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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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四の五「こういう時は、分かりやすい形で役に立てないのが一番辛いわね」

始めこそぽつぽつりと控えめだった雨は、今は小刻みに強く庭の草を打っていた。
緑の匂いの濃くなった庭の真ん中には、荒縄で締め上げた影が四つ。
その影を見下ろして。
「こんなもんかな?」
小袖に袴だけという格好で、史琉が笑う。
一方で、直垂に折烏帽子をきっちりとつけたままの律斗も同じように笑んだ。
「どうする、こいつら…」
律斗が問うと、史琉はゆっくりと主屋に振り返った。
「…判断は芳永様に」
すると、縁側に立っていた芳永はゆっくりと首を傾げた。
「僕かい?」
「ここの主は芳永様でしょう?」
史琉が微笑み、芳永は頷いた。
「成程ね」
言って、冠と緋色の袍を脱いで直衣に立烏帽子に着替えていた芳永は何度も首を捻った。
「でも、何が目的か分からないから、なんとも出来ないな。始末してしまうか、見逃すか…」
うーんと唸ってから、彼は溜め息を吐いた。
「僕か、はたまた君たちか、どちらが狙いだろうね」
すると、史琉が眉を寄せる。律斗も黙って二人を見た。
「もしかしたら、きちんと狙いを定めて押し入っていたわけじゃないかもだけどね」
言って、彼はがりがりと首の後ろを掻いた。
「穏当なところでは衛士処に通報、かな。人の邸に押し入ってきた盗人、として裁いてもらおう」
「では、そのように」
史琉は笑って、律斗を振り向いた。
にこりと笑い合い、二人はそのままじゃんけんを始め。
やがて、律斗が肩を竦め、ざっと踵を返した。
「行ってくる」
「ついでに、桂次のために医者も呼んできておくれよ」
「分かった」
濡れた草を踏みしめて、彼は真っ直ぐ門を出て行った。
「他にやるべきことは?」
髪を滴り落ちてくる雫を払ってから、史琉はまた芳永を見上げた。
「…桂次の様子は颯太君に見てもらっているし。そいつらが目を覚ますのを警戒するのと… そうだな、一応、宮様には一報入れておこうかな?」
芳永は、はあ、と息を吐き出した。
「手紙を書いてくるね。そいつらのことは…」
「お任せください」
史琉はゆっくりと頷く。
芳永も頷いて、御簾を潜っていった。



泣き疲れたらしい莉紗が、茉莉の膝の上で寝息を立てている。
庭に面した御簾の向こうからは芳永の声が聞こえてくる。反対の几帳の陰には桂次が寝ている。
桂次は、あからさまに怪しい体の男たちに誰何の声を上げかけた瞬間に殴られたらしい。腹を容赦なく打たれ、血を吐いた。先ほど少し目を覚ました時には、目が回る、と言っていた。
「ちょっと水を汲んで来ますね」
ひょこっと几帳の影から現れていった颯太に茉莉は頷いた。
「ごめんなさいね。手当をお任せしちゃって」
「大丈夫です!」
にこっと颯太は笑い、嬉々と裏手に続く御簾を潜ろうとしたのだが。
「他にもご入用なものってあります?」
振り返り、問う。茉莉はゆっくりと首を捻った。
「そうね… 桂次が楽に休めればそれでいいけれど」
「じゃあ、お茶でも淹れましょうか! 勿論、皆さんの分も」
颯太が言うと、茉莉も笑った。
「そうね。お願いしましょうか」
言って、ぐるりと部屋を見回す。
「美波さんも呼んで来てくださる? 遠慮なさったのか、またお部屋に戻られてしまっているけど… 彼女も落ち着かないでしょうから。皆で居ましょうって」
分かりました、と頷いて、颯太が縁側を歩いていく。
そのとんとんとんという足音が聞こえなくなった後は、屋根と草を打つ雨の音が場を満たす。
茉莉の向いに腰を下ろしていた倖奈はそっと溜め息を吐き出した。
それを聞いた茉莉が。
「落ち着かないわね」
と笑む。倖奈はぎこちなく頷いた。
茉莉は莉紗の髪を指先で梳きながら。
「何が起こっているのか分からないのももどかしいけれど」
と困ったような笑みを浮かべた。
「こういう時は、分かりやすい形で役に立てないのが一番辛いわね」
「役に立てない…」
倖奈が呟くと、茉莉は微笑んでから俯いた。
そのまままた部屋に沈黙が降りる。
外の声も途切れ、ばさりと庭側の御簾が上がり、見慣れた影が部屋に入ってきた。
「芳永様」
呼ばれた男は、部屋の中を見回して苦笑いを浮かべた。
「皆でここに居るのかい?」
「だって、落ち着かないんですもの」
茉莉が唇を尖らせる。それに芳永が笑い、傍らに膝を付いた。
「莉紗も驚いたようだね」
言って、すうすうと眠る子どもの頭を撫でる。
「有難う、茉莉。莉紗が怪我なくてよかったよ」
「あら、わたしがこの子に掠り傷一つだって許すと思います?」
「…思わないね」
芳永がふっと表情を崩し、茉莉も微笑む。
それを見て微笑んでから、倖奈はゆっくり立ち上がった。
細長く重たい布包みを抱えてから、御簾を潜る。
外は雨で仄白い。
濡れて匂いの濃くなった、さして広くない庭の真ん中にはまとまった塊。
それが何なのかすぐに気付いて、倖奈は身を震わせた。
唇を噛んで震えを止めて、さらに視線を動かすと、塊の傍に立つ人と目があった。
「史琉」
掠れかけた声で呼んで、倖奈はじっと見つめ返した。
冠を取り袍を脱いだだけ、白い小袖と指貫という姿で太刀を手に雨に打たれて立つ男。
彼はゆっくりと短い髪を掻き上げて、笑った。
「吃驚したな」
こくり、と頷いてなおも見つめると、史琉はゆっくりと首を振ってから、かさと草を踏んで歩み寄ってきた。
一段高いところから彼を見下ろす形になり、倖奈は黙って腰を落とした。
顔を見つけて、何度が唇を空回した後にやっと出てきた言葉は。
「この包み…」
だった。
「玄関で、預かった荷物。どうすればいいかしら?」
ゆっくりと白い包みを脇に置いて、視線だけを彼に向ける。
――これは今訊く必要があることかしら。
微かに口元を強ばらせ、右手はまた懐の懐剣を着物の上から掴む。
だが、史琉はゆっくりと頷いて。
「悪い。預けっぱなしだったな。…これ、颯太のなんだよな」
と笑い。
「ああ、ちょうど良かった」
縁側を近寄ってくる足音に振り向く。
倖奈も視線を向けると、眉尻を情けなく下げた颯太がいた。
「校尉…」
声までも情けなく上擦っている。
「お茶を淹れて… で、美波さんも呼んでこようとしたんですけど」
彼は手にした盆の上を見て、後ろの部屋、それから奥の対の屋を見遣った。
「…俺が呼んでも返事してくれないんですけど」
はあっと溜め息が響く。
倖奈は目を見張って、颯太と史琉を見た。
「仕方ないな… あいつも」
史琉が苦笑する。
「後で様子は見に行ってやるよ」
「すみません…」
肩を落としたまま、颯太はすごすごと御簾を潜っていく。
首の後ろで一括りにした栗色の髪が頼りなく揺れる。そのさまに笑ってから。
「颯太」
史琉が呼び、彼はまた情けない顔で御簾から顔を出した。
「なんですか?」
「お前も持ってろ。何かの時に頼りになる」
そう言って、史琉はするすると包みを解いていく。その中からは、太刀が一振。
颯太が、ごくり、と喉を鳴らした。
史琉はうっすらと笑い。
「ほら」
と右手で差し出す。
お盆は中に置いてきたらしく、颯太は床に膝をついて、それを両手で受け取った。
「緊張します…」
硬い声に史琉は柔らかく笑んだ。
「おまえなら大丈夫さ」
そのままくしゃくしゃと颯太の頭を撫で、撫でられた方もふっと笑った。
「じゃあ、桂次殿は任すからな」
「はい」
しっかりと頷いて、颯太はまた部屋の中に入っていった。
それを見つめながら、倖奈はまだ縁側に座り込んでいた。
「倖奈も中に入りな」
史琉がおっとりと笑う。
倖奈は首を振って、濡れた小袖を掴んだ。
「史琉」
名を呼んで、真っ直ぐに顔を覗き込む。
「お手伝い… できることは?」
すると、史琉は首を横に振った。
「大丈夫だよ」
言って、彼の右手が袖を掴んだ倖奈の指先を握る。
濡れて冷えた指先は、いつもより滑らかに感じた。
「濡れるといけないから、中に入っていな」
低い穏やかな声が耳朶を打つ。それにも倖奈は頭を振った。
「風邪ひくぞ?」
「史琉こそ…」
「俺は平気だよ。普段から雨に打たれるわ徹夜するわしてるんだから」
史琉はくすりと笑って、倖奈の指先を解いた。
手をゆっくりと下ろした後に、また庭の真ん中に歩いていく。
その姿をじっと見つめて。
「ごめんなさい。…役に立たなくて」
零れでた小さな呟きは届くことなく消えていく。
雨で白く霞んだ姿へは手も伸ばせなかった。
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