわたわたと上っていく。
そしてまた、白い光の中に出た瞬間、目を眩ませたが。
「そこ、どけ…!」
声がかかる。
目を瞑ったまま、だっと駆ける。
そのすぐ脇を、ゴロゴロンという音が抜けていき、最後ドズンと鳴った。
颯太は立ち止まり、目を擦りながら振り向いた。
見た先は木の根元。
大きく輪を描いたそこには、大穴が開いていたようだが、ぴったりと岩がはまっている。
「それが蓋…か?」
律斗が呟くと、史琉が、ああ、と返す。
すると、律斗は大きく息を吐いて、その場に座り込んだ。
岩のすぐ脇に史琉もどかりと腰を下ろす。
颯太もまたへなへなと崩れ落ちた。
「び、びっくりした…」
「それだけか、役立たずめ」
ぼそりと律斗が呟く。颯太はびくっと肩を揺らした。
「腰の太刀は飾りか。何のために鍛えてたと思うんだ」
「…まあまあ」
史琉が苦笑する。
「目の前で人が喰われてビビらないって、俺とおまえくらい」
すると、律斗は鼻の頭に皺を寄せた。
「時若も足せ。ついでに、一彦やら平八翁やら柳隊の連中もだ」
ははは、と史琉が笑う。
「そういうわけだから、颯太の活躍は次に期待だ」
「すみません…」
しょんぼりと颯太は肩を落とす。
律斗は小さな溜め息を、史琉は朗らかな笑い声を響かせる。
そうしてから、二人の視線は同時に木の根に止まった大岩に向いた。
「これで大丈夫なのか?」
「恐らくは…」
史琉がとんとんと岩を叩く。
それは隙間なく洞に嵌っているようで、黒い靄が溢れ出てくる様子はない。
「あとは都の【かんなぎ】殿達に何とかしてもらうべきだろうな。 …宮様や芳永様経由で話を通してみよう」
「ああ…」
律斗が頷く。
颯太はしげしげと岩を見つめた。
「校尉… これ一人で動かしたんですか?」
高さは人よりも背が高い颯太よりもある。横幅もそれなりで、まるで大きな熊がいるかのようだ。
「あ? ああ、まあ…」
史琉は何でもないかのように笑い、颯太ははあと息を吐いた。
「力持ちですね…」
「コイツの馬鹿力はお墨付きだ」
律斗の溜め息が色合いを変える。
「ひどい言い草だな」
史琉の声も少しだけ乾く。それから、彼はにっと笑い直して、立ち上がった。
「戻るか」
頷いて、律斗も立ち上がる。
ゆっくりと鞘に太刀を収めてから、律斗はまた溜め息を付いた。
「ボロボロだな」
そう言う律斗自身の直垂は砂と土埃で砂色から色を変えている。
颯太の背中も濡れた土で汚れ、破れているし、史琉の直垂に至ってはところどころ赤い染みができている。
「そうだな」
と史琉は苦笑した。
「収穫は?」



すうっと風が庭を抜ける。
風は背に溜まった汗を撫でて、体はジンと冷えていった。
――びっくりした。
倖奈はそうっと顔を上げた。
今の風は先程とは違った。
先に吹いた風は生温く、肌の裏側を泡立たせていった。
同時に目が眩み、喉の奥と腹の中に違和感を抱かせられた。
そんな不調がすっと退いていく。
ゆっくりと立ち上がって、倖奈は辺りを見回した。
――なんだったんだろう、今の風は…
緑色に染まり、そこかしこに花を浮かべる庭に変わったところはない。
だが、その中をゆっくりと歩いてくる人影を見つけ、倖奈は目を細めた。
「…やあ」
歩いてきた男は、ゆっくりと笑った。
真っ直ぐに天に伸びた背は高い。二重の瞳は強い光を宿している。
髪は隙無く結い上げられ、烏帽子がしっかりと付いている。身を包むのは、細かい織が入った直衣で、その袖から覗く細長い指はゆっくりと扇を動かしていた。
「…どなた?」
倖奈は、胸の前で両手を組んで言った。
「どなた、とはお言葉だね」
言葉とは裏腹に笑みを崩さず、だが、と彼は言った。
「君と直接言葉を交わすのは初めてだから、それでも仕方ないと言えるかね」
そうして、一歩一歩ゆっくりと歩み寄り、倖奈の正面に立った。
「初めまして、のご挨拶をしよう」
そう言って右手を差し出される。倖奈は一瞬の躊躇いの後、組んでいた手を解き、差し出した。
小さな手を、大きい刺のない掌が包む。
「私がこの屋敷の主だよ」
彼の手の温もりを感じながら、倖奈は瞬いて、言った。
「…秋の宮様、でいらっしゃいますか?」
すると、相手は嬉しそうに目を細めた。
「そう。皆は私をそう呼ぶ。【みかど】の末弟、内務卿だ。君は… 北から校尉と一緒に来た【かんなぎ】だね?」
「そうです」
倖奈はこくりと首を振る。
「倖奈、と申します」
「…よろしくね」
握った手をゆっくりと上下させてから、秋の宮はゆっくりと手を離した。
離れていった手は袖に隠れ、その袖で口元を少し隠しながら宮は笑った。
「君とはいろいろお話がしたかったんだよ」
「…はい」
倖奈はまた両手を組んで、眉を顰めた。
「理久――君たちには北の帥と言ったほうが通りがいいのかな、彼からの文で君の話を知っていてね。花を咲かす【かんなぎ】だと―― そんな美しい姫君に興味を持たないわけ無いだろう」
宮は笑顔のまま、喋り続ける。
「想像していた以上だよ。とても可愛らしい。そして美しいね」
すらすらと飛び出してきた言葉に倖奈は目を丸くした。
「その衣装が誰の見立てかまで分からないけど、なかなか良い趣味だよ。化粧も似合っている。いやはや悪い子だね」
「…どういうことでしょう」
漸く倖奈がそう口を挟んだが、宮は頓着しているふうには見えず。
「そのままだよ」
言葉を続ける。
「そうして、君は校尉の心を掴んだわけだ」
「どうしてここで史琉が―― 校尉のことが出てくるのですか?」
倖奈はますます顔を顰めた。宮はにっと笑い、左手の扇で口元を覆った。
「どうしてだと思う?」
ぎゅっと眉を寄せてみても、彼は笑みから変わらない。
どうしたものか、と倖奈はますます渋面になったのだが。
「からかって遊ぶのはお止めくださいませ」
不意に、声がかかりはっとなる。
見向けば、僅かに離れたところにもう一人立っていた。
「…天音様」
倖奈は小声で相手を呼んだ。
だが、彼女は倖奈には一瞬だけ笑顔を見せただけで、次は困り顔を秋の宮に向けていた。
「おや。戻ったのではなかったのかい?」
宮はというと全く動じずに問い直す。彼女はゆっくりと首を振った。
「宮様を放っておけるはずございませんでしょう?」
「そうかい。で、君はどうして僕と姫君の語らいを邪魔するのかな?」
天音は艷やかな髪を揺らして、首を傾げた。
「無垢な方を苛めてはいけませんわ」
「苛めているとは失敬な。ただ、お話しているだけだよ。彼女の素晴らしい恋人についてね」
「それを苛めていると言うのですわ」
ほう、と小さなため息が響く。
「そうかなぁ…」
宮もゆっくりと首を左右に振った。
「お戯れは程ほどに。残っていて正解でしたわ」
そう言って、天音は歩み寄ってきて、秋の宮の右手を取った。
「さあ、お部屋にお戻りくださいな」
ゆっくりと手を引かれ、秋の宮はまた溜め息を付いた。
「仕方ないなあ…」
逆らうことなく、宮は踵を返す。
「ではね、倖奈。またお喋りしよう」
二人は足音穏やかに去っていく。倖奈はもう一度眉を寄せて、彼らの背を見送った。
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