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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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四の四「暗闇に紛れて闇討ちとかな」

律斗の実家は武家というより、いわゆる貴族なのだそうだ。
それなのに、板張りの屋内の稽古場だけでなく、庭には広い的場まである。
其処目当てに方々から毎日人が通ってきているらしく、何時行っても盛況だった。
なんだかんだ言って、律斗も其処だけは嫌いではないようなのだが、一頻り汗を流すとさっさと退散してしまう。
お供として付いて来ている身としては、彼が帰るなら己も帰るしかない。
――なんだけどさ。
もうちょっと何かしてみたい、というのが颯太の正直な感想だった。
律斗の両親には、一人で来てもいいと言ってもらっているが、それに甘えるのは気が引ける。
「だから、ですね」
と颯太が口を開くと。前を歩いていた律斗が不機嫌な顔で振り向いた。
「脈絡なく、なんだ」
「もうちょっと… 向こうのお屋敷に居られないですか? 弓の練習してみたいです」
情けなく眉尻を下げて言うと。
「…おまえは才能がなさそうだから無理だ」
口を歪めた律斗に言い返され、颯太はがっくりと肩を落とした。
「才能… ないですか」
「まだ刀の方が仕込み甲斐がありそうだ」
「それでも、練習すれば何とかなるかもしれないじゃないですか」
食い下がってみたものの、律斗は前を向き直り。
「無理だ。諦めろ。とっと違う鍛錬をしろ」
ずんずん歩いて行ってしまう。
――鍛錬するのに、戻りましょうよ~?
心の裡だけで叫び、颯太は律斗を追った。
都の北端に近い邸から逗留していている芳永の邸まではかなり隔たりがあるが、律斗はたいてい早足だ。
――今日もこの速度で歩いて行くんですかぁあぁぁ。
これだけでも結構な鍛錬だと思うようにすればいいのだろうか、と考えたところで、突然律斗が足を止めた。
颯太もつんのめりながら止まる。
「どうしたんですか?」
そう言って、律斗の視線の先を追う。
目の前は東西に伸びる通り。
幅は都の真ん中の大路と同じくらいだが、常はほとんど人がいないそこがざわついている。
その中心は、大仰な牛車とそれを囲う武士たちだった。
「…大殿だな」
ぼそり、と律斗が言い。
「え? 誰ですって?」
颯太は聞き返した。
「三条の大殿… 三条家の今の主だ」
「三条家?」
「都でもそうとう大きな家だ。今の主は左大臣に就いているし、その娘は【みかど】の一位の后だ」
「左大臣…?」
「都で、【みかど】を除いた中で一番高い位だ」
「すっごく偉いお家ってことですか?」
立て続けに問うと、律斗は唇を曲げた。
「そうだ。なるべくなら関わりたくない」
「そう… なんですか?」
颯太は何度か瞬いて、通りをいく行列を見遣った。
牛車に付いた牛飼い童の着る物も、牛車を飾る出し衣も上等のものを使っているらしく、曇り空の下でも光沢が分かる。
都で見た中でも大振りな車の前後には、弓矢刀で身を固めた屈強そうな男たちが付いていて、容易に車へは近づけそうになかった。
その列の端に近寄ることさえ厭そうに、道の端で、律斗はへの字口で立っている。
颯太もぼんやりとそれを見送った。
列が全て通り過ぎて、それにくっついていた人波も過ぎた頃に。
「どうして関わりたくないんですか?」
と口にしてから、しまった、と颯太は蒼くなった。
だが、律斗の苛立ちはそこには向かなかったようで。
「三条の家とうち――高辻の家はソリが合わないんだ」
と言う。
「家同士の抗争などに巻き込まれてたまるか」
最後、微かに溜め息を吐き出して。
「行くぞ」
と、歩き出す。
颯太も慌てて後を追った。
必死に追いかけながら、ふと。
「雨が降りそうですね」
颯太は空を見上げた。
「とっとと戻るぞ」
と律斗も見上げ、頷く。
だが、早足よりも早くどんよりと鼠色の雲が太陽を覆い尽くす。
「…うわ、ほんとに暗くなってきた…」
颯太が言うと。
「暗闇に紛れて闇討ちとかな」
と、律斗が意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「冗談止めてくださいよ! っていうか、そこまで暗くないじゃないですか!」
などと言いながら、最後の角を曲がったところで。
律斗がまた足を止めた。
「…本気のようだな」
「何がですか?」
三歩後ろ、曲がりきる前に立ち止まり、颯太は首を傾げた。律斗は振り返りもせずに呟いた。
「芳永の奴… 恨みでも買っているのか?」
「え……?」
颯太は瞬いて、踏み出した。
見遣った向こう、見慣れた墨色の屋根の門の下。
ざざざっ、と影が駆けて行った。駆け込みながら、影は門の下にいた男を殴り飛ばした。
ぱっと赤い雫が飛ぶのが見えて。
「桂次さん…!」
颯太は低く呻く。律斗が舌を打った。
「裏に回るぞ」
「え? え?」
「茉莉と莉紗が先だ」
律斗は言うなり、踵を返し駆け出す。
「裏から邸に入るぞ!」
「ええ!?」
「奴らと二人が出くわす前に中に入るんだ!」
叫び、律斗は塀と塀の僅かな隙間に身を滑り込ました。
そうして、塀の角を掴んであっという間にそこをよじ登っていく。
颯太も慌てふためいて、塀を登った。
登った上から、今度は飛び降りる。
「あ、あいたた…」
颯太が呻いている間にも、律斗は裏庭を横切って、主屋に駆けて行った。
「茉莉!」
大声で呼ぶと、広間に当たる部屋から針を手にしたままの茉莉が顔を出した。
「律斗? 帰ってきていたの?」
「おかえりー、りつとー!」
莉紗も笑顔で手を降ってくる。
その次の瞬間、東側に続く縁側にぬっと黒い影達が出てきた。
影たちは一様に、深い色の小袖と袴に抜き身の太刀で、口元から首にかけてを布で覆い隠していた。
それに気付いた茉莉が悲鳴を上げる。
律斗が一気に駆ける。
そして、庭から縁側に飛び上がるなり、一番先頭の影の顔面に拳を見舞う。
「ふぎゃ!」
とその影は御簾を破って部屋の中に吹っ飛んでいった。他の影たちは、びくり、と立ち止まる。
律斗が太刀を抜き払う。
「はっ!」
刃を返し、唸ったそれは左側の影の腹を打ち、そのまま右側の影の額も割った。
ごとんごとん、と二人の影も引っ繰り返る。
「強いん… ですね」
庭に突っ立ったまま、颯太が呟く。
「何…? 大声を出して」
北側の縁側からはゆっくりと美波が歩いてくる。
颯太は口元を引き攣らせて美波を見、律斗の足元の影たちを見遣った。
美波もゆっくりと颯太の視線を追って、ひっと悲鳴を上げる。
「なんなの!?」
律斗は太刀を下げたまま、眉を寄せた。
「こいつらは何をしに?」
「何を、といっても話す前に律斗が伸しちゃうんですもの。聞けなかったわ」
おっとりと茉莉が言う。
だが、その口調とは裏腹に、手にしていたはずの縫い物は庭に投げ落とされていて、腕の中にすっぽりと莉紗が納まっていた。
律斗がもう一度溜め息をつく。
「確か… もう一人居たな」
「そ、そうなんですか?」
颯太は瞬いたが、律斗は頷いた。
「門の下を潜っていったのは四人いたはずだ」
じっと考え込む横顔を見ながら。
――あんな瞬間でも、見ていたんだ!
怪しげな気配をすぐに数え、もしかしたら、どんな奴だったかさえも覚えていそうだ。
そう思って、颯太はしげしげと律斗を見つめた。
「他に仲間がいないか…」
と律斗は呟いて。
はっと振り向いた。
「やっぱり居るな… くそ!」
言って、部屋の向こう、表の庭を睨む。
「え? え?」
颯太はがばっと縁側に身を乗り出した。
律斗は歯ぎしりをした。
「斬り込んでくる気か… 来るなら…」
言って、だっと部屋を駆け抜ける。ぶうん、と太刀を唸らせて、そのまま庭に飛び出していった。



刃と刃が高い音を立て合った。
その向かいの太刀を握る顔を見つめて。
「史琉…!」
律斗が情けない声を上げる。
「…律斗か」
史琉も細く息を吐き出して。
ゆっくりと二人、太刀を引く。太刀は二つとも、だらりと下がった。
長い溜め息が響いたあとに。
「茉莉! 莉紗!」
その横を、芳永が主屋に駆け上がっていった。それから直ぐに莉紗の泣き声が響く。
史琉は眉を顰めたが。
「…怪我なんかないから安心しろ」
と律斗が言うと、彼はゆっくりと笑い直した。
「外は?」
律斗が言葉を次ぐ。
「一人倒した。中はどうなんだ?」
「三人。もう伸している」
全員だな、と律斗が息を吐き。史琉は主屋を見上げた。
縁側には頬を紅潮させた颯太が居て、その彼に笑いかける。
「颯太。門のところに桂次殿がいるから。ちょっと運んでやってくれ」
「そうだ! 手当しないと…」
はっとしたように、颯太が駆け出す。
その彼と擦れ違うように、倖奈は史琉と律斗に近寄った。
後ろを静かに次郎が付いてくる。
二人の顔を見れば、律斗は眉の間に皺を刻んだ険しい顔、史琉は口元だけに笑みを刻んでいて。
「さあ、どうしたものかな…」
と呟く。
倖奈はぎゅっと包みを抱き直した。
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